身辺の雑事というか、学会あるいは講演会での腹の立つことを吐き出している。
カタルシスというやつか。
題名につられて買って見て、なんじゃこりゃと思ったが、読んでいるうちに私の体験と重なり、そのとうりと思うようなところも多く、結構楽しめた。
話をする際、概念規定をしっかりしておくことは、何と言っても一番大切だろう。コミュニケイションか、ノミュニケイションかの分かれ道は、、。
ただ、著者の言う“ワン君”たちとは仕方ないだろうな。他の惑星に住んでいる人たちのようだから。
ノミュニケイションのまま一生終わるだろう。
ちなみに評者は理系である。
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なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論 単行本 – 2005/6/25
仲正 昌樹
(著)
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社晶文社
- 発売日2005/6/25
- ISBN-104794966709
- ISBN-13978-4794966704
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登録情報
- 出版社 : 晶文社 (2005/6/25)
- 発売日 : 2005/6/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 260ページ
- ISBN-10 : 4794966709
- ISBN-13 : 978-4794966704
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,136,288位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2012年12月2日に日本でレビュー済み
本書には著者の「今こそアーレントを読み直す」から辿り着いたと思う。タイトルが具体的で、サラリーマン生活をしていた頃に頻繁に頭を過った問いに合致していた。
物語。そうそう、私はそれを知っているし、逃れられないし、日々厭になる対象だ。自分自身でそれをやるときは好きではないし、他の人がそれを私に押し付けることも嫌いだ。でも本書で批判しようとしているのは極端な場合においてのそれであるし、著者自身も指摘しているように、たぶん誰も自分の物語の構築や、他者や社会への投影を完全に止めることはできないのだろう。大事なのは物語が存在していることに気付いていること、自分や他者にも、みたいなところか。物語は悪である必要は全くないわけなのだけれども、ようはその取扱い、その適用の仕方にあるのだろう。本書にはピンク色の帯が巻かれているのだがそこには「人の話を聴きなさい!」とある。なるほど、確かに。本書に一度目を通していま数ヶ月後にもう一度読んでいる。人の話に耳を傾けることが、物語の呪縛からあるていど解放される、最良の道の一つかもしれない。
最後のほうは、次のよう文章によって締めくくられている:
「"心地良さ"が、"真実"であると勘違いしてしまったら、『人・間』から次第に遠ざかっていく。」(p255)
「...『大きな物語=歴史』が崩壊してしまった"後"に生きている私たちは、もはや絶対的に安定していると同時に普遍的に通用する"物語"に依拠することはできない。」(p256)
こうしたようなまとめを通じて、ハンナ・アーレントに関する本も執筆したことのなる著者の心髄を垣間みた気がした。
物語。そうそう、私はそれを知っているし、逃れられないし、日々厭になる対象だ。自分自身でそれをやるときは好きではないし、他の人がそれを私に押し付けることも嫌いだ。でも本書で批判しようとしているのは極端な場合においてのそれであるし、著者自身も指摘しているように、たぶん誰も自分の物語の構築や、他者や社会への投影を完全に止めることはできないのだろう。大事なのは物語が存在していることに気付いていること、自分や他者にも、みたいなところか。物語は悪である必要は全くないわけなのだけれども、ようはその取扱い、その適用の仕方にあるのだろう。本書にはピンク色の帯が巻かれているのだがそこには「人の話を聴きなさい!」とある。なるほど、確かに。本書に一度目を通していま数ヶ月後にもう一度読んでいる。人の話に耳を傾けることが、物語の呪縛からあるていど解放される、最良の道の一つかもしれない。
最後のほうは、次のよう文章によって締めくくられている:
「"心地良さ"が、"真実"であると勘違いしてしまったら、『人・間』から次第に遠ざかっていく。」(p255)
「...『大きな物語=歴史』が崩壊してしまった"後"に生きている私たちは、もはや絶対的に安定していると同時に普遍的に通用する"物語"に依拠することはできない。」(p256)
こうしたようなまとめを通じて、ハンナ・アーレントに関する本も執筆したことのなる著者の心髄を垣間みた気がした。
2010年1月17日に日本でレビュー済み
中身はエッセイなのだが、サブタイトルからしてもう少し堅い内容なのかと思った。
一部の知識人やネット掲示板への批判が、現れては消え、消えては現れる。本筋はそうではないのだが、とにかく目立つのだ。匿名掲示板の事は、それほど気にしなくてもいいんじゃないかと思う。
筆者が強迫神経症的だと自覚しているように、自分の周りにバリケードをつくっておいてから執拗に責め立てるのが目に付く。
軟弱者の私としては、他者に繰り返される罵詈雑言を読んでいるだけで気が滅入ってきた。夜中に隣人の喧嘩を聴いているような、あのイヤな感じにも例えられようか。
相互理解の大切さを説きながらも、バカには何を言っても通じないということをトクトクと申されているようだ。筆者のほかの本は良かったのだけれど、本書は私には合わなかった。
レビューを書くのはおこがましいが、読後の後味がよくない。そういう効果を狙った本だとすれば一本取られた感じだが。
一部の知識人やネット掲示板への批判が、現れては消え、消えては現れる。本筋はそうではないのだが、とにかく目立つのだ。匿名掲示板の事は、それほど気にしなくてもいいんじゃないかと思う。
筆者が強迫神経症的だと自覚しているように、自分の周りにバリケードをつくっておいてから執拗に責め立てるのが目に付く。
軟弱者の私としては、他者に繰り返される罵詈雑言を読んでいるだけで気が滅入ってきた。夜中に隣人の喧嘩を聴いているような、あのイヤな感じにも例えられようか。
相互理解の大切さを説きながらも、バカには何を言っても通じないということをトクトクと申されているようだ。筆者のほかの本は良かったのだけれど、本書は私には合わなかった。
レビューを書くのはおこがましいが、読後の後味がよくない。そういう効果を狙った本だとすれば一本取られた感じだが。
2007年6月7日に日本でレビュー済み
自分の知識(経験)を疑わず、それが”正”であるかのように話す「ワン君」を例にあげ、
哲学的なものも取り扱い「ワン君」がいかに”バカ”かを強調し、
「ワン君」にならない為には、
安定性と通用性のバランスをとることに耐えないといけない
と締めくくっている。
その”耐える”為の処方箋が何かないかなぁっと
模索してるだけ私は「ワン君」よりまし”?”
という疑問形に自己嫌悪。
余談ですが、
書の中に"高校の現代国語からやり直せ"と書かれており、
30歳にして必死で”現代文”の問題を
やってることにちょっと救われた。
哲学的なものも取り扱い「ワン君」がいかに”バカ”かを強調し、
「ワン君」にならない為には、
安定性と通用性のバランスをとることに耐えないといけない
と締めくくっている。
その”耐える”為の処方箋が何かないかなぁっと
模索してるだけ私は「ワン君」よりまし”?”
という疑問形に自己嫌悪。
余談ですが、
書の中に"高校の現代国語からやり直せ"と書かれており、
30歳にして必死で”現代文”の問題を
やってることにちょっと救われた。
2010年8月21日に日本でレビュー済み
筆者は実例をいくつか挙げて「discommunication(これは和製英語か?)」の「傾向と対策」を述べています。
会話のすれ違い、不毛な論争がどのように生まれ筆者自身の経験も踏まえて述べられており、興味深いです。
これら色々な場面での議論のすれ違いはつまるところ相手の話をよく聞いていないこと、十分に考えずに自分に都合の良い「物語」を作り上げ(または既存の「物語」を借りてきて)言葉を投げつけあっていること、基本的な言葉を確認しないまま議論していること、に帰因する。言われてみれば当たり前のことなのですが、これがなかなか世間では通用していない。
自分の日頃の言動を顧みて反省させられるところの多い本でした。
あと話は変わりますが、デリダの正義論についてチラチラと書かれてあったので、今度はそちらを読んでみようかと思っています。
会話のすれ違い、不毛な論争がどのように生まれ筆者自身の経験も踏まえて述べられており、興味深いです。
これら色々な場面での議論のすれ違いはつまるところ相手の話をよく聞いていないこと、十分に考えずに自分に都合の良い「物語」を作り上げ(または既存の「物語」を借りてきて)言葉を投げつけあっていること、基本的な言葉を確認しないまま議論していること、に帰因する。言われてみれば当たり前のことなのですが、これがなかなか世間では通用していない。
自分の日頃の言動を顧みて反省させられるところの多い本でした。
あと話は変わりますが、デリダの正義論についてチラチラと書かれてあったので、今度はそちらを読んでみようかと思っています。
2006年10月30日に日本でレビュー済み
難しいことを難しく書くことならば誰にでもできます。しかし、難しいことを平易に書くことは書いていることをきちんと理解し、なおかつ本当に頭の良い人にしかできないということを表している素晴らしい本です。たとえ著すに至った動機付けが個人的な私怨に発していたとしても!それをそのまま罵詈雑言として吐き出してよかれとするならば誰にでもできます。それを咀嚼して現在の社会が陥っている問題点にまで一般化し、その原因、解決策を含めて分析し、そのツールを実際に具体例にあてはめて切れ味を試すというところまで一冊の中で提示しているまさに実践的な本だと思います。
2005年7月17日に日本でレビュー済み
一気に読んでしまいました。
吠えるワン君は嫌いだし、自分もなりたくありませんが一言だけ。
彼らにとって吠えるのは、伊達や酔狂ではなく死活問題なのかもしれない。それ程にもろい自我を抱えて苦しんでいるのかもしれない。吠えて騒がないと自我が崩れて発狂してしまったりして。
あわれと思って放っておくわけにはいかんとですか…
吠えるワン君は嫌いだし、自分もなりたくありませんが一言だけ。
彼らにとって吠えるのは、伊達や酔狂ではなく死活問題なのかもしれない。それ程にもろい自我を抱えて苦しんでいるのかもしれない。吠えて騒がないと自我が崩れて発狂してしまったりして。
あわれと思って放っておくわけにはいかんとですか…
2005年7月17日に日本でレビュー済み
なぜ話が通じないのかについて、そこにはことさら深い秘められた理由があるわけでもなく、ただ単に話をまともに聞けないからだということに尽きる...というと身も蓋もないが、人が話していることをきちんと聞いて対応するということは基本中の基本であるにも関わらず、意外に大変なことなのかもしれない。細部や論旨を見ないではじめから反対の立場に立っていたり(二項対立)、一部のキーワードだけに過剰反応して大局を見失ったり(言霊信仰)、そこで語られていることではなく語っている人に対して攻撃したり(対人論証)等等、本書ではひとがいかに話が聞けないかがこれでもかと畳み込むように語られていく。
最初は著者の体験に基づく毒舌ぶりに中てられながらも話の展開についつい引き込まれるが、気がつくとだんだんその刃が自らに向かってくるような恐ろしい本である。
最初は著者の体験に基づく毒舌ぶりに中てられながらも話の展開についつい引き込まれるが、気がつくとだんだんその刃が自らに向かってくるような恐ろしい本である。