現代に至るまでの遺伝的差異について、興味深く読んだ。驚くような説もあり、何の疑いもなく素直に信じてしまったら大変だが、この本を読もうかなーと思う人は何かしら良い意味でねじれていると思うので、それほど心配ない範囲。
ユダヤ人の適応の歴史が興味深かった。ユダヤ人の賢さについて、歴史上の通説とは異なる研究を複数対比し解説。ユダヤ人は賢い!。いやそれは違う!。ユダヤ教の高度な教義が理解できない人がキリスト教に流れた!。などなど、世界の多くの人に顰蹙をかいそうな説だが、日本人には、そ、そういうものなのか?、という感想に留まる人が多いと思う。(もちろんそうでない日本人もいるとは思う。)リアルな感情が伴わない分、冷静に理解できた。もちろん理解できただけで、全面的に同意したわけではない。
とはいえ、遺伝子関係の研究は、日々すごいスピードで進められているし、また識字率や教育環境も、この先は先進国はゆるやかに伸び、途上国は劇的に伸びていく。遠くない未来には、地球全体の人類の環境はほぼ平均化され、その時にユダヤの地域性とユダヤ人の遺伝子を持つことが、今まで(これまでの2000年間とくらべて)さほど特別に有利なことではなくなるのだろうと思う。
今は「やっかいな」遺産であるかもしれないが、むかしは「耐え難い」ものだったことが、今は「やっかいな」ぐらいに収まってきたというべきかもしれない。人種も宗教も、いずれは辛党か甘党かぐらいの「誤差の範囲」になっていくだろうと思う。もし、差別的だから差異の研究は避けるべき、な世の中なのであれば、人類が先にやることは、おおいに差異を語れる環境をつくることなのかもしれない。
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人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史 単行本(ソフトカバー) – 2016/4/23
人類の経済的発展格差の原因は
地理? 文化? それとも遺伝?
最新ゲノムデータを基にした、
進化の歴史をめぐる大胆不敵な仮説
なぜオリンピック100m走の決勝進出者はアフリカに祖先をもつ人が多く、
ノーベル賞はユダヤ人の受賞が多いのか?
なぜ貧困国と富裕国の格差は縮まらないままなのか?
ヒトはすべて遺伝的に同じであり、格差は地理や文化的な要因から
とするこれまでの社会科学に対する、精鋭科学ジャーナリストからの挑戦。
最新ゲノムデータを基に展開する、
遺伝や進化が社会経済に与える影響についての大胆不敵な仮説。
「世界には、経済発展した豊かな国もあれば、停滞して貧しい国もある。
これはだれの目にも明らかなことだ。でも、どうして発展したところは発展で
きたのか? (…)本書は、それに対して別の答えを出そうとする。
それは、そもそも人間の出来がちがうのではないか、という答えだ。
平たく言えば、資本主義の市場経済を発展させられない連中は、
そのための進化が足りないのでは、というのが本書の主張となる。
――訳者解説より
目次
第一章 進化、人種、歴史
第二章 科学の歪曲
第三章 ヒトの社会性の起源
第四章 人類の実験
第五章 人種の遺伝学
第六章 社会と制度
第七章 人間の天性を見直す
第八章 ユダヤ人の適応
第九章 文明と歴史
第一〇章 人種の進化的な見方
地理? 文化? それとも遺伝?
最新ゲノムデータを基にした、
進化の歴史をめぐる大胆不敵な仮説
なぜオリンピック100m走の決勝進出者はアフリカに祖先をもつ人が多く、
ノーベル賞はユダヤ人の受賞が多いのか?
なぜ貧困国と富裕国の格差は縮まらないままなのか?
ヒトはすべて遺伝的に同じであり、格差は地理や文化的な要因から
とするこれまでの社会科学に対する、精鋭科学ジャーナリストからの挑戦。
最新ゲノムデータを基に展開する、
遺伝や進化が社会経済に与える影響についての大胆不敵な仮説。
「世界には、経済発展した豊かな国もあれば、停滞して貧しい国もある。
これはだれの目にも明らかなことだ。でも、どうして発展したところは発展で
きたのか? (…)本書は、それに対して別の答えを出そうとする。
それは、そもそも人間の出来がちがうのではないか、という答えだ。
平たく言えば、資本主義の市場経済を発展させられない連中は、
そのための進化が足りないのでは、というのが本書の主張となる。
――訳者解説より
目次
第一章 進化、人種、歴史
第二章 科学の歪曲
第三章 ヒトの社会性の起源
第四章 人類の実験
第五章 人種の遺伝学
第六章 社会と制度
第七章 人間の天性を見直す
第八章 ユダヤ人の適応
第九章 文明と歴史
第一〇章 人種の進化的な見方
- 本の長さ344ページ
- 言語日本語
- 出版社晶文社
- 発売日2016/4/23
- 寸法12.9 x 2.2 x 18.9 cm
- ISBN-104794969236
- ISBN-13978-4794969231
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商品の説明
著者について
◆著者について
ニコラス・ウェイド(Nicholas Wade)
イギリス生まれの科学ジャーナリスト。ケンブリッジ大学キングスカレッジ卒業。『ネイチャー』および『サイエンス』の科学記者を経て、『ニューヨークタイムズ』紙の編集委員となり、現在は同紙の人気科学欄『サイエンスタイムズ』に寄稿。 著書に、『5万年前』(イースト・プレス)、『宗教を生みだす本能』(NTT出版)、『背信の科学者たち』(共著、講談社)など多数。
◆訳者について
山形浩生(やまがた・ひろお)
1964年東京生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程修了。マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務するかたわら、科学、文化、経済からコンピュータまで、広範な分野での翻訳と執筆活動をおこなう。
著書に、『訳者解説』(バジリコ)、『要するに』(河出文庫)、『新教養としてのパソコン入門』(アスキー新書)、『たかがバロウズ本。』(大村書店)など。
訳書に、ケルアック&バロウズ『そしてカバたちはタンクで茹で死に』(河出書房新社)、ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』(鹿島出版会)、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、アトキンソン『21世紀の不平等』(東洋経済新報社)など多数。
守岡 桜(もりおか・さくら)
翻訳家。共訳書に、ハーツォグ『ぼくらはそれでも肉を食う』(柏書房)、ショート『毛沢東(上・下)』(白水社)、ブラックモア『「意識」を語る』(NTT出版)、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)など多数。
ニコラス・ウェイド(Nicholas Wade)
イギリス生まれの科学ジャーナリスト。ケンブリッジ大学キングスカレッジ卒業。『ネイチャー』および『サイエンス』の科学記者を経て、『ニューヨークタイムズ』紙の編集委員となり、現在は同紙の人気科学欄『サイエンスタイムズ』に寄稿。 著書に、『5万年前』(イースト・プレス)、『宗教を生みだす本能』(NTT出版)、『背信の科学者たち』(共著、講談社)など多数。
◆訳者について
山形浩生(やまがた・ひろお)
1964年東京生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程修了。マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務するかたわら、科学、文化、経済からコンピュータまで、広範な分野での翻訳と執筆活動をおこなう。
著書に、『訳者解説』(バジリコ)、『要するに』(河出文庫)、『新教養としてのパソコン入門』(アスキー新書)、『たかがバロウズ本。』(大村書店)など。
訳書に、ケルアック&バロウズ『そしてカバたちはタンクで茹で死に』(河出書房新社)、ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』(鹿島出版会)、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、アトキンソン『21世紀の不平等』(東洋経済新報社)など多数。
守岡 桜(もりおか・さくら)
翻訳家。共訳書に、ハーツォグ『ぼくらはそれでも肉を食う』(柏書房)、ショート『毛沢東(上・下)』(白水社)、ブラックモア『「意識」を語る』(NTT出版)、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)など多数。
登録情報
- 出版社 : 晶文社 (2016/4/23)
- 発売日 : 2016/4/23
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 344ページ
- ISBN-10 : 4794969236
- ISBN-13 : 978-4794969231
- 寸法 : 12.9 x 2.2 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 345,693位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2016年4月25日に日本でレビュー済み
まず最初に著者のエクスキューズとして、過去の優生学の誤りとそれを曲解して起こされたユダヤ人に対するホロコーストについて、その非を丹念に紹介する。その後、最近のゲノム解析に基づく人類遺伝学の進歩を2点あげる。第一は、チベット人の高地適応や西ヨーロッパ牧羊民の子孫における乳糖代謝に関する変異がたった数千年で集団中に広まった事例である。第二は、人種と言うものは社会科学的には社会的構築物であるとされて来たが(上記の過ちに対する反動として)、実はいくつかの遺伝マーカーを組み合わせて解析すると、アフリカ、アジア、ヨ−ロッパ(およびアメリカへの移住者)どの3つの大陸の出身であるか判別できる、すなわち人種は完全な社会的構築物ではない、と言う事だ。これは、常識的と言えなくもない、なぜなら声高には言われてはいないが、自然人類学では、頭蓋骨の形等いくつかの形質ははっきりとこの3大陸で区別できるからだ。さらに言えば、人種は人類の亜種ではないことは明白で、その意味は、人類集団をクラスタリングはできるけれども、明瞭な違いとして評価できる指標はない、ということだ。あくまでも、全体としてはその違いは、連続的な勾配として理解される。ここまでは良い。
その後の叙述は、西欧優越主義からくる偏見と弱くて乏しい遺伝学的証拠から、15世紀からの西欧の経済的離陸を、それまでの数百年間で蓄積した自然淘汰による人種間での行動に関する遺伝的違いによると断定する。いろいろの留保はつけるが、著者の付け加えたsomething newは上記の一点だけだ。期間があまりに短いのを何とか言いくるめようとするが説得力に乏しい。この問題についての、近年の大きな提案であるポメランツの議論、イギリスの新大陸からの搾取が資本主義を生み、それまでほとんど産業的に違いのなかった中国との発展経路の違いを生んだ、を数行で紹介しているのは良いが、否定も肯定もせず、単に無視する。また、J・ダイヤモンドの地理的要因を重視する説も、イデオロギーとして否定する。著者は、行動に関する遺伝子変異が少しの社会的行動の違いを生み、それが文化の違いをもたらし、F・フクヤマを始め(”政治の起源”)多くの識者が指摘するように、社会制度の決定的で重要な違いが経済的発展をもたらすと言うのだ。しかし、著者の言う行動に関する遺伝子など全くと言っていいほど解明されていない以上、その人種による差を云々するのはそもそも無理なのだ。また、遺伝的違いを持ち出さなくても文化によりほとんどが説明できてしまう所が決定的弱みだ。移民が数代にわたり故郷での文化に拘束される、と言う事から直ちにその不変性は遺伝による(社会的行動が人種により違うのは遺伝的違いによると言う主張の論拠がこれでは!)とする論理の危うさはどうしたことか。この辺りの批判は、訳者の山形浩生による解説にも詳しい。ユダヤ人の優越性の遺伝的根拠について1章を立てて論じるが、その根拠はたった1報の論文だけである。
著者はかつてネイチャー誌の編集者であった科学ジャーナリストである。これを知り、すぐにネイチャーの一番悪い所がでていると思った。科学的根拠が曖昧でも、大きな事を言って注目を集めたがる癖である。こんなレベルの編集者に、何年もかけた論文をエディター・キックされているのだから、たまったものではない。科学界において、ネイチャー誌の持つ影響力は今や不当に大きすぎる、その見識はこの本に現れている程度のものだ。また、西欧礼賛に終始する最終の2つの章は、ひどく鼻につくし、それまで言って来た事と矛盾する主張が多い事に著者は気づいていない。さらに、中国と日本を一緒くたに東アジアと称して否定的に描くのは不快だった。科学は西欧のものだ、と言うのがこの元ネイチャー誌の編集者の信念なのだろう。遺伝学者130人から集団で抗議が来たと言うのも当然と思える議論の内容だ。前半に面白い事が書いてあるので星ひとつ足した。
その後の叙述は、西欧優越主義からくる偏見と弱くて乏しい遺伝学的証拠から、15世紀からの西欧の経済的離陸を、それまでの数百年間で蓄積した自然淘汰による人種間での行動に関する遺伝的違いによると断定する。いろいろの留保はつけるが、著者の付け加えたsomething newは上記の一点だけだ。期間があまりに短いのを何とか言いくるめようとするが説得力に乏しい。この問題についての、近年の大きな提案であるポメランツの議論、イギリスの新大陸からの搾取が資本主義を生み、それまでほとんど産業的に違いのなかった中国との発展経路の違いを生んだ、を数行で紹介しているのは良いが、否定も肯定もせず、単に無視する。また、J・ダイヤモンドの地理的要因を重視する説も、イデオロギーとして否定する。著者は、行動に関する遺伝子変異が少しの社会的行動の違いを生み、それが文化の違いをもたらし、F・フクヤマを始め(”政治の起源”)多くの識者が指摘するように、社会制度の決定的で重要な違いが経済的発展をもたらすと言うのだ。しかし、著者の言う行動に関する遺伝子など全くと言っていいほど解明されていない以上、その人種による差を云々するのはそもそも無理なのだ。また、遺伝的違いを持ち出さなくても文化によりほとんどが説明できてしまう所が決定的弱みだ。移民が数代にわたり故郷での文化に拘束される、と言う事から直ちにその不変性は遺伝による(社会的行動が人種により違うのは遺伝的違いによると言う主張の論拠がこれでは!)とする論理の危うさはどうしたことか。この辺りの批判は、訳者の山形浩生による解説にも詳しい。ユダヤ人の優越性の遺伝的根拠について1章を立てて論じるが、その根拠はたった1報の論文だけである。
著者はかつてネイチャー誌の編集者であった科学ジャーナリストである。これを知り、すぐにネイチャーの一番悪い所がでていると思った。科学的根拠が曖昧でも、大きな事を言って注目を集めたがる癖である。こんなレベルの編集者に、何年もかけた論文をエディター・キックされているのだから、たまったものではない。科学界において、ネイチャー誌の持つ影響力は今や不当に大きすぎる、その見識はこの本に現れている程度のものだ。また、西欧礼賛に終始する最終の2つの章は、ひどく鼻につくし、それまで言って来た事と矛盾する主張が多い事に著者は気づいていない。さらに、中国と日本を一緒くたに東アジアと称して否定的に描くのは不快だった。科学は西欧のものだ、と言うのがこの元ネイチャー誌の編集者の信念なのだろう。遺伝学者130人から集団で抗議が来たと言うのも当然と思える議論の内容だ。前半に面白い事が書いてあるので星ひとつ足した。
2019年4月4日に日本でレビュー済み
私もこの本が科学的実証研究として優れているとは思わないし内容を擁護はしませんが、
冒頭にある、現代の科学界がリベラリズムというイデオロギーによって強い言論統制を受けているという点にだけは同意しておきます。
冒頭にある、現代の科学界がリベラリズムというイデオロギーによって強い言論統制を受けているという点にだけは同意しておきます。
2016年4月30日に日本でレビュー済み
著者はグレコリー・クラーク『10万年の世界経済史』を下敷きにして、イギリスにおける支配階級の出生率の高さと人口圧力が、かの国に産業革命をもたらし、またその革命は、同じような遺伝子条件をみたした多くの国に受け入れられたという。つまり近代的経済発展は遺伝子によるものだというのである。「支配階級の遺伝子云々」の議論については『10万年』の書評のところで批判しておいたが、さらにウェイドによれば、人間が過去千年にわたって、次第に暴力的でなくなってきたのも遺伝子の変化によるという。この点に関しては、それに否定的なピンカーを、政治的に臆病であるが故として批判している。しかしこれはおそらくピンカーの方が正しい。
ウェイドは当然知っているだろうが、『10万年の世界経済史』上181ページには、ピトケアン島に漂着した14人の男性と12人の女性が、ひとつの孤立した社会を築いた話が載っている。この14人の男性のうち、12人が殺され、一人が自殺し、最終的には一人の白人男性だけが生き残った。日本人にも「アナタハンの女王事件」という話があって、孤立した島に多数の男とひとりの女が漂着し、男たちの間で激しい殺し合いが起き、最終的に争いの原因となる女を殺そうとしたという話である。どちらも狩猟採集社会もま真っ青な殺人率であり、現代の文明社会に生きる人間も、制度的な縛りがなくなれば際限なき殺人を繰り返す可能性があることを如実に示すものである。
著者は、社会の仕組みの違いや経済力の差を、ことごとく遺伝子の違いによって説明しようとするが、こんな説明が正しいなら、近年のアフリカの発展は、ありえないか、さもなくば激しい遺伝子淘汰の真っ最中ということになる。日本の開港以後の近代化も同じ説明をするよりほかないが、この時期、日本人に激しい遺伝子淘汰などあったであろうか? むしろこれまで家を継げなかった次男三男が分家していったではないか。
笑うべきことに、著者は304ページで「急速な変化は文化によるもので遺伝によるものではないだろう」とこともなげに言っている。随分いい加減な人だ。チンパンジーとボノボの社会行動の違いは、遺伝子によるものであり、一方からもう一方に変化させることはできない。同様の理由で、著者の立場なら「遺伝子の変化を超えるような急速な社会の変化はありえない」と言い切るべきであり、それが明白に間違っていることが、著者の議論が全面的に間違っている何よりの証拠なのである。
ウェイドは当然知っているだろうが、『10万年の世界経済史』上181ページには、ピトケアン島に漂着した14人の男性と12人の女性が、ひとつの孤立した社会を築いた話が載っている。この14人の男性のうち、12人が殺され、一人が自殺し、最終的には一人の白人男性だけが生き残った。日本人にも「アナタハンの女王事件」という話があって、孤立した島に多数の男とひとりの女が漂着し、男たちの間で激しい殺し合いが起き、最終的に争いの原因となる女を殺そうとしたという話である。どちらも狩猟採集社会もま真っ青な殺人率であり、現代の文明社会に生きる人間も、制度的な縛りがなくなれば際限なき殺人を繰り返す可能性があることを如実に示すものである。
著者は、社会の仕組みの違いや経済力の差を、ことごとく遺伝子の違いによって説明しようとするが、こんな説明が正しいなら、近年のアフリカの発展は、ありえないか、さもなくば激しい遺伝子淘汰の真っ最中ということになる。日本の開港以後の近代化も同じ説明をするよりほかないが、この時期、日本人に激しい遺伝子淘汰などあったであろうか? むしろこれまで家を継げなかった次男三男が分家していったではないか。
笑うべきことに、著者は304ページで「急速な変化は文化によるもので遺伝によるものではないだろう」とこともなげに言っている。随分いい加減な人だ。チンパンジーとボノボの社会行動の違いは、遺伝子によるものであり、一方からもう一方に変化させることはできない。同様の理由で、著者の立場なら「遺伝子の変化を超えるような急速な社会の変化はありえない」と言い切るべきであり、それが明白に間違っていることが、著者の議論が全面的に間違っている何よりの証拠なのである。
2017年2月7日に日本でレビュー済み
現在の自然人類学では公然と人種について議論することは憚れる傾向にある。しかし筆者N. Wadeは本書の前半・第1~5章の自然人類学的考察において客観的文献のをもとに、5万年前(もう数万年は前だろう)に出アフリカをはたしたホモサピエンスが進出した各地の自然環境に適応して遺伝学的に同種内のいくつかのグループに分かれたことを示し、人種の存在を肯定する。それはその通りだと思う。論理的である。人種は存在しないなというのはそこに何らかの社会的な逆バイアス(political correctness)がかかった虚構にすぎない。
しかし後半第6~10章の社会人類学的考察では、論理的のクソもない。「(西欧社会は豊かなのに)なぜアフリカ社会は豊かになれないのか?」その違いは遺伝的違い(=進化の違い)にあるとする。それにつき社会学的なデータを多数示しいかにも客観性があるかのような実はこじつけ論法を展開する。述べていることはすべて推測に過ぎない。結局、著者は白人優位・人種差別を肯定するレイシストなのだ。
第8章の記述も興味深い。基本的には印欧系の欧州人とは違うセム系民族であるユダヤ人をノーベル賞受賞者が多いことで持ち上げている。しかしその対象とされるのはヨーロッパ社会で育ったアシュケナジム系のユダヤ人だけである。つまりアシュケナジーは30%程度のヨーロッパ人の遺伝子が混入されている西洋人(白人)であるという荒っぽい論法である。
まあ100点満点で言えば40点くらいでしょうか?よって星二つ。
しかし後半第6~10章の社会人類学的考察では、論理的のクソもない。「(西欧社会は豊かなのに)なぜアフリカ社会は豊かになれないのか?」その違いは遺伝的違い(=進化の違い)にあるとする。それにつき社会学的なデータを多数示しいかにも客観性があるかのような実はこじつけ論法を展開する。述べていることはすべて推測に過ぎない。結局、著者は白人優位・人種差別を肯定するレイシストなのだ。
第8章の記述も興味深い。基本的には印欧系の欧州人とは違うセム系民族であるユダヤ人をノーベル賞受賞者が多いことで持ち上げている。しかしその対象とされるのはヨーロッパ社会で育ったアシュケナジム系のユダヤ人だけである。つまりアシュケナジーは30%程度のヨーロッパ人の遺伝子が混入されている西洋人(白人)であるという荒っぽい論法である。
まあ100点満点で言えば40点くらいでしょうか?よって星二つ。
2017年4月20日に日本でレビュー済み
著者の説、農業による集団生活の有無が、人種を品種改良して、それが、アフリカ(黒人)、コーカソイド(白人)モンゴロイド(黄人)の気質の違いを生み出したというが、素朴に思うのには、アフリカに農業を定着させれば同じ様な事が起きるとなるのでは?また、集団生活による淘汰なら宗教団体、たとえばネイション・オブ・イスラムのように、何世代にもわたって、家族、氏族的規模で維持されている集団はどうなっているのか?著者の仮説に従えば、むしろ、漸進的な淘汰を促す環境や制度の整備に当てられるべきだという方向にいくのではないか?アフリカに対する援助の仕方を変えればとの議論になるのではないか? なぜ、筆者はことさら遺伝的な差異を強調する方向にいくのか?著者の議論の進め方には、不穏な疑問が湧く。