良い本だと思います。20世紀の歴史を音楽の面から考えさせられます。
一度手離しましたが絶版にならないうちに買い直しました。
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カラヤン 帝王の世紀 孤高の天才指揮者、波乱の100年 (宝島社新書 266) 新書 – 2008/4/9
中川右介
(著)
カラヤン生誕100年。『クラシックジャーナル』編集長・中川右介が描く、孤高の天才指揮者の波乱の生涯。音楽、権力、メディア、テクノロジー……。それらは、いかにして一人の男に制覇されたのか。100年経った今、見えてくる実像とは。「カラヤン・イヤー」の本年、ベルリン・フィルをはじめカラヤンと関係の深いオーケストラは各地で記念コンサートを行う予定。クラシック・ファンはもちろん、歴史ファンにも薦めたい一冊。
- 本の長さ190ページ
- 言語日本語
- 出版社宝島社
- 発売日2008/4/9
- ISBN-104796661972
- ISBN-13978-4796661973
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登録情報
- 出版社 : 宝島社 (2008/4/9)
- 発売日 : 2008/4/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 190ページ
- ISBN-10 : 4796661972
- ISBN-13 : 978-4796661973
- Amazon 売れ筋ランキング: - 661,271位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 200位演奏家・指揮者・楽器の本
- - 347位宝島社新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年11月27日に日本でレビュー済み
『カラヤン 帝王の世紀――孤高の天才指揮者、波乱の100年』(中川右介著、宝島社新書)は、カラヤンが生まれる直前の1901年からカラヤン死後の2008年までの、カラヤンを中心とした時系列のエピソード集という形態をとっている。政治に翻弄されながらも芸術に生き、芸術に生きながらも権力闘争を止めず、権力闘争をしながらも音楽を奏で続けたカラヤンの81年の生涯を辿るには便利な本と言えよう。
2018年2月5日に日本でレビュー済み
カラヤン生誕100年記念として読んだものの、あまりにもひどい内容だった。いくつか内容が重複するような箇所があったりした。文章があまりにも乱暴で汚く、読んでいて疲れてしまった。こんな文章でいろいろな著作を出版してこられたものだと思うと、呆れてしまう。マニアの自慢話で、読む人のことを考えていない。
多くの人が、中川右介の著作は面白いといって買う一方、真面目な音楽愛好家・専門家、歌舞伎ファン・専門家などの評価は低い。出版社も、中川の著作は内容が面白いからといって、出したがる傾向が強い。そろそろ、中川の著作出版は止めてもらえないだろうか。
多くの人が、中川右介の著作は面白いといって買う一方、真面目な音楽愛好家・専門家、歌舞伎ファン・専門家などの評価は低い。出版社も、中川の著作は内容が面白いからといって、出したがる傾向が強い。そろそろ、中川の著作出版は止めてもらえないだろうか。
2009年5月5日に日本でレビュー済み
これは、あまリという気がする。本なのだから少しは
工夫を凝らしてほしい。書評をよんでから、買えばよかったと
つくづく後悔。
工夫を凝らしてほしい。書評をよんでから、買えばよかったと
つくづく後悔。
2008年5月11日に日本でレビュー済み
何気なく読み過ごしてしまうタイトルに筆者の並々ならぬ意図が隠れている。「『まえがき』にかえて」に、「『二十世紀を代表する人物をひとり挙げよ』という命題への回答として、レーニンでもヒトラーでもスターリンでも毛沢東でもなく、あるいは、アインシュタインでもピカソでもビートルズでもなく、カラヤンを挙げたい。」と記されている。
さて、筆者の意気込みは190ページしかない新書版では十分に伝わってこなかったが、1901年(二十世紀の初年度)から2008年(カラヤン生誕百年)の百八年を、各年を小見出しとして時系列に並べたところに特徴がある。
1954年にフルートヴェングラーが死去すると、カラヤンは翌年ベルリン・フィルの首席指揮者に内定する。以後の活躍はここに書くまでもない。筆者は2000年の来日公演を評してこう語っている。「一九五〇年代後半のカラヤンは、二〇〇〇年のアバド(ベルリン・フィル)、小澤(ウィーン・フィル)、ムーティ(スカラ座)、アシュケナージ(フィルハーモニア)の仕事をひとりでこなしていた――あるいは、四人分の権力を握っていたのである」と。
1936年にソ連共産党機関紙に突然批判され一夜にして失脚するが、1942年初演の交響曲第7番ではスターリン賞が贈られ、ロシア共和国の功労芸術家になったのは、同世代の作曲家ショスタコーヴィッチである。筆者は、「(カラヤンの生涯は、)狂気の独裁政治のもとで生涯を送ったがために平穏な生活を望み、表向きは戦うのを避け妥協しつづけることで生き延びながら、曲を書き続けたショスタコーヴィッチの生涯とは、まさに表裏の関係にある」とまとめている。
「アダージョ・カラヤン」は死の5年後(1994年)にヨーロッパで大ブレークし、全世界で五百万枚売れた。そして2008年を迎えカラヤン生誕百年記念の出版物が相次いでいるという。日本であまり話題とならないのは寂しい限りである。
さて、筆者の意気込みは190ページしかない新書版では十分に伝わってこなかったが、1901年(二十世紀の初年度)から2008年(カラヤン生誕百年)の百八年を、各年を小見出しとして時系列に並べたところに特徴がある。
1954年にフルートヴェングラーが死去すると、カラヤンは翌年ベルリン・フィルの首席指揮者に内定する。以後の活躍はここに書くまでもない。筆者は2000年の来日公演を評してこう語っている。「一九五〇年代後半のカラヤンは、二〇〇〇年のアバド(ベルリン・フィル)、小澤(ウィーン・フィル)、ムーティ(スカラ座)、アシュケナージ(フィルハーモニア)の仕事をひとりでこなしていた――あるいは、四人分の権力を握っていたのである」と。
1936年にソ連共産党機関紙に突然批判され一夜にして失脚するが、1942年初演の交響曲第7番ではスターリン賞が贈られ、ロシア共和国の功労芸術家になったのは、同世代の作曲家ショスタコーヴィッチである。筆者は、「(カラヤンの生涯は、)狂気の独裁政治のもとで生涯を送ったがために平穏な生活を望み、表向きは戦うのを避け妥協しつづけることで生き延びながら、曲を書き続けたショスタコーヴィッチの生涯とは、まさに表裏の関係にある」とまとめている。
「アダージョ・カラヤン」は死の5年後(1994年)にヨーロッパで大ブレークし、全世界で五百万枚売れた。そして2008年を迎えカラヤン生誕百年記念の出版物が相次いでいるという。日本であまり話題とならないのは寂しい限りである。
2008年5月17日に日本でレビュー済み
カラヤンがどういう時代を生きたのかを、ざっと知りたいという人にはいいかもしれない。
しかし、本当に年表であり羅列であるので、カラヤンその人を知りたい場合は他の評伝を読むべきだろう。写真などが一切ないのも残念だった(諸処の事情で使えないのかもしれないが)。
しかし、本当に年表であり羅列であるので、カラヤンその人を知りたい場合は他の評伝を読むべきだろう。写真などが一切ないのも残念だった(諸処の事情で使えないのかもしれないが)。