なによりこの書籍の価値は、人工内耳を装用した本人が自分の経験を記録したものだということです。本の中でも述べられていますが、著者はすこしマニアックで(オタクで)、理屈っぽいですが、こういった記録書籍を著すのには、実に適した方だと思います。理屈と現実と感情がごちゃまぜで書いてありますが、それが実に人間らしい「本音」を表現していると思います。
人工内耳は、補聴器すら効果が薄い、重度難聴者に対する医療機器です。非常に洗練されていて、感覚障害をサポートする器具としては眼鏡の次に成功した機器だと思います。しかし、一般にはまだまだ認知されていないものです。一見補聴器のようですが、補聴器の耳掛けする部分からケーブルが伸びていて、後側頭部に円盤が貼り付いているというものです。一般には、補聴器が落ちないように頭に固定しているのかな、とか、どうやって貼り付けているのかな、というくらいの認識だと思いますが、本書を読んで、人工内耳が具体的にどういった機器なのか、すこしでも理解が深まれば良いと思います。
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サイボーグとして生きる 単行本 – 2006/7/1
頭に機械の耳を埋め込んだ男の実体験と葛藤
30代半ばで完全失聴者となった男は、頭に人工内耳(コンピュータ制御の耳)を埋め込む。五感の1つを機械に譲り渡したことで、自分がサイボーグになったことを自覚すると同時に、より人間らしい心を持つようになった男が語る、1人称のルポルタージュ。
30代半ばで完全失聴者となった男は、頭に人工内耳(コンピュータ制御の耳)を埋め込む。五感の1つを機械に譲り渡したことで、自分がサイボーグになったことを自覚すると同時に、より人間らしい心を持つようになった男が語る、1人称のルポルタージュ。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社ソフトバンククリエイティブ
- 発売日2006/7/1
- ISBN-104797334215
- ISBN-13978-4797334210
登録情報
- 出版社 : ソフトバンククリエイティブ (2006/7/1)
- 発売日 : 2006/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4797334215
- ISBN-13 : 978-4797334210
- Amazon 売れ筋ランキング: - 995,564位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 10,541位英米文学研究
- - 140,943位ノンフィクション (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年5月31日に日本でレビュー済み
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2006年8月29日に日本でレビュー済み
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高級なプログラム電卓を扱ったことのある世代で、マイコン(パソコンではない)オタクだったことのある、女性にもてない、博士号所持者が、自身への人工内耳の植え付けとその使用応用方法の改善に努める過程で、人間としても成長していくお話です。
これから人間と電子機器との融合が進行する時代の人間としては、読んでおいて損の無い1冊。特に人間の神経系(脳を含む)を使った制御系を組むような研究をしたいと思っている高校生・大学教養部生にとって、電子的な刺激を脳がどう感じるか、を知るために特筆すべき1冊です。
『哲学的な記述で難解な所』を飛ばし読みしても、後悔は無いと思います。本当はそこも読んで欲しいのですが・・・。
textex2
これから人間と電子機器との融合が進行する時代の人間としては、読んでおいて損の無い1冊。特に人間の神経系(脳を含む)を使った制御系を組むような研究をしたいと思っている高校生・大学教養部生にとって、電子的な刺激を脳がどう感じるか、を知るために特筆すべき1冊です。
『哲学的な記述で難解な所』を飛ばし読みしても、後悔は無いと思います。本当はそこも読んで欲しいのですが・・・。
textex2
2006年9月21日に日本でレビュー済み
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聴覚を失ったサイエンスライターの自身による人工内耳導入の記録。
人工内耳は、以前、NHKで立花隆氏出演のドキュメンタリーでも紹介された。外科手術により蝸牛に8×2対の電極を挿入、電気信号の発信機=インプラントも頭蓋骨に据付け、マイクで拾った音を電気信号に変換して、8つの電極の組み合わせで音声を認識させる仕組み。内耳にあるカタツムリ上の渦巻きの中の入り口で高い音を、奥に入るほどに低い音を認識する。なので、人工内耳は8つの音程について音の強弱を表現する。変換のアルゴリズムは今もバージョンアップしながら改善が進められている。
電気信号と感覚器官がコンピューターを通じて結び付けられているというアメリカでの医学とEngineeringの融合には驚かされる。
後何十年かしたら想像もできないような介護機器が開発されるのではないかと期待。
人工内耳は、以前、NHKで立花隆氏出演のドキュメンタリーでも紹介された。外科手術により蝸牛に8×2対の電極を挿入、電気信号の発信機=インプラントも頭蓋骨に据付け、マイクで拾った音を電気信号に変換して、8つの電極の組み合わせで音声を認識させる仕組み。内耳にあるカタツムリ上の渦巻きの中の入り口で高い音を、奥に入るほどに低い音を認識する。なので、人工内耳は8つの音程について音の強弱を表現する。変換のアルゴリズムは今もバージョンアップしながら改善が進められている。
電気信号と感覚器官がコンピューターを通じて結び付けられているというアメリカでの医学とEngineeringの融合には驚かされる。
後何十年かしたら想像もできないような介護機器が開発されるのではないかと期待。
2011年5月5日に日本でレビュー済み
人工内耳装着者の体験記であるが、機器自体の性能以外に利用者の障害の種類で使用感覚が随分に異なることが良く判る。
その意味で、これから補聴器や人工内耳装着を予定している人には随分と参考になるであろう。
著者と同じ人工内耳を装着しながら不成功に終わった女性の例など、患者側との組み合わせは可なり微妙である。
手話派は文章力に問題ありの指摘は理解できる。
貴重な体験談ではあるが、内容は冗漫である。参考になりそうな箇所を拾い読みしたら良い。
その意味で、これから補聴器や人工内耳装着を予定している人には随分と参考になるであろう。
著者と同じ人工内耳を装着しながら不成功に終わった女性の例など、患者側との組み合わせは可なり微妙である。
手話派は文章力に問題ありの指摘は理解できる。
貴重な体験談ではあるが、内容は冗漫である。参考になりそうな箇所を拾い読みしたら良い。
2009年5月11日に日本でレビュー済み
自分以外の世界を認識して関わっていくとはどういうことかをいくつもの視座から教えてくれる本。
低い身長、コンピューターおたく、社交下手・・・こういった不利(?)さを乗り越えて/受け入れてヒトは社会で生きていく。難聴から失聴に至りインプラント手術を受けた著者は、聴力が回復するのではなく自分が外界をどう認識していくか自分を何者であるかを再構築していく過程にあることに気付く。
本書では聴力を再構築していく過程を、著者が上に述べたような自己の他の特性を世間と折り合いをつけていく過程と重ね合わせて語られる。
著者は難解なポストモダン文芸批評を理解(適合)できない為に全米最高レベルの大学院をdropoutしてしまう。その後自分をサイボーグと位置づけて行くことで、ポストモダン文芸批評の代表作の意味を、さらりと「要するに多様な視点を持った方がいいということだ」と言ってのける。乱暴にではなく、自己というものの再構築を物理的・医学的に経験して自己のあり方というものに目を開いていった上でだから、読む方にもすんなり入ってくる。
医学の進歩の物語以上のことが語られています。
低い身長、コンピューターおたく、社交下手・・・こういった不利(?)さを乗り越えて/受け入れてヒトは社会で生きていく。難聴から失聴に至りインプラント手術を受けた著者は、聴力が回復するのではなく自分が外界をどう認識していくか自分を何者であるかを再構築していく過程にあることに気付く。
本書では聴力を再構築していく過程を、著者が上に述べたような自己の他の特性を世間と折り合いをつけていく過程と重ね合わせて語られる。
著者は難解なポストモダン文芸批評を理解(適合)できない為に全米最高レベルの大学院をdropoutしてしまう。その後自分をサイボーグと位置づけて行くことで、ポストモダン文芸批評の代表作の意味を、さらりと「要するに多様な視点を持った方がいいということだ」と言ってのける。乱暴にではなく、自己というものの再構築を物理的・医学的に経験して自己のあり方というものに目を開いていった上でだから、読む方にもすんなり入ってくる。
医学の進歩の物語以上のことが語られています。
2007年6月8日に日本でレビュー済み
人工内耳装着者自身による本は日本でも出ているが、本書は一味違う。
本書は、難聴から人工内耳になじんでゆくまでの著者のリアルな体験が、細かく(時にはユーモア感覚をまじえて)記述されている。
開発者の目線でなく、ユーザの視点で、客観的に書かれたすぐれた科学読み物といえよう。
「当事者としての科学」を強く意識させられる本である。
本書は、難聴から人工内耳になじんでゆくまでの著者のリアルな体験が、細かく(時にはユーモア感覚をまじえて)記述されている。
開発者の目線でなく、ユーザの視点で、客観的に書かれたすぐれた科学読み物といえよう。
「当事者としての科学」を強く意識させられる本である。