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本覚思想批判 ペーパーバック – 1990/1/1

5.0 5つ星のうち5.0 1個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 大蔵出版 (1990/1/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1990/1/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ペーパーバック ‏ : ‎ 420ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4804305173
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4804305172
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 1個の評価

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袴谷 憲昭
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上位レビュー、対象国: 日本

2013年12月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 「人間はすべて本来的に仏性を備えており、それに気づけば誰しも本来の仏性に帰着する事ができる」此は是れで、三阿僧祇劫もかければ誰でもOKでしょう。単章ではわかりづらいが一冊の書籍として見れば、道元禅師の「頓悟が誰にでもできるはずはない」というのが袴谷氏の本覚思想批判である。
 「袴谷氏の考えるさとり」には言及されてはいないが、悟ったと称する禅の人(ネットにいっぱい巣くってます)の、この頓悟の内容がまた、まずい。

一、「居眠居直座禅」座禅中に、体は寝ているが意識はある状態(実際に我々は睡眠中ものすごく気持ち良い体が痺れているような状態にあります、インドの瑜伽行者は大麻を吸い同じ状態になる修行をしている)を涅槃ニルヴァーナと勘違い。この人にさとりってなんですかと聞くと、言葉では説明できるものではないと返ってきます。

二、「後向花瓶生花」悟りというものがなにかあると思い込んでいることが不覚。悟りにこだわることが苦しみで、そんなもんは実には無い。ありのままの自分が仏であるとさとることが悟りだよ。との誹謗釈迦牟尼佛。祖師西来意は如何?みたいな。

三、「増上慢悪智識」われは悟りをえたり!ほんとは何にもしらないんだけどね…、教外別伝!不立文字!座ればわかぁぁぁぁる!破ぁ!みたいな感じ。自分は何事かを知ってる感を出すのに懸命な獅子身中のさなだ虫。

 この三つのどれかひとつでも執った場合、果報として「上から目線の偉そうな感じ」が醸し出せて、他人から嫌われます。

 この左ななめ上の書籍に興味がある人は、仏教をかなり勉強していると思うので、方便を捨てて真を説きます。仏教は空を基底とし、諸行無常、諸法無我を説く教えですが、詳しく知れば知るほど不生不滅で常住不変の実在「真如」の存在がありありと認識されます。この真如とはいったいなんであるのか、それは「無限の向上たる成長進化」。さらに、一切経に透徹した哲理、八万四千の法門はまさに教化のためにあり、それは「仏教とは自らを向上させることを目的とした教えであり自助努力を説く法なり」何を以ての故に、さとりとは

第一義諦:真理の立場からの覚り。空の諸行無常(何ものも確定された常恒なるものはない)をあえて執るならば。この世には常住不変なものはなく、決まった運命などもない。あるのは縁依相による事象だけ。願いを因として、因果の理法である、因は縁に依って果を生じ、果を意・我によって取捨選択し、再び因とする。この無窮輪廻が人生であり、縁は不確定要素のおもしろみ。ゆえに凡夫は人生は願い通りにならないと思う。だがしかし、正しい因を繰り返す習慣や練習をして調整すれば、いつかは願い通りになるもの。ゆえに、

                   覚りとは「人生はおもいどうり」(勝義諦)

第二義諦:世俗の立場からの悟り。空の相互依存(なにものも単独で存在するものはない)をあえて執るならば。空より何ものかが生じるのであれば、対となる滅なるものも同時にある。表があれば裏があり、光があれば影があるようなもの。空より、あえて執着して何ものかを執るならば対生滅でありゼロであるから [空=零=(有+無)]  だから  [零=(苦+楽)]  である。人生は生老病死の苦が有るのでたいへんだ。でも、それと等価な楽もある。ゆえに、

                   悟りとは「人生は楽しみである」(世俗諦)

 正 覚 :正しい自分には正しい事しか起こらない。すべての出来事は自分を成長させる為であると、第一義、第二義の覚悟を決定しているならば、どのような艱難辛苦が起ころうとも人生はおもしろい。これをもって覚悟完了とし、この座から退かずに人生を挑む者を、覚者(ブッダ)となす。

                   正覚とは「人生とはおもしろい」(正覚諦)

 これは、龍樹菩薩の二諦説に符合し、八正道や四聖諦も導き出せ、唯識論も自然と導かれる、すべての文献、あらゆる伝承に符合する正答です。

 よるところ定まりて、そを深く信ずる心なれば、必ず直向きにこそ依るなれば、それに違える筋をば、自づから咎めざること能わず、これまめごころ。
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