『インド哲学 七つの難問』(宮元啓一著)の第4問「無我説は成り立つか?」に、『ゴータマ・ブッダは、日常的な会話には「自己」という言葉をふつうに用いているが、自己をめぐる形而上学的な質問には、沈黙をもって対応した。 ところが、ゴータマ・ブッダが入滅してからしばらくすると、心身のいずれも自己ではないならば、そもそも自己なるものはないのだとする、極めて形而上学的な無我説が誕生することになった。』と述べ、釈尊が説いたのは「無我」ではなく「非我」だと論じる。
詳細は上記書物を読んで頂くとして、本書の「第四 悪魔相応」第二章「6 鉢経」に宮元氏が指摘する「五蘊非我」(p.69)が簡潔に説かれている。
【引用1】
「色あり、受、想、行、識あり。『これは私ではない』と、『これは私のものではない』と、このように、そこに離貪する。」
***
次に、『評説インド仏教哲学史』(山口瑞鳳著)は、『仏陀以来、正統仏教では、知覚の原因としての外界〔先験〕と、知覚された結果の表象〔経験〕と、表象から抽象されて記憶されている観念とを区別する「三つの時間」が意識されていた』(p.ix)とし、「仏陀新説の三つの時間」を述べる。その時間に関して、「第四 悪魔相応」第三章「1 多数経」では〔先験〕を次のように説いている。
【引用2】
「自分の見るべきものを捨てて、時間を隔てるものに従ってはなりません」(p.82)
「この法は、『自ら見るべきものであり、時間を隔てないものであり、〈来たれ、見よ〉と言うに相応しいものであり、導くべきものであり、賢者達によって各自に知られるべきものである』のです」(p.83)
片山註では、「時間を隔てるもの」=「時間に関わるもの」=「天界の楽しみ」であり、「時間を隔てないもの」=「時間に関わらないもの」=「無時間」=「涅槃」であるとされ、山口氏の〔先験〕に対応する。
***
さらに、「第四 悪魔相応」第三章「3 ゴーディカ経」で、世尊は次のように述べる。(p.93)
【引用3】
「比丘たちよ、あの悪しき魔が善家の子ゴーディカの意識(=結生心)を探し求めているのです。〈善家の子ゴーディカの意識はどこに確立しているのか〉と。比丘たちよ、善家の子ゴーディカは、意識が確立することなく、般涅槃しているのです。」
この訳は分かり難い。まだ、『評説インド仏教哲学史』(山口瑞鳳著)の訳の方が分かり易い。
「修行僧たちよ、これは、悪しき悪魔が、〈立派な人ゴーディカの(空間的実体を見る)執着した識別作用が何処にあるのか〉と立派な人ゴーディカの識別作用(の気配)を探し求めているのだ。しかし、比丘たちよ、立派な人ゴーディカは(空間的実体に)取着することのない識別作用によって完全な涅槃に入ったのである」と。これは、「名色」に即した実体的な「拡がり」の空間を意識しない阿羅漢の境地に入ったゴーディカ尊者の自害が必ずしも間違った選択ではないことを認めている。
***
続いて、「第七 バラモン相応」第二 男性信者の章「1 耕作バーラドヴァージャ経」の偈は、『スッタニパータ』第七六偈と同じである。
【引用4】
(世尊は言われた)
「信は種子、修行は雨。知慧は私の軛(くびき)と鋤(すき)。慚(自分に恥じること)は轅(ながえ)、意は結び紐。念は私の鋤先と突き棒なり。」(p.232~233)
ここで参考までに、中村元氏の訳も引用する。
(師は答えた)
「私にとっては、信仰〔信〕が種である。苦行が雨である。知慧がわが軛と鋤である。慚(恥じること)が鋤棒である。心〔思慮、意〕が縛る縄〔結び紐〕である。気を落ちつけること〔思念、念〕が鋤先と突棒〔鞭〕とである。」
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ここで釈尊の比喩は、「八正道」の説明であると理解しなければならない。つまり、
[信(信仰)=正思惟 ⇔ 種]、[修行(苦行)=正精進 ⇔ 雨]、[智慧=正見 ⇔ 軛+鋤]、
[慚=正定 ⇔ 鋤棒]、[意(心)=正語+正業+正命 ⇔ 紐(縄)]、[念=正念 ⇔ 鋤先+突棒]、
なお、正見=正見1(八正道を始める前の直観)+正見2(八正道を終えた後の体得)である。
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パーリ仏典 第3期2 相応部 単行本 – 2012/4/1
片山 一良
(翻訳)
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相応部(サンユッタニカーヤ)有偈篇 2
- 本の長さ482ページ
- 言語日本語
- 出版社大蔵出版
- 発売日2012/4/1
- ISBN-104804312145
- ISBN-13978-4804312149
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登録情報
- 出版社 : 大蔵出版 (2012/4/1)
- 発売日 : 2012/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 482ページ
- ISBN-10 : 4804312145
- ISBN-13 : 978-4804312149
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,497,303位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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