仏教書を読む場合、書かれた時代に普及した仏教思想の常識と、著者がその常識を改変・付加増広した新しい部分を読み解く必要がある。それを実行するためには、読み手が＜釈尊の教法の真義＞を仏教思想の基準として把握する必要がある。さもなければ、著者の仏教思想を前提とした内容を受け入れざるを得なくなる。
『正法眼蔵』で最も解釈が難しいと言われる「現成公案」は、道元が35歳の時、俗弟子である儒学者・楊光秀に与えたものである。入宋5年間で「仏法の神髄」を体得した道元が、帰国してから7年の推敲を重ねて「仏法の真髄」を文章化したのが、「現成公案」＝「仏性を現成させる公案〔＝真理〕」である。道元は、楊光秀なら「現成公案」を実践できると確信したに違いない。なお、道元の「現成公案」は空海の「即身成仏」と同じである。
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＜釈尊の教法の真義＞とは、「凡夫が聖者になり、聖者は釈尊と同等のブッダ（阿羅漢）になる」ことである。釈尊は最初に凡夫を聖者に導いたのである。その聖者とは凡夫の心にブッダの心が共存する者である。凡夫の心の無知（すなわち、欲界の「痴」）がブッダの心の一部（すなわち、欲界の「智」）に置き換われば、第一段階の聖者「預流（シュダオン）」に進化する。この「預流」にならなければ釈尊の教法の真義は絶対に理解出来ないのである。釈尊が説法を最初は躊躇した理由がここにある。
ブッダ釈尊が凡夫を聖者に導くことを可能にするのは、心の量子トンネル効果である。ブッダの心が凡夫の心に染み込むトンネル現象は、欲界の「痴」＝「身見＋疑惑＋戒取」＝「三結（三煩悩）」を取り除く過程で始まる。一度、心のトンネル現象が開始すれば、その影響が継続し、やがて欲界の「貪」と「瞋」が減少して第二段階の聖者「一来（シダゴン）」となる。さらに、欲界の「貪・瞋・痴」＝「身見＋疑惑＋戒取＋欲貪＋瞋恚」＝「五下分結」が消滅すれば第三段階の聖者「不還（アナゴン）」になる。最後に、色界と無色界の「貪・瞋・痴」＝「色貪＋無色貪＋掉挙＋我慢＋無明」＝「五上分結」が消滅して第四段階の聖者（＝第一段階のブッダ）「阿羅漢」になるのである。
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「現成公案」の幾つかの現代語訳を見たが、道元の時代には＜釈尊の教法の真義＞を的確に表現する言葉が不足しており、現代語訳者の場合は＜釈尊の教法の真義＞に思い至っていないことに気づく。
＜釈尊の教法の真義＞を体現する〔現成する〕ための修行法は、釈尊の「三十七菩提分法」である。その中の四念処（四念住）・七覚支・八正道が基本的な修行法であり、四正断（四正勤）・四神足・五根・五力は弟子となったバラモン教徒が拘るヨーガ行法に準拠した実践方法である。釈尊の弟子は「八正道」の「正念・正定」の訓練を「四念処法」で実践する。「正念」が出来るようになった弟子は「七覚支法」によってきめ細かな修行を体得する。
「四念処法」の第一段階〔身念処〕の第4ステップのニミッタ修行（月輪観・阿字観など）で、一種の超能力が発現する。その時に明星を見る。しかし、それは成道には直結しない。修行者は「四念処法」の第二段階〔受念処〕・第三段階〔心念処〕・第四段階〔法念処〕と進まなければならないからである。「四念処法」を実践する必要十分条件は驚異的な記憶力である。空海が「求聞持聡明法」を修したのは「四念処法」の実践に不可欠だからである。しかし、現代は驚異的な記録力に代わるノート記録が利用できる。身近な例は「レコーディング・ダイエット」である。受念処の実践では、その日に生じた様々な感情とそれが生じた原因を記録する。心念処の実践では、その日に生じた心（意識でもある）とそれが浮かんだ原因を記録する。これを私は日課帳という形で若い頃に実践したが、やがて、それまでは自分でも気づかなかったネガティブな潜在意識の習慣的・条件反射的な動きが日課帳を書く前に気づくようになった。そうした作業が「八正道」の「正念」修行である。潜在意識に気づくようになれば、それはネガティブな動きが減少し始める時でもある。それが「八正道」の「正定」実現である。
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第一段階の聖者である預流は欲界の「痴」を断じただけなので、モラルを保ちながらも欲界の「貪・瞋」は残っている。だから、他人が見れば聖者とは思わない。しかし、欲界の「痴」を断じたことにより、欲界の智慧が急激に拡大し、論理力と理解力が飛躍的に高まっている。ここまで来れば、「法念処」で体現すべき「非二元性」の意味を心から理解するのである。それによって、欲界の「貪・瞋」が薄らぎ始めるのである。そのことを、道元は「身心脱落」と表現したのである。丁度、第二段階の聖者である一来の境涯であろうか。そうした見方が出来ない限り、「現成公案」を読み解くことは出来ない。
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