カリヨン 110215<JayJay さんのレビューに触発されて Megan Backus を読んでみました>
本書の解説篇は、「英語の癖」のようなものをあげて日英語の表現比較をし、問題篇は、それに加えて、原文・訳文の「深読み練習」を狙っているようですね。誤訳の指摘はつけたりのようなもので、10頁しかありません。しかし、JayJayさんのレビューを見て、M. Backus訳の Kitchen (farber and farber)と原作の『キッチン』(福武文庫)をところどころ読み比べてみました。まず、うまく訳してあるのに感心しました。日本人には到底無理です。しかし、誤訳もたくさんありました。p.68からp.73までの6頁だけでも9個あったので、列挙します。
(A)「これこそがふたつ返事というやつだ」(p.103) With that I answered both her question and the one I had planned to ponder.(p.68):「ふたつ返事」という慣用表現を知らなかったのでしょうね。「二つの疑問に同時に答える返事」と訳しています。(B)「3時までに細かい仕事はけっこうあった」(p.105)…doing routine work until three o’clock suited me fine.(p.70):「けっこう」には、 (a)「けっこうなご身分」[=満足すべき]、(b)「この酒、けっこういけるな」[=かなり]、(c)「いえ、けっこうです」[=いりません]などの意味がありますが、これは(b)です。訳者は、(a)と誤解していますね。(C)「これだけ見ても少しも思い出せないとは、ただごとじゃないわ」(p.107) I couldn’t imagine what she might have come for, although the reason was definitely not trivial.(pp.70f.):雄一と同居状態になってしまったヒロインのみかげのところへ、雄一を思うクラスメイトの女性が怒鳴り込んできた場面です。みかげは、彼女の顔をいくら見ても、誰だったか思い出せなくて、あわてています。前半は、 “I couldn’t recall who she was” とすべきでは? 後半部分の主語も取り違えています。(D)「彼は何も知らないし、悪くないのになんとなく彼の目を見ることができなかった」(p.113) Even though he couldn’t know what had happened, and although I had done nothing wrong, I couldn’t meet his eyes.(p.74):「悪くない」の主語も「彼」なのに、「私」だと誤解しています。「は」の使い方は外国の人にはむずかしいようです。(E)お母さんが亡くなったのをいいことに、すぐ泊まりに行ったりして、(p.111) I just heard about his mother’s death and I was sleeping over because of that.(p.73):これは、怒鳴り込んできた女性がみかげを非難して言った言葉です。「〜のをいいことに」とは、「〜につけこんで」という意味ですし、「つけこんだ」のも、「泊まりに行った」のも、 ‘you’[みかげ]です。(F)「全く利害が一致していない面会が、後味悪く、終わった」(p.112) It was over, leaving the bitter aftertaste of a confrontation in which nothing was gained.(p.73): “nothing was gained” じゃなくて、”my interests utterly conflicted hers’ とでもすべきでは? (G)「オーブンとレンジとガス台のついた大型テーブル」 (p.106) those big tables lined up in front of the ovens, the boiler and burners (p.70):これは、料理学校の教室の描写ですから、ガス台などのついたテーブルのことです。「ガス台などの前にテーブルがある」と誤解しています。(H)「でも私なりに田辺君をずっと見てきたし、好きです。田辺君はここのところ、お母さんをなくして参っているんです。ずっと前、私は田辺君に気持ちを打ち明けたことがあります」(p.109) But in my own way, I love him. I comforted him when his mother died. A while back, when I told him how all this bothered me, ….(p.72):訳文のうち、 “I comforted him when his mother died” の意味は原文とは少し違いますし、その後ろの “when” 以下は “when I told him how I loved him” とでも訳すべきでは? (I)「私にとってここで、ごはんを作ったり食べたりするのは、やはり自然すぎるくらい自然だわ、とあらためて自分に聞いた答えをぼんやりとかみしめていたら、雄一が帰ってきた。『おかえり』私は言った」(p.113) Cooking and eating in this house felt natural, almost too natural. I was absently mulling over the conversation with the girl when he came home. “Hi,” he said.(p.74):「自分に聞いた答」とは、「自問自答」のことなのに、「怒鳴り込んできた女性との会話」になっています。また、「お帰り」は「ただいま」になっています。このほかにも、「春休みに入ってすぐ」(p.168)の訳(‘just before spring vacation)が「春休みの直前」(p.112)という意味になっていました。これはケアレスミスでしょうが、上にあげた9個は日本語力不足のせいでしょう。
JayJayさんが問題にしている「ふいに名を呼ばれたせいもあると思う」(p.10)とその訳(p.6)も比べてみました。まず、問題の個所を引用します。(J)「『じゃ、よろしく。みかげさんが来てくれるのを僕も母も楽しみにしているから』彼は笑った。あんまり晴れやかに笑うので見なれた玄関に立つその人の、瞳がぐんとちかく見えて、目が離せなかった。ふいに名を呼ばれたせいもあると思う。『……じゃ、とにかくうかがいます』悪く言えば、魔がさしたというのでしょう」(10) “All right, then, good. Mom and I are both looking forward to your coming.” His smile was so bright as he stood in the doorway that I zoomed in for a closeup on his pupils. I couldn’t take my eyes off him. I think I heard a spirit call my name. “Okay,” I said. “I’ll be there.” Bad as it sounds, it was like I was possessed.(6):原文どおり訳せば、次のようになるでしょう。最初の“All right, then, good. Mom and I are both looking forward to your coming.”の末尾に呼びかけの ‘,Mikage’ をつけ加えたうえ、問題の “I think I heard a spirit call my name”という部分を、 “I think it was partly because I didn’t expect him to call my first name” とか、 “I think it was partly because he suddenly called me by my first name” などと訳すのはどうでしょうか。この場面では、みかげの名前を呼んだのは雄一だということはわかっていますから、訳者も「誰かに名前を呼ばれたような気がした」という意味で “I think I heard a spirit call my name” と訳したとは思えません。この訳者は、上記(A)「ふたつ返事」や(B)「けっこう」などの誤解釈をする人ですから、「せい」を ‘because’ の意味にとらずに、「精霊」と勘違いした可能性は十分あります。しかし、 ‘spirit’ を使ったのは、後続文の影響も大きいでしょう。問題の個所の少し後ろに、「魔がさした」(I was possessed)というのがあるので、雄一を ‘a spirit’ に見立てたくなったのではないかと思います。このあたりの原文の主旨は、「瞳のきれいな雄一青年が突然親しげに『みかげさん』と呼びかけたので、私は一瞬うっとりして、『うかがいます』と答えてしまった。『魔がさした』と言うべきでしょうか?」というようなことですね。だから、 ‘spirit’ を使った訳文もこれに近い意味を伝えています。しかし、「目が離せなかった。ふいに名を呼ばれたせいもあると思う」という部分の訳は、原文の意味とはかなり離れています。翻訳は、原文とつかず離れずの関係を保ちながら、原文の意味を伝えないといけません。
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日本文学英訳分析セミナ-: なぜこのように訳したのか 単行本 – 2006/6/1
前田 尚作
(著)
付属資料:教授資料(68P)
- 本の長さ258ページ
- 言語日本語
- 出版社昭和堂
- 発売日2006/6/1
- ISBN-104812206200
- ISBN-13978-4812206201
登録情報
- 出版社 : 昭和堂 (2006/6/1)
- 発売日 : 2006/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 258ページ
- ISBN-10 : 4812206200
- ISBN-13 : 978-4812206201
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,542,149位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,036位英文読解
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上位レビュー、対象国: 日本
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2011年2月15日に日本でレビュー済み
2010年12月17日に日本でレビュー済み
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力作だと思う。本書の「解説篇」は日英・英日ライティング面で技術的に参考になる。「問題篇」は時間を掛け各設問をこなしても各種能力の向上にどこまで繋がるかは評価の分かれるところだろう。しかしそんなことは余り問題ではない。看過し難いのは本書まえがきで俎上に乗せている英訳文についての「誤解釈」の指摘だ。
著者は英訳者が「たわいのない読み違い」をする例として吉本ばななの『キッチン』の一場面、「…目が離せなかった。ふいに名を呼ばれたせいもあると思う」という原文を“I couldn't take my eyes off. I think I heard a spirit call my name”と英訳している箇所について、当該英文の日本語訳(前田訳)として「…私の名を呼ぶ精霊の声が聞こえたのだと思う」とした上で「せい」を「精霊」[spirit]と誤解釈したなどと断じている。
hear a spirit call my name (またはhear a spirit calling my name)は本人及び目の前の他者のほかに周囲に誰もいないのに他の誰かが不意にどこからか自分の名を呼んだような気がしたときに使われる表現だ。ブログなどで“What does it mean when spirit call your name?”の問いに対して“If you hear your name called by spirit that means that your soul is being called and you will die shortly after.”などの半ば冗談/真面目の答えが寄せられていることがある。
英訳者が「ふいに名を呼ばれたせいもあると思う」の日本語の原意をやや取りそこねて“I think I heard a spirit call my name”と英訳してしまったのは、その2行前(日本語原作)において雄一がファーストネームで「みかげさん」と呼んだこと(そのために彼女にある感情が喚起され、そのせいで目が離せなかった。)を英文テキストではネグレクトしてしまったことに起因する。
すなわち原作で「じゃ、よろしく。みかげさんが来てくれるのをぼくも母も楽しみにしているから。」を英訳では“All right, then good. Mom and I are both looking forward to your coming.”だけで雄一によるMikageの名前の不意の言及の事実を省いてしまったため2行後の訳が十分に対応しなくなってしまったためだ。
英訳者(Megan Backus)の名誉のために明確に言っておきたいが、「不意にどこからか誰かに名を呼ばれたような気がした」の英訳について、「せい」を「精霊」と「誤解釈」したとか、「われわれの英文読解でもやるこの種のケアレス・ミス」とかの低レベルの指摘を受ける言われは全くない。
著者は英訳者が「たわいのない読み違い」をする例として吉本ばななの『キッチン』の一場面、「…目が離せなかった。ふいに名を呼ばれたせいもあると思う」という原文を“I couldn't take my eyes off. I think I heard a spirit call my name”と英訳している箇所について、当該英文の日本語訳(前田訳)として「…私の名を呼ぶ精霊の声が聞こえたのだと思う」とした上で「せい」を「精霊」[spirit]と誤解釈したなどと断じている。
hear a spirit call my name (またはhear a spirit calling my name)は本人及び目の前の他者のほかに周囲に誰もいないのに他の誰かが不意にどこからか自分の名を呼んだような気がしたときに使われる表現だ。ブログなどで“What does it mean when spirit call your name?”の問いに対して“If you hear your name called by spirit that means that your soul is being called and you will die shortly after.”などの半ば冗談/真面目の答えが寄せられていることがある。
英訳者が「ふいに名を呼ばれたせいもあると思う」の日本語の原意をやや取りそこねて“I think I heard a spirit call my name”と英訳してしまったのは、その2行前(日本語原作)において雄一がファーストネームで「みかげさん」と呼んだこと(そのために彼女にある感情が喚起され、そのせいで目が離せなかった。)を英文テキストではネグレクトしてしまったことに起因する。
すなわち原作で「じゃ、よろしく。みかげさんが来てくれるのをぼくも母も楽しみにしているから。」を英訳では“All right, then good. Mom and I are both looking forward to your coming.”だけで雄一によるMikageの名前の不意の言及の事実を省いてしまったため2行後の訳が十分に対応しなくなってしまったためだ。
英訳者(Megan Backus)の名誉のために明確に言っておきたいが、「不意にどこからか誰かに名を呼ばれたような気がした」の英訳について、「せい」を「精霊」と「誤解釈」したとか、「われわれの英文読解でもやるこの種のケアレス・ミス」とかの低レベルの指摘を受ける言われは全くない。
2006年8月27日に日本でレビュー済み
本書の解説篇はさらりと読めて目からうろこが取れる内容である。問題篇では、英訳者たちが意識的、または、無意識的に駆使する様々な翻訳技法を深く考察している。「恐るべき深読みの書」という印象を受けた。難しい問題も含まれているが、懇切な解答例がついているので、疑問は氷解する。解答を読めば、原文から少し離れた訳になっている場合には、訳者の深い配慮が隠されていることがわかる。類書を見ないユニークな書だ。
2006年9月13日に日本でレビュー済み
本書は英語の中・上級者とっては必読書である。日本文学の英訳の精緻な分析から選び抜かれた英語の特徴は英語の本質を衝いており、読む者の心を揺さぶる。ただし、片手間では読めない。じっくりと時間をかけて著者と向き合おう。私は特に本書から英文を書く際の貴重な指針を得られたことを僥倖に思っている。