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敗者の報道 単行本 – 2014/12/15
みの もんた
(著)
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【敗者の視線から世の中を見つめる、
みの流「なんでもあり」報道とピンチから立ち上がる人生術】
┃僕の福島第一原発4号機建屋潜入取材は幻と消えた。
┃2013年9月11日── 息子が窃盗未遂容疑で逮捕されてしまったのだ。
┃確かに僕は負けたのかもしれない。
┃でも、もともと僕の人生は負け続けだった。
┃負け続けだったからこそ、見えてきたこともある。────
東京オリンピックへの違和感、沖縄の片隅で聞いた声、水道メーター会社での地道な営業。
敗者の視線から世の中の裏と表を見つめることで体得した
みの流「なんでもあり」報道、ピンチから立ち上がる人生術を
縦横無尽に語り下ろした一冊!
みのもんた
司会者、キャスター。
昭和19年(1944)、東京都世田谷区生まれ。
本名:御法川法男(みのりかわ・のりお)
立教大学経済学部卒。昭和42年(1967)、文化放送入社
「セイ! ヤング」初代ディスクジョッキーなどを務める。
昭和54年(1979)、文化放送を退社。
同年、日国工業株式会社に入社。
平成11年(1999)より、株式会社ニッコクと社名変更した同社代表取締役に就任。
平成18年(2006)以降、TBS『朝ズバッ! 』『サタデーずばっと』、日本テレビ『午後は○○ おもいっきりテレビ』
『おもいっきりイイ! ! テレビ』などへの番組出演で、ギネス・ワールド・レコーズ社から
「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」の認定を受ける。
著書に「こころの案内図」(朝日出版)、「義理と人情 僕はなぜ働くのか」(幻冬舎新書)など。
みの流「なんでもあり」報道とピンチから立ち上がる人生術】
┃僕の福島第一原発4号機建屋潜入取材は幻と消えた。
┃2013年9月11日── 息子が窃盗未遂容疑で逮捕されてしまったのだ。
┃確かに僕は負けたのかもしれない。
┃でも、もともと僕の人生は負け続けだった。
┃負け続けだったからこそ、見えてきたこともある。────
東京オリンピックへの違和感、沖縄の片隅で聞いた声、水道メーター会社での地道な営業。
敗者の視線から世の中の裏と表を見つめることで体得した
みの流「なんでもあり」報道、ピンチから立ち上がる人生術を
縦横無尽に語り下ろした一冊!
みのもんた
司会者、キャスター。
昭和19年(1944)、東京都世田谷区生まれ。
本名:御法川法男(みのりかわ・のりお)
立教大学経済学部卒。昭和42年(1967)、文化放送入社
「セイ! ヤング」初代ディスクジョッキーなどを務める。
昭和54年(1979)、文化放送を退社。
同年、日国工業株式会社に入社。
平成11年(1999)より、株式会社ニッコクと社名変更した同社代表取締役に就任。
平成18年(2006)以降、TBS『朝ズバッ! 』『サタデーずばっと』、日本テレビ『午後は○○ おもいっきりテレビ』
『おもいっきりイイ! ! テレビ』などへの番組出演で、ギネス・ワールド・レコーズ社から
「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」の認定を受ける。
著書に「こころの案内図」(朝日出版)、「義理と人情 僕はなぜ働くのか」(幻冬舎新書)など。
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社TAC出版
- 発売日2014/12/15
- 寸法18.8 x 2 x 12.7 cm
- ISBN-104813261272
- ISBN-13978-4813261278
登録情報
- 出版社 : TAC出版 (2014/12/15)
- 発売日 : 2014/12/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 200ページ
- ISBN-10 : 4813261272
- ISBN-13 : 978-4813261278
- 寸法 : 18.8 x 2 x 12.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,263,930位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 34,628位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
みのさんを巡る真実を語られている本です。マスコミに臨む姿勢が勉強になりました。
2015年9月1日に日本でレビュー済み
まったく読むに値しない、自己弁護に充ちた本である。
いろいろと言い訳じみたそれらしいことを書いているのだが、肝心の「セクハラ」の問題を本人が認めておらず、「私がそんなことをするはずがないでしょう」という言い方で、要するに自分は嵌められたんだということにしたいようなのである。しかし、それでは根本的な反省などできるはずもないし、嘘の上に嘘を重ねることになるのは自明のことだ。
更にこの人が悪質だと思うのは、自分が「嵌められた」ということの方便として、政治的な主張を道具に使っているフシが見えることである。例えば自分は福島の原発の取材に行きたかったんだとか何とか調子のいいことを言って反原発アピールをしたり、憲法9条を守るとかなんとか言ってみたり、安倍政権批判をしてみたり、とにかく「取って付けた」としか言いようがない政治的主張が丸々一章を使って記されているのだ。それはあたかも、自分がこんな「反体制」の人間だからこんな目にあったんだというある種の「アリバイ作り」のようにも見える。えっ、この人キャスター時代、そんなに硬派だっけ?と意地悪に過去を振り返りたくもなる。
やはりこういう本を書くのなら、観念して、セクハラのことも含めて有りのまま全てを書き記すべきだったと思う。セクハラ自体は許される行為ではないけれど、本当のことから始めるよりほかないのだ。そうでなければすべての言葉が空々しく、作り物の言葉の羅列にすぎなくなってしまう。そんなものを読んで納得する人などいない。
取って付けたような政治的な主張や社会を憂うる発言などを、今のこの人から聞きたい人間などいない。著者には自分のことだけを、そして本当のことだけを、書いてもらいたい。読者があなたに望んでいるのはそれだけなのだ。
絶頂期のみのもんた氏が、今の自分自身に出会ったとしたら何と言うだろうか。「何が『東京五輪に違和感』だ。馬鹿言うんじゃない。世間様はあんた自身に違和感を感じてるんだよ。よ〜く反省しなさい、自分がやったことを。誤魔化すんじゃない!」と叱りつけるのではないか。『愛の貧乏脱出作戦』(テレビ東京系)の頃の「みのさん」だったら、きっとそういうだろうな。
いろいろと言い訳じみたそれらしいことを書いているのだが、肝心の「セクハラ」の問題を本人が認めておらず、「私がそんなことをするはずがないでしょう」という言い方で、要するに自分は嵌められたんだということにしたいようなのである。しかし、それでは根本的な反省などできるはずもないし、嘘の上に嘘を重ねることになるのは自明のことだ。
更にこの人が悪質だと思うのは、自分が「嵌められた」ということの方便として、政治的な主張を道具に使っているフシが見えることである。例えば自分は福島の原発の取材に行きたかったんだとか何とか調子のいいことを言って反原発アピールをしたり、憲法9条を守るとかなんとか言ってみたり、安倍政権批判をしてみたり、とにかく「取って付けた」としか言いようがない政治的主張が丸々一章を使って記されているのだ。それはあたかも、自分がこんな「反体制」の人間だからこんな目にあったんだというある種の「アリバイ作り」のようにも見える。えっ、この人キャスター時代、そんなに硬派だっけ?と意地悪に過去を振り返りたくもなる。
やはりこういう本を書くのなら、観念して、セクハラのことも含めて有りのまま全てを書き記すべきだったと思う。セクハラ自体は許される行為ではないけれど、本当のことから始めるよりほかないのだ。そうでなければすべての言葉が空々しく、作り物の言葉の羅列にすぎなくなってしまう。そんなものを読んで納得する人などいない。
取って付けたような政治的な主張や社会を憂うる発言などを、今のこの人から聞きたい人間などいない。著者には自分のことだけを、そして本当のことだけを、書いてもらいたい。読者があなたに望んでいるのはそれだけなのだ。
絶頂期のみのもんた氏が、今の自分自身に出会ったとしたら何と言うだろうか。「何が『東京五輪に違和感』だ。馬鹿言うんじゃない。世間様はあんた自身に違和感を感じてるんだよ。よ〜く反省しなさい、自分がやったことを。誤魔化すんじゃない!」と叱りつけるのではないか。『愛の貧乏脱出作戦』(テレビ東京系)の頃の「みのさん」だったら、きっとそういうだろうな。
2016年6月20日に日本でレビュー済み
暴露本ではない。
みのもんたが、『みのもんたにとっての真実』を語る内容だった。
しかし、その内容は彼にとって手慣れたバラエティ番組のように切り貼りが激しく、読者が本当の真実を求めたいならそれは徒労に終わるだろう。
次男逮捕の真実は「誤解。自白したという発表はただのでっちあげ」根拠は次男がそう言ったから。
ニッコマの談合の真実は「やっていない。課徴金は納付したが絶対にやっていない」根拠は私がそう言っているから。
テレビで彼が出演した時と同じように、本の中でも恣意的な誘導やあやふやな個所をいちいち探さなければいけない。
正直に言ってしまえば、読んでいて疲れる。
水道管の設置など、彼が嘘をつく必要のない個所は楽に読める。
しかし、ひとたび彼の利益にかかわる部分に踏み込めば、その言動にいちいち警戒しないといけない。
まともに読もうとすれば激しい疲労感に襲われるだろう。
なぜここまで疲労するのかと言えば、『自分にとっての利益は一歩も譲らないぞ』という拒絶が見て取れるからだ。
さらりと流すような個所をねちっこく書いたり、自分の敵になった週刊誌に書いた芸能人を名前を挙げて責めたてる。
もちろん、露骨な言葉は使わない。しかし、彼が何を言いたいのかははっきりと伝わる内容なのだ。
表面ではなるべく気持ちのいい言葉を使おうとしているが、文章の中身は決して気持ちよく読める内容ではない。
すでに支払いも終わった談合事件のことぐらいは普通に認めてもいいのでは、と思うのだが以前の本で主張してしまったため、さらに無理のある主張を重ねることになってしまっている。そのせいで、不自然な点がいくつも出てきてしまったのに、彼自身はそれで押し通そうとしている。
疲労感というのは、本の内容だけのせいではない。
今後も死ぬまで無理のある主張を言い続けるのだろうと容易に想像できる。そのせいで分かり切った茶番を見させられるような、みのもんた氏への哀れみにも似た気持ちがそうさせるのだ。
みのもんたが、『みのもんたにとっての真実』を語る内容だった。
しかし、その内容は彼にとって手慣れたバラエティ番組のように切り貼りが激しく、読者が本当の真実を求めたいならそれは徒労に終わるだろう。
次男逮捕の真実は「誤解。自白したという発表はただのでっちあげ」根拠は次男がそう言ったから。
ニッコマの談合の真実は「やっていない。課徴金は納付したが絶対にやっていない」根拠は私がそう言っているから。
テレビで彼が出演した時と同じように、本の中でも恣意的な誘導やあやふやな個所をいちいち探さなければいけない。
正直に言ってしまえば、読んでいて疲れる。
水道管の設置など、彼が嘘をつく必要のない個所は楽に読める。
しかし、ひとたび彼の利益にかかわる部分に踏み込めば、その言動にいちいち警戒しないといけない。
まともに読もうとすれば激しい疲労感に襲われるだろう。
なぜここまで疲労するのかと言えば、『自分にとっての利益は一歩も譲らないぞ』という拒絶が見て取れるからだ。
さらりと流すような個所をねちっこく書いたり、自分の敵になった週刊誌に書いた芸能人を名前を挙げて責めたてる。
もちろん、露骨な言葉は使わない。しかし、彼が何を言いたいのかははっきりと伝わる内容なのだ。
表面ではなるべく気持ちのいい言葉を使おうとしているが、文章の中身は決して気持ちよく読める内容ではない。
すでに支払いも終わった談合事件のことぐらいは普通に認めてもいいのでは、と思うのだが以前の本で主張してしまったため、さらに無理のある主張を重ねることになってしまっている。そのせいで、不自然な点がいくつも出てきてしまったのに、彼自身はそれで押し通そうとしている。
疲労感というのは、本の内容だけのせいではない。
今後も死ぬまで無理のある主張を言い続けるのだろうと容易に想像できる。そのせいで分かり切った茶番を見させられるような、みのもんた氏への哀れみにも似た気持ちがそうさせるのだ。