アナール学派の歴史家として知られ、中世欧州研究の第一人者でもあるジャック・ル・ゴフに依る『中世の夢』…然しながら、純粋な意味での夢-即ち、睡眠中に見る夢そのものを想像すると、少し違うかもしれない。
何故なら本書の主体となるのは、あくまでも「イマジネール=幻視」であり、より幅広い意味での“夢の世界”を扱っているからだ。
さて、本書は「中世の科学的驚異」「西洋中世とインド洋-夢の領域」「キリスト教と夢」「西洋中世の荒野=森」「ブロセリアンドのレヴィ=ストロース-宮廷風ロマン分析の為の一試論」の5章から成っている。
尤も、このように題名を羅列しただけでは意味不明かもしれないが、例えば、怪物や異世界、奇跡と英雄物語…東洋への冒険と博物誌…キリスト教世界に於ける神の夢告と悪魔の誘惑…神秘の森と伝説…という具体例を挙げれば少しは解り易いであろうか。
それぞれが独立した小論なので興味のある章から読めば良いと思うが、何れにしても、本書を読み終えた時には“中世の幻視”について自分なりの見解を持つ事が出来るであろう。
因みに、個人的に興味深かったのは、第三章「キリスト教と夢」である。
勿論、当時は現代のように夢と潜在意識との関わりについて科学的に証明されていた訳ではないが、だからと言って決して夢を怪異現象等として恐れていた訳でもなく、比較的冷静に捉えていたようである。
但し、そこに「夢告」の重要性を見出していた所は中世ならではの発想だ。
ここではキリスト教と夢の関係を細かく分析しながら、夢の解釈について検討していく。
特に、夢がキリスト教への改宗を齎すという側面があった一方で、夢と異端との関係、或いは“夢の悪魔化”等にも言及しているので、キリスト教と夢との関係が常に複雑…且つ、様々な葛藤を伴うものであった事を論じているのは興味深い。
夢は決して個人の内在的な物ではなく、外部…即ち、時には神からのメッセージ、或いは悪魔の誘惑であり、だからこそ、夢の世界は無限に拡大して行くのだ。
勿論、ここにはキリスト教国家としての思惑もあったであろうが、夢を利用して民衆を一つの教えに導こうと言う動きがあったという事自体、夢が人知を超えた不思議な現象だったからこそでもあろう…改めて“夢の不思議”を実感した次第である。
因みに、我が国に於いても「夢の中に仏が現れた」等と言った説話には事欠かない事から、夢に“メッセージ性”を見出すと言う点に於いては古今東西を問わず…と言う所であろうが、その一方で、それを克服しようとする所にキリスト教国家ならではの強い意図も感じられて、比較文化論の一環としても非常に新鮮であった。
尚、私はたまたま“宗教と夢”と言う観点に興味を抱いたが、“中世的”な怪物や奇跡に関心を抱く方もいれば、当時の人々の未知の世界への挑戦にロマンを感じる方もいるであろう…更には、欧州の豊かな森に思いを馳せて“神秘の世界”が生み出した幻視に浸る事も出来るので、夢を多角的に捉えた本書は多くの読者の心を惹き付けるに違いない。
中世の夢の世界にはロマンが満ち溢れていると同時に、重くて深奥な歴史もある…そんな一端を垣間見せてくれる良書として、実に読み応えがあった。
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中世の夢 単行本 – 1992/6/1
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社名古屋大学出版会
- 発売日1992/6/1
- ISBN-104815801819
- ISBN-13978-4815801816
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
夢、驚異、森、荒野、野人、インド洋…。西洋中世のイマジネールを、アナール学派の泰斗が雄大な規模で論じる。
登録情報
- 出版社 : 名古屋大学出版会 (1992/6/1)
- 発売日 : 1992/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 288ページ
- ISBN-10 : 4815801819
- ISBN-13 : 978-4815801816
- Amazon 売れ筋ランキング: - 479,519位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,226位ヨーロッパ史一般の本
- カスタマーレビュー:
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2018年8月26日に日本でレビュー済み
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2006年1月23日に日本でレビュー済み
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ルゴフの中世のイマジネールに関する様々な論文を集めて訳してみました、みたいな本なのかな。文学や美術の研究者が分析を行ってきた心的イメージを、歴史学者も研究してみました、というのが趣旨。その対象は科学、インド洋、夢、森、野人。夢の「抑圧と操作は、性に対してとおなじように、教会の一大検閲によって課され、そこからわれわれはまだ完全には解放されていないし、またその検閲は、よかれあしかれ、精神分析を結果としてもたらし」、信徒に恐怖を与えて支配するというキリスト教は、個人の夢の世界にも安息を与えないという、という結語の部分だけが面白かった(pp.130-)。
魅せられたのはインド洋。インド洋が川ではなく大洋であることがわかる前には<閉ざされし庭 hortus conclusus>として夢見られていた、というのは新しいイメージを与えられた。南インドはマタイ、上インドはバルトロマイ、下インドはトマスという十二使徒が改宗させたという伝説が生まれ、しかもネストリウス派の共同体の発見が、大司祭ヨハネが支配する理想の王国という根拠のないイメージをさらに膨らませていた、というのも知らなかった(pp.51-55)。インドでさえ、ここまで夢に見られていたのだから、さらにその先にある真珠の島、セイロンでは"セレンディップ"みたいな話が生まれるのは当然だわなと思ったし、さらに先のジバングが黄金の島であるというイメージは、イメージのインフレ化傾向、と。あとは中世西欧においては、イスラエルの荒野のイメージが森に置き換えられているという第四論文「西洋中世の荒野=森」は好き。
魅せられたのはインド洋。インド洋が川ではなく大洋であることがわかる前には<閉ざされし庭 hortus conclusus>として夢見られていた、というのは新しいイメージを与えられた。南インドはマタイ、上インドはバルトロマイ、下インドはトマスという十二使徒が改宗させたという伝説が生まれ、しかもネストリウス派の共同体の発見が、大司祭ヨハネが支配する理想の王国という根拠のないイメージをさらに膨らませていた、というのも知らなかった(pp.51-55)。インドでさえ、ここまで夢に見られていたのだから、さらにその先にある真珠の島、セイロンでは"セレンディップ"みたいな話が生まれるのは当然だわなと思ったし、さらに先のジバングが黄金の島であるというイメージは、イメージのインフレ化傾向、と。あとは中世西欧においては、イスラエルの荒野のイメージが森に置き換えられているという第四論文「西洋中世の荒野=森」は好き。
2005年11月27日に日本でレビュー済み
本書は、五本の論文が収録された論文集の形をとっている。ここでは、政治史・経済史といった所謂王道史学の書と違い、社会史的側面から中世ヨーロッパを考察している。
こういった社会史関係の本は、研究領域や対象が他のものと重なることが少なく、読み手に常に新鮮さをもたらすであろう。
本書の研究を通して、中世人がどのような世界観を抱き、どのような死生観を持っていたかというようなことが考察されている。また、SF(FS)というものを中世に見出そうとする努力など、他の歴史書では見られない興味深い試みもあった。
本書は、中世世界に興味のある方にお勧めの一冊である。
こういった社会史関係の本は、研究領域や対象が他のものと重なることが少なく、読み手に常に新鮮さをもたらすであろう。
本書の研究を通して、中世人がどのような世界観を抱き、どのような死生観を持っていたかというようなことが考察されている。また、SF(FS)というものを中世に見出そうとする努力など、他の歴史書では見られない興味深い試みもあった。
本書は、中世世界に興味のある方にお勧めの一冊である。