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フランスの大学生 (ぶんか社文庫 え 4-1) 文庫 – 2008/9/5
遠藤 周作
(著)
27歳の遠藤周作は文学研究のため、一留学生としてフランスにたたずんでいた。
第二次世界大戦の爪痕が人々の心に未だ残る時、霧深いリヨンの街で南仏の寂しい曠野で、繊細で瑞々しい感性を持つ青年は、真摯な思索を続けていた。愛とは、信仰とは何か? 静謐な文学の香気溢れる幻のデビュー作復刊。
第二次世界大戦の爪痕が人々の心に未だ残る時、霧深いリヨンの街で南仏の寂しい曠野で、繊細で瑞々しい感性を持つ青年は、真摯な思索を続けていた。愛とは、信仰とは何か? 静謐な文学の香気溢れる幻のデビュー作復刊。
- 本の長さ213ページ
- 言語日本語
- 出版社ぶんか社
- 発売日2008/9/5
- ISBN-104821151766
- ISBN-13978-4821151769
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登録情報
- 出版社 : ぶんか社 (2008/9/5)
- 発売日 : 2008/9/5
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 213ページ
- ISBN-10 : 4821151766
- ISBN-13 : 978-4821151769
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,369,381位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 67位ぶんか社文庫
- - 37,103位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1923-1996)東京生れ。
幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。
一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995(平成7)年、文化勲章受章。1996年、病没。
カスタマーレビュー
星5つ中4.7つ
5つのうち4.7つ
7グローバルレーティング
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年9月9日に日本でレビュー済み
遠藤周作と言えば何故かずっと真面目なカタイ作風というイメージから未読でしたがこちらはとても読みやすかったです。混沌、人間模様、街のカオスと未熟さ。カフェに行って〜的な話では毛頭無く、こんな奴がいた、何をしているのかよく分からないが仲良くなった、こんな人と出会って数日を共にし別れた、今でも忘れられない…と、盛る意思もない苦学生の日常。日記風であり背景に描写される街並みは明らかに今と異なるので、歴史探検モノとして純粋に面白いです。ドラマ化しても良いような…
2009年8月10日に日本でレビュー済み
表題とは違い、50年代初頭に留学した遠藤青年の目からみた、戦後の虚脱感に満ちたフランス社会・文化を題材とした、日記・旅行記・書簡の集大成です。神への憧憬と反発、共産主義への共感と違和感など揺れ動く青年の心がよく書かれていて、その後の遠藤文学の基盤が読み取れました。 貧しくともこんなに精神の高揚した留学生活があったのか、また、あの留学時代に戻りたいという気持でいっぱいになるような本でした。辻邦夫にしろ、当時の日本の留学生の質の高さは尋常ではないとも感じさせました。
2009年7月21日に日本でレビュー済み
遠藤周作といえば狐狸庵シリーズや「おばかさん」のようなユーモア作品から「沈黙」「深い河」の深淵な文学作品まで、幅ひろい創作でファンが多い。
この本は、氏のデビュー作で、戦後日本から初めてフランスへ留学した経験を基に創作された作品集である。どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか読者には見えないが、当時の社会事情が良く分かる。この作品にもう、氏の後年の作風が見え隠れしているのはほほえましい。
特に氏の生涯のテーマ、キリスト教と日本人、神と人との相克を扱った作品の原点とも言える作品集として、この本はファンが一度は読むべき本と思う。
「沈黙」や「深い河」と同様、どっしりと思い宿題が読者に託されるのだ。
この本は、氏のデビュー作で、戦後日本から初めてフランスへ留学した経験を基に創作された作品集である。どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか読者には見えないが、当時の社会事情が良く分かる。この作品にもう、氏の後年の作風が見え隠れしているのはほほえましい。
特に氏の生涯のテーマ、キリスト教と日本人、神と人との相克を扱った作品の原点とも言える作品集として、この本はファンが一度は読むべき本と思う。
「沈黙」や「深い河」と同様、どっしりと思い宿題が読者に託されるのだ。
2022年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
永井荷風の『ふらんす物語』と対比して読み比べてみようと思い本書を読む気になった。
遠藤周作のフランス留学は、戦後まもない1950年(昭和25年)6月4日横浜港からフランスのマルセイエーズ号で出航し、7月5日にマルセイユに着きました。
遠藤のフランス留学は日本の敗戦から間のない疲弊(フランスも)した時代であり、荷風のフランス滞在時代とは比べようものないことが分かりました。
まして真面にフランスのカトリック文学を学ぶための遠藤周作の留学と荷風のフランス文学に浸るための高等遊民フランス滞在とを比較することに無理があつたようです。
本書を読みながら氏が初めての海外生活であるにもかかわらず、リヨン大学にスンナリと溶け込むことができたは語学力だけでないことは本書を読みながら理解できます。
氏は1948年(昭和23年)に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業しているのだから他のリヨン大学生より優れていることを想像することができます。
それだけではなく氏の読書量の多さからの教養の深さは、他の学生と比べてもひけをとらなかったことは間違いないでしょう。
氏がリヨンで居をかまえたホテルで親しくなった南仏出身のピエール君の片思いの女学生シモーヌの自死などのエピソードは怪奇な短編小説のようです。
本書の中頃に登場するクロソヴスキイ(こびと)と片目が義眼のイレーナが実在したように思うことなくフォンスの井戸へ行ったエピソードを読んでしまいました。(氏が行ったのは間違いないでしょうが)
後半のモウリャックの小説『愛の砂漠』のことなどは、評者がこの本を読んだこともなくこの件についてよく理解することはできません。
が、友人との手紙のやり取りでクロード・ルロンの返事を読み、この問題では友人クロードの論に評者は納得したのです。
モウリャックの小説について下のようにクロード君は返事のなかに書いていました。
「1950年のフランス世代には、この作家の眼はもう必要ありませぬ。『クレーヴの奥方』から『失われた時を求めて』まで、ぼくらは、心理のための心理分析、観察のための人間観察を文学とよんできました。それは続かないだろうしいや続いてはいけないのです。」
評者は、友人クロードの言葉に真実があるように感じながらこの件を読んでしまったのです。
まあ、盲目者の象をなでながらの感想かも知れませんが。
後の「狐狸庵先生」若き日のエッセイを興味深く読み終えました。
遠藤周作のフランス留学は、戦後まもない1950年(昭和25年)6月4日横浜港からフランスのマルセイエーズ号で出航し、7月5日にマルセイユに着きました。
遠藤のフランス留学は日本の敗戦から間のない疲弊(フランスも)した時代であり、荷風のフランス滞在時代とは比べようものないことが分かりました。
まして真面にフランスのカトリック文学を学ぶための遠藤周作の留学と荷風のフランス文学に浸るための高等遊民フランス滞在とを比較することに無理があつたようです。
本書を読みながら氏が初めての海外生活であるにもかかわらず、リヨン大学にスンナリと溶け込むことができたは語学力だけでないことは本書を読みながら理解できます。
氏は1948年(昭和23年)に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業しているのだから他のリヨン大学生より優れていることを想像することができます。
それだけではなく氏の読書量の多さからの教養の深さは、他の学生と比べてもひけをとらなかったことは間違いないでしょう。
氏がリヨンで居をかまえたホテルで親しくなった南仏出身のピエール君の片思いの女学生シモーヌの自死などのエピソードは怪奇な短編小説のようです。
本書の中頃に登場するクロソヴスキイ(こびと)と片目が義眼のイレーナが実在したように思うことなくフォンスの井戸へ行ったエピソードを読んでしまいました。(氏が行ったのは間違いないでしょうが)
後半のモウリャックの小説『愛の砂漠』のことなどは、評者がこの本を読んだこともなくこの件についてよく理解することはできません。
が、友人との手紙のやり取りでクロード・ルロンの返事を読み、この問題では友人クロードの論に評者は納得したのです。
モウリャックの小説について下のようにクロード君は返事のなかに書いていました。
「1950年のフランス世代には、この作家の眼はもう必要ありませぬ。『クレーヴの奥方』から『失われた時を求めて』まで、ぼくらは、心理のための心理分析、観察のための人間観察を文学とよんできました。それは続かないだろうしいや続いてはいけないのです。」
評者は、友人クロードの言葉に真実があるように感じながらこの件を読んでしまったのです。
まあ、盲目者の象をなでながらの感想かも知れませんが。
後の「狐狸庵先生」若き日のエッセイを興味深く読み終えました。