詳細がうまくカモフラージュされているため、知り得ない情報も多いが、
終わりよければすべてよしの綺麗なストーリーテリングの一冊で、ノンフィクションとして
とても楽しむことが出来た。
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異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日 単行本 – 2014/7/31
小板橋 太郎
(著)
2009年3月期に、国内の製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。
そんな崖っぷちの総合電機メーカーをV字回復に導いたのは、本流から外れた“デッドヘッド(員数外)" の男たちだった――。
本書は製造業の巨大コングロマリット、日立製作所の再生の物語です。
1990年後半以降、事業構造の転換にとまどった日立は低空飛行を続けました。
そして、訪れたリーマンショックの痛撃。世界的な需要減によって日立は存亡の危機に直面しました。
その時に次の執行役会長兼社長に指名されたのは、企業を渡り歩くプロ経営者でも、若手幹部でもなく、
既に本体の経営を外れ、グループ会社の会長を務めていた69歳の元副社長、川村隆氏です。
同時期にトヨタ自動車の豊田章男氏が52歳で社長に就任するなど、経済界では経営陣の若返りが進んでいました。
しかも、川村氏の脇を固める副社長も、同じくグループ会社や海外子会社の社長に“上がった" 面々です。
そんな若返りに逆行するような人事に、市場やマスコミは懐疑の目を注ぎましたが、川村氏が率いる経営チームは
しがらみの中で実行できなかった経営改革を次々と断行、2014年3月期における過去最高益の礎を築きました。
本流から外れた人々が沈みゆく巨艦の舵を取ることになったのはなぜか。
そして、なぜ誰もが成し遂げられなかった経営改革を実現することができたのか――。
その謎に、日経新聞産業部記者として長年、日立製作所や日本の製造業を見てきた著者が迫りました。
日立製作所を舞台とした経営改革の軌跡をぜひお読みください。
そんな崖っぷちの総合電機メーカーをV字回復に導いたのは、本流から外れた“デッドヘッド(員数外)" の男たちだった――。
本書は製造業の巨大コングロマリット、日立製作所の再生の物語です。
1990年後半以降、事業構造の転換にとまどった日立は低空飛行を続けました。
そして、訪れたリーマンショックの痛撃。世界的な需要減によって日立は存亡の危機に直面しました。
その時に次の執行役会長兼社長に指名されたのは、企業を渡り歩くプロ経営者でも、若手幹部でもなく、
既に本体の経営を外れ、グループ会社の会長を務めていた69歳の元副社長、川村隆氏です。
同時期にトヨタ自動車の豊田章男氏が52歳で社長に就任するなど、経済界では経営陣の若返りが進んでいました。
しかも、川村氏の脇を固める副社長も、同じくグループ会社や海外子会社の社長に“上がった" 面々です。
そんな若返りに逆行するような人事に、市場やマスコミは懐疑の目を注ぎましたが、川村氏が率いる経営チームは
しがらみの中で実行できなかった経営改革を次々と断行、2014年3月期における過去最高益の礎を築きました。
本流から外れた人々が沈みゆく巨艦の舵を取ることになったのはなぜか。
そして、なぜ誰もが成し遂げられなかった経営改革を実現することができたのか――。
その謎に、日経新聞産業部記者として長年、日立製作所や日本の製造業を見てきた著者が迫りました。
日立製作所を舞台とした経営改革の軌跡をぜひお読みください。
- 本の長さ271ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BP
- 発売日2014/7/31
- ISBN-104822277895
- ISBN-13978-4822277895
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商品の説明
著者について
小板橋 太郎(こいたばし・たろう)
日本経済新聞社 企業報道部 デスク
1991年立教大学文学部史学科卒、日本経済新聞社入社。整理部、社会部、産業部記者、日経ビジネス編集委員などを経て現在、日経新聞企業報道部デスク。
記者時代は自動車、ゲーム、エネルギー、電機、通信などの業界を担当。趣味は古地図を見ながら散歩すること。1966年生まれ。東京都出身。
日本経済新聞社 企業報道部 デスク
1991年立教大学文学部史学科卒、日本経済新聞社入社。整理部、社会部、産業部記者、日経ビジネス編集委員などを経て現在、日経新聞企業報道部デスク。
記者時代は自動車、ゲーム、エネルギー、電機、通信などの業界を担当。趣味は古地図を見ながら散歩すること。1966年生まれ。東京都出身。
登録情報
- 出版社 : 日経BP (2014/7/31)
- 発売日 : 2014/7/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 271ページ
- ISBN-10 : 4822277895
- ISBN-13 : 978-4822277895
- Amazon 売れ筋ランキング: - 36,308位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 588位会社経営
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2016年7月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
幼いころに偉人の伝記を読んでワクワクしたような読後感がありました。
2014年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
グローバル企業でも、業態は違うがソニーや日産などの企業とは明らかに異質である。
それは、日立の場合は、伝統的な取締役会と執行役員との串刺しがしっかりできての意思決定の見事さなのだが、本書では川村氏の業績に重点を置いているので深入りしていない。
日立の源流は、どうも創業者理念という集合的無意識の中にあるようなのだが、それが経営者や取締役会に連綿と受け継がれて来ていた結果、一旦派閥や経営者の後継者指名で不具合が出ても、すぐにリセットして原点に戻り、現時点の経済環境に最も合致した適任者を出向先からでも呼び戻す風土ができたのもこの創業者理念の連綿とした延長線上にあるものと考えざるを得ない。
日立の成り立ちはあまり世間では知られていないことなのだが、当時政財界において意思決定とその決断の大胆さにおいて「怪物」と云われた、久原房之助の企業の傘下にあって、彼の薫陶を受けて育ったのが小平浪平である。その並はずれた自主独立の精神を有していた技術者によって独立していったのが日立製作所なのである。しかも小平が戦後間もなく公職追放され、経営者不在に陥った時に、小平の指名を受けたのが、日立二代目社長の倉田主税であり、銅の精錬業を日本有数の電線会社にまで成長させ、戦後の日立の経営理念の実践に大きく貢献した人物である。
他方久原の時代は銅鉱山の精錬による甚大な社会公害を経験し、企業と環境の関係から生活者と労働者の立場を考慮しつつ、企業風土の根幹において、社会的責任を自覚する契機となり、久原の大胆な発想の理念を受け継ぎ、日本における技術者の最高のこだわりでの自主独立を企業理念にまで高めていったのが小平浪平であり、戦後の中興の祖、日立二代目経営者が倉田主税なのであった。
一般消費社会において、消費者目線の松下幸之助とは大分違いながらも、最盛期人口20万人を擁した日立市の中枢にあって、大半が日立製作所の社員、及び関連会社の市民の城下町として日立製作所の風土を醸成していった歴史があったことも見逃せない事実である。
その町を一体化させて生活と仕事を融合させた市民文化としての企業風土を作り上げたのが、日立の元親会社の久原房之助の思想でもあり、日本の自主独立の理念を持って、博士号をもつ研究者を日本で最も多く抱え持つ創業者小平浪平の技術のこだわりでもあり、その後継者達なのである。
そうした風通しのよい企業文化があったからこそ、目先の後継者争いを超えて、出向した人材が新たな社長として帰り咲くような大胆な組織改革が実行できる土壌になっていったように思われるが、そうした経営思想や風土についてはこの著書では言及されてはいない。
しかしながら、時機を見据えて適任者を経営者に据えたおかげで、本当の意味のグローバル企業とはなにかを、海を越えた世界でのダイナミズムを垣間見せてくれた内容にこの書は仕上げてくれている。
そして、国際規模の経済環境にあって、日本の企業理念が国際環境に柔軟に対応できない限り、日本の大企業といえども生き残れないという現実の厳しさを再認識させてくれている。
他方、世界の文明開化の象徴であった自動車産業を、海のむこうの本場アメリカに進出させて、グローバル化を成し遂げた、トヨタと対峙させると
資本主義発祥のイギリスで、文明開化の象徴でもあった鉄道事業が今や日本の新幹線などでノウハウを得た先端技術で、世界の企業の中での入札をイギリスで勝ち取った、北関東の日立市発祥のローカル会社出身が日立製作所である事を思うと、トヨタと日立の両社は日本風土の土壌から生まれたグローバル化の両雄と目されるに至るのである。
この日本のローカル企業の二社は、日本において真の国際化に成功した企業としてあげられるのだが、他方、日産、ソニー、東芝との企業沿革に明確な違いが生ずるのである。
後者は日本の優れた伝統技術や技術者をもっているにもかかわらず、外資系経営者の手に渡ってしまったり、経営にブレが生じて、本来の日本伝統の企業理念に沿った経営の機会を失ってしまうのであった。
日立は創業理念を地味ながらも企業魂の発露として、その理念を大事に守り通して、地域の住民の生活文化を根付かせながら、トップの経営の意思決定システムと日本の伝統的な技術革新をうまく融合させた経営層の総合的な意思決定システムにまで醸成させたのである。
蛇足ながら、この本を読む前の2013年頃、上野駅から日立村に通じるJRの常磐線に久しぶりに乗る機会があった。
そのときはすでに日立製作所が鉄道で国際化にシフトしていた情報は知らないでいたのだが、
その時乗った、「特急ひたち」の車両が、どこの在来線の特急車両よりも、ヨーロッパの雰囲気漂う、ベイシックながら何か落ち着い雰囲気を醸し出していた。
そのときまで、失礼ながら、HITACHIという家電製品においての、日本では従来から垢抜けないという先入観があったのだが、
以前から、常磐道の特急の車両は日立が手掛けているのは知っていて、今は私は東京に住み、乗る機会は少なくなったが、当時は常磐線の特急に乗り慣れていて、当時はどこの特急でも変わり映えはしなかったものだ。
久々に乗った電車が何故ローカル色の濃い常磐線の最新型の特急にこんなにヨーロッパ的な雰囲気の違う車両が出現したのだろうと、ちょっと不思議に思っていたところだったのである。
その後この本を読んで、鉄道の車両部門がいまや国際企業の仲間入りをしているくだりを読んでそのなぞがハタと解けたような気がしたのである。
今は常磐道のその車両は走っていないようだが、そのデザインセンスやその後、新たな北陸新幹線の先端車両などをみて見ると、日本の鉄道部門においては、日立の存在感は何か秀でたものを感じさせるのである。
鉄道部門に限らず、今や世界的IT製造企業として名を馳せ、内外においてこの日立の、自主独立の妥協のない企業文化の一端が、この著書によって気づかされるのである。
結局のところ、経営者の選抜に秀でた人的資源の大胆さは、会社の底辺にまで優秀な人材が集まる縦糸の浸透によって、国際的にもさまざまな人が集まり、新たな国際規模の人事交流によって、横糸の広がりによって、縦糸と横糸との人材の相乗効果がなされているように思われるのである。
製造技術やITだけに目を奪われるだけでなく、人間的な風通しの良い企業風土があってこそ、はじめて国際的な企業の仲間入りになれることを見せつけられる思いにさせてくれるのは、そもそも経営トップ層の人選において、産みの苦しみを経験し、そこにたどり着いたのが、企業は人なりの実践的経営の模範であり、それだからこその、世界の縦横無尽の人的資源システムへの拡張なのではないのだろうか?その事がこの本によって実証されたという事なのである。
それは、日立の場合は、伝統的な取締役会と執行役員との串刺しがしっかりできての意思決定の見事さなのだが、本書では川村氏の業績に重点を置いているので深入りしていない。
日立の源流は、どうも創業者理念という集合的無意識の中にあるようなのだが、それが経営者や取締役会に連綿と受け継がれて来ていた結果、一旦派閥や経営者の後継者指名で不具合が出ても、すぐにリセットして原点に戻り、現時点の経済環境に最も合致した適任者を出向先からでも呼び戻す風土ができたのもこの創業者理念の連綿とした延長線上にあるものと考えざるを得ない。
日立の成り立ちはあまり世間では知られていないことなのだが、当時政財界において意思決定とその決断の大胆さにおいて「怪物」と云われた、久原房之助の企業の傘下にあって、彼の薫陶を受けて育ったのが小平浪平である。その並はずれた自主独立の精神を有していた技術者によって独立していったのが日立製作所なのである。しかも小平が戦後間もなく公職追放され、経営者不在に陥った時に、小平の指名を受けたのが、日立二代目社長の倉田主税であり、銅の精錬業を日本有数の電線会社にまで成長させ、戦後の日立の経営理念の実践に大きく貢献した人物である。
他方久原の時代は銅鉱山の精錬による甚大な社会公害を経験し、企業と環境の関係から生活者と労働者の立場を考慮しつつ、企業風土の根幹において、社会的責任を自覚する契機となり、久原の大胆な発想の理念を受け継ぎ、日本における技術者の最高のこだわりでの自主独立を企業理念にまで高めていったのが小平浪平であり、戦後の中興の祖、日立二代目経営者が倉田主税なのであった。
一般消費社会において、消費者目線の松下幸之助とは大分違いながらも、最盛期人口20万人を擁した日立市の中枢にあって、大半が日立製作所の社員、及び関連会社の市民の城下町として日立製作所の風土を醸成していった歴史があったことも見逃せない事実である。
その町を一体化させて生活と仕事を融合させた市民文化としての企業風土を作り上げたのが、日立の元親会社の久原房之助の思想でもあり、日本の自主独立の理念を持って、博士号をもつ研究者を日本で最も多く抱え持つ創業者小平浪平の技術のこだわりでもあり、その後継者達なのである。
そうした風通しのよい企業文化があったからこそ、目先の後継者争いを超えて、出向した人材が新たな社長として帰り咲くような大胆な組織改革が実行できる土壌になっていったように思われるが、そうした経営思想や風土についてはこの著書では言及されてはいない。
しかしながら、時機を見据えて適任者を経営者に据えたおかげで、本当の意味のグローバル企業とはなにかを、海を越えた世界でのダイナミズムを垣間見せてくれた内容にこの書は仕上げてくれている。
そして、国際規模の経済環境にあって、日本の企業理念が国際環境に柔軟に対応できない限り、日本の大企業といえども生き残れないという現実の厳しさを再認識させてくれている。
他方、世界の文明開化の象徴であった自動車産業を、海のむこうの本場アメリカに進出させて、グローバル化を成し遂げた、トヨタと対峙させると
資本主義発祥のイギリスで、文明開化の象徴でもあった鉄道事業が今や日本の新幹線などでノウハウを得た先端技術で、世界の企業の中での入札をイギリスで勝ち取った、北関東の日立市発祥のローカル会社出身が日立製作所である事を思うと、トヨタと日立の両社は日本風土の土壌から生まれたグローバル化の両雄と目されるに至るのである。
この日本のローカル企業の二社は、日本において真の国際化に成功した企業としてあげられるのだが、他方、日産、ソニー、東芝との企業沿革に明確な違いが生ずるのである。
後者は日本の優れた伝統技術や技術者をもっているにもかかわらず、外資系経営者の手に渡ってしまったり、経営にブレが生じて、本来の日本伝統の企業理念に沿った経営の機会を失ってしまうのであった。
日立は創業理念を地味ながらも企業魂の発露として、その理念を大事に守り通して、地域の住民の生活文化を根付かせながら、トップの経営の意思決定システムと日本の伝統的な技術革新をうまく融合させた経営層の総合的な意思決定システムにまで醸成させたのである。
蛇足ながら、この本を読む前の2013年頃、上野駅から日立村に通じるJRの常磐線に久しぶりに乗る機会があった。
そのときはすでに日立製作所が鉄道で国際化にシフトしていた情報は知らないでいたのだが、
その時乗った、「特急ひたち」の車両が、どこの在来線の特急車両よりも、ヨーロッパの雰囲気漂う、ベイシックながら何か落ち着い雰囲気を醸し出していた。
そのときまで、失礼ながら、HITACHIという家電製品においての、日本では従来から垢抜けないという先入観があったのだが、
以前から、常磐道の特急の車両は日立が手掛けているのは知っていて、今は私は東京に住み、乗る機会は少なくなったが、当時は常磐線の特急に乗り慣れていて、当時はどこの特急でも変わり映えはしなかったものだ。
久々に乗った電車が何故ローカル色の濃い常磐線の最新型の特急にこんなにヨーロッパ的な雰囲気の違う車両が出現したのだろうと、ちょっと不思議に思っていたところだったのである。
その後この本を読んで、鉄道の車両部門がいまや国際企業の仲間入りをしているくだりを読んでそのなぞがハタと解けたような気がしたのである。
今は常磐道のその車両は走っていないようだが、そのデザインセンスやその後、新たな北陸新幹線の先端車両などをみて見ると、日本の鉄道部門においては、日立の存在感は何か秀でたものを感じさせるのである。
鉄道部門に限らず、今や世界的IT製造企業として名を馳せ、内外においてこの日立の、自主独立の妥協のない企業文化の一端が、この著書によって気づかされるのである。
結局のところ、経営者の選抜に秀でた人的資源の大胆さは、会社の底辺にまで優秀な人材が集まる縦糸の浸透によって、国際的にもさまざまな人が集まり、新たな国際規模の人事交流によって、横糸の広がりによって、縦糸と横糸との人材の相乗効果がなされているように思われるのである。
製造技術やITだけに目を奪われるだけでなく、人間的な風通しの良い企業風土があってこそ、はじめて国際的な企業の仲間入りになれることを見せつけられる思いにさせてくれるのは、そもそも経営トップ層の人選において、産みの苦しみを経験し、そこにたどり着いたのが、企業は人なりの実践的経営の模範であり、それだからこその、世界の縦横無尽の人的資源システムへの拡張なのではないのだろうか?その事がこの本によって実証されたという事なのである。
2016年1月19日に日本でレビュー済み
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地味で堅実な日立がグローバル企業となった理由がわかりました。T社もこんなだったらよかったのに(笑)
2015年8月5日に日本でレビュー済み
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屋台骨が傾きかけた日立製作所のV字回復の立役者川村氏達による改革の軌跡の話。
日経新聞で少しまえに掲載された「私の履歴書」にも一部被る部分あり。叙述は、現役・存命の
関係者が多すぎることを慮ったか、ややあっさり風味。実際の人間模様や遣り取り(特に
「遠ざける」ことになった事業関係者との etc)が本当にはどうだったのかは憶測するしかない。
ちなみに、私はどちらかと言えばこの会社の顧客筋にあたる立場におり、協力頂いて進行
していたとある事業が、日立製作所さん的にはどうも不採算部門である、という判断になった
ということで当時若干難儀した記憶があったりもする。が、そのことで含むところを残すものでは
毛頭ない。
日立は、もの凄く真面目に基礎データを自力で積んで話しを詰める処という印象がある。
本書を読み、これはやはり社風なのだろうな、と思った。今後の発展を期待し、応援したい。
日経新聞で少しまえに掲載された「私の履歴書」にも一部被る部分あり。叙述は、現役・存命の
関係者が多すぎることを慮ったか、ややあっさり風味。実際の人間模様や遣り取り(特に
「遠ざける」ことになった事業関係者との etc)が本当にはどうだったのかは憶測するしかない。
ちなみに、私はどちらかと言えばこの会社の顧客筋にあたる立場におり、協力頂いて進行
していたとある事業が、日立製作所さん的にはどうも不採算部門である、という判断になった
ということで当時若干難儀した記憶があったりもする。が、そのことで含むところを残すものでは
毛頭ない。
日立は、もの凄く真面目に基礎データを自力で積んで話しを詰める処という印象がある。
本書を読み、これはやはり社風なのだろうな、と思った。今後の発展を期待し、応援したい。
2015年7月5日に日本でレビュー済み
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「不沈艦」と言われた日立グループ再生の物語です。
川村氏、自らの著作である「ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導い」とセットで読むとより立体的に理解できると思います。
こちらは第三者による取材なので、もう少し広い視野で日立再生の状況が理解できます。
「ザ・ラストマン」のレビューにも記載しましたが、「V字回復の経営」や「日産リバイバルプラン」、そして最近で言えば「爆速経営」のような、再生のリアルを感じられます。実際には色々な四苦八苦があったと思いますが、淡々とやりきったところがまさに「ラストマン」だと思いました。
ミドルや従業員がどのように変化していったのかという視点・取材が加わるとより良いということで★は4つとしました。
川村氏、自らの著作である「ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導い」とセットで読むとより立体的に理解できると思います。
こちらは第三者による取材なので、もう少し広い視野で日立再生の状況が理解できます。
「ザ・ラストマン」のレビューにも記載しましたが、「V字回復の経営」や「日産リバイバルプラン」、そして最近で言えば「爆速経営」のような、再生のリアルを感じられます。実際には色々な四苦八苦があったと思いますが、淡々とやりきったところがまさに「ラストマン」だと思いました。
ミドルや従業員がどのように変化していったのかという視点・取材が加わるとより良いということで★は4つとしました。
2014年10月14日に日本でレビュー済み
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7000億円以上の赤字を出しながら、何故日立製作所は復活できたのか、その理由が知りたくて購入した
会長、社長を兼務し、非常事態として不退転で臨んだこと、少数で意思決定できる体制で臨んだこと、この危機に臨んだ役員が殆どが出戻りだったことなどは偶然とはオもめない。
ある意味必然性があったのだろう。
こうしたことが不退転の決意とともに、迅速なる意思決定、社外流出している利益の内部取り込み、重要なる上場子会社の上場廃止と完全子会社化、社会インフラへの重点化といったことができたのかと思う。最も抜本的改革にとおそうな会社がこれを実現してしまったことには驚きだ
会長、社長を兼務し、非常事態として不退転で臨んだこと、少数で意思決定できる体制で臨んだこと、この危機に臨んだ役員が殆どが出戻りだったことなどは偶然とはオもめない。
ある意味必然性があったのだろう。
こうしたことが不退転の決意とともに、迅速なる意思決定、社外流出している利益の内部取り込み、重要なる上場子会社の上場廃止と完全子会社化、社会インフラへの重点化といったことができたのかと思う。最も抜本的改革にとおそうな会社がこれを実現してしまったことには驚きだ
2014年10月17日に日本でレビュー済み
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改革を主導した川村氏(とその経営チーム)がどのようにして日立のV字回復を実現したのか、ずっと気になってました。
本書はその日立改革を網羅的ルポといった形でまとめられています。
本書を読了後思ったのは、川村氏自身の改革実行力とその改革後の潔さ(役職は早々に他者へ交代)は、氏の持つ日立への愛情と共に真の経営力がなせた技と思いました。
と同時に、川村氏自身の人の配置の妙、さらには川村氏はじめ経営改革チームを実質的にアサインした庄山前会長の人の配置の妙は、当時のマスコミによる否定的反応へのアンチテーゼとも言えるでしょうか。
本書はその日立改革を網羅的ルポといった形でまとめられています。
本書を読了後思ったのは、川村氏自身の改革実行力とその改革後の潔さ(役職は早々に他者へ交代)は、氏の持つ日立への愛情と共に真の経営力がなせた技と思いました。
と同時に、川村氏自身の人の配置の妙、さらには川村氏はじめ経営改革チームを実質的にアサインした庄山前会長の人の配置の妙は、当時のマスコミによる否定的反応へのアンチテーゼとも言えるでしょうか。