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ゲーデル、エッシャー、バッハ: あるいは不思議の環 単行本 – 1985/5/1
『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』(ダグラス・ホフスタッター著、野崎昭弘、はやしはじめ、柳瀬尚紀 訳、原題は Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid)は1979年に米国で刊行された一般向けの科学書。単に GEB とも呼ばれる。 1985年に白揚社から日本語訳が発行され、1980年代後半から90年代前半にかけて日本でも小ブームが起きた。1980年ピューリッツァー賞受賞。 GEBの内容を一言で説明するのはむずかしい。中心となっているテーマは「自己言及」だが、これが数学におけるゲーデルの不完全性定理、計算機科学におけるチューリングの定理、そして人工知能の研究と結びつけられ、渾然一体となっている。エッシャーのだまし絵やバッハのフーガはこれらをつなぐメタファーとして機能している。ホフスタッター自身、本書の中で「これは自分にとっての信仰告白である」といっているように、おそらくこの本は特定の概念を読者に説明するといった目的のものではない。むしろ人間は自分自身に興味をもつことを永久にやめられないであろうという、ホフスタッターの信念をひたすら熱狂的に記述したものとなっている。 GEBでは自己言及を人間の知性のもっとも高度な形態として位置づけており、それゆえに人工知能の研究を礼讃している。また随所に自己言及のパラドックスや言葉遊び、数学パズル、そして禅などがちりばめられており、この本自体も自己言及をおこなっている。このようなスタイルは当時の計算機にかかわる研究者やプログラマーから生まれたハッカー文化に類似している。
- 本の長さ765ページ
- 言語日本語
- 出版社白揚社
- 発売日1985/5/1
- ISBN-104826900252
- ISBN-13978-4826900256
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登録情報
- 出版社 : 白揚社 (1985/5/1)
- 発売日 : 1985/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 765ページ
- ISBN-10 : 4826900252
- ISBN-13 : 978-4826900256
- Amazon 売れ筋ランキング: - 181,679位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 402位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 3,503位心理学の読みもの
- - 38,204位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おそらく、20世紀で最高の数学的アミューズメント。翻訳が不明解で、仕方なく、英語で読み直した。英語だと何を言っているか分かります。文庫本を出してくれることを期待します。重すぎて、かつ、字が細かすぎて困ります。
2008年6月15日に日本でレビュー済み
「不完全性定理」を証明した数学者ゲーデル、だまし絵で有名な画家エッシャー、音楽家バッハを論じた本。ホフスタッターは当時ミシガン大学の人工知能の研究者。お父さんはノーベル物理学賞受賞者。ホフスタッターはどんな人たちに読んでもらいたいかを問われて「わたしが15歳のころに興味を持っていたような事柄に関心のある、15歳の頭のいい連中」に読んでもらいたいと答えている。
私自身は大学の哲学科の先輩に紹介していただいた想い出のある本。あの世界の北野武(ビートたけし)が20年前ぐらい前にバラエティ番組でこの書名に言及したのを偶然テレビで見たこともある、そのくらい当時読まれたすばらしい本。(2008年現在、北野武さんの最新作映画の題名が『アキレスと亀』だとテレビで知って、本書がたけしさんに与えた影響はこんなにも大きかったのか! と驚きました)
翻訳チームがすばらしく、この翻訳をきっかけに日本の英文学界・数学界は大きく進歩したと私は思っている。
言語に関しての示唆が多く、英文法研究書としても読めるのです。
● <人工知能の知識の分類>
⒜ 手続き型:Bottom up方式
「あなたの居間の椅子の数は?」、イメージの中で、あるいは実際に数えようとする
⇒how toとしての知識
⒝ 宣言型:Top down方式
「シカゴの人口は?」「500万人」と、どういうわけか心に浮かぶ。
⇒事実としての知識
● 【否定/助動詞】話し手の判断が入っていないと思われている文にも事実だけではなく、判断が入っている例
p. 630 「起きなかった」ということに度合というものはない。「ほとんど起こりそうだった」は心の中にあるのであって、外的事実の中にはない。
●p. 631【没価値の叙述文】叙述⇒叙述+不定詞⇒仮定法⇒助動詞+不定詞
「私はロシア語を知らない」→ロシア語を知りたいなあ、知っていたらなあ、チェーホフを読むのになあ。
●p. 351【名詞】原型原理(プロトタイプ)
「記号」⇒【名詞】
「クラス」⇒【種類=一般的な話題】
「事例」⇒【メンバー/ある人や物を指す具体的な話題】
脳の中で記号はクラスを表わすのか、それとも事例を表わすのか? ある記号はクラスを表わし、他は事例を表わすのか? どの部分を活性化されるかによって、単一の記号がクラス記号および事例記号の双方の任務を果たすのだろうか?
p. 142【関係代名詞(制限用法)】
同一人物についていく通りにも心に描くことができる。例えば、
その著作を私が先月ポーランドの友人に送ったところの人物
今夜、この喫茶店で私と私の友人に話しかけた見知らぬ人物
この2つが同一人物を表現していることはアプリオリには明らかではない。しかし、その晩の会話の中で2つの記述が実は同一の人物をさしていることを明らかにするような話題にぶつかれば、こう叫ぶことになる。「なんだ、あの人のことだったのか!」
私自身は大学の哲学科の先輩に紹介していただいた想い出のある本。あの世界の北野武(ビートたけし)が20年前ぐらい前にバラエティ番組でこの書名に言及したのを偶然テレビで見たこともある、そのくらい当時読まれたすばらしい本。(2008年現在、北野武さんの最新作映画の題名が『アキレスと亀』だとテレビで知って、本書がたけしさんに与えた影響はこんなにも大きかったのか! と驚きました)
翻訳チームがすばらしく、この翻訳をきっかけに日本の英文学界・数学界は大きく進歩したと私は思っている。
言語に関しての示唆が多く、英文法研究書としても読めるのです。
● <人工知能の知識の分類>
⒜ 手続き型:Bottom up方式
「あなたの居間の椅子の数は?」、イメージの中で、あるいは実際に数えようとする
⇒how toとしての知識
⒝ 宣言型:Top down方式
「シカゴの人口は?」「500万人」と、どういうわけか心に浮かぶ。
⇒事実としての知識
● 【否定/助動詞】話し手の判断が入っていないと思われている文にも事実だけではなく、判断が入っている例
p. 630 「起きなかった」ということに度合というものはない。「ほとんど起こりそうだった」は心の中にあるのであって、外的事実の中にはない。
●p. 631【没価値の叙述文】叙述⇒叙述+不定詞⇒仮定法⇒助動詞+不定詞
「私はロシア語を知らない」→ロシア語を知りたいなあ、知っていたらなあ、チェーホフを読むのになあ。
●p. 351【名詞】原型原理(プロトタイプ)
「記号」⇒【名詞】
「クラス」⇒【種類=一般的な話題】
「事例」⇒【メンバー/ある人や物を指す具体的な話題】
脳の中で記号はクラスを表わすのか、それとも事例を表わすのか? ある記号はクラスを表わし、他は事例を表わすのか? どの部分を活性化されるかによって、単一の記号がクラス記号および事例記号の双方の任務を果たすのだろうか?
p. 142【関係代名詞(制限用法)】
同一人物についていく通りにも心に描くことができる。例えば、
その著作を私が先月ポーランドの友人に送ったところの人物
今夜、この喫茶店で私と私の友人に話しかけた見知らぬ人物
この2つが同一人物を表現していることはアプリオリには明らかではない。しかし、その晩の会話の中で2つの記述が実は同一の人物をさしていることを明らかにするような話題にぶつかれば、こう叫ぶことになる。「なんだ、あの人のことだったのか!」
2010年2月18日に日本でレビュー済み
大学に入学したての1980年代半ば,当時のニューアカデミズムブームに乗せられて内容も吟味せず手を出し,数ページ読んで放棄した本。音楽をやっていたため,バッハの平均律の調性システムの循環性とエッシャーのだまし絵の構造に直感的に類似性を感じていたが,ゲーデルの理論については何もわかっていなかった。しかし心のどこかでは,この本を所有していることをファッションで終わらせたくないというこだわりがあり,20数年を経た2010年新春,1ヶ月をかけてようやく読了した。今思うことは,深い後悔の念である。この本を手にした20歳前後に真剣に読み通していれば,その後の自分の人生は違うものになっていただろう。と同時に,20歳前後の自分にはこの本に書かれていることに思いを馳せる知識と感性が備わっていたかどうか疑わしい。これもこの本の中心的テーマである自己矛盾なのだろうか。学問をするにおいて,ある専門領域を究めると同じくらいリベラルアーツの可能性を認識させられる著作。理解することはかなわないかもしれないが,大学教養課程ぐらいの学生にはぜひチャレンジしていただきたい。
2011年1月12日に日本でレビュー済み
名著の誉れ高いこの本、20数年前に買ったけど、ほとんど
消化できないままでいる。
今読んでも、難しい。
この本で学ぼうとか、内容を習得しようとか、
そんな甘い考えでは、消化は難しいような
気がする。
著者と同じ立場の視点にたって、まず最初は本の問題意識を
よく捉えて、次にその問題を考え抜いてから、それから細部を
読みこんでいかないと理解できない気がする。
少なくとも私の場合は、そういう風にしないと、この本を
曲がりなりにも、なんとか読み終えた、という気分には
絶対ならないだろうと思っている。
なんとか、読んだ気にでもなってみたい。
消化できないままでいる。
今読んでも、難しい。
この本で学ぼうとか、内容を習得しようとか、
そんな甘い考えでは、消化は難しいような
気がする。
著者と同じ立場の視点にたって、まず最初は本の問題意識を
よく捉えて、次にその問題を考え抜いてから、それから細部を
読みこんでいかないと理解できない気がする。
少なくとも私の場合は、そういう風にしないと、この本を
曲がりなりにも、なんとか読み終えた、という気分には
絶対ならないだろうと思っている。
なんとか、読んだ気にでもなってみたい。
2011年1月30日に日本でレビュー済み
この本の構成は、各章とその間にある対話劇からなる。本のボリュームは多く、最初から読んでいくと
挫折することうけ合いである。自分も当然最初から読んでいき、3章くらいでやめた。
なので、この本の読み方としては、気に入った章だけ読むというのもありかと思う。しかし、
各章が繋がっているので、わからない部分も出てきて、効率的でないと感じる。
そこで、まず対話篇を読み進めていくのがいいのではないかと思う。対話篇に出てくる話は
その章の知識を使うので、わからないことも出てくるが、直前の章を見ればわかる。この本の
素晴らしさは対話篇であるだろう。数学やらコンピュータの話も出てくるが、それは他の本で
読んでも構わないと思う。
挫折することうけ合いである。自分も当然最初から読んでいき、3章くらいでやめた。
なので、この本の読み方としては、気に入った章だけ読むというのもありかと思う。しかし、
各章が繋がっているので、わからない部分も出てきて、効率的でないと感じる。
そこで、まず対話篇を読み進めていくのがいいのではないかと思う。対話篇に出てくる話は
その章の知識を使うので、わからないことも出てくるが、直前の章を見ればわかる。この本の
素晴らしさは対話篇であるだろう。数学やらコンピュータの話も出てくるが、それは他の本で
読んでも構わないと思う。
2010年9月10日に日本でレビュー済み
わたしにとっては、啓発の書でした。
ゲーデルについても、エッシャーについても、バッハについても、そのときまで知らなかった情報がいくつもはいっていて、ヤレヤレとおもいました。
けれども、若い時分だから時間をかけて読めるのです。
『マインズ・アイ』の方の翻訳者の親戚とゼミで知り合って、すすめられました。
ゲーデルについても、エッシャーについても、バッハについても、そのときまで知らなかった情報がいくつもはいっていて、ヤレヤレとおもいました。
けれども、若い時分だから時間をかけて読めるのです。
『マインズ・アイ』の方の翻訳者の親戚とゼミで知り合って、すすめられました。
2000年11月26日に日本でレビュー済み
この本は数学のトピックを詰め込んで、登場人物の会話部分でこれでもかというほど思いっきり楽しんでいるような内容です。集合や微分の概念の話もたっぷり出てきて敷居も高いとは思いますが、丁寧に説明してあり、読んでいくと面白く、また話のつなぎかたが素晴らしいのです。タイトルから最後のページまで構成が実に巧みで、さすが数学的組立、まいったと唸るほどです。数学は数学なので万人におすすめとは思いませんが、エッシャーの絵に興味があるという方には読んで欲しいなあと思います。