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水源―The Fountainhead 単行本 – 2004/7/8
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1943年の発表以来、現在もアメリカで読み継がれ累計500万部を超す大ロングセラーの本邦初訳。
1922年の初夏、主人公ハワード・ロークは建築工事労働者をしながら建築家めざして苦学しながら通っていたマサチュセッツ州にあるスタントン工科大学を退学になる。学業は優秀だし才能もあるが、大学で教えられる建築学に異をとなえたことから教授達の怒りを買った。
ローマ時代やルネサンス時代などの古典建築を現代風にするだけの建築学に彼は満足できない。その建築物の機能を最大限に活かすデザインと建築法と素材を妥協なく彼は求める。彼のデザインと見解は、教授達にはそれまでの建築の美意識を否定する傲慢さに見える。
彼は私淑していた高層建築家であり、今は落ちぶれているヘンリー・キャメロンのニューヨークにある建築事務所に就職する。ロークにとってキャメロンは真に才能あるプロなのだが、時代はキャメロンについていけない。同様に、キャメロンを理解できるロークの仕事も、また理解されない。
小説は、彼が一流の建築家として名実ともに認められる約18年間の苦闘を時間軸に沿って、舞台を主にニューヨークにおき、描いている。
この小説は単なる成功物語ではない。
ロークの建築観は彼の世界観、人間観、人生観と結びついていて、それらは彼の生きる時代ばかりでなく伝統的それらと真っ向から対立する。
この小説は、ロ-クの思想闘争でもある。小説は、彼と3人の男と1人の女との関わりを通して描かれていく。
- 本の長さ1037ページ
- 言語日本語
- 出版社ビジネス社
- 発売日2004/7/8
- ISBN-104828411321
- ISBN-13978-4828411323
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
著者について
アメリカの国民作家、政治思想家。ハイエクやフリードマンと並んで、自由放任資本主義を支持する超個人主義的自由主義(リバータリアニズム)の提唱者のひとりとして知られる。本名はアリッサ・ロウゼンバウム。ユダヤ系ロシア人としてサンクト・ペテルスブルグに生まれるが、1926年にアメリカに単身亡命し、生活苦と闘いながらハリウッドでシナリオ作家をめざす。43年に本書『水源』を発表し注目を浴びる。57年に出版された『肩をすくめたアトラス』によって文名を確立。以来、これらの二大長編小説は、アメリカの知的な若者にとって必読書となる。「ランディアン」と呼ばれる彼女の信奉者の中には、若き日のアラン・グリーンスパン(現FRB議長)もいた。
登録情報
- 出版社 : ビジネス社 (2004/7/8)
- 発売日 : 2004/7/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 1037ページ
- ISBN-10 : 4828411321
- ISBN-13 : 978-4828411323
- Amazon 売れ筋ランキング: - 44,733位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1953年愛知県名古屋市生まれ。南山大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課程満期退学。岐阜市立女子短大、金城学院大学短大部、桃山学院大学、福山市立大学を経て、福山市立大学名誉教授。
元祖リバータリアン(超個人主義的自由主義者)である、アメリカの国民的作家であり思想家のアイン・ランド研究の第一人者。アイン・ランドの大ベストセラー『水源』『利己主義という気概』(いずれもビジネス社)を翻訳刊行した。
著書に『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』、『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』、『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』(KKベストセラズ)や、『優しいあなたが不幸になりやすいのは世界が悪いのではなく自業自得なのだよ』(大和出版)がある。
Blog http://aynrandassociates.com
http://www.aynrand2001japan.com/
イメージ付きのレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
どこから読書を再開しても3行目にはその世界観に引きずり込まれる。
これが約80年前に執筆された物とは到底思えない。それぐらい、現代にもまかり通る登場人物の普遍の心理を追求している。
この本の続きが気になって仕方がない。
だけど、この本が永遠に終わらなければいいのに。
止まった時の中でこの本を読めればいいのに。
永遠に読んでいたい。永遠にこの「水源」の美しい活字と精神に触れていたい。
主人公のロークは類い稀な魅力にあふれる人物だが、彼を囲む人々がまたいい。特にわたしが楽しんだのはトゥーイーとキャサリンだ。どう楽しんだのかはここには書かないが、彼らに込める著者アイン・ランドのサーカズムは読んでいてスカッとする。
そしてこの本は壮大な恋愛小説でもある。藤森かよこ氏の翻訳が読みやすく格調高い。一生に一度読んでけっして損のない書物である。
主人公のロークは類い稀な魅力にあふれる人物だが、彼を囲む人々がまたいい。特にわたしが楽しんだのはトゥーイーとキャサリンだ。どう楽しんだのかはここには書かないが、彼らに込める著者アイン・ランドのサーカズムは読んでいてスカッとする。
そしてこの本は壮大な恋愛小説でもある。藤森かよこ氏の翻訳が読みやすく格調高い。一生に一度読んでけっして損のない書物である。
実感させる人物であった。さらに最後に妻となったドミニク・フランコン、権力に対抗し
自己の自尊心と激しい感情の中で個人を見失わない美貌の才女。彼等を取り巻く
キーテイング・トウーイー・ワイナンド、時代の特徴を表した登場人物が
著者の鋭い描写により面白く話しが展開していき、長編であったが全く飽きなく
読み通せた。アメリカの自由精神を強く感じ、個人主義が社会の基盤となっている事
を再確認した傑作であった。
やっと読み通したのに、まだ解放されないのか。
この長大でエネルギーのある本を翻訳された藤森かよこ氏によると政治思想小説ということだが、自分はそれよりロークとドミニク、ワイナンド、という非凡過ぎる男女のラブストーリーとしての面に焦点があってしまった。
それも、最初のうちはツンデレ、サドマゾ味のハーレクインロマンス硬派版かと眉をしかめていた。ヒロイン、ドミニク、気品と官能性両方を備えた稀なる美貌、併せて卓越した知性を持つ、生まれながらの上流階級のお嬢様。それも父親の富にさえ期待せずに済む、母方からの資産があるゆえ、生まれてから一度も他人に頭をさげたり、尻尾を振ったことも無い、もう、どこにも誰にも媚びずにすむ怖いもの無しのヒロイン。普通の庶民の自分は、恋愛ゲームは転がせても「愛」など庶民の娯楽と軽蔑している愛不感症のサディスティックな、究極のナルシスト、自己中心女王と思えたドミニクに共感を持てないというか、反感さえ感じていた。軽蔑している男とさえ寝ることができ、結婚さえしてみせるのだから。
一方のローク、こちらにも、自分の小市民的常識、器の小ささゆえ
理解が及ばず、なんて頑固で独善的なのだろうとハラハラ歯痒く思っていたが、あくまで真摯に信念を貫くその生き方に苦境を切り抜けて欲しいと祈るように読んでいた。
これが、今まで無数の恋愛小説を読み、映画を観てきたすれっからしの自分も驚愕した強烈な二人の究極の純愛ストーリーだったとは!数多の恋愛小説が陳腐にさえ思えるほど、いやいや感動してしまったではないか。二人とも、純粋超人同士ゆえ、セコハン人間としては、完敗だ。
それはそれとして、個人的には、私は天才ロークよりワイナンドの方に感情移入してしまった。貧民窟からメディア王に成り上がった頭脳、胆力、膂力、腕力、冷徹でありながら、ここぞと愛した女を愛し抜く魂はもっていた(美女を取っ替え引っ換えしていたのに)。この三人、鏡のように輝く金髪のドミニク、燃えるようなオレンジ色の髪のローク、端正な容姿、クールでいてセクシーのワイナンド、やっぱりハーレクインだ。
アマゾンレビューを読んでみると、男性が多いのか、訳者の藤森かよこ氏が後書きに書いておられたように、この本は政治思想小説らしく、哲学的な観点からも論じておられる方が多い。ただ、トゥーイーの弁、大演説は、現代にも通じるという方もいるけれど、自分には今や古く感じられた。彼のような狡猾な蛇男は現代でも跋扈しており、自分の卑劣さを能力と錯誤過信し、そして世俗的には成功したりしていて胸糞悪いけれど、この本では胸のすく結末が用意されていた。もともとロークとドミニク、ワイナンドは、彼の策略や扇動など超越しているから、たとえ、社会的な意味で敗北したとしても、彼らの誇りを奪うことはできないし、トゥーイーも、それは悔しいながらも自分は結局、根本的には負け犬だと感知している。
たまたま、何十年前にこの原作を元にした「摩天楼」という映画を深夜放送で観たことがあったけれど、単純なメロドラマの印象しか残っていない(裁判のシーンは覚えていない)。ユダヤ人差別があったような気もする。もう一度鑑賞してみたい。本書を読んだあととなっては、ドミニクはグレースケリーの方が良かったけれど。
こんなレビューでは、翻訳者の藤森かよこ氏には、『水源』についての論文を書くわけではないとしても、本筋からかけ離れたことに申し訳なく感じる。
ただ、特に女性の方々には、愛の物語として読んでもらう可能性も伝えたい。気位の高すぎる傲慢女としか、最初は理解できなかったドミニクが、自分の名誉など捨て去ることなど眼中にない、崇高な愛の勇者だったとは!
最初に感じていた苦々しさは、最後に、またとない愛の物語として
胸に響くから。私も下界から、青空へ続く摩天楼に昇っていったから。
ここまで、恋愛ストーリーとして『水源』を捉えてきたけれど、この本のハイライトは、ページ1000から1019までの「ロークの裁判」だ。これは、ぜひとも、ご自分で本文を読んで欲しい。小さな殻が割れる音がするか、唸るしかないか。
ページ1020から1028も素晴らしい。ドミニクとロークの男女の究極の愛とは別の世界、ロークとワイナンドの間にある「男同士の絆と愛(訳者あとがきより)」が描かれているのだ。ワイナンドのほうは、永遠に孤独の極北だからこそ、私には切なく胸に余韻を残されたが、そんな甘っちょろい感傷など恥ずかしいほど、二人は誇りと尊厳をもっている。真の男同士って、かっこいい。かっこいい男がいるということは女としても救われる。女性として出番は無いけれど、ただその存在だけで嬉しい。男女差別という次元でもない。いまや商業主義と結びついて友情を見せびらかしたり、売りにすることが少なからずあるけれど、作者ランドのプレゼンする真の友情、つまり二度と会うことを選ばずとも、消えることのない相手への敬意と愛は凄い。
この厚くて重い本、再度、申し上げます。普通の解説も批評も感想も及ばない、その高み、その烈々たる挑戦、その美しい描写(三島文学のような美文調では無いないけれど)、ぜひぜひ自分の目と心とで確認してください。
それでも通勤時や会社の昼休みに読みたいと思い、三度持ち出しました。
本当にやりたい事を持たない、それを軽視することは自身の内側を空虚にし、借り物の人生を歩むことになる。
そんな人を、善人の仮面を被り支配する存在(その人もまた自身が空虚)。
オカルトではなく現実として魂を捕まえ自分の思い通りに動かす人が居ること。
登場人物の型は、太陽、一見魅力的でも太陽の光を映すだけの月に分けられるのかも。
どうせなら自分なりに太陽の人生を送りたいと思わせてくれた本書。出来れば若い人に読んでほしい。長いけど。
著者と訳者には感謝です。
その他描写も素晴らしく、木々の芽が吹くという描写から、次の文では、上空から眺めれば〜、と一気に自分の視点をダイナミックに移動させられます。映画のコマ割りのようなこのテクニックに感嘆しました。
この小説は1943年にアメリカで出版され現在でも読まれ続けている。1998年に「20世紀の英語小説ベスト100」に、この「水源」が2位に選ばれている。アイン・ランドの他の小説も「肩をすくめるアトラス」が堂々の1位、「アンセム」が7位、「われら生きるもの」が8位である。
しかし、日本ではそもそもアメリカでのベストセラー小説かであるアイン・ランドの名前さえ一般的には知られていない。「出る杭は打たれる」という諺がある日本では、平凡な人たちの平等主義が当たり前で、天才的な主人公に共感できない人が多いのではないかと思う。
この小説の主人公は天才的な建築家である。文明や文化の発展、技術革新、経済成長、全般的な生活水準の根本は、有能な個人が自分の利益のために行う行為だろう。にもかかわらず悪しき平等主義のために彼らの足を引っ張ることは、結局はこれらを衰退させることになる。
訳者の藤森かよ子氏は本書のあとがきで、次のように書いている。
「この小説が多くの日本人に受け入れられるのならば、日本の未来にも可能性がある」
さて現実はどうか。