2005年の本。著者は書店店主の評論家。
曰く・・・
西園寺公宗の計画は、北条時行に鎌倉を回復させ、京都では自らの手で後醍醐帝を暗殺して政府を混乱せしめ、持明院統の誰かを擁立して、正中の変以前の朝廷・幕府という体制を回復することであっただろう。西園寺は、公卿内の「鎌倉派」ともいうべき地位にあった。
後醍醐帝の朝令暮改と反射的速断は日常のことだった。後醍醐帝は、自己のためには契約は結ぶが、その契約は、自己のためにはいつでも破棄できるという態度を常にとる。相互契約は相互の合意がなければ破棄できない、という考え方がまったくない。
護良親王は、自ら将軍となること、すなわち、公家の武家化によって武家の上に立とうとする。親房の考え方も公家の武家化。幕府とは基本的には武士団連合自治政権であり、武家が個々に天皇と接触することを禁じ、将軍だけが天皇に接触するという体制だから、その体制に戻しうるなら、護良親王の行動は不思議ではない。彼はこれによって尊氏以下を自分の部下とし、自分は親王であるから、朝家が武家を支配するという体制が確立するはず。「天皇親政」という建前と「武士団の存在と幕府制度の必要」という現実を「公家の武家化」によって克服しようとした試みとも思われる。彼は、それへの障害を尊氏とみた。
護良親王の権限が実質的なものなら、彼はその時代の最大の権力者となり得た。しかし、実権は一切付与されなかった。争訟を裁定する権限は将軍のものだったが、後醍醐帝の権限とされ、恩賞授与の権限もない。護良親王は朝議にも一切参加できなかったらしい。
尊氏の時代、院政は既に230年続いており、人びとに天皇が絶対的な政治の中心であるという観念はない。
摂関政治は、名目的にはあくまでも天皇の裁可が必要。法規の上では天皇の権限を侵していない。院政は上皇・法皇が天皇の上位となる制度。
日本における天皇思想とは何かといえば、後醍醐帝が自らそれに殉じた一つの思想だといえる。
すべての人は、後醍醐帝が何かの理想を抱いていることをなんとなく感じていた。帝が生きている限り、運命の転換によってその理想が帝の手によって実施されるであろうという期待を持ち続けた。おそらく帝の頭の中には一種の空想的理想体制というものがあったのだろう。後醍醐帝の施策を批判する「太平記」ですら、帝が一つの理想を持ち続けたことは少しも疑っておらず、一つの讃美がある。その讃美を基準とすれば、すべての悪は武士団に転化され、その象徴として尊氏が存在する。しかし、その尊氏自身が帝の最大の讃仰者でもある。
多くの人はその時代時代の正統思想をただ絶対の権威として生きている。しかしなぜその思想を絶対視するのかと問われれば、それを権威とする人は常に答え得ない。答え得ないがゆえにそれは思想ではなく権威となる。そして権威となったとき思想は死ぬ。権威とは常に思考の停止を命ずる存在だから。
権威は、讃美と嘆賞の対象としてのみ存続しうる。
思考を停止した者にとって、権威の滅亡は自己の心理的滅亡となる。そしてその者には未来は存在してはならないことになる。鎌倉末期には終末思想があった。後醍醐帝の登場にはこの日本的終末を否定する新しい権威の象徴という期待が人びとにあった。すべては新しく始まる。
正法に戻れ、はひとたびこれを具体化しようとすれば、古き制度に戻れとならざるを得ない。この点、後醍醐帝の行き方はまじめそのもので、いわば正統思想通りにすべてを実行しようとし、一面それは非常に当時の世論にかなった行き方でもあった。当時の正統思想を念頭に置く限り、帝の行為は非常識とはいえない。その立場から見れば、武士団は末法の世を破滅に持ち込もうとする賊だった。
後醍醐帝は、死んで政治に介入しなくなった途端、理想的君主となった。
小人は元来、君子に怨まれるのを知っている。そこで日夜、心をくだいて謀をし、事変に備える。それをまた君子は嫌う。これが一種の悪循環になり、君子が小人を嫌うほど彼らはその謀を深くし、小人は交際を密にして団結する。そうするとますます害が大きくなり、君子は怒れどもどうにもならなくなる。天下の病患は、まず小人が団結して、君子がこれを急追するときに起こる。君子は客で小人は主人という状態。
小人の悪が現れないのに外から客である君子がこれを追及すれば、小人が正しくて君子が不法なように見える。
智者なら、君子の団結を強くし、外に対してはなにも拘泥しないような顔をして小人たちの意にも逆らわないで彼らが内部分裂を起こすのを待つ。また、利益を与えてその狡智を鈍くし、その意に沿うようにして怒りをそぎ、その後に彼らの内部分裂に乗じて自然に失敗するのを推し進めて最後にとどめを刺す。
小人は追及されれば団結し、放置すれば分裂する。
後醍醐帝は訴訟人が来たときには下情が上に達しないこともありえるとして自ら判決を下した。「太平記」の著者は、天皇とは、政策・政略等に超然としたなんらかの「秩序の象徴」であるべきと考えたのだろう。したがって、天皇が自らの政略をなにびとかに向かって釈明するなどという行為はこの著者にとっては政権維持の覇道であって王道(なんらかの秩序維持)から外れた行為であり「天皇制」の死である。
太平記には本地垂迹説に基づく天皇観がある。天皇とは日本仏教化の方便を秘して、そのため故意に僧形をとらなかった、ブッダに化身し得る者の直系子孫という説。天皇への不当な行為は神仏の怒りに触れる。当時の日本では、天皇とは仏教国日本非僧職の宗教的首長、いわば、国教会首長としてのイギリス王といった地位にあった。
大統領選挙において、敗者は自らの敗北を自認して競争者の当選を認めるという儀式がアメリカにはある。多くの選挙でも同様。この儀式を拒否した大統領候補者は徹底的に非難され決定的に失脚した。法律でこの儀式が義務づけられているわけではない。法律よりも強力なタブーに彼は触れた。彼は人を差別しない証拠として、自らが当選した如くに相手の当選を喜ばねばならなかった。それを拒否した彼は、政界という学級から追放された。
北条高時が非難されるべき政治的行為を立証すべき資料は皆無に等しい。有能な政治家であったという証拠はないが、後醍醐帝のような政治的無能者でなかったことは明らか。彼は一度も朝令暮改をしていないし、幕府の組織をよく掌握していたし、出先の六波羅は鎌倉へ注進すべきことと、自らの判断で処理すべきことをよくわきまえている。
などなど。
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山本七平の日本の歴史 下 (B選書) 単行本 – 2005/2/1
山本 七平
(著)
- 本の長さ283ページ
- 言語日本語
- 出版社ビジネス社
- 発売日2005/2/1
- ISBN-10482841178X
- ISBN-13978-4828411781
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登録情報
- 出版社 : ビジネス社 (2005/2/1)
- 発売日 : 2005/2/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 283ページ
- ISBN-10 : 482841178X
- ISBN-13 : 978-4828411781
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年10月11日に日本でレビュー済み
2017年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の歴史というより、日本人の国民性とか、社会正義についての考察です。
もちろん歴史的な話もありますし、今回の主人公足利尊氏についての考察もあるわけですが基本的のその時代の正統論ってなあに?ということが骨子となっています。
ついでにそれが現在まで変わらぬ日本の国民性ということも、古典「神王正統記」とか「梅松論」をはじめ、夏目漱石の「こころ」を引用したり、当時の比叡山の門主の書どころか仏法論から中国宋代の大臣論とか(これらの中国古典は著者の得意とするところで比率おおし)までその当時の常識的判断と著者の剛腕が光る一冊です。
内容的には感心する場面も多く、筆が滑ったのか現在の差別などについての話、ベトナム戦争当時の話題なんかも入れちゃってますが一番の難所が引用文が読み下し分が「我ハ唯タダ無事ナリシヲ乞ヒ願フ」とカタカタ表記なのでとても読みにくいところ、まあ要点は流れの中でこれこれこういうことと解説しているわけですが全体的に考察と思考過程の中で著者が首をかしげながら書いている感じが強く、読み終わって読後感はその内容に圧倒され、知識欲に満足した後に何かしら「漠然とした不満」というか「不安感」が湧き上がってくる感じです。
悪くはないのですがスッキリ腑に落ちない。
はっきり言うと当時の世界情勢(冷戦時代)の空気がよくわかる一冊です。
私はこう考え分析したが、あなたはどう考えるのか?
日本とは何なのか?と問いかけられるような感覚と言うべきでしょうか?
今までスポットライトの当たっていなかった部分を焦点にした歴史分析としては秀逸なのですが視点が錯綜しすぎていて難解であるのでスッキリ歴史を理解したい人には向かないかもしれません。
面白いんですが・・・
もちろん歴史的な話もありますし、今回の主人公足利尊氏についての考察もあるわけですが基本的のその時代の正統論ってなあに?ということが骨子となっています。
ついでにそれが現在まで変わらぬ日本の国民性ということも、古典「神王正統記」とか「梅松論」をはじめ、夏目漱石の「こころ」を引用したり、当時の比叡山の門主の書どころか仏法論から中国宋代の大臣論とか(これらの中国古典は著者の得意とするところで比率おおし)までその当時の常識的判断と著者の剛腕が光る一冊です。
内容的には感心する場面も多く、筆が滑ったのか現在の差別などについての話、ベトナム戦争当時の話題なんかも入れちゃってますが一番の難所が引用文が読み下し分が「我ハ唯タダ無事ナリシヲ乞ヒ願フ」とカタカタ表記なのでとても読みにくいところ、まあ要点は流れの中でこれこれこういうことと解説しているわけですが全体的に考察と思考過程の中で著者が首をかしげながら書いている感じが強く、読み終わって読後感はその内容に圧倒され、知識欲に満足した後に何かしら「漠然とした不満」というか「不安感」が湧き上がってくる感じです。
悪くはないのですがスッキリ腑に落ちない。
はっきり言うと当時の世界情勢(冷戦時代)の空気がよくわかる一冊です。
私はこう考え分析したが、あなたはどう考えるのか?
日本とは何なのか?と問いかけられるような感覚と言うべきでしょうか?
今までスポットライトの当たっていなかった部分を焦点にした歴史分析としては秀逸なのですが視点が錯綜しすぎていて難解であるのでスッキリ歴史を理解したい人には向かないかもしれません。
面白いんですが・・・
2009年8月31日に日本でレビュー済み
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忠臣蔵に象徴される<義の共感>はどこからくるのか?論理から言えば、このあだ討ちに義などないにもかかわらず、主君への忠節をたたえる美談となる背景には、日本的心情の特質があるものと思える。2.26事件も似ている。天皇のためにと死んでいった太平洋戦争の悲惨にも通ずるところがないか?
わたしたちの無意識の底流にある日本的心情を切開してみようという著者の執拗な追及は一級品である。
わたしたちの無意識の底流にある日本的心情を切開してみようという著者の執拗な追及は一級品である。
2022年8月7日に日本でレビュー済み
山本七平さんの力作「昭和天皇の研究」を読み、その論理展開に感嘆した。太平洋戦争への展開には現人神の存在がある。昭和天皇の人間宣言まで現人神だった天皇は、いつ誰によりどうやって現人神となったのか、それをまとめたのがこの本になる。
戦国時代、それぞれが対等な戦いが行われた。明智光秀が叛逆としたのはキリシタン宣教師で、群雄割拠には強弱はあっても基本的に対等だ。勝ち抜き勝負で天下をとればそれでよい。天皇と戦う必要はない。天皇家はその時代から権力レースの蚊帳の外だった。出番があるとすれば、勝者への花束贈呈役だ。最終勝者は徳川家で、彼らは「秩序の思想」が必要になった。そして中国から借りたのが朱子学の正統論である。まず、天皇の正統性が強調され、その天皇から将軍に宣下されたのがゆえに徳川家は統治権を行使できる。
では、天皇はなぜ正統性をもつのか。林羅山は、天皇は呉の泰伯の子孫で、中国から下ってきたがゆえに日本人を支配する正統性がでるという「天皇=中国人論」とした。その後に「明」が滅びて「清」となった。清は満州に建国され漢民族を支配した韃靼の国のため、中国を「華」、日本を「夷」と上下に位置づけた「天皇=中国人論」が崩れてしまった。次に「日本こそ中国論」が出てきた。山鹿素行のように中国と書いて日本を表す人も出てきた。次に「あるべき天皇論」を「中国型皇帝理想像」として歴史的に立証するため、過去の歴史を再構成することに。例えば、水戸の『大日本史』、頼山陽の『日本外史』がそれにあたる。この歴史観は徳川後も生き続け、中国が周辺国から貢がせる中華圏を構築したように、日本がそれを果たす思想になる。つまり、八紘一宇や大東亜共栄圏につながることになってしまう。
結果、「歴史を再構成すること」と「あるべき天皇像」から尊皇思想(君主を尊崇する思想)が萌芽し、そこから現人神の原像が生まれたとしている。原典からの引用が多く、全体像を把握しにくいため、この段階の論理展開が明快ではない。山本七平さんなので、キリスト教の三位一体論との比較があってもよいとも思ったが、キリスト教の神の概念と現人神の神の概念は違いすぎるからだろうか、その視点は盛り込まれていない。しかし、「あとがき」には、三代目キリスト教徒として、戦前・戦中と、もの心がついて以来、内心においても、また外面的にも、常に「現人神」を意識し、これと対決せざるを得なかった、とある。ルーツが明確なユダヤ・キリスト教的発想からすると、必然的な自然な思考として、現人神の創作者を「戦犯」だと探索することになるのだろう。
戦国時代、それぞれが対等な戦いが行われた。明智光秀が叛逆としたのはキリシタン宣教師で、群雄割拠には強弱はあっても基本的に対等だ。勝ち抜き勝負で天下をとればそれでよい。天皇と戦う必要はない。天皇家はその時代から権力レースの蚊帳の外だった。出番があるとすれば、勝者への花束贈呈役だ。最終勝者は徳川家で、彼らは「秩序の思想」が必要になった。そして中国から借りたのが朱子学の正統論である。まず、天皇の正統性が強調され、その天皇から将軍に宣下されたのがゆえに徳川家は統治権を行使できる。
では、天皇はなぜ正統性をもつのか。林羅山は、天皇は呉の泰伯の子孫で、中国から下ってきたがゆえに日本人を支配する正統性がでるという「天皇=中国人論」とした。その後に「明」が滅びて「清」となった。清は満州に建国され漢民族を支配した韃靼の国のため、中国を「華」、日本を「夷」と上下に位置づけた「天皇=中国人論」が崩れてしまった。次に「日本こそ中国論」が出てきた。山鹿素行のように中国と書いて日本を表す人も出てきた。次に「あるべき天皇論」を「中国型皇帝理想像」として歴史的に立証するため、過去の歴史を再構成することに。例えば、水戸の『大日本史』、頼山陽の『日本外史』がそれにあたる。この歴史観は徳川後も生き続け、中国が周辺国から貢がせる中華圏を構築したように、日本がそれを果たす思想になる。つまり、八紘一宇や大東亜共栄圏につながることになってしまう。
結果、「歴史を再構成すること」と「あるべき天皇像」から尊皇思想(君主を尊崇する思想)が萌芽し、そこから現人神の原像が生まれたとしている。原典からの引用が多く、全体像を把握しにくいため、この段階の論理展開が明快ではない。山本七平さんなので、キリスト教の三位一体論との比較があってもよいとも思ったが、キリスト教の神の概念と現人神の神の概念は違いすぎるからだろうか、その視点は盛り込まれていない。しかし、「あとがき」には、三代目キリスト教徒として、戦前・戦中と、もの心がついて以来、内心においても、また外面的にも、常に「現人神」を意識し、これと対決せざるを得なかった、とある。ルーツが明確なユダヤ・キリスト教的発想からすると、必然的な自然な思考として、現人神の創作者を「戦犯」だと探索することになるのだろう。
2005年3月11日に日本でレビュー済み
例えば皆さんは「天皇制」について次の様に考えた事はないでしょうか?
「何故、天皇は自ら政治を行なわないのだろう?」「何故、首相や昔の将軍は自ら天皇になろうとしなかったんだろう?」「そもそも権威を皇室が司り、実務は時の有力者が行なう制度って合理的と言えるか?」等々。本書は天皇制に対する「素人質問」(つまりは本質をついた質問)に対して、プロが「天皇制とは~である」と答えている数少ない良書です。日本の歴史を考える上で、深い考察においては「天皇とは?」との設問に答えておく必要があります。全日本人の基礎的素養として勧めます。
「何故、天皇は自ら政治を行なわないのだろう?」「何故、首相や昔の将軍は自ら天皇になろうとしなかったんだろう?」「そもそも権威を皇室が司り、実務は時の有力者が行なう制度って合理的と言えるか?」等々。本書は天皇制に対する「素人質問」(つまりは本質をついた質問)に対して、プロが「天皇制とは~である」と答えている数少ない良書です。日本の歴史を考える上で、深い考察においては「天皇とは?」との設問に答えておく必要があります。全日本人の基礎的素養として勧めます。
2005年4月2日に日本でレビュー済み
上巻では、我々の日常が下克上の世界であることを説き、この下巻では、日々の行動様式が、いかに中国の属国であることによる、暗黙の行動に縛られているかが説かれる。いよいよ私たちの日常生活の寄ってたつところのルールが明らかにされる。
2007年11月17日に日本でレビュー済み
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氏の作品は数多く拝読しているのだが、その中でも一番の難しい本だと思う。
作中に数多く古文・漢文が掲載されているのだが作者は当然読者が理解しているものとして
話を進めていくので、若造の私には読破するのに1週間を費やしました。
なので、途中で頭がこんがらがったり、何度もあきらめかけました
ただ幸いにして最後にまとめのような形で話がまとめられているので、それに助けられました。
中身に関しては、作者自身、このようなテーマは壮大すぎて時間との戦いの側面もあったとの主旨を述べていますが結論として中途半端で課題は残されたかのように見えます
しかしこのようなテーマをリベラルの立場から論じたものはあっても、保守の立場からこのテーマに挑み、その問題の保守から見て嚆矢となったのは作者の功績と言えると思う
課題は後世に引き継がれたが、その後継者と目される人物が論壇で未だ登場しないのは悲しい性か。
作中に数多く古文・漢文が掲載されているのだが作者は当然読者が理解しているものとして
話を進めていくので、若造の私には読破するのに1週間を費やしました。
なので、途中で頭がこんがらがったり、何度もあきらめかけました
ただ幸いにして最後にまとめのような形で話がまとめられているので、それに助けられました。
中身に関しては、作者自身、このようなテーマは壮大すぎて時間との戦いの側面もあったとの主旨を述べていますが結論として中途半端で課題は残されたかのように見えます
しかしこのようなテーマをリベラルの立場から論じたものはあっても、保守の立場からこのテーマに挑み、その問題の保守から見て嚆矢となったのは作者の功績と言えると思う
課題は後世に引き継がれたが、その後継者と目される人物が論壇で未だ登場しないのは悲しい性か。
2006年2月26日に日本でレビュー済み
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(上巻のレビューの続き)
本書で著者は、南北朝期以前と以後で天皇制の質が変わったと述べている。そして、天皇登場以来、ずっと同じ天皇制が維持されているという単純な考えをとる人たちこそが、実は本当の皇国史観の持ち主だと指摘している箇所がある。
また、『神皇正統記』や『太平記』などの古典からの引用が、原文のまま多数登場する。
古典や、近代より前の歴史が不得手そうな本多勝一を相当意識して、著者は本書を書き上げたような気がするのだが、どうであろうか?
本書で著者は、南北朝期以前と以後で天皇制の質が変わったと述べている。そして、天皇登場以来、ずっと同じ天皇制が維持されているという単純な考えをとる人たちこそが、実は本当の皇国史観の持ち主だと指摘している箇所がある。
また、『神皇正統記』や『太平記』などの古典からの引用が、原文のまま多数登場する。
古典や、近代より前の歴史が不得手そうな本多勝一を相当意識して、著者は本書を書き上げたような気がするのだが、どうであろうか?