「当たり前」程言葉に直す頃は難しい。何故なら当たり前な事は言葉に出す必要がなく、言葉に出す必要がなければ考える必要もないからだ。当たり前を体感としては「知っている」が言葉として「人には説明できない」。これは今日のグローバル社会にとっては非常に困った状態である。
日本人にとっての「当たり前」を見事に明文化、証明した本書はあらゆる場面で応用が効くだろう。同時に日本人として知って置かなければならない基本的な発想が随所に詰まっている。この本が30年以上前に出たのが信じられないが、これは今も昔も変わらぬ当たり前を証明している故の感想なのだろう。
本書の内容構成は「日本の資本主義精神の原点(絶対的権威)」と「原点に基づく組織運営」。そして「原点の源流となる思想家」を挙げ、「源流に基づく経営危機的状況からの復活」として見事な財政改革を成し遂げた上杉鷹山を紹介する。ここで登場する革命に反対する家臣達の立ち振舞いの様子は、今日の政治家に非常によく似たタイプである事に驚きを隠せない。こうしたタイプの人間が「日本資本主義の精神」に基づくデメリットとして紹介され、紹介程度に対処法も記している。本書の終盤ではこうした精神は現代社会に深く根を卸している事を証明する為にTOYOTAの「カンバン方式」や、基本的な労働意識、組織運営に対する意識を紹介している。
本書を通して日本人の「当たり前」を把握し、メリット部分は更に伸ばすように、デメリット部分は慎重に抑える様に行動出来れば、どの様な未来が到来しても活躍出来る人材になれるだろう。
なお、本書は1979年に創刊、2006年に改めて再販された形である。
表紙にある「美しき品格」やら「優秀な知恵」を紐解くような本文は一切無く、再販を企画した会社が適当に付けたキャッチフレーズだと思われる。
勘違いしないように
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日本資本主義の精神 (B選書) 単行本 – 2006/4/1
山本 七平
(著)
- 本の長さ287ページ
- 言語日本語
- 出版社ビジネス社
- 発売日2006/4/1
- ISBN-104828412662
- ISBN-13978-4828412665
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登録情報
- 出版社 : ビジネス社 (2006/4/1)
- 発売日 : 2006/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 287ページ
- ISBN-10 : 4828412662
- ISBN-13 : 978-4828412665
- Amazon 売れ筋ランキング: - 311,691位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 277位日本論
- - 5,872位社会学概論
- - 31,983位ビジネス・経済 (本)
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2012年10月14日に日本でレビュー済み
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2021年9月10日に日本でレビュー済み
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ざっと目をとおしただけです。なるほどと思う箇所もあります。しかし著者の世界観には女性が人間としてほとんど存在していない気がしました。
2011年6月24日に日本でレビュー済み
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日本の社会を動かす見えざる原則とは何か?日本の社会は本当に資本主義といえるのだろうか?世界の何処にでもあって日本にだけないもの、それは契約を基礎としたところの宗教乃至は規範、そして血縁だという。日本は漠然と血縁社会だとばかり思っていた私には意外な思いがした。日本では機能集団がすぐに共同体に転化し一種の強固な擬制の血縁集団と化してしまう。西欧でも共同体維持のため犠牲はもちろん払う。ただし西欧では機能集団と共同体がはっきりと分化している。
事例はいささか古いが、国鉄は運送業であり、そのすべてが輸送のために機能している筈である。ところが現実には国鉄一家という共同体を維持するために機能し、輸送という本来の機能は、手段と化している。日本の敗戦の最大の要因は、軍部(軍隊一家)というべき共同体の要請がすべてに優先し、国民はその要請に対応すべき存在とされてしまったことである。軍共同体維持のため、機能集団たる軍隊が機能するという状態である。
日本では資本主義の論理は藩の中で醸成されてきたという。藩という機能集団兼共同体の中に現在の日本企業の原型を見ることが出来る。鈴木正三の宗教的労働観に始まる「私欲なき経済的合理性の追求とそれに基づく労働」が現代にも脈々と受け続がれている。
日本の社会構造に対応する日本人の精神構造の本質を山本七平が見事に説き明かす。日本の伝統に基づく資本主義の精神を再把握する、ゾクゾクするほど面白い本。
事例はいささか古いが、国鉄は運送業であり、そのすべてが輸送のために機能している筈である。ところが現実には国鉄一家という共同体を維持するために機能し、輸送という本来の機能は、手段と化している。日本の敗戦の最大の要因は、軍部(軍隊一家)というべき共同体の要請がすべてに優先し、国民はその要請に対応すべき存在とされてしまったことである。軍共同体維持のため、機能集団たる軍隊が機能するという状態である。
日本では資本主義の論理は藩の中で醸成されてきたという。藩という機能集団兼共同体の中に現在の日本企業の原型を見ることが出来る。鈴木正三の宗教的労働観に始まる「私欲なき経済的合理性の追求とそれに基づく労働」が現代にも脈々と受け続がれている。
日本の社会構造に対応する日本人の精神構造の本質を山本七平が見事に説き明かす。日本の伝統に基づく資本主義の精神を再把握する、ゾクゾクするほど面白い本。
2007年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山本七平氏の日本に関する著作は、氏の軍隊経験に基づいて日本的システムの短所を指摘しているものがほとんどである。しかし短所を裏返せば長所になるわけで、本書は氏の著作としては珍しく?、日本的システムを肯定的に捉えている。
確かに、無謀な戦争を始めて敗戦に至ったのも日本的システムによるものであるが、明治維新や敗戦後の混乱期を見事に乗り切ったのも日本的システム、本書で言うところの「日本資本主義の精神(日本資本主義の論理と倫理)」である。
日本的な資本主義は日本人の無意識的な思考・行動の上に成り立っているので、それを客観的に捉えることは非常に難しい作業のはずであるが、氏は見事にそれを成し遂げている。本書の初刊本は昭和54年発行であるにも関わらず、その内容は今でも全く色褪せていない。
確かに、無謀な戦争を始めて敗戦に至ったのも日本的システムによるものであるが、明治維新や敗戦後の混乱期を見事に乗り切ったのも日本的システム、本書で言うところの「日本資本主義の精神(日本資本主義の論理と倫理)」である。
日本的な資本主義は日本人の無意識的な思考・行動の上に成り立っているので、それを客観的に捉えることは非常に難しい作業のはずであるが、氏は見事にそれを成し遂げている。本書の初刊本は昭和54年発行であるにも関わらず、その内容は今でも全く色褪せていない。
2012年1月29日に日本でレビュー済み
山本七平、ユダヤ名、イザヤ・ベンダサンの名作の一つ。
日本人の商いへの意識は元禄時代に形作られたという説を解説しています。
・当時の奉公人(今のサラリーマン)は、日々の仕事を「仏行」として励んだ。
・人により、番頭頭までの出世で止めるか、暖簾分けして独立開業するか、選択の余地
があった。例として、石田梅岩という人物を挙げている。彼は40半ばにして退職して
私塾を開いた。
・これらを日本資本主義の原点とみなせる。その大元は、今の愛知県岡崎市に居た禅僧
鈴木正三の思想にあった。
政局の不安定ぶり、外交・経済の無策、「維新の会」等の新興勢力台頭、日系企業の
生産拠点移転による空洞化、貿易黒字の終焉、膨大な国債、これらを目に前にして我々が
できることは、明治期の分水嶺を越えて来た価値ある日本人の原点に戻ること、そう思い
ます。そして、仮に海外に出る機会のある日本人が真に評価されるのは「日本人らしく
あること」この一点でしょう。
レビュワーは、将棋や囲碁を嗜んで来て良かった、心からそう思いました。いずれも江戸
時代から連綿と続く古典芸能の分野です。米国人との会話で一番興味を惹いた内容、
それは「日本人の歴史観は将棋の持ち駒のように過去の経緯を記憶している点にある」
こんな話をしたときでした。"That could make sense, interesting!"と返されました。
残念ながら、明治期の誤った急進派のような人種が幅を効かせ、諸外国のモノマネに走り
がちな昨今、今こそ山本七平の日本論を紐解いてみるのも良いのではないでしょうか?
時事ネタとして「江川卓の空白の1日」問題を法精神から解き明かす記述が見られますが、
「あれ?こんなに旧い時代の内容とは思えないぞ」という違和感すら覚えるほど、今の
時代を生きる私の心にfitしました。
日本人の商いへの意識は元禄時代に形作られたという説を解説しています。
・当時の奉公人(今のサラリーマン)は、日々の仕事を「仏行」として励んだ。
・人により、番頭頭までの出世で止めるか、暖簾分けして独立開業するか、選択の余地
があった。例として、石田梅岩という人物を挙げている。彼は40半ばにして退職して
私塾を開いた。
・これらを日本資本主義の原点とみなせる。その大元は、今の愛知県岡崎市に居た禅僧
鈴木正三の思想にあった。
政局の不安定ぶり、外交・経済の無策、「維新の会」等の新興勢力台頭、日系企業の
生産拠点移転による空洞化、貿易黒字の終焉、膨大な国債、これらを目に前にして我々が
できることは、明治期の分水嶺を越えて来た価値ある日本人の原点に戻ること、そう思い
ます。そして、仮に海外に出る機会のある日本人が真に評価されるのは「日本人らしく
あること」この一点でしょう。
レビュワーは、将棋や囲碁を嗜んで来て良かった、心からそう思いました。いずれも江戸
時代から連綿と続く古典芸能の分野です。米国人との会話で一番興味を惹いた内容、
それは「日本人の歴史観は将棋の持ち駒のように過去の経緯を記憶している点にある」
こんな話をしたときでした。"That could make sense, interesting!"と返されました。
残念ながら、明治期の誤った急進派のような人種が幅を効かせ、諸外国のモノマネに走り
がちな昨今、今こそ山本七平の日本論を紐解いてみるのも良いのではないでしょうか?
時事ネタとして「江川卓の空白の1日」問題を法精神から解き明かす記述が見られますが、
「あれ?こんなに旧い時代の内容とは思えないぞ」という違和感すら覚えるほど、今の
時代を生きる私の心にfitしました。
2011年1月3日に日本でレビュー済み
山本七平氏の著書は以前「人望の研究」を読んだときにも非常に深いなーと感服したのですが、今回も論旨が明快で考察が深く非常に良かったです。この本のテーマは簡単に言えば、日本的資本主義の特徴とその成立に対する考察といった感じでしょうか。
まず、日本的資本主義というか日本人社会の特徴として、機能集団イコール擬似的な血縁関係のような共同体を形成するという特異性を指摘。これは江戸時代以来の日本の伝統だそうです。江戸時代は、室町末期から戦国時代の戦乱がやっと終結して、文化・思想・経済が大発展していく時代です。(戦を抑える目的で戦争技術だけは発展しませんでした)
明治維新や昭和の戦後のように、革命的に体制が代わると、それ以前の歴史を否定し、歴史の長所を封印するのはよく行なわれることですが、非常に勿体ないことです。また勿体ないだけでなく、人間はそれ以前の歴史的伝統や思想を土台にして生きているため、行動や思考の原典や根拠が不明確になってしまうという、重大な欠点があります。実際、現代の日本人のほとんどは、戦前の歴史を正しく教えてもらっていないため、何故日本人がこれほど優秀なのかが分かっていないようです。
さて、山本氏は日本的資本主義の源流として、江戸時代前期と後期の思想家を上げています。
禅宗であった江戸前期の思想家の説から、士農工商の四民の業はそれぞれ即ち仏業であるとして、官業も農業も工業も商業も利得を目指さず、ただ世のため人のためと業を行なうことは尊い行いで、結果としての利潤はこれを否定しない、という立場です。商業とは自由を為さしめるための重要な行いであり行商は巡礼なのだそうです。そうしてみると日本的エコノミックアニマルのワーカホリックな仕事も、禅の思想と根本が同じいうことです。日本人なら感覚的にイミが分かると思いますが、外国人には理解不能でしょう。
日本的資本主義は、機能集団=共同体、仕事=仏業という点で、世の為人の為仲間と共同体の為、無私の精神で働きまくる一面で非常にうまく機能しますが、同時に欠点も抱えています。その欠点とは、機能集団=共同体であるが故に、仲間を簡単に切れず、ドライになりきれないため、非生産的になり易いことです。
そのため山本氏は、日本の社会は常に倒産が必要な社会だと指摘します。共同体の保護のために機能性が弱くなり非生産的になりすぎたとき、機能集団は倒産せざるを得なくなるからです。現在の農業や、超赤字の地方自治体など官業も、下手に保護などせずに一度倒産させないと、本来の意味での再生は出来ないのかもしれません。
もうひとつの問題点は、仕事=仏業であるため、日本人は働かないでぶらぶらすることを極端に嫌います。これは外国人には信じられないことでしょう。ここから一つの問題点が出てきます。「ニンベンの有無」がそれです。組織として、働かないでただ動いているだけの余剰人員をどうするか、という問題に繋がってくるのです。これに対する答えの一つとして、「ニンベンの有無」と喝破したトヨタの大野耐一副社長の提唱したカンバン方式が出てくるのです。
この本では、資本の論理に則って経済改革を断行した、江戸時代の有能官僚としての藩主(藩民主主義)なども紹介しています。そして十分に経験を積んだそれらの藩があったらか、最悪な状態だった明治維新がなんとか成功したのだろう、と考察しています。
まず、日本的資本主義というか日本人社会の特徴として、機能集団イコール擬似的な血縁関係のような共同体を形成するという特異性を指摘。これは江戸時代以来の日本の伝統だそうです。江戸時代は、室町末期から戦国時代の戦乱がやっと終結して、文化・思想・経済が大発展していく時代です。(戦を抑える目的で戦争技術だけは発展しませんでした)
明治維新や昭和の戦後のように、革命的に体制が代わると、それ以前の歴史を否定し、歴史の長所を封印するのはよく行なわれることですが、非常に勿体ないことです。また勿体ないだけでなく、人間はそれ以前の歴史的伝統や思想を土台にして生きているため、行動や思考の原典や根拠が不明確になってしまうという、重大な欠点があります。実際、現代の日本人のほとんどは、戦前の歴史を正しく教えてもらっていないため、何故日本人がこれほど優秀なのかが分かっていないようです。
さて、山本氏は日本的資本主義の源流として、江戸時代前期と後期の思想家を上げています。
禅宗であった江戸前期の思想家の説から、士農工商の四民の業はそれぞれ即ち仏業であるとして、官業も農業も工業も商業も利得を目指さず、ただ世のため人のためと業を行なうことは尊い行いで、結果としての利潤はこれを否定しない、という立場です。商業とは自由を為さしめるための重要な行いであり行商は巡礼なのだそうです。そうしてみると日本的エコノミックアニマルのワーカホリックな仕事も、禅の思想と根本が同じいうことです。日本人なら感覚的にイミが分かると思いますが、外国人には理解不能でしょう。
日本的資本主義は、機能集団=共同体、仕事=仏業という点で、世の為人の為仲間と共同体の為、無私の精神で働きまくる一面で非常にうまく機能しますが、同時に欠点も抱えています。その欠点とは、機能集団=共同体であるが故に、仲間を簡単に切れず、ドライになりきれないため、非生産的になり易いことです。
そのため山本氏は、日本の社会は常に倒産が必要な社会だと指摘します。共同体の保護のために機能性が弱くなり非生産的になりすぎたとき、機能集団は倒産せざるを得なくなるからです。現在の農業や、超赤字の地方自治体など官業も、下手に保護などせずに一度倒産させないと、本来の意味での再生は出来ないのかもしれません。
もうひとつの問題点は、仕事=仏業であるため、日本人は働かないでぶらぶらすることを極端に嫌います。これは外国人には信じられないことでしょう。ここから一つの問題点が出てきます。「ニンベンの有無」がそれです。組織として、働かないでただ動いているだけの余剰人員をどうするか、という問題に繋がってくるのです。これに対する答えの一つとして、「ニンベンの有無」と喝破したトヨタの大野耐一副社長の提唱したカンバン方式が出てくるのです。
この本では、資本の論理に則って経済改革を断行した、江戸時代の有能官僚としての藩主(藩民主主義)なども紹介しています。そして十分に経験を積んだそれらの藩があったらか、最悪な状態だった明治維新がなんとか成功したのだろう、と考察しています。
2015年8月23日に日本でレビュー済み
無宗教に見える日本人の精神の底流には、神仏儒の善の知恵が流れている。それは、日本人独特のものである一方で、アメリカ人の底流にあるピューリタン精神に通じるところもある。そしてその基礎を作ったのが、無名の転職者の鈴木正三とサラリーマンの石田梅岩であったという面白さ。まさに「CSRは日本にもともとあった」。そしてそれは、海外の進歩的知識を貪欲に取り入れながら、しかし先人たちが連綿と受け継いできた良心を信じてそれに照らしながら、むしろ職業人であり生活に追われる市民の側でこそ育まれてきた。日本人であることに誇りを感じられた。
2011年8月1日に日本でレビュー済み
本書は、日本人が江戸時代から持ち続けている、「働く」という事に対する精神構造及び社会構造を語ったものです。
「日本の組織は擬似血縁組織」「労働は宗教的行為」、など、言われてみれば納得してしまうことばかり。
これでは「擬似家族の一員ではなく」「労働を売っている」派遣労働者やフリーターの待遇が悪いのは必然でしょう。
また、労働が仏行であるというなら、定年退職後の生き方指南書が大量に出回る理由もわかりますし、
「仕事にしか生き甲斐を持てない日本人」という言葉にはちょっと誤解があることもわかります。
と、いちいち感心しながらページをめくるのですが、読み終わってみると「当たり前のことばかり書いてあったな」
という感慨が残ります。そして、この「当たり前のこと」を言葉でわかりやすく表現したものにはあまりお目にかかれないのです。
およそ30年前に書かれた社会分析の本が、現在の我々に「常識を教えてくれる」という事実には驚くほかありません。
「日本の組織は擬似血縁組織」「労働は宗教的行為」、など、言われてみれば納得してしまうことばかり。
これでは「擬似家族の一員ではなく」「労働を売っている」派遣労働者やフリーターの待遇が悪いのは必然でしょう。
また、労働が仏行であるというなら、定年退職後の生き方指南書が大量に出回る理由もわかりますし、
「仕事にしか生き甲斐を持てない日本人」という言葉にはちょっと誤解があることもわかります。
と、いちいち感心しながらページをめくるのですが、読み終わってみると「当たり前のことばかり書いてあったな」
という感慨が残ります。そして、この「当たり前のこと」を言葉でわかりやすく表現したものにはあまりお目にかかれないのです。
およそ30年前に書かれた社会分析の本が、現在の我々に「常識を教えてくれる」という事実には驚くほかありません。