原爆を開発したマンハッタン計画の端緒が、ナチスやヒトラーに原爆を持たせるのは極めて危険だ、そのためには先に開発すべきだという科学者たちの危機意識にあったことはかなり知られている。その背景にあるのは、ウランや重水の存在に加え、当時の物理学者のなかでも、傑出した存在だったハイゼンベルクがドイツにとどまっていたことも挙げられる。本書は、そのハイゼンベルクを中心にしたドイツの科学者、ニールス・ボーアやアメリカでマンハッタン計画に関わった科学者に加え、グローヴスら軍人やヨーロッパで諜報活動に従事した人々の動向を追いながら、ハイゼンベルクがどのような言動をしたのか、それを反ナチスの科学者たちがどう受け止めたのか、そしてドイツにおける原爆開発の実態を描いたもの。
文庫版が刊行して間もない頃に読み、四半世紀ぶりの再読になる。原題は『HEISENBERG’S WAR』。そのまま邦訳すれば『ハイゼンベルクの戦争』もしくは『ハイゼンベルクの戦い』となるが、邦題の方が分かりやすいと言える。上下で約1000ページである。
訳注がないこともあって、物理学史や物理学者に詳しくない人は、やや戸惑うかもしれない。ただ、主だった人物たちはかなり著名だし、核分裂の知識が多少おぼつかなくてもどうにかなるので、物理学は専門外の私でも読み進めることは難しくなかった。
第二次世界大戦中のハイゼンベルクの言動に関して言えば、ボーアを含め少なくない科学者たちが怒りを感じたのが分からないでもない。ナチスに対して距離感をとっているものの、原爆の問題も含め曖昧な発言が多いし、相手の立場を慮らない言葉も見られる。しかし、著者自身は、ハイゼンベルクが戦後も含め言葉足らずだったことについては批判的なものの、彼の原爆開発に対する考えは終始一貫していたと捉えているし、それは納得できるものだ。これは私の考えでしかないが、ハイゼンベルクに批判的だった人、特にマンハッタン計画に関わった科学者の場合、原爆が実戦使用されたこと、その惨状に対する後ろめたさがあったとも推測できる。
全体のクライマックスは下巻300ページ以降の、元大リーガーでOSSの機関員でもあったモー・バーグがスイスでハイゼンベルクに接触するあたり。スリリングで興味深い。しかし、ハイゼンベルクの誘拐や殺人まで計画されていたことには戦争というものの酷薄さを強く感じる。
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