いま現在、自分の目の前で動いているはずの現実を、まるでもう終わってしまったかのように、すでに思い出しているかのように、眺めている。自分という不思議な存在の言動を、その自分からは遠いどこかの場所で、見聞きしながら生きているという感覚。こういう気分を味わったことがあるのなら、そして、その気分をできるだけ厳密で、同時に詩的な言語で表現したものが知りたいのなら、この本を一読してみることを、推薦します。その種の感情を、おそらく日本で最も深く長く経験し、それを自分が没頭してきた小説のなかに読み込もうとしてもだえてきたのが、この著者であるからです。
本書でたどられるのは、戦後の文学における憂鬱な気分の系譜でありますが、射程はもう少し、広いと思います。今まさに生きている自分に気づき、それがやがて死ぬことを知ってしまうのが、私たち人間の特権であり、悲しき義務であるのだから、その感傷で文芸をするこの名作は、一方で人類すべてをにらんでいるのです。
文庫版の「あとがき」によれば、著者は昔ほどメランコリーに襲われなくなった、といいます。著者の関心が「身体」というより物理・自然的なものにむかい、「青春」という近代の意義を解剖することに、一定程度、成功したからでしょうか。まだまだ、軽率な答えはだせませんが、いずれにせよ、いまだに本書が鬱の文学論の傑作であるという事実は、かわりません。
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