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社会学の作法 初級編 単行本 – 1995/3/1
野村 一夫
(著)
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社文化書房博文社
- 発売日1995/3/1
- ISBN-104830107197
- ISBN-13978-4830107191
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
社会を討議する「見識ある市民」へのイニシャル・ステップとして。社会学的な「読み書き討論」の原則をコミュニケーション論の立場から問う。
登録情報
- 出版社 : 文化書房博文社 (1995/3/1)
- 発売日 : 1995/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 222ページ
- ISBN-10 : 4830107197
- ISBN-13 : 978-4830107191
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,191,486位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,048位社会一般関連書籍
- - 44,549位社会学概論
- - 172,864位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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社会学者。渋谷にある国学院大学の経済学部教授。おもに情報メディアコースの主要科目と演習(メディア文化論)基礎演習を担当。20世紀は「ソキウス」(http://socius.jp)最近はブログ(http://nomurakazuo.com)複数を公開中。オフィスはシブヤイースト。
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2023年10月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本の状態は説明通りでした。配達日も予定通りに届きました。
2018年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ありがとうございます。
読んでいて、思考が動かされました。
他者の思考と考察に触れる機会をもっと増やさないとと
考えました。
読んでいて、思考が動かされました。
他者の思考と考察に触れる機会をもっと増やさないとと
考えました。
2004年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は「見識ある市民」になろうと呼びかけています。
「見識ある市民」とは、お手軽な結論に走らず、階層的制約や利害関係の拘束から自由な存在であり「反省する社会」の担い手になる人々です。その担い手がいなくなると社会は反省をしなくなり、既存の常識の範囲内で知識が循環することになります。そうなると、どんなにおかしくても常識は常識として片付けられる社会(つまり反省のない社会)になってしまいます。
そうならないために「見識のある市民」の育成が必要になってきます。その「見識ある市民」に必要な基礎体力である「社会学的リテラシー」をいかに身につけるかがこの本に記されています。
「社会学的リテラシー」を身につけることにより、常識の拘束から自由に現実を理解し、それを媒介にして社会を反省的に改訂することができるようになり、さらには不公正な社会を実践的に変革することに通じると著者は言っています。
私は、常識を常識だからと納得してしまう人が社会にあまりに多いと思います。そうやって何も考えずに納得してきたから、集団でよからぬ方向へ突き進んでしまうのでしょう。今後、「見識ある市民」が増えなければ、また知らぬ間に集団で変な方向に突き進むことも大いに考えられます。そんなことが起こらないためにも、少なくとも私は社会学的リテラシーを身につけ「見識のある市民」になりたいと思いました。
「見識ある市民」とは、お手軽な結論に走らず、階層的制約や利害関係の拘束から自由な存在であり「反省する社会」の担い手になる人々です。その担い手がいなくなると社会は反省をしなくなり、既存の常識の範囲内で知識が循環することになります。そうなると、どんなにおかしくても常識は常識として片付けられる社会(つまり反省のない社会)になってしまいます。
そうならないために「見識のある市民」の育成が必要になってきます。その「見識ある市民」に必要な基礎体力である「社会学的リテラシー」をいかに身につけるかがこの本に記されています。
「社会学的リテラシー」を身につけることにより、常識の拘束から自由に現実を理解し、それを媒介にして社会を反省的に改訂することができるようになり、さらには不公正な社会を実践的に変革することに通じると著者は言っています。
私は、常識を常識だからと納得してしまう人が社会にあまりに多いと思います。そうやって何も考えずに納得してきたから、集団でよからぬ方向へ突き進んでしまうのでしょう。今後、「見識ある市民」が増えなければ、また知らぬ間に集団で変な方向に突き進むことも大いに考えられます。そんなことが起こらないためにも、少なくとも私は社会学的リテラシーを身につけ「見識のある市民」になりたいと思いました。