アッカーマン著『評伝J・G・フレイザー』
フレイザー研究者による学問的検討を含む力作評伝である。
フレイザーの人類学は文学をやっている人間にとっては、それが文学に及ぼした影響という観点からはもとより、それ自体が一個の文学作品として読まれ得るという点で興味をそそる。
したがって、人類学の今日の水準からみて、フレイザーの学問は時代遅れであるとしても、文学作品としては今日なお不思議な魅力を放ち続けていると言わねばならない。アッカーマンの評伝はその魅力をフレイザーの文学的文体に求めている。しかし、それだけにとどまらない秘密が『金枝篇』にはあって、それはまだ解明され尽くしていない。アッカーマンに期待したのはその解明だった。
期待はかなり満たされた。これだけの伝記を書ける人はめったにいない。フレイザーの人となりや学風や生涯のさまざまな出会いについて、大いに知識が拡充されたことは事実である。しかし、肝心の謎の本体は依然として霧に包まれているという印象が残るのも事実だ。
フレイザーは生涯を通じて非キリスト教徒であった。合理主義者として生きた。八十七歳で世を去るまで、根っからの研究者・学者として生きた。古代未開の呪術と古典の世界に沈潜し、晩年突然視力を失った。にもかかわらず助手を使って研究と著述を続行して止むことがなかった。アッカーマンはこう言っている。
「晩年に発表した研究作品について考えてみると、なかでももっとも印象的なのは、この晩年の仕事は今日まで生き延びているということである――つまり、彼は、実際上は生涯の終わりまで研究活動を続けることができたのであった。」
フレイザーが自らの天職と考えた仕事をけっして放棄しなかったことだけは確かである。それはわれわれの称賛に値する。
「フレイザーにとっては、研究は日常的な仕事であるばかりか、生きる根拠そのものでもあった」とアッカーマンも書いている。研究と著述がフレイザーの生きがいだったことは疑いのない事実であろう。
しかし、解明を期待したフレイザーの秘密ないし謎とは、フレイザーが自らは信仰に依拠することなく、人類の歴史を呪術から宗教へ、宗教から理性へと、進化論的にとらえていながら、どうして、二つの世界大戦のもたらした未曾有の衝撃にほとんどびくともせずにいられたのか、ということなのだ。
フレイザーが死んだのは一九四一年五月だった。第二次大戦の最中だった。(同日数時間後に夫人も死んでいる。)従来誤ってフレイザー夫妻は爆撃によって死亡したと伝えられてきた。岩波文庫の訳者解説にもそう書かれている。いずれにせよ、フレイザーの死が戦争の災禍によるものではなく、また戦争に精神的な打撃を受けた結果であるという証拠もない。少なくともアッカーマンはそのように書いてはいない。
フレイザーは二度の大戦前に、ある講演をおこなった。一九〇八年四月、リヴァプール大学就任講演「社会人類学の眺望」である。
そのなかで彼は人類史の深淵をのぞき見た者の暗澹たる未来像を語った。それを語るフレイザーの風貌は合理主義者というよりも、むしろ預言者を思わせるものだったかもしれない。文明はもろい建築物のようなものであること、それは人類のうちのごく少数の啓発された指導者の思想によって共同で秘密のうちに作り上げられた。
「学問を身に付けてこの問題に取り組んだ人間のみが、我々の足元の地面の下がこのような状態、見えない力によってまるで蜂の巣のようになっているのに気づく。私たちはまるで、火山の上に立っているかのようだ。それはいつ何どき煙や炎を上げて噴火し、何世代もの人の手によって一生懸命作り上げられた古代文明の庭園や宮殿に瓦礫を撒き散らしてしまうかもしれない。」
六年後に全西欧を覆い尽くす戦火の兆しが、このときすでにフレイザーには見えていたのかとさえ思わせるような予言性を持った言葉である。
右の言葉について、アッカーマンはこう記している。
「ここには人間性と社会機構の普遍の本質について彼が抱いていた概念がよく分かる。社会は本質的に険しいピラミッド型をしており、これからもずっと大きな部分を占める暗い最下層部の上に成り立つ。福音書の書き直しをおこなったとき、フレイザーは次のように述べている。我々は常に無知な人々ともにあり、優れた者たちの思想が何とか大衆にまで浸透したとしても(もしそんなことがあるとしたらであるが)、その頃には古びた不適切なものになっており、頂点と下部の精神的な距離はけっして縮まりはしない。」
アッカーマンはフレイザーが自分では気づいていた人類史の深淵に深く身を投じる代わりに、その危険な地点から引き返したと言っている。そしてこう書いている。
「足元で沸き立つ人間のマグマをはっきり知覚した結果、彼は自分の見たものとそれを変える不可能性の双方に怯んでしまった。それは、彼の進化と理性の力への信奉とを完全に否定するものである。フレイザーが聴衆に対し人類学のこのような不吉な末路を示すことは二度となく、この講演そのものが行われなかったもののように扱われた。」
深淵を前に立ち止まり、その地点から引き返したフレイザーから認識のバトンを受け取り、深淵に果敢に挑んだ人がいた。それはマリノフスキーやロスコーのようなフレイザーの弟子筋に当たる人類学者たちではなかった。一人の精神分析学者だった。つまりフロイトであった。これは一つのアイロニーというべきである。というのは、フロイトはフレイザーのトーテム論に刺激を受けたのに対して、フレイザーはフロイトの心理学に興味を持たず、したがって理解も評価もしようとはしなかったからだ。
アッカーマンは評伝作者のつつましさからか、フレイザーが人類の未来に見てとったものの深刻さの分析をあえてすすめようとはしていない。ただ、次のような意味深長な一節を付け加えている。
「フロイトはフレイザーの辿り着いた地点を踏み越えて火山の奥に進んでいく。」
だが、フロイトに関しては別の話になる。
フレイザーが自分の洞察の恐ろしさから退いたのに対して、英米文学の幾多の才能が、文学という領域のなかでその洞察に立ち向かって行った。
日本人であるわたしには、キリスト教の神の存在または不存在はさして深刻な問題ではない。
しかし、それが人類史そのものの未来に関係するとあれば話は別だ。一瞬なりとも人類の未来を覗き見て、そこに暗澹たる世界を見てしまったとあれば、それを現代人として受け止めなくてはならない。
フレイザー本人が『金枝篇』という超大作を半生を賭して書きながら、人類史の闇の奥を直視し続けることを回避してしまったというのは大いなる逆説である。まるで、コンラッドの『闇の奥』の主人公クルツと物語の語り手であるマーロウとの関係を、一人で同時に体現したのではないかと思いたくなるのだ。
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評伝J・G・フレイザー: その生涯と業績 単行本 – 2009/2/10
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20世紀の人文科学に大きな足跡を残したフレイザーの唯一の信頼できる伝記。
- 本の長さ631ページ
- 言語日本語
- 出版社法蔵館
- 発売日2009/2/10
- ISBN-104831872164
- ISBN-13978-4831872166
登録情報
- 出版社 : 法蔵館 (2009/2/10)
- 発売日 : 2009/2/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 631ページ
- ISBN-10 : 4831872164
- ISBN-13 : 978-4831872166
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,525,007位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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