本書はリバタリアニズムの古典である。しかし、たとえば功利主義におけるベンサムがそうであるような形の古典ではなく、若き古典だと言える。しかも後に議論が更新されたとも言いがたい(しかも他ならぬノージック自身が分析形而上学へ研究の舵を切ってしまった――これはこれで画期的だが)。リバタリアニズムを考える上では、ソクラテスやカントが「温故知新」であるというようなものとは違った意味合いで、本書に帰ってこざるを得ないような著作である。したがって、その重要性ゆえに☆5にせざるを得ない。
周知のとおりノージックの議論はアナルコ・キャピタリズムと相性がよく、日本では笠井潔『国家民営化論』が隣接的に語られる。むしろ笠井が先進的であったわけだが、ではその後どうなったか。ノージックの頃はまだ全容化していなかったが、むしろ、物理的にではない形で私たちを縛る「力」となった「情報」社会においてリバタリアニズム的観点を持った研究は日本では東浩紀『情報自由論』や大屋雄裕『自由とは何か』がわずかにあるくらいで、他のものは存在感がない。紹介者である森村進の著作ももちろんあるわけだが、どちらかというと道徳哲学(応用倫理学)的なその雰囲気は、むしろノージックの弾けた発想を引き継がなかったように思える。そしてそれはある意味大勢であって、米国式プラグマティズムの流れにおいて、ノージック、ロールズ、ローティなどの名前がありながらも、一時的な「覇権」を取ったのが道徳哲学=政治哲学のマイケル・サンデルだったことは一応、記憶に新しいはずだ。その周辺にはウォルツァーやジョナサン=ハイトがいる。他方、その道徳哲学としての高い抽象度は英国のデレク・パーフィット(森村進が主著を訳している)に流れを乗り継いだように見える。……と色々あったわけだが、ノージックの提示した方向性は半ば散逸しており、ゆえに本書(もしくは本書の時代)に帰ってこざるを得ない。
とはいえ本書を読む上での大きな変化があることもまた事実だろう。冷戦構造の崩壊、情報社会化、9・11以降のテロリズムの前景化、日本に限っていえば3・11以降の大震災による自然ないし人工災害の常態化や、高齢社会の深刻化に伴う国家運営の問題などは、すでに凡百の思考実験を超越した材料であり問題として我々の前に立ちはだかっている。夜警国家で果たして災害に対応することができるのだろうか。一方で、社会保障財源が肥大化した現状で福祉国家を続けることがどれだけできるのだろうか。他方、アルゴリズムによって取引がバーチャル化した金融市場を、レッセ=フェールとして想定されたような「健全な市場」と考えられるだろうか。また、強いリーダーシップを持った国家は、それゆえにテロの標的となる逆説がないだろうか。
最小国家の成立を美徳とし、その可能性を論究する本書であるが、恐らくいまならその読まれ方は変わり得るし、またそのように読み継がれていくべきではないかと思う。
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アナ-キ-・国家・ユ-トピア: 国家の正当性とその限界 単行本 – 1994/11/25
ロバート ノージック
(著),
嶋津 格
(翻訳)
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- ISBN-104833221705
- ISBN-13978-4833221702
- 出版社木鐸社
- 発売日1994/11/25
- 言語日本語
- 寸法3 x 13 x 19 cm
- 本の長さ586ページ
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登録情報
- 出版社 : 木鐸社 (1994/11/25)
- 発売日 : 1994/11/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 586ページ
- ISBN-10 : 4833221705
- ISBN-13 : 978-4833221702
- 寸法 : 3 x 13 x 19 cm
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- - 87位政治学 (本)
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4 星
ノージック自身の政治哲学を述べたもの
商品写真からは一切伝わってこないため、あえてレビューしますが、本のつくりにこだわりを感じます。カバーをとってしまうと知的な山吹色(?)と背表紙に押された金色(?)の文字が美しく、「この本を買ってよかった」と思いました。本とは、表層的な情報だけではなく、このような感覚も含めて商品価値なのだと思います。(恐縮ではありますが、木鐸社さんを存じ上げませんでしたが、素晴らしい出版社ですね)さて、中身について。本来であれば1か月くらいかけて読めばいいのだろうが、3日程度で読んでしまった。というのも、「訳者あとがき」にあるとおり「ノージック自身の政治哲学を述べたものであって、他の思想的権威や教養、新たな経験的知見に訴えることがほとんどない」ことが、読みながらすぐにわかったからである。読み進めても「最小国家」を理想的に感じなかったのは一つの発見である。理想的な政治形態が潜在的にあり、なおかつノージックとは意見が合わないということだろう。文化というものが個人によって異なることは認めても、「ユートピア」が複数のユートピア実験を行う枠(最小国家)とするのは、さすがに前提条件からして納得できなかった。ユートピアとは、その地に住む万人にとって最善の社会が成り立つような政治システムがあるからこそ、ユートピアなのである。「最小国家」は理想と現実を混在しているだけではないか。(p.p.16-17 プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』の引用はかなり贅沢である)
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2016年4月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年4月5日に日本でレビュー済み
商品写真からは一切伝わってこないため、あえてレビューしますが、本のつくりにこだわりを感じます。カバーをとってしまうと知的な山吹色(?)と背表紙に押された金色(?)の文字が美しく、「この本を買ってよかった」と思いました。
本とは、表層的な情報だけではなく、このような感覚も含めて商品価値なのだと思います。
(恐縮ではありますが、木鐸社さんを存じ上げませんでしたが、素晴らしい出版社ですね)
さて、中身について。
本来であれば1か月くらいかけて読めばいいのだろうが、3日程度で読んでしまった。というのも、「訳者あとがき」にあるとおり「ノージック自身の政治哲学を述べたものであって、他の思想的権威や教養、新たな経験的知見に訴えることがほとんどない」ことが、読みながらすぐにわかったからである。
読み進めても「最小国家」を理想的に感じなかったのは一つの発見である。理想的な政治形態が潜在的にあり、なおかつノージックとは意見が合わないということだろう。
文化というものが個人によって異なることは認めても、「ユートピア」が複数のユートピア実験を行う枠(最小国家)とするのは、さすがに前提条件からして納得できなかった。
ユートピアとは、その地に住む万人にとって最善の社会が成り立つような政治システムがあるからこそ、ユートピアなのである。「最小国家」は理想と現実を混在しているだけではないか。
(p.p.16-17 プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』の引用はかなり贅沢である)
本とは、表層的な情報だけではなく、このような感覚も含めて商品価値なのだと思います。
(恐縮ではありますが、木鐸社さんを存じ上げませんでしたが、素晴らしい出版社ですね)
さて、中身について。
本来であれば1か月くらいかけて読めばいいのだろうが、3日程度で読んでしまった。というのも、「訳者あとがき」にあるとおり「ノージック自身の政治哲学を述べたものであって、他の思想的権威や教養、新たな経験的知見に訴えることがほとんどない」ことが、読みながらすぐにわかったからである。
読み進めても「最小国家」を理想的に感じなかったのは一つの発見である。理想的な政治形態が潜在的にあり、なおかつノージックとは意見が合わないということだろう。
文化というものが個人によって異なることは認めても、「ユートピア」が複数のユートピア実験を行う枠(最小国家)とするのは、さすがに前提条件からして納得できなかった。
ユートピアとは、その地に住む万人にとって最善の社会が成り立つような政治システムがあるからこそ、ユートピアなのである。「最小国家」は理想と現実を混在しているだけではないか。
(p.p.16-17 プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』の引用はかなり贅沢である)
商品写真からは一切伝わってこないため、あえてレビューしますが、本のつくりにこだわりを感じます。カバーをとってしまうと知的な山吹色(?)と背表紙に押された金色(?)の文字が美しく、「この本を買ってよかった」と思いました。
本とは、表層的な情報だけではなく、このような感覚も含めて商品価値なのだと思います。
(恐縮ではありますが、木鐸社さんを存じ上げませんでしたが、素晴らしい出版社ですね)
さて、中身について。
本来であれば1か月くらいかけて読めばいいのだろうが、3日程度で読んでしまった。というのも、「訳者あとがき」にあるとおり「ノージック自身の政治哲学を述べたものであって、他の思想的権威や教養、新たな経験的知見に訴えることがほとんどない」ことが、読みながらすぐにわかったからである。
読み進めても「最小国家」を理想的に感じなかったのは一つの発見である。理想的な政治形態が潜在的にあり、なおかつノージックとは意見が合わないということだろう。
文化というものが個人によって異なることは認めても、「ユートピア」が複数のユートピア実験を行う枠(最小国家)とするのは、さすがに前提条件からして納得できなかった。
ユートピアとは、その地に住む万人にとって最善の社会が成り立つような政治システムがあるからこそ、ユートピアなのである。「最小国家」は理想と現実を混在しているだけではないか。
(p.p.16-17 プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』の引用はかなり贅沢である)
本とは、表層的な情報だけではなく、このような感覚も含めて商品価値なのだと思います。
(恐縮ではありますが、木鐸社さんを存じ上げませんでしたが、素晴らしい出版社ですね)
さて、中身について。
本来であれば1か月くらいかけて読めばいいのだろうが、3日程度で読んでしまった。というのも、「訳者あとがき」にあるとおり「ノージック自身の政治哲学を述べたものであって、他の思想的権威や教養、新たな経験的知見に訴えることがほとんどない」ことが、読みながらすぐにわかったからである。
読み進めても「最小国家」を理想的に感じなかったのは一つの発見である。理想的な政治形態が潜在的にあり、なおかつノージックとは意見が合わないということだろう。
文化というものが個人によって異なることは認めても、「ユートピア」が複数のユートピア実験を行う枠(最小国家)とするのは、さすがに前提条件からして納得できなかった。
ユートピアとは、その地に住む万人にとって最善の社会が成り立つような政治システムがあるからこそ、ユートピアなのである。「最小国家」は理想と現実を混在しているだけではないか。
(p.p.16-17 プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』の引用はかなり贅沢である)
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2012年1月12日に日本でレビュー済み
ノージックの代表作でもある本書は、ロールズ『正義論』と並んで有名だが、内容の毛色は随分と異なる印象を受けた。
ロールズが「正義」とその構造を論じているとしたら、ノージックの主題は(副題にもあるように)「国家」の性質である。
思考実験やアクロバティックな論理展開を通じて、知的挑発とも言える徹底された論考をそこでは展開してくれる。
ノージックは「社会契約なき自然状態」とも言われるように、自然状態からいかにして「自然に」国家が発生するかを説明する。
そこで用いられているのが「保護協会の出現」という方法である。これによって超最小国家が形成される。
超最小国家から最小国家への移行はいろいろな論者から批判されているのは知っていたが、個人的にはここの論理展開は相当に巧妙で面白いと思った。
彼は「賠償をすることによって権利を制約すること」がどのような場合に認められるかを考察し、「リスクを事前に排除する」という目的がどこまで認められるか、という議論からこの移行を説明している。
こう書くとすごくさっぱりしているようにもみえるが、恐怖の問題、経済的侵害と身体的侵害の違いなど、素朴な観点から徹底的に考えつめている。
後半はロールズやその他平等主義批判だが、ここはやや細部に立ち入り過ぎている感も覚えた。
付随して論じられている細かなテーマもなかなか面白い。
動物の権利、快楽機械の問題、刑罰の正当化の根拠など、それぞれノージック一流の洞察がされている。
彼の議論はどのくらい「真に受けるべきもの」なのかはよくわからないが、一つの知的挑発としては抜群に面白い。
考えるヒント、洞察の手がかりとしても彼の議論は非常に有益であろう。
ロールズが「正義」とその構造を論じているとしたら、ノージックの主題は(副題にもあるように)「国家」の性質である。
思考実験やアクロバティックな論理展開を通じて、知的挑発とも言える徹底された論考をそこでは展開してくれる。
ノージックは「社会契約なき自然状態」とも言われるように、自然状態からいかにして「自然に」国家が発生するかを説明する。
そこで用いられているのが「保護協会の出現」という方法である。これによって超最小国家が形成される。
超最小国家から最小国家への移行はいろいろな論者から批判されているのは知っていたが、個人的にはここの論理展開は相当に巧妙で面白いと思った。
彼は「賠償をすることによって権利を制約すること」がどのような場合に認められるかを考察し、「リスクを事前に排除する」という目的がどこまで認められるか、という議論からこの移行を説明している。
こう書くとすごくさっぱりしているようにもみえるが、恐怖の問題、経済的侵害と身体的侵害の違いなど、素朴な観点から徹底的に考えつめている。
後半はロールズやその他平等主義批判だが、ここはやや細部に立ち入り過ぎている感も覚えた。
付随して論じられている細かなテーマもなかなか面白い。
動物の権利、快楽機械の問題、刑罰の正当化の根拠など、それぞれノージック一流の洞察がされている。
彼の議論はどのくらい「真に受けるべきもの」なのかはよくわからないが、一つの知的挑発としては抜群に面白い。
考えるヒント、洞察の手がかりとしても彼の議論は非常に有益であろう。
2003年3月21日に日本でレビュー済み
社会契約説から極小国家論を導き出した、リバータリアンのバイブルと言ってもよい古典。相互の安全を保つという欲求から、警察力を持った極小国家が形成される。しかしそれは、再分配のような福祉国家になってはいけない、それが個人の自由を侵すからである。このような見解に賛成する人は多くないだろうが、国家を原理的に考察する上ではロールズの『正義論』より透徹した論考である。
2003年6月1日に日本でレビュー済み
ノージックの最小国家の派生に対する多数の無政府主義資本主義者攻撃が本書に見うけられる。最初に、国家は、ノージックが記述する方法では発生しないと思われ、したがって、最小国家などというものは形成されず国家は廃止の方向に向かうと思われる。さらに、ノージックが攻撃した無政府資本主義者(Anarcho-Capitalist)は、現代の警備員および調停機関が非常に地方分散され競争率が高いことに注目し、防御が自然な独占であるというノージックの仮定を批判している。最後に、それらは、予防的法律の専制に直接結びつくと非難して、ノージックの危険と補償の法則を拒絶する。本書は無政府主義はケイオス(CHAOS)状態になるという前提があり国家を正当化しようとするミナーキー(それは決してアナーキーではないと思われ、本のタイトルからして間違いである)誘導尋問本ともいえよう。この本の思想に決して肩入れせず、リバータリアン アナーコ・キャピタリストのデイビッド・フリードマン執筆の“The Machinery of Freedom”や“Law's Order”なども読まれるべきだろう。
2013年12月31日に日本でレビュー済み
がリバタリアンについて語るなら外せない本なのでがんばってよんでます。