たいていの経済学者は、警察、司法を民間では供給できない特殊なサービスとして、政府による独占を認める。だがそれは間違っている。社会の治安を守るこれらのサービスは、きわめて重要だからこそ、非効率な政府に任せず、自由な競争がある民間で供給しなければならない。
別件逮捕や自白の強要、絶えない不祥事、裁判の遅延など、現在の警察、司法サービスの問題点は枚挙にいとまがない。改善の道はあるのか。ふつうの経済学者なら、民間では供給できないサービスだから政府に努力を求めるしかないと言うだろう。また経済学者以外の知識人も、国家の根幹にかかわる仕事だから民間に委ねるべきではないとの意見が大半だろう。
しかし日本で数少ないリバタリアンの経済学者、蔵研也は本書でこう異を唱える。「なぜ、国家の本質的な作用だからといって、警察・司法・国防のみが〔市場に任せるという〕この原則から外れるべきだと考えるのだろうか? 私はこの考えが理解できない。重要なものであればあるほど、相互の利己心の調和のために市場での解決が必要となるはずである」(40頁)
そのうえで蔵は、国防を含め政府の業務すべてを民間が担う無政府社会の具体像を描いてゆく。警察機構の役割を果たすのは、警備保障会社である。国防は警備会社の軍隊部門が受けもつ。裁判所の役目を担うのは仲裁会社である。各警備会社はあらかじめ、法的紛争が生じた場合、どの仲裁会社の判決にしたがうかを互いに取り決めておく。
この民営化により、前述したような問題は大きく改善するだろう。誤認逮捕については、被疑者の無罪が証明された場合、政府の警察と違い、捜査を行った警備会社には完全な民事的損害賠償を行う必要が生じる。「これによって、犯罪捜査や冤罪から生じる人権侵害はすべてがなくなることはないだろうが、現在よりもはるかに少ないものになるだろう」(101頁)
裁判の長期化も解決するだろう。そもそも国家は、当事者が望むよりも裁判を遅延させる傾向があると蔵は指摘する。なぜなら「裁判の遅延は現実には、関係する官庁のより大きな予算と人員を要請することで役人の組織増大に役立つ」(138頁)からである。各裁判所を民営化し、仲裁会社として競わせれば、判決までの時間が長すぎる仲裁会社は利用者の支持を失い、淘汰されるだろう。
民営化の利点はそれだけではない。サービスの提供者が政府という独占体から、多くの民間組織に変わることで、人々は自分の価値観に合ったサービスを受けやすくなる。たとえば、犯罪者にどのような刑罰を科すかは、政府が画一的に決定するのではなく、被害者と警備会社との契約や、仲裁会社の判決方針に依存することになる。死刑に反対意見を持つ個人は、警備会社との間で、自分自身や肉親が殺されても死刑を求めないよう契約し、死刑判決を下さない方針を表明している仲裁会社を指定するだろう。一方、死刑を支持する個人は、異なる選択をするだろう。
もちろん、この思いきった民営化論にはさまざまな反論があるだろう。たとえば、警察が民間企業であれば、金持ちしか守らないのではないか。司法が民営企業なら、金持ちが優遇され、有利な判決を受けるのではないだろうか。
これに蔵は「ある意味では正しく、ある意味では誤っている」(45頁)と答える。なるほど、現行の国家によって運営される警察では、建前上は全国民が同じサービスを受けることになっている。しかし実際には、大物政治家からの口利きに代表されるような、多様な形でのコネが存在し、社会階層に応じた差別的な取り扱いも横行している。
一方、民間警備会社の場合、たしかに金持ちは平均的には、より多くの金額を警備契約に支払い、良質なサービスを受けるだろう。しかし金持ちでなくても、同じ金額を捻出し、同じ契約を結びさえすれば、同等のサービスを受けることができるのだ。蔵の記述につけ加えれば、この仕組みは政治力やコネによる不透明な差別と比べ、明快であり、はるかに望ましい。さらにつけ加えれば、経済の歴史が示すとおり、自由競争で供給される商品やサービスは、時間とともに値段が安くなり、金持ち以外にも購入しやすくなる。
また国防の民営化については、次のような反論がしばしばなされる。私を北朝鮮のミサイルから防衛してくれる迎撃機機は、私の隣人の安全をも不可避的に保障する。その結果、私が国防費用を支払えば、隣人は支払うことなく安全に暮らせてしまう。となれば、合理的な個人は誰も防衛費用を負担しなくなり、あるいは過小にしか負担しなくなるために、そのような社会は外国軍の脅威にさらされてしまう――。
これにたいし蔵は、一般的にはそうした傾向となる可能性を認めつつ、こう指摘する。無政府社会では、政府規制がないために、より高度な科学技術が急速に発展し、それによって兵器のもつ潜在能力が高まるだろう(203頁)。また、愛国主義的な右翼・タカ派の性質を持つ個人は、社会を他国の侵略から防衛するため、プレミアム付きの契約料を支払うだろうし、一般市民も、攻撃の危険性が高まれば高い契約料を進んで支払い、警備会社の軍備はより増強されるだろう(206-207頁)。
治安の維持や国土の防衛は政府の仕事でしかありえないという通念を刷りこまれた多くの人々は、蔵の主張に大いにとまどうに違いない。しかし私たちは、大切な生命を民間の航空会社や自動車会社に委ねているし、健康を食品会社や医薬会社に頼ってもいる。なぜ警察、司法、国防だけを特別扱いするのか。その常識を疑って初めて、私たちは問題解決の出発点に立てるだろう。
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無政府社会と法の進化: アナルコキャピタリズムの是非 単行本 – 2008/1/1
蔵研也
(著)
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- 本の長さ229ページ
- 言語日本語
- 出版社木鐸社
- 発売日2008/1/1
- ISBN-10483322397X
- ISBN-13978-4833223973
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登録情報
- 出版社 : 木鐸社 (2008/1/1)
- 発売日 : 2008/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 229ページ
- ISBN-10 : 483322397X
- ISBN-13 : 978-4833223973
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,050,797位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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