長らく探していてやっと巡り合えたヘッセ文学の最後にして最高峰の作品。『デミアン』、『シッダールタ』、『荒野の狼』、『知と愛』と読み継いで、辿り着いたのがこの境地というのは、何とも感慨深い。
ガラス玉演戯というのが何なのか明言はされないので、確かなことは何も分からないけれど、様々な抽象的な説明からして、それはヘッセの芸術上の理想を指しているように思える。クネヒト本人の感覚では、それは「くまなく均整と調和の取れた世界を、偶然な混乱した世界から分離し、自己の中に取り上げたという感じを持って、演戯者を解放する」ものだという。しかし、厳かなばかりでなく、あくまでも「遊戯に過ぎず、そうしているうちに眠り込んでしまっても、いっこうに構わない」らしい。私はJ.Huizingaの遊戯人のことを思い出した。曰く、「遊びの相の下で、全ての文化は成立し、発展した」。ヘッセが文化の頂点にガラス玉演戯というロマン主義的な単語を据えたのも、同じ発想によるのかもしれない。だとすれば、ガラス玉演戯を遊ぶということは、人類の文化を全て一つのものとして受容する態度のことを言うのではないか。
多様化・細分化した現代社会の混沌は、自己の開示の仕方次第で、混然一体となる可能性を秘めていると思うが、過去数十世紀にわたる人類の歴史を振り返るとき、数え切れないガラス玉演戯者らの信念がひとつなぎになって、我々の生活の足場を用意してくれていることを思う。彼らの「巡礼の列」に加わり、不確かな現実を遊戯三昧することが、今のひとりひとりの魂に問われている命題なのではないだろうか。何故なら、その「明朗さは、戯れでも自己満足でもなく、最高の認識と愛、あらゆる現実の肯定」であり、「あらゆる深淵のふちに立って、目覚めていること」なのだから。そんなことを久々に考えさせられる読書体験でした。
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ガラス玉演戯 (Fukkan.com) 単行本 – 2003/12/31
第二次世界大戦中、1943年スイスで刊行されたヘルマン・ヘッセ最後の長編が復刊です! ヘッセが1946年にノーベル文学賞を受賞する決定打となった、ナチス暗黒時代を貫く一筋の精神的な軌跡を記した作品。
- 本の長さ501ページ
- 言語日本語
- 出版社復刊ドットコム
- 発売日2003/12/31
- ISBN-104835440978
- ISBN-13978-4835440972
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
純粋なる学問を追求する中欧の独立国家「カスタリーエン」の音楽名人により才能を見出されたクネヒト。若くして演戯名人の座を極めるが、戦争や経済環境の激変などの余波は聖地にも影響を及ぼし始める…。再刊。
登録情報
- 出版社 : 復刊ドットコム (2003/12/31)
- 発売日 : 2003/12/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 501ページ
- ISBN-10 : 4835440978
- ISBN-13 : 978-4835440972
- Amazon 売れ筋ランキング: - 427,906位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年1月6日に日本でレビュー済み
誤字脱字が多くて大変読みづらかったです。出版する前に校正してきちんといただきたいです。
2013年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これだけはよい時代になったと思う。復刊してほしいものがもっとある。
2004年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本当は星の数で表すことすら出来ません。この本が復刊された事に
心から感謝します。
ヘルマン・ヘッセが10年の歳月をかけて書き上げた、最後の小説作品です。そして、日本では井出先生の「ガラス玉遊戯」と共に20年程絶版でした。
内容は説明自体が・・・難しいですね・・・。
「ヒトはどうあるべきか」をヘッセの考えで導いてくれます。と、言った所でしょうか。感想を言葉にしても伝わるものではない、と思います。読んでみて下さい。
でも、少しだけ(笑)。・・・西暦2400(?)程の未来、芸術と数学、そして瞑想を伴って行われる、究極芸術の「ガラス玉演戯」。
その「名人」(頂点)ヨーゼフ・クネヒトの「伝記」というスタイルを採っております。勿論それは、ヘッセ自身の思想を反映させていますが。
クネヒトの成長と共に、ヘッセの「ヒトは、どう在るべきか」という考えに、核心に近づいていきます。
それと、主人公クネヒトの名前、「しもべ」という意味です。
頂点に立つ者の名前が「しもべ」です。作品自体をある程度予感させますね。
ヘッセを「青春小説作家」と、お思いの方も多いと思いますが、色々なへッセ作品に触れるうちに、そうでは無い事を知るでしょう。(「荒野のおかみ」あたりから)実は精神世界に踏み込む作品が多く、ヘッセを難く考えてしまいがちですが、やはり、最後に求めるのは「ガラス玉演戯」になると思います。
文体も難く、難解に思えますが、ゆっくり読めば良い事です。そして、
少しずつ受け止め、受け入れる事が出来れば、それで良いと思います。
私自身、こ本に出会えた事は人生の中で、とても大きい出来事です。
この本は、ヒトの在り様を変えてしまう程のを持っています。
正に、ヘッセが紙に書き残した未来への遺産です。
そして、この本の序章とも言える「東方巡礼」も復刊させるべきだと思います。
・・・と、ロスハルデ(湖畔のアトリエ)の復刊も期待いたします。
心から感謝します。
ヘルマン・ヘッセが10年の歳月をかけて書き上げた、最後の小説作品です。そして、日本では井出先生の「ガラス玉遊戯」と共に20年程絶版でした。
内容は説明自体が・・・難しいですね・・・。
「ヒトはどうあるべきか」をヘッセの考えで導いてくれます。と、言った所でしょうか。感想を言葉にしても伝わるものではない、と思います。読んでみて下さい。
でも、少しだけ(笑)。・・・西暦2400(?)程の未来、芸術と数学、そして瞑想を伴って行われる、究極芸術の「ガラス玉演戯」。
その「名人」(頂点)ヨーゼフ・クネヒトの「伝記」というスタイルを採っております。勿論それは、ヘッセ自身の思想を反映させていますが。
クネヒトの成長と共に、ヘッセの「ヒトは、どう在るべきか」という考えに、核心に近づいていきます。
それと、主人公クネヒトの名前、「しもべ」という意味です。
頂点に立つ者の名前が「しもべ」です。作品自体をある程度予感させますね。
ヘッセを「青春小説作家」と、お思いの方も多いと思いますが、色々なへッセ作品に触れるうちに、そうでは無い事を知るでしょう。(「荒野のおかみ」あたりから)実は精神世界に踏み込む作品が多く、ヘッセを難く考えてしまいがちですが、やはり、最後に求めるのは「ガラス玉演戯」になると思います。
文体も難く、難解に思えますが、ゆっくり読めば良い事です。そして、
少しずつ受け止め、受け入れる事が出来れば、それで良いと思います。
私自身、こ本に出会えた事は人生の中で、とても大きい出来事です。
この本は、ヒトの在り様を変えてしまう程のを持っています。
正に、ヘッセが紙に書き残した未来への遺産です。
そして、この本の序章とも言える「東方巡礼」も復刊させるべきだと思います。
・・・と、ロスハルデ(湖畔のアトリエ)の復刊も期待いたします。
2015年12月15日に日本でレビュー済み
読めた ただただこの本が読める生への感謝。
この本と調和できるなんて・・・・あぁ生きてて良かった。
この本と調和できるなんて・・・・あぁ生きてて良かった。
2013年3月28日に日本でレビュー済み
中学時代にいっきにヘッセの作品は読んでしまいましたが、もちろんこの作品が最後でした。読み終わった後、無限の空間に投げ出されたような気がしたのを覚えています。
ヘッセは終生、詩人になろうとしてなれなかった人ですが(詩人としてのエトスに決定的に欠けている)、小説家としてはさまざまな野心的なジャンルにも挑み、多彩な成果を挙げています。「デミアン」「知と愛」「荒野のおおかみ」などは必読と思います。
この作品を描くに当たって、ヘッセの脳裏に有ったのは間違いなくバッハの平均律などの曲でしょう。絶対的な芸術空間において輝く絶対的な芸術。それがガラス玉演戯なのだと思います。
何度か読み返しましたが、もう少し年齢を重ねたら、静かにゆっくり読み返したいと思っています。
ヘッセは終生、詩人になろうとしてなれなかった人ですが(詩人としてのエトスに決定的に欠けている)、小説家としてはさまざまな野心的なジャンルにも挑み、多彩な成果を挙げています。「デミアン」「知と愛」「荒野のおおかみ」などは必読と思います。
この作品を描くに当たって、ヘッセの脳裏に有ったのは間違いなくバッハの平均律などの曲でしょう。絶対的な芸術空間において輝く絶対的な芸術。それがガラス玉演戯なのだと思います。
何度か読み返しましたが、もう少し年齢を重ねたら、静かにゆっくり読み返したいと思っています。
2004年2月14日に日本でレビュー済み
ヘッセの生涯の総決算ともいえる最後の大作にしてノーベル文学賞受賞作。
ヘッセは第一次世界大戦のときも、またその後の1920年代以降も、ドイツの戦争への傾向に対し反戦の主張し続けてきたが、逆に「売国奴」と罵倒されるか無視されるばかりであった。次第に第二次世界大戦が近づき緊迫した空気の中で、ヘッセは小説家としてできる唯一のこととして、一つの小説を書き上げることに全力を尽くした。そして11年もの歳月をかけて創出したのが、この『ガラス玉演戯(Das Glasperlenspiel)』である。出版は1943年。この小説はヘッセが小説家としての使命を見定めた上での、現実へのコミットメントでもあるのだ。
学問と芸術の神髄である「精神(Geist)」を瞑想によって融合し、その究極の体現として音楽の如く「演奏する(spielen)」のが、この作品のタイトルにもなっている「ガラス玉演戯」というものである。主人公クネヒトはガラス玉演戯名人にまで登りつめるが、自ら志願して一人の若者ティトーの家庭教師となるに至る。
これは、「精神」への奉仕、ひいてはそれを受け継ぐべき次代の若者への教育の奉仕という、ヘッセの理想を描き出したものである。
クネヒトの最期のシーンは賛否両論あるらしい。確かに一見あまりに短絡的で、安易とすら受け取られかねない結末で、戸惑う読者も少なくないのではと思う。しかし、これはヘッセなりの誠実な一つの回答だったのではと私は考える。ヘッセはこれ以外の方法で彼の理想を伝えることはできなかったのではないか、と。この点は一人一人が読み、感じて、考えてみるしかないであろう。これはヘッセが我々に託した課題なのであるから。
作品の構成もかなり独創的なのだが、序文のみ難解なので、これだけ飛ばして一章から読み始めても差し支えない。
ヘッセの全人生のあらゆる要素・思想がステンドグラスの如くちりばめられた傑作である。
ヘッセは第一次世界大戦のときも、またその後の1920年代以降も、ドイツの戦争への傾向に対し反戦の主張し続けてきたが、逆に「売国奴」と罵倒されるか無視されるばかりであった。次第に第二次世界大戦が近づき緊迫した空気の中で、ヘッセは小説家としてできる唯一のこととして、一つの小説を書き上げることに全力を尽くした。そして11年もの歳月をかけて創出したのが、この『ガラス玉演戯(Das Glasperlenspiel)』である。出版は1943年。この小説はヘッセが小説家としての使命を見定めた上での、現実へのコミットメントでもあるのだ。
学問と芸術の神髄である「精神(Geist)」を瞑想によって融合し、その究極の体現として音楽の如く「演奏する(spielen)」のが、この作品のタイトルにもなっている「ガラス玉演戯」というものである。主人公クネヒトはガラス玉演戯名人にまで登りつめるが、自ら志願して一人の若者ティトーの家庭教師となるに至る。
これは、「精神」への奉仕、ひいてはそれを受け継ぐべき次代の若者への教育の奉仕という、ヘッセの理想を描き出したものである。
クネヒトの最期のシーンは賛否両論あるらしい。確かに一見あまりに短絡的で、安易とすら受け取られかねない結末で、戸惑う読者も少なくないのではと思う。しかし、これはヘッセなりの誠実な一つの回答だったのではと私は考える。ヘッセはこれ以外の方法で彼の理想を伝えることはできなかったのではないか、と。この点は一人一人が読み、感じて、考えてみるしかないであろう。これはヘッセが我々に託した課題なのであるから。
作品の構成もかなり独創的なのだが、序文のみ難解なので、これだけ飛ばして一章から読み始めても差し支えない。
ヘッセの全人生のあらゆる要素・思想がステンドグラスの如くちりばめられた傑作である。
2004年7月26日に日本でレビュー済み
ヘッセの長編小説はすべて著者自身の魂の遍歴、自分自身になろうとするその人生の旅路を描いたものであり、その長い旅路の到達点がヘッセ最後の長編小説である本書である。この小説の主人公は、もはや内面の嵐に突き動かされて社会から脱落することはない。瞑想の力によって社会的な秩序と内面の自由を調和させることができる。そして学問と芸術、論理と感性という対立するものを同時に表現し、調和させ、統一することを可能にする世界語、それが「ガラス玉演戯」であり、主人公はその最高位にまで上りつめる。だがこの「ガラス玉演戯」の神聖な世界に対立するものとしての「俗世」の存在が、主人公を更なる調和と統合に向かわせる。そして・・・。
かつて自分自身になるための道を探してヘッセ文学に親しみ、今は社会の中で自分自身を見失いかけているかつての文学青年たちに読んで欲しい。きっとヘッセはもう一度あなたに「道」を示してくれるだろう。
かつて自分自身になるための道を探してヘッセ文学に親しみ、今は社会の中で自分自身を見失いかけているかつての文学青年たちに読んで欲しい。きっとヘッセはもう一度あなたに「道」を示してくれるだろう。