「安倍政権はファシズム」と一部のリベラル言論人は批判する。しかし彼らがどこまでその批判を貫けるか、心もとない。なぜならリベラルが信奉する社会民主主義とファシズムには、「反資本主義」という大きな共通点があるからだ。
ルーズベルト米大統領が大恐慌からの脱却を図るとして実施したニューディール政策は、リベラルな経済政策の代表例と一般には信じられている。しかし本書で宮台真司は、ニューディールは全体主義的で、ファシズム的だと指摘する。
ファシズムは市場経済を全否定する社会主義と違い、市場を温存しながら、政府が市場内部のプレイヤーとなる。国民を束ね(ファッショとは束の意味)、統合をもたらそうとする。これはまさにニューディールで行われたことである。
一方、市場を温存しながら、政府が経済を間接的に支配しようとするファシズムの考えは、社会民主主義に共通する。宮台は触れていないが、事実、スウェーデンの社会民主労働党は創設時、ムッソリーニの思想の影響を受けている。
宮台は、政府による市場の制御は正しいという認識の下、「批判を覚悟で、ニューディーラー的なファシストでありたい」と宣言する。佐藤優もファシズムを入口から拒否するのはよくないと同調する。ファシズムの誘惑は甘く忍び寄る。
ファシズム肯定の主張にはまったく同意できないが、リベラルとファシズムが決して縁遠いものではないことを示した点で、ある意味貴重な本といえる。
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日本流ファシズムのススメ (エンジン01選書) 単行本 – 2009/9/30
明日の日本文化を担う「エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議」メンバーによる「エンジン01選書」シリーズ。
3人の論客が斬る!オバマ大統領就任後の“世界”。
アメリカ大統領に就任したオバマは、ムッソリーニに似てる?
戦争はアメリカ最大の公共事業? この後、世界は一体どうなる?
ジャーナリストの田原総一朗、元外務省主任分析官の佐藤優、
首都大学東京教授の宮台真司という気鋭の3人が、
オバマ大統領就任後の世界情勢を徹底討論!
3人の論客が斬る!オバマ大統領就任後の“世界”。
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戦争はアメリカ最大の公共事業? この後、世界は一体どうなる?
ジャーナリストの田原総一朗、元外務省主任分析官の佐藤優、
首都大学東京教授の宮台真司という気鋭の3人が、
オバマ大統領就任後の世界情勢を徹底討論!
- 本の長さ128ページ
- 言語日本語
- 出版社ぴあ
- 発売日2009/9/30
- 寸法11.5 x 1.3 x 18.7 cm
- ISBN-104835617398
- ISBN-13978-4835617398
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商品の説明
著者について
【エンジン01とは】
エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議は、各分野の表現者・思考者たちが日本文化のさらなる深まりと広がりを目的に参集したボランティア集団です。日本は既に誇るべき文化を持っていますが、新しい文化が生まれ育つ土壌がありません。それを築くための方法論を議論し、実際に仕組みとするために行動する場がエンジン01です。
エンジン(ENJIN)とは、Encourage Japan Intelligent Networkの略です。
エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議は、各分野の表現者・思考者たちが日本文化のさらなる深まりと広がりを目的に参集したボランティア集団です。日本は既に誇るべき文化を持っていますが、新しい文化が生まれ育つ土壌がありません。それを築くための方法論を議論し、実際に仕組みとするために行動する場がエンジン01です。
エンジン(ENJIN)とは、Encourage Japan Intelligent Networkの略です。
登録情報
- 出版社 : ぴあ (2009/9/30)
- 発売日 : 2009/9/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 128ページ
- ISBN-10 : 4835617398
- ISBN-13 : 978-4835617398
- 寸法 : 11.5 x 1.3 x 18.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 703,679位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 110,837位ノンフィクション (本)
- - 186,061位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1959年、宮城県生まれ。
社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『中学生からの愛の授業』(コアマガジン)『<世界>はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)、『制服少女たちの選択』(朝日文庫)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)など多数。
元外交官で文筆家。ロシア情報収集・解析のエキスパート。魚住昭/ジャーナリスト。ノンフィクションに著作多数。青木理/ジャーナリスト。元共同通信記者。『日本の公安警察』『絞首刑』など著作多数。植草一秀/経済学者。日本経済、金融論が専門。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻 (ISBN-13:978-4838721566)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2009年11月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読後の感想は二点である。
一点目。「ファシズム」という言葉の「悪魔払い」が必要だという佐藤の主張が良く分かった。
第二次世界大戦の結果 ファシズムという言葉には拭いきれない悪いイメージが付いた。もともとファッショとは「束ねる」という意味だと言う。「束ねる」という語感には ある種の温かみを感じる。ファシズムには そういう温かみを感じさせる部分があるということだ。
佐藤の主張とは ファシズムとは全く別物のナチズムとファシズムが同視されている点に「歴史の不幸」があり そこを 一度きちんと直視して勉強した上で 新しいファシズムを考えるべきだと読んだ。
佐藤自身は そんなファシズムが「良いものなのかどうか」は論じていないと思う。但し ファシズムが「役に立つかどうか」は論じており 結論的には 今の所与の状況では 「役に立つ可能性が高い」と判断しているのだと思う。
二点目。翻って「束ねられた」人間達の怖さとはどのようなものであるかを考えた。
集団として結束して 一つの目標に向かって邁進するという話は しばしば美しい。但し 問題は その「一つの目標」が何なのかという点だ。人間は時として 「怖ろしい目標」を立てて それに向かって集団的に邁進することが出来る 変わった動物である。
では その「一つの目標」が正しいのか正しくないのかをどうやって判断すれば良いのだろうか。もしくは そもそも かような判断力を人間は有しているだろうか。
これへの有効な答えを僕は持っていない。但し 僕自身が本が好きな理由の一つには そんな判断力への渇望があるのかもしれない。本を読む理由とは 人それぞれであると思う。情報のインプットであるとかエンタテイメントなどが代表的な理由であろう。但し そこにもう一つ付け加えたいとしたら 自分なりのアウトプットのための「原料」探しという面だ。そのアウトプットとして 「透徹した判断力を持てる」というものかと思っている。言うまでもないが 大変難しい事だが。
一点目。「ファシズム」という言葉の「悪魔払い」が必要だという佐藤の主張が良く分かった。
第二次世界大戦の結果 ファシズムという言葉には拭いきれない悪いイメージが付いた。もともとファッショとは「束ねる」という意味だと言う。「束ねる」という語感には ある種の温かみを感じる。ファシズムには そういう温かみを感じさせる部分があるということだ。
佐藤の主張とは ファシズムとは全く別物のナチズムとファシズムが同視されている点に「歴史の不幸」があり そこを 一度きちんと直視して勉強した上で 新しいファシズムを考えるべきだと読んだ。
佐藤自身は そんなファシズムが「良いものなのかどうか」は論じていないと思う。但し ファシズムが「役に立つかどうか」は論じており 結論的には 今の所与の状況では 「役に立つ可能性が高い」と判断しているのだと思う。
二点目。翻って「束ねられた」人間達の怖さとはどのようなものであるかを考えた。
集団として結束して 一つの目標に向かって邁進するという話は しばしば美しい。但し 問題は その「一つの目標」が何なのかという点だ。人間は時として 「怖ろしい目標」を立てて それに向かって集団的に邁進することが出来る 変わった動物である。
では その「一つの目標」が正しいのか正しくないのかをどうやって判断すれば良いのだろうか。もしくは そもそも かような判断力を人間は有しているだろうか。
これへの有効な答えを僕は持っていない。但し 僕自身が本が好きな理由の一つには そんな判断力への渇望があるのかもしれない。本を読む理由とは 人それぞれであると思う。情報のインプットであるとかエンタテイメントなどが代表的な理由であろう。但し そこにもう一つ付け加えたいとしたら 自分なりのアウトプットのための「原料」探しという面だ。そのアウトプットとして 「透徹した判断力を持てる」というものかと思っている。言うまでもないが 大変難しい事だが。
2011年3月27日に日本でレビュー済み
二年前の対談であるが今を感じさせる、以下。
.資本移動の自由化は焼畑化する。(要するに食い潰し)
.金融で儲かる段階に至るとつまり証券化はバブルが付き物で崩壊する。
.現下、グローバル化に抗うことは難しい。今後、社会を強くするタイプのファシズムは必然となろう。
.日本人は、投資と賭博は一緒だと思っている人が多く、投資をしなかったため結果的に強くなった。
.リベラリズムが正当化できる「政府の介入」とは、フェアーなスタートでゲームの結果格差が生じた。そこで、「リセット」して改めてプレイヤーをエントリーさせるという思想である。自由な市場を否定しているのではない。
ニューデーラー的な介入は全体主義そのもので、そも毒がどの程度ならあるいはどの様な使い方なら許容されるか吟味されないといけない。
.アジア主義とは、「もう一つの近代」を目指す解放運動だったが利権官僚・利権軍人から大義が簒奪された。そして、敗戦後アメリカの刷り込みにより触れることさえ出来なくなっている。
.戦争という在庫一掃セールのオプションは使えなくなっているので環境オプションに向かう可能性は大。
.日本国民はカレー味のウンコからウンコ味のカレーを選択したが対米追従と国土保全が両立しなくなってきている。
東北・関東大震災後が目に見えるようだ。
.資本移動の自由化は焼畑化する。(要するに食い潰し)
.金融で儲かる段階に至るとつまり証券化はバブルが付き物で崩壊する。
.現下、グローバル化に抗うことは難しい。今後、社会を強くするタイプのファシズムは必然となろう。
.日本人は、投資と賭博は一緒だと思っている人が多く、投資をしなかったため結果的に強くなった。
.リベラリズムが正当化できる「政府の介入」とは、フェアーなスタートでゲームの結果格差が生じた。そこで、「リセット」して改めてプレイヤーをエントリーさせるという思想である。自由な市場を否定しているのではない。
ニューデーラー的な介入は全体主義そのもので、そも毒がどの程度ならあるいはどの様な使い方なら許容されるか吟味されないといけない。
.アジア主義とは、「もう一つの近代」を目指す解放運動だったが利権官僚・利権軍人から大義が簒奪された。そして、敗戦後アメリカの刷り込みにより触れることさえ出来なくなっている。
.戦争という在庫一掃セールのオプションは使えなくなっているので環境オプションに向かう可能性は大。
.日本国民はカレー味のウンコからウンコ味のカレーを選択したが対米追従と国土保全が両立しなくなってきている。
東北・関東大震災後が目に見えるようだ。
2009年11月21日に日本でレビュー済み
まずこれは三人の論文集などではなく2008年11月に行われたオープンカレッジの講座の記録である。
オバマの演説や言葉を聞いた時(正確にはこれに加えてマケインの敗北後の潔い姿勢を見た時も)は私もまたこれはムッソリーニ(ファシズム)的だと感じた。それは特段の観察力や知識がなくても多少ムッソリーニの政治的特徴、テクニックについて知っていれば容易に感じうる事だと思う。(私の場合偶々直前にムッソリーニの伝記を数冊読み漁っていた事が大きい)宮台氏は早くからオバマの特徴として、シュミットなどが政治の本質とする友敵の区分を消し去り、右と左を、黒人と白人を横断するキメラ的性質、「我々とその敵」ではなく「君も我々だ」と言う事で味方を増やす傾向を指摘していた。ただ国民であるだけでいい、国民であれば味方だ、アメリカ人同士分裂する必要などない、階級も何もない、アメリカ人がアメリカ人であるというだけで団結し協力しようじゃないか。…やはりこれはムッソリーニ的なのである。政治的立場を超えて我々は国民として団結しようではないか、階級を超えて右左を越えて団結しようではないか、同じことをイタリアでムッソリーニが言ったのである。
しかし私はこれをオバマ批判のために言っているのではない。むしろ逆に一定の魅力を感じ、少なくとも学べる部分があるのではと思う。実際アメリカは意識的にか無意識にかファシズムの政治的テクニックを受け継いでいるのだ。実はこの危ない書名からも推察できる通り宮台氏らもこのようなオバマのムッソリーニ的側面あるいはイタリア型ファシズムに対して「肯定的」である。(いや佐藤氏はまずこの傾向を「恐ろしい」と述べているので微妙だが普段佐藤氏の著作や文章を一字も読んだ事がない私としては佐藤氏の立場は本書を通読するだけではあまり明瞭でなかった。後述する「小さな政府に大きな社会」という宮台氏がファシズムに見出す理想は共有してるように見えたが。また田原氏はあまり踏み込まず中間で二人の話をニュートラルに聞いているだけという具合なので、やはり明白に強く肯定的なのは宮台氏だけかもしれない)
こういった論点について踏み込んだ刺激的な議論が交わされているのかと思い、非常な期待感を抱いていたのだが、高々一時間半の議論であるうえ、田原氏が二人の話を穏便に聞くだけといった体裁で討論のような展開にはならず、無難で物足りない仕上がりになっている気がしないでもなかった。実質的な頁数も110頁と少なめであり一時間もあれば読みきれる。あとは形式上の不満として話題を区切る小見出しが欲しかったが章割り以外の区分はない。
宮台氏は私は好きなのだがそれとは無関係に言っている事はいつもと同じだなという印象もある。言っている内容は殆ど何も変わらないまま、ファシズムや全体主義リベラルといった表面上刺激的である意味キャッチーな言葉を新しく使って真新しさや衝撃力を装っているだけという印象を受けた。実際、宮台氏がここで言うファシズム、全体主義とは単に政府・国家が市場に介入する事、単にある特定の価値(例えばリベラルな価値観、国家が市場に介入する事も必要とする価値観)を教育で押し付けるべきと主張する程度の意味でしかない。多分これは少なくない人にとっては全く普通の事に見えるだろうし、実際別になんでもない事だと思う。(ある意味、悪魔祓いされたファシズムは全く普通の思想になってしまうという事かもしれない)101頁で「僕自身は全体主義的リベラルっていう立場を標榜しているんですね」などと言い出すのだが長らく愛読している私でもこれは初耳であった。(※追記・最近の著作では存外言っていた、既読の本でも言っており単なる読み落としであった)本書中他にも「僕は実は天皇主義者なんですが」「僕は実は亜細亜主義なんですが」と半笑いで説明する箇所があり、多分氏はこういう事を言うのが好きなんじゃなかろうかとどうでもいい事を思った。なんにせよ保守リベラル、亜細亜主義、天皇主義に続いて宮台氏が表明する立場の名前として晴れて全体主義的リベラル、ある種のファシズムが加わったわけである。だが私が見るにこれらは殆ど意味が変らない。加えて宮台氏は大きな社会に小さな政府とも言い続けているがこれは本書でも言われている。他所ではこれを本来の意味での新自由主義の理想と説明しており、本書でもオバマはファシズムチックであると同時にその意味での新自由主義チックとも言っている。「(オバマは)ファシズム的だと言えると同時に、元々の意味での新自由主義者的でもあり、ニューディーラーのイデオローグ的であり、リベラル・コミタリアン(恐らく誤ショク)的であるわけです。」(29頁)と言っている事からもこれらはイコールで結ばれても構わないし、また宮台氏は恐らくこの全てでありたいと思っているのだろう。
ただ主張の是非とは無関係にこれはファシズムを再評価しようという本書の趣旨も内実はこれまで散々言っている「元々の意味での新自由主義の評価」や「リベラリズムとコミュニタリアニズムの両立」「グローバル化から保守すべきものを守るための亜細亜主義」といった宮台氏お馴染みの内容と何一つ変らないという事で、なんにしても新しさというものがなかった。宮台氏以外に期待をかけるにしても、宮台氏以外は比較的大人しい。田原氏は特にそうだし、佐藤氏はそれなりに多弁だが自分の立場を積極的に押し出しているようにも見えず、ジョークの分量がやたら多い。書名のインパクトに釣られただけにこの無難かつ短く浅く従来どおりの内容には少しばかりがっかりであった。
オバマの演説や言葉を聞いた時(正確にはこれに加えてマケインの敗北後の潔い姿勢を見た時も)は私もまたこれはムッソリーニ(ファシズム)的だと感じた。それは特段の観察力や知識がなくても多少ムッソリーニの政治的特徴、テクニックについて知っていれば容易に感じうる事だと思う。(私の場合偶々直前にムッソリーニの伝記を数冊読み漁っていた事が大きい)宮台氏は早くからオバマの特徴として、シュミットなどが政治の本質とする友敵の区分を消し去り、右と左を、黒人と白人を横断するキメラ的性質、「我々とその敵」ではなく「君も我々だ」と言う事で味方を増やす傾向を指摘していた。ただ国民であるだけでいい、国民であれば味方だ、アメリカ人同士分裂する必要などない、階級も何もない、アメリカ人がアメリカ人であるというだけで団結し協力しようじゃないか。…やはりこれはムッソリーニ的なのである。政治的立場を超えて我々は国民として団結しようではないか、階級を超えて右左を越えて団結しようではないか、同じことをイタリアでムッソリーニが言ったのである。
しかし私はこれをオバマ批判のために言っているのではない。むしろ逆に一定の魅力を感じ、少なくとも学べる部分があるのではと思う。実際アメリカは意識的にか無意識にかファシズムの政治的テクニックを受け継いでいるのだ。実はこの危ない書名からも推察できる通り宮台氏らもこのようなオバマのムッソリーニ的側面あるいはイタリア型ファシズムに対して「肯定的」である。(いや佐藤氏はまずこの傾向を「恐ろしい」と述べているので微妙だが普段佐藤氏の著作や文章を一字も読んだ事がない私としては佐藤氏の立場は本書を通読するだけではあまり明瞭でなかった。後述する「小さな政府に大きな社会」という宮台氏がファシズムに見出す理想は共有してるように見えたが。また田原氏はあまり踏み込まず中間で二人の話をニュートラルに聞いているだけという具合なので、やはり明白に強く肯定的なのは宮台氏だけかもしれない)
こういった論点について踏み込んだ刺激的な議論が交わされているのかと思い、非常な期待感を抱いていたのだが、高々一時間半の議論であるうえ、田原氏が二人の話を穏便に聞くだけといった体裁で討論のような展開にはならず、無難で物足りない仕上がりになっている気がしないでもなかった。実質的な頁数も110頁と少なめであり一時間もあれば読みきれる。あとは形式上の不満として話題を区切る小見出しが欲しかったが章割り以外の区分はない。
宮台氏は私は好きなのだがそれとは無関係に言っている事はいつもと同じだなという印象もある。言っている内容は殆ど何も変わらないまま、ファシズムや全体主義リベラルといった表面上刺激的である意味キャッチーな言葉を新しく使って真新しさや衝撃力を装っているだけという印象を受けた。実際、宮台氏がここで言うファシズム、全体主義とは単に政府・国家が市場に介入する事、単にある特定の価値(例えばリベラルな価値観、国家が市場に介入する事も必要とする価値観)を教育で押し付けるべきと主張する程度の意味でしかない。多分これは少なくない人にとっては全く普通の事に見えるだろうし、実際別になんでもない事だと思う。(ある意味、悪魔祓いされたファシズムは全く普通の思想になってしまうという事かもしれない)101頁で「僕自身は全体主義的リベラルっていう立場を標榜しているんですね」などと言い出すのだが長らく愛読している私でもこれは初耳であった。(※追記・最近の著作では存外言っていた、既読の本でも言っており単なる読み落としであった)本書中他にも「僕は実は天皇主義者なんですが」「僕は実は亜細亜主義なんですが」と半笑いで説明する箇所があり、多分氏はこういう事を言うのが好きなんじゃなかろうかとどうでもいい事を思った。なんにせよ保守リベラル、亜細亜主義、天皇主義に続いて宮台氏が表明する立場の名前として晴れて全体主義的リベラル、ある種のファシズムが加わったわけである。だが私が見るにこれらは殆ど意味が変らない。加えて宮台氏は大きな社会に小さな政府とも言い続けているがこれは本書でも言われている。他所ではこれを本来の意味での新自由主義の理想と説明しており、本書でもオバマはファシズムチックであると同時にその意味での新自由主義チックとも言っている。「(オバマは)ファシズム的だと言えると同時に、元々の意味での新自由主義者的でもあり、ニューディーラーのイデオローグ的であり、リベラル・コミタリアン(恐らく誤ショク)的であるわけです。」(29頁)と言っている事からもこれらはイコールで結ばれても構わないし、また宮台氏は恐らくこの全てでありたいと思っているのだろう。
ただ主張の是非とは無関係にこれはファシズムを再評価しようという本書の趣旨も内実はこれまで散々言っている「元々の意味での新自由主義の評価」や「リベラリズムとコミュニタリアニズムの両立」「グローバル化から保守すべきものを守るための亜細亜主義」といった宮台氏お馴染みの内容と何一つ変らないという事で、なんにしても新しさというものがなかった。宮台氏以外に期待をかけるにしても、宮台氏以外は比較的大人しい。田原氏は特にそうだし、佐藤氏はそれなりに多弁だが自分の立場を積極的に押し出しているようにも見えず、ジョークの分量がやたら多い。書名のインパクトに釣られただけにこの無難かつ短く浅く従来どおりの内容には少しばかりがっかりであった。
2010年12月6日に日本でレビュー済み
宮台真司先生
(引用はじめ)
グローバル化に抗うなどということは、加工貿易国家である日本を含めて、絶対にありえない選択肢です。
グローバル化に棹さしながら、社会がボロボロにならないようにプロテクトするのが、
国家の役割だと言うほかないんです。どうすればいいか。結局は、ある種のファシズムしかないんですよ。
価値の埋め込みによる長期的な動員しかない。社会をちゃんとしようっていう動員しかないんです。
ニューディール政策がファシズム的だ、全体主義的だと批判されるのは、完全に正しいんですよ。
だから今後も間違いなく批判されます。でも、資本主義は今後も永久に廃絶できないし、
市場経済が社会を滅ぼさないためにはプレイヤーが社会的である他ないんですから、僕などは批判を覚悟で、
ニューディーラー的なファシストでありたいです。
資本移動が自由化すると、焼畑化するんですね。
・・・経済を回すために、昔ならば社会を保全することが必要だったのが、
「グローバル化によって社会の保全が必要なくなったので、経済エリートが社会的関心を失った」
公務員を含めて政治に関わる人間は「本当だったら本当のことを言えばいい」って話じゃないんですよ
地球温暖化を最初に言い出したのは、NASA(アメリカ航空宇宙局)なんですね。
・・・理科系の人たちが言ってました。
「これは不透明だな。なんでアメリカが突然、地球温暖化を言い出したんだろう」と。
・・・フェイル・セイフのために、もうひとつの道をつくっておこうという話じゃないか、と。
僕もそのように思いました。25年も前の話ですがね。・・・
アル・ゴアを主人公とした『不都合な真実』というドキュメンタリー映画を観て・・・
僕は・・・これは、ミリタリー・オプションと環境オプションとどっちもアメリカにはあって、
状況を見て、軍事がダメだったら環境で「公共事業」をやりましょうっていう布石として受けとるべきだと思いました。
(引用終わり)
途上国の生活は、焼畑化する前の方がまだ幸せだったと言えるのか?
焼畑化よりも科学的体裁の方がマシだと言えるのか?
大好きな宮台先生には、もっともっと本当のこと(リフレーション万歳)を語って頂きたいと思った次第です。
(引用はじめ)
グローバル化に抗うなどということは、加工貿易国家である日本を含めて、絶対にありえない選択肢です。
グローバル化に棹さしながら、社会がボロボロにならないようにプロテクトするのが、
国家の役割だと言うほかないんです。どうすればいいか。結局は、ある種のファシズムしかないんですよ。
価値の埋め込みによる長期的な動員しかない。社会をちゃんとしようっていう動員しかないんです。
ニューディール政策がファシズム的だ、全体主義的だと批判されるのは、完全に正しいんですよ。
だから今後も間違いなく批判されます。でも、資本主義は今後も永久に廃絶できないし、
市場経済が社会を滅ぼさないためにはプレイヤーが社会的である他ないんですから、僕などは批判を覚悟で、
ニューディーラー的なファシストでありたいです。
資本移動が自由化すると、焼畑化するんですね。
・・・経済を回すために、昔ならば社会を保全することが必要だったのが、
「グローバル化によって社会の保全が必要なくなったので、経済エリートが社会的関心を失った」
公務員を含めて政治に関わる人間は「本当だったら本当のことを言えばいい」って話じゃないんですよ
地球温暖化を最初に言い出したのは、NASA(アメリカ航空宇宙局)なんですね。
・・・理科系の人たちが言ってました。
「これは不透明だな。なんでアメリカが突然、地球温暖化を言い出したんだろう」と。
・・・フェイル・セイフのために、もうひとつの道をつくっておこうという話じゃないか、と。
僕もそのように思いました。25年も前の話ですがね。・・・
アル・ゴアを主人公とした『不都合な真実』というドキュメンタリー映画を観て・・・
僕は・・・これは、ミリタリー・オプションと環境オプションとどっちもアメリカにはあって、
状況を見て、軍事がダメだったら環境で「公共事業」をやりましょうっていう布石として受けとるべきだと思いました。
(引用終わり)
途上国の生活は、焼畑化する前の方がまだ幸せだったと言えるのか?
焼畑化よりも科学的体裁の方がマシだと言えるのか?
大好きな宮台先生には、もっともっと本当のこと(リフレーション万歳)を語って頂きたいと思った次第です。