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東京タワー 単行本 – 2001/12/1
江國 香織
(著)
- 本の長さ297ページ
- 言語日本語
- 出版社マガジンハウス
- 発売日2001/12/1
- ISBN-104838713177
- ISBN-13978-4838713172
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
待つのは苦しいが、待っていない時間よりずっと幸福だ-。ふたりの少年・透と耕二。そして彼等の年上の恋人。恋の極みを描く長編恋愛小説。
登録情報
- 出版社 : マガジンハウス (2001/12/1)
- 発売日 : 2001/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 297ページ
- ISBN-10 : 4838713177
- ISBN-13 : 978-4838713172
- Amazon 売れ筋ランキング: - 43,219位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,144位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1964年東京生まれ。1987年『草之丞の話』で毎日新聞社主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本 周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞。「409ラドクリフ」(1989年フェミナ賞)、『こうばしい日々』(1991年産経 児童出版文化賞、1992年坪田譲治文学賞)、『きらきらひかる』(1992年紫式部文学賞)、『ぼくの小鳥ちゃん』(1999年路傍の石文学賞)、『が らくた』(2007年島清恋愛文学賞)など作品多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 真昼なのに昏い部屋 (ISBN-13:978-4062161053)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
此の所話題になった本、古い本の為書店注文が出来ず、此方で見つけ購入した、綺麗な本が届きました。
2022年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文庫本とは違い夜の東京タワーの装丁がとても素敵です。読後飾るのも素敵だと思い、単行本を購入しました。前の本なのでなかなか単行本を本屋で見かけることもなく、念願かなって買えて嬉しいです。厚みもあり満足感のある一冊です。
2010年5月2日に日本でレビュー済み
大学生の男性・透と、既婚女性でどことなく達観している感のある詩史。
大学生のやんちゃな男性・耕二と既婚女性で熱情家の喜美子。
この2組の関係が中心になり、その周りに取り巻く登場人物に彩られて
物語は、ゆっくりと展開していく。
全体的には、特に大きな結末が待っているわけではなく、登場人物の
生き方や考え方が丁寧に描かれている。
著者の本書における特徴であろうが、一節の中でも場面場面があっと
いう間に切り替わって、しかし、全体の展開としてはかなりゆっくりと
進んでいくものだから、やや間延びをした印象を個人的には受けた。
また、その技法のために、登場人物のいずれかに深く感情移入できな
かったのも残念だった。
また、例えば「いつも一緒にいられる。海外に買いつけにいくときも、
二人で行かれる」(p. 248)の「行かれる」に見られる表現のように、
おそらくは「ら抜き表現」に気をつけられたのだろうと推察されるが、
その表現が文法的に間違っている(これは「行ける」でいいので、過剰
修正している)し、さらに上記のように、私個人の語感からすると、
自然な日本語とは呼べない表現も目に付いたのも、気になってしまった。
大学生のやんちゃな男性・耕二と既婚女性で熱情家の喜美子。
この2組の関係が中心になり、その周りに取り巻く登場人物に彩られて
物語は、ゆっくりと展開していく。
全体的には、特に大きな結末が待っているわけではなく、登場人物の
生き方や考え方が丁寧に描かれている。
著者の本書における特徴であろうが、一節の中でも場面場面があっと
いう間に切り替わって、しかし、全体の展開としてはかなりゆっくりと
進んでいくものだから、やや間延びをした印象を個人的には受けた。
また、その技法のために、登場人物のいずれかに深く感情移入できな
かったのも残念だった。
また、例えば「いつも一緒にいられる。海外に買いつけにいくときも、
二人で行かれる」(p. 248)の「行かれる」に見られる表現のように、
おそらくは「ら抜き表現」に気をつけられたのだろうと推察されるが、
その表現が文法的に間違っている(これは「行ける」でいいので、過剰
修正している)し、さらに上記のように、私個人の語感からすると、
自然な日本語とは呼べない表現も目に付いたのも、気になってしまった。
2019年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画がとても大好きだったので、原作を読みたくなり購入しました。
まだ途中なのですが、面白いです。
まだ途中なのですが、面白いです。
2015年3月2日に日本でレビュー済み
女性が描く男性視点には違和感や共感できない部分が目に止まってしまう印象がある。
しかしこの作品にそれは感じなかった。それはあとがきから察するに協力してくれたアンケート回答者に綿密な取材をしたからだろうと思う。
それが功を奏した点であり、それ故に、若く、男の、ひとりよがりな、わがままな、と言った多くの大人になりきれない心情が如実に書ききってあると感じました。
二組の男女は、二組共に全てが違っていく。
それは性格だったり、生活だったり、過去の経験に基づいた現在の行動理由だったり。
状況こそ似ているが、二人の生活は真逆といえる。
透は遅く帰る母と詩史からくる電話を待ち続け、耕二は自らスケジュールを調整し飛び込んでいく。そこからわかる通り透は我慢強く、耕二は予定が狂うと苛立ちを誤魔化せない。
その二人と恋仲になる詩史と喜美子は、これも性格面で隔たりのある二人に思える。
いつも落ち着き払っている詩史と、素直に心乱されるままの喜美子。この二人が、もし逆の組み合わせで付き合っていたなら、きっと不幸は大きなものではなかっただろう。
――ここからネタバレを含みます――
透は、それこそ日陰の男として最期まで詩史に付いていこうと決意して物語は終わる。一方の耕二は、彼自身、体の相性が抜群だったと評する喜美子にフラレてしまう。
「振るのは自分から」と決めていた耕二にとって、これは考えられない事だった。
耕二の不幸は二つある。
一つは上記の通り、喜美子にフラれた事。もう一つは歳近い彼女の由利に振られた事。耕二はきっと、喜美子にフラれたからこそしばらく彼女の幻影を追ってしまうだろう。その時に誰かと付き合っていたとして、彼はまた苦しむことになる。――それが吉田ならばなおさら――
基本的に耕二は面倒な事から目を背ける傾向にある。恋人関係に疲れたら、また恋愛絡みで一悶着起こすだろうと思う。現に彼は最後の場面で略奪愛をゲーム感覚で行おうかと迷っていた。
これは若さ溢れる子供にはままある事だが、彼が落ち着くには喜美子との体の相性が良すぎた事が邪魔になる。きっと耕二は喜美子の代わりを探してしまうのではと邪推する。
だが一つだけ幸運がある。
それは喜美子との別れ。耕二にとって不運な結末だろうとも、喜美子が年上の狡知で自分を忘れさせない為にフッたとしても、結末が出た事で前に踏み出すきっかけになると思う。それが由利に謝る事なのか、吉田に全てを吐露し謝罪する事なのかわからないが、彼には禊をする準備が与えられたと思う。
それと逆に、透は違う。ずっと詩史と一緒に……そう考えた彼はそれを実行するだけの行動力を持つ。母の制止を無視し、親元から去る事になっても、彼の行動は止まらない。もう、止められない。
これは実に不幸な事だ。
詩史が断っていたなら……親の言葉に耳を貸していたなら……この不幸は長いものにはならなかっただろう。
耕二と違い、肉体ではなく精神的な依存をしている透は、きっとその夢から醒めにくいと思う。それを止めてあげられたのは、誰あろう詩史だったはずだ。
ヒステリックに叫んだ喜美子を見て、面倒な女だと思った。一切そういった行動をとらない詩史を大人に感じた。この感想は大体の男性読者に当て嵌まると思う。
でも結果として、若者を蛇のようにじわじわと苦しめるのは詩史だ。いくら愛を免罪符にしようとも、それは決して許されない、長く続けてはいけない情欲のはず。詩史が本当に透の事を思うなら、最後は拒絶するべきだった。御母堂と話す機会もあったというのに、「これは私達(母と詩史)の問題」と透を蚊帳の外に置いた。この行動、母が止めるのも理解できるものだ。
透は賢しく育ったのだと思う。自分が大人の仲間入りを果たした人間で、同期の桜は全て子供に見え、どこにいても愛向ける相手を一途に思い続ける、そんな賢しさを持ってしまった子供だ。
だからきっと透も、いつの日か気付くだろう。「このままじゃいけない」と。ただ近くにいられるだけという幸せに慣れてしまった時が恐ろしいと思う。それでも透は我慢できるだろう。そのまま晩年を迎え、万が一にも詩史の夫が死にでもしたら……待ちに待ったその瞬間に、心から悲しむ詩史を見て、彼は平静でいられるだろうか。夫婦の間に一分の隙もないと気付いた時、彼ははじめて、半生を無駄に過ごしたと思うのかも知れない。
毎年、言われる前に拭いていた窓を母が褒めていたら、それを通るが無邪気に喜べていたら、「拭いたよ」と一言、自分から言えたら、透は自分が考えるよりも自分の子供らしさに気付けたかもしれない。
いつの日か、中年期になった透を慕う若い女性が現れて、負のスパイラルが続いてしまわない事が何よりの願いだ。
しかしこの作品にそれは感じなかった。それはあとがきから察するに協力してくれたアンケート回答者に綿密な取材をしたからだろうと思う。
それが功を奏した点であり、それ故に、若く、男の、ひとりよがりな、わがままな、と言った多くの大人になりきれない心情が如実に書ききってあると感じました。
二組の男女は、二組共に全てが違っていく。
それは性格だったり、生活だったり、過去の経験に基づいた現在の行動理由だったり。
状況こそ似ているが、二人の生活は真逆といえる。
透は遅く帰る母と詩史からくる電話を待ち続け、耕二は自らスケジュールを調整し飛び込んでいく。そこからわかる通り透は我慢強く、耕二は予定が狂うと苛立ちを誤魔化せない。
その二人と恋仲になる詩史と喜美子は、これも性格面で隔たりのある二人に思える。
いつも落ち着き払っている詩史と、素直に心乱されるままの喜美子。この二人が、もし逆の組み合わせで付き合っていたなら、きっと不幸は大きなものではなかっただろう。
――ここからネタバレを含みます――
透は、それこそ日陰の男として最期まで詩史に付いていこうと決意して物語は終わる。一方の耕二は、彼自身、体の相性が抜群だったと評する喜美子にフラレてしまう。
「振るのは自分から」と決めていた耕二にとって、これは考えられない事だった。
耕二の不幸は二つある。
一つは上記の通り、喜美子にフラれた事。もう一つは歳近い彼女の由利に振られた事。耕二はきっと、喜美子にフラれたからこそしばらく彼女の幻影を追ってしまうだろう。その時に誰かと付き合っていたとして、彼はまた苦しむことになる。――それが吉田ならばなおさら――
基本的に耕二は面倒な事から目を背ける傾向にある。恋人関係に疲れたら、また恋愛絡みで一悶着起こすだろうと思う。現に彼は最後の場面で略奪愛をゲーム感覚で行おうかと迷っていた。
これは若さ溢れる子供にはままある事だが、彼が落ち着くには喜美子との体の相性が良すぎた事が邪魔になる。きっと耕二は喜美子の代わりを探してしまうのではと邪推する。
だが一つだけ幸運がある。
それは喜美子との別れ。耕二にとって不運な結末だろうとも、喜美子が年上の狡知で自分を忘れさせない為にフッたとしても、結末が出た事で前に踏み出すきっかけになると思う。それが由利に謝る事なのか、吉田に全てを吐露し謝罪する事なのかわからないが、彼には禊をする準備が与えられたと思う。
それと逆に、透は違う。ずっと詩史と一緒に……そう考えた彼はそれを実行するだけの行動力を持つ。母の制止を無視し、親元から去る事になっても、彼の行動は止まらない。もう、止められない。
これは実に不幸な事だ。
詩史が断っていたなら……親の言葉に耳を貸していたなら……この不幸は長いものにはならなかっただろう。
耕二と違い、肉体ではなく精神的な依存をしている透は、きっとその夢から醒めにくいと思う。それを止めてあげられたのは、誰あろう詩史だったはずだ。
ヒステリックに叫んだ喜美子を見て、面倒な女だと思った。一切そういった行動をとらない詩史を大人に感じた。この感想は大体の男性読者に当て嵌まると思う。
でも結果として、若者を蛇のようにじわじわと苦しめるのは詩史だ。いくら愛を免罪符にしようとも、それは決して許されない、長く続けてはいけない情欲のはず。詩史が本当に透の事を思うなら、最後は拒絶するべきだった。御母堂と話す機会もあったというのに、「これは私達(母と詩史)の問題」と透を蚊帳の外に置いた。この行動、母が止めるのも理解できるものだ。
透は賢しく育ったのだと思う。自分が大人の仲間入りを果たした人間で、同期の桜は全て子供に見え、どこにいても愛向ける相手を一途に思い続ける、そんな賢しさを持ってしまった子供だ。
だからきっと透も、いつの日か気付くだろう。「このままじゃいけない」と。ただ近くにいられるだけという幸せに慣れてしまった時が恐ろしいと思う。それでも透は我慢できるだろう。そのまま晩年を迎え、万が一にも詩史の夫が死にでもしたら……待ちに待ったその瞬間に、心から悲しむ詩史を見て、彼は平静でいられるだろうか。夫婦の間に一分の隙もないと気付いた時、彼ははじめて、半生を無駄に過ごしたと思うのかも知れない。
毎年、言われる前に拭いていた窓を母が褒めていたら、それを通るが無邪気に喜べていたら、「拭いたよ」と一言、自分から言えたら、透は自分が考えるよりも自分の子供らしさに気付けたかもしれない。
いつの日か、中年期になった透を慕う若い女性が現れて、負のスパイラルが続いてしまわない事が何よりの願いだ。
2005年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
美しい人妻に憧れる2周り年下の若者。
こんな設定が江國さんによってメジャーな文化として
街に浸透していったら、日本の明日は・・・。と少々不安だったり、わくわくしたり。
「自分はいくら年をとっても若い女の子といちゃいちゃしてもいい」という特権を持っているかような世の夫たちに対する妻たちの氾濫のリード線になるかもしれない。
そう思うと、ここに出てくる2人の女性と彼女達に自己投影する女性陣にエールを送りたい気もします。
個人的にはやたら「一文節の体言止め」が多いのが気になりました。
こんな設定が江國さんによってメジャーな文化として
街に浸透していったら、日本の明日は・・・。と少々不安だったり、わくわくしたり。
「自分はいくら年をとっても若い女の子といちゃいちゃしてもいい」という特権を持っているかような世の夫たちに対する妻たちの氾濫のリード線になるかもしれない。
そう思うと、ここに出てくる2人の女性と彼女達に自己投影する女性陣にエールを送りたい気もします。
個人的にはやたら「一文節の体言止め」が多いのが気になりました。