お届け先を選択
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

絶望断念福音映画: 「社会」から「世界」への架け橋 (ダ・ヴィンチブックス) 単行本 – 2004/8/1

4.0 5つ星のうち4.0 8個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

絶望し、断念し、それでも僕たちは福音を待つ。社会から世界へ架かった橋の上で…。気鋭の社会学者が、映画を切り口に、現代社会の構造を解き明かす! 開かれた世界へのパスポート。『ダ・ヴィンチ』連載を単行本化。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ KADOKAWA(メディアファクトリー) (2004/8/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2004/8/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 367ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4840111308
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4840111300
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 8個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
宮台 真司
Brief content visible, double tap to read full content.
Full content visible, double tap to read brief content.

1959年、宮城県生まれ。

社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『中学生からの愛の授業』(コアマガジン)『<世界>はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)、『制服少女たちの選択』(朝日文庫)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)など多数。

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
8グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2004年10月15日に日本でレビュー済み
映画評論には、大雑把に2つの方法があると思います。1つには、映像をどう切り取るかに着眼した方法。もう1つには描かれたコンテンツについて語る方法。そしてこの評論は後者に当たるものです。
では、その内容を語る方法ですが、その方策は多様にあるように思います。マルクス主義全盛期には、映画の中に、「この部分はマルクスの言う疎外が描かれている」といった評論が可能だったと聞きます。
それが評論として妥当かどうかは別として、少なくとも映画は、そういった見方を許している媒体だということができます。
つまり、この評論は、映画を社会学的方法、意味解釈的に理解するという方策をとった評論とみなすべきだと思います。
従って、普通の映画評論として読むと面食らうこともありましょう。あくまで、「宮台的映画評論」として読むべきであり、そういった前提を共有しないのであれば、読む必要はないように思います。また、そういった前提を共有していない批判も、無意味だと思います。
読みたいと思う人は、この評論の独特の読みにくさを作り出している、社会学や哲学の学術用語にまずは慣れるのがよろしいかと思いますので、『サイファ 覚醒せよ』あたりを読んでから読むことをお勧めします。
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宮台氏が取り上げる映画たちは、誤読・誤解されやすい作品が中心となっている。韓国映画のキム・ギドク監督作品などは、その最たる例だろう。宮台氏は、「みんなわかってないよ。この映画はこういう意味なんだよ」的なことはほぼ主張しない。逆に、誤読してしまう部分にこそ映画の主題があることを異様に細かく説いていく。自分ではわかったつもり/頭がいいつもりになっている/なりがちな、そんな自分こそが、映画によって問われるのだと、宮台氏は言っているように思える。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年8月16日に日本でレビュー済み
一見、映画評論的な面が強そうに見えますが、
映画の質や出来などを批評する作品論としては二の次で、
個人的な思い入れや、昨今の映画に散見される社会学的な問題点に
共通性のあるモチーフを見いだし、その中に彼の主張を投影させて語るという内容です。
著者の思想を全く知らないで読むと、少々わかりにくい部分も
あると思いまが、映画評論家とは違う視点で、新鮮ですし内容も濃いのでおすすめです。
22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年2月7日に日本でレビュー済み
 宮台氏が、ここ数十年である種制度化したテクスト論的な批評の作法を知らないはずはない。大学時代には映画制作サークルに所属していたらしい宮台氏が、その当時一世を風靡していたはずの蓮實重彦らの映画批評を意識していないはずがない。また、その当時には小林秀雄を叩くことも大流行だったはずだ。
 この本で宮台氏は、明らかに意図的に、そうした歴史を足蹴にしている。小林秀雄の「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」を地で行くように、この本において映画は、宮台氏が自分の思想を語るためのダシ、触媒、または催淫剤としてしか扱われていない。いい度胸じゃないか。
 で、それは成功したのか?
 率直に言って、退屈だった。だって同じ話の繰り返しなんだもん。基本的な道具立ては、未規定な全体としての「世界」と、コミュニケーション可能な領域としての「社会」。「社会」の無根拠性に気づき、より深く絶望し断念することにより、福音が到来する(かもしれない)、というのが宮台氏のストーリーで、すべての映画はこの宮台ストーリーとの関連性においてのみ取り上げられ、評価される。
 宮台氏の描き出す世界はアイロニーに満ちている。キレイはキタナイ、キタナイはキレイ、希望は絶望、絶望は希望。良かれと思ってしたことが人を破滅させ、投げやりな身振りにこそ真摯な愛がある、とか何とか。そして言葉嬲り大好きな宮台氏らしく、語り口はまさしくサド的で、愛の対象(ここでは映画)を抹消するまでに思想的ファンタジーを増殖させる。
 サディストは自らを昂ぶらせるために、ファンタジーを更新し続けなくてはならない。しかしこの本では、ファンタジーは単調に増殖するばかりで、更新されることがない。「サイファ」の脚注という限界に留まっている。脚注を本にして商売するとは、実にいい度胸。読む方も読む方だけど。あ、ワタシのことか。 
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年1月10日に日本でレビュー済み
社会のシステムに取り込まれているだけじゃないか。
こんな社会で生きるのは無意味ではないか。
そんな問いは、ハイデガー後期の絶望と重なるように、あるがままの世界への「驚き」に出会うことから生まれる。そして「驚き」の後、虚構の社会でいかに生きるべきか。
「驚き」の契機とそれらの問いへの応答が映画にはあふれていることを宮台氏は気づかせてくれる。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート