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小説・秒速5センチメートル (ダ・ヴィンチブックス) ハードカバー – 2007/11/14

4.4 5つ星のうち4.4 82個の評価

この商品には新版があります:

気鋭の映像作家・新海誠が、最新作である連作短編アニメーションを自ら初の小説化!
“どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。”

【第一話】東京の小学校に通う遠野貴樹(たかき)と篠原明里(あかり)。二人は常に一緒にいたが、先に明里が転校し、その後貴樹も転校することに。遠く離れ離れになってしまう前に再会を願うふたり。彼らのうえで永遠と瞬間が交錯し、ふりそそぐ。
【第二話】種子島に暮らす高校三年生の澄田花苗(かなえ)の心を占めているのは、東京から転校して来た貴樹の存在。花苗にとって彼はいちばん身近で遠い憧れ。切なく揺れる思いを抱えながら、花苗にとっての夏が過ぎてゆく。
【第三話】貴樹は大学進学のため上京し、いくつかの恋をし、またそれらを失った。卒業後、ソフトウェア開発企業に就職した貴樹は、仕事で出会った水野理沙(りさ)に惹かれていくが……。

商品の説明

著者について

しんかい・まこと●1973年長野県生まれ。映像作家。ゲーム開発会社に勤める傍ら、自主アニメーション制作を開始。02年に『ほしのこえ』を発表し話題となる。04年『雲のむこう、約束の場所』を公開。『秒速5センチメートル』は全国順次拡大公開に加え、海外でも韓国を皮切りに上映が決定。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ メディアファクトリー (2007/11/14)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2007/11/14
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ハードカバー ‏ : ‎ 200ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4840120722
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4840120722
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 82個の評価

著者について

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新海 誠
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1973年長野県生まれ。映画監督・映像作家。ゲーム会社に勤める傍ら、自主制作アニメーション『ほしのこえ』を2002年に発表、数々の賞を受賞。04 年に『雲のむこう、約束の場所』で、毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。07年『秒速5センチメートル』を公開し、ロングラン上映を記録。 『小説・秒速5センチメートル』で小説家としてもデビュー(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『ほしのこえ The voices of a distant star』(ISBN-10:4840131376)が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

星5つ中4.4つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2008年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小説版・「秒速5センチメートル」。
結末は同じだが、アニメでは不明であった場面の意味が判るという意味では、「相互に補完」が上手く為されている。
(だから、アニメ観た後に必ず読む必要アリ!)
所々に「追加説明」アリ。
第1章「桜花抄」において度々登場した空を翔るアカゲラは
・「貴樹の夢の中の空を飛んででも明里の元へ駆け付けたい」という願望の投影であったり
(アニメでは眼下に鉄道やら河やらで地図が隔てられているが、アカゲラはそれらを簡単に飛び越えてしまっている。)
・明里が貴樹に会いに行くことを「彼女の母親はどう考えていたのか?」とかである。
(↑明里のお母さん、娘の恋の応援するのでしたら、もっと貴樹の母親と親しくしておくとかして下さいよ!)

注目はやはり最後の明里が雪の一夜に貴樹に手渡すことが出来なかった手紙の内容。
「桜花抄」において小学生の明里は猫を撫でながら
「独りは寂しいよね」と呟いています。
幼い頃から転校続きの彼女は「独りの辛さ・寂しさ」をよく知っていた・・・。
また貴樹は明里と文通するようになってから
「手紙から想像する明里はなぜかいつも独りだった」
と言っています。
つまり上記から察するに・・・明里には貴樹以外には友達もいなかったと思われます。
(明里の12年間の人生の中では最長と思われる3年間同じ場所に留まったにもかかわらず)
それは「転校続き」ということに加え、「内向的な性格」にも原因があったことでしょう。
(さらに東京に来てからは、貴樹が明里を独占していたというのもある。)
東京でようやく出来た人生最初の親しい友達が貴樹で、しかもその友達は
「自分を独占してくれて(明里のことを常に守ってくれて)、さらには明里にもその存在を独占させてくれる」
という最上の相手でした。これで明里が貴樹にのめり込まないわけがありません。
さらに貴樹との文通の開始は「彼女の方からだった」という点も大きなポイントです。彼女は転校先でも寂しさに耐えかねていた・・・・。

明里には貴樹が自分の世界の構成の全てだった。
貴樹が転校して、栃木と種子島に引き離されて「もう会うことが出来なくなる」。
その事は貴樹も明里も実際に再会する前から自覚しています。
それは「世界を破壊されるかのような衝撃」であったに違いありません。

だからこそ2人はお互いに相手にそれまでは伝えられなかった「相手に対する本当の気持ち」を伝えようと手紙を書いていました。
(小学生時代の2人の関係を見るに「お互いのことが好き」なことは明白で、言葉に出して言わなくても気持ち自体は通じているのですが・・・・)
が、このお互いの手紙の意味は明里側と貴樹側では大きく異なっていた。
明里は貴樹ともう二度と会えないことを半ば覚悟していて
「私はこれからは、ひとりでもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。」
と言い、さらには
「私も貴樹くんも。そうですよね?。」
と、それは貴樹も同じだと促しています。(自身が貴樹に依存していたように、貴樹も自分に依存していることを理解している。)
そして・・・貴樹が自身を守ってくれた事への最大の感謝。
「貴樹くんがいてくれたからこそ、学校がつらい場所ではなくなった」と礼を述べ、
「貴樹くんが好き」というハッキリした意識・おそらくは初恋である恋心を認め、作中で唯一、貴樹に伝えることが出来た
「貴樹くんは、これから先も(私がいなくなっても)大丈夫だと思う。」
と今までとは逆に明里の方が貴樹を激励しています。
(それが、小学校4年生のときに出会ってから今までずっと自分のことを守り、自分の心を常に支えてくれた初恋の男の子に明里ができた、「せめてもの恩返し」であったのでしょう。)
貴樹は明里が幼い頃からずっと感じていた心の孤独を埋めてくれた恩人。
そんな強い彼だからこそ明里は「これから先も大丈夫。」と信じることが出来た。
そして、ここまで読めば明里にとっての貴樹は「自分もそうなりたいと憧れるような存在」であったことが判ります。
明里は貴樹を最後の最後で安心させたかったのでしょう。もう容易には、下手をしたら二度と会うことが出来ないだろうから、貴樹を心配させたまま別れたくはない。
独りになるのは怖い。貴樹が傍にいてくれないのは心細い。でも、そんな気持ちを押し殺して、明里は貴樹に宣言してみせた。
「貴樹が傍にいなくても、たとえ自分の手を引いて、からかいや嘲笑の視線の中から救い出してくれる者が誰もいないとしても、ちゃんと自分の力で立ち向かえるようになってみせます。そして、いつかは自分も貴樹のように強さと優しさを合わせ持つ人になります。」という意味。
一人になることにより大きな不安を感じていたのはむしろ貴樹よりも明里のほうだった。
なぜなら、貴樹には明里以外にも「友人」はいたが(貴樹は社交的)、明里には中学入学までの12年間で貴樹しか友人がいなかったのだから。
その明里にとっての「ただ一人の友人」を奪われる不安たるや如何ほどのものであっただろうか?
そこを敢えて「強がってみせた」ところが貴樹と過ごした3年間で明里が貴樹から影響を受けて身に付けた「明里の強さ」だった。

手紙の内容は言わば「明里の(貴樹からの)独立宣言」です。

そもそも思い出して下さい。貴樹が鹿児島に転校することを知った明里の返事のセリフです。
明里「今度は貴樹くんの転校が決まったということ、驚きました。お互いに昔から転校には慣れているわけですが、それにしても鹿児島だなんて…。 今度はちょっと遠いよね。いざという時に、電車に乗って会いに行けるような距離がなくなってしまうのは、やっぱり少し…ちょっと寂しいです。どうかどうか、貴樹くんが元気でいますように。」

↑アニメではこのセリフで明里は未練を感じつつもすでに貴樹から必死に一人立ちしようとしている点に注意。ポイントは寂しさが「少し」→「ちょっと」と、小さくなっていることです。「少し」→「凄く」ではない点。(←勿論、貴樹を心配させないための「強がりな部分」が大ですが)貴樹がそれに気付いていないのが悲しい・・・・。

それと、貴樹の乗った電車が去った後、渡せなかった手紙を鞄から取り出した後の
「空を見上げた彼女の複雑な表情(貴樹との違い)」に注目!
彼女の前夜までの「少女の顔」から一夜にして(貴樹とのキス・そして一夜を共にしたことで)「大人びた顔つき」に変貌している点。
明里の上記の「複雑な表情」は
「私は二度と貴樹くんと会えない覚悟をしていたんだけど・・・・貴樹くんは違ったのかな・・・?(貴樹くんのほうは大丈夫かな・・・・?)」
という心配が現れたものでしょう。だから、なおのこと明里は手紙を貴樹に渡しておく必要があったのだが・・・それが出来なかった。なぜなら、彼女も貴樹と同じくあのキスで世界がそれ以前とは一変してしまい、「一人立ちしようという決意が揺らいでしまった」のだから。
(よって・・・それ以降もしばらくは文通は続いていたようである。)

これに対して貴樹のほうは前述のように明里と会うのが最後になるかもしれない、もう彼女とは途切れてしまうだろうということを事前に認識しながらも、いざ明里と再会してしまった後のラストシーンでは
「手紙書くよ!電話も!」
「彼女を守れる力が欲しいと強く思った」などと、
明里とのキスで「2人はこれから先も一緒にはいられない」と悟っているにも関わらず、
明里はもう「貴樹に守ってもらうことを必要としていない」のに
逆に明里との繋がりをこれからも続けられると信じるかのように
2人を引き離そうとする流れに抗する道を選ぼうとしています。

貴樹が失くしてしまった明里への手紙の最後に書いた
「大人になるということが具体的にどういうことなのか、僕にはまだよく分かりません。でも、いつかずっと先にどこかで偶然に明里に会ったとしても、恥ずかしくないような人間になっていたいと思います。そのことを、僕は明里と約束したいです。明里のことが、ずっと好きでした。どうかどうか元気で。さようなら。」
というセリフは「実際に風に飛ばされた手紙の中に記載されたもの」ではない。上記は明里の事を心の中で引きずっていた大人の貴樹が「自らの夢の中で、明里への気持ちにピリオドを打つために書いたもの」だ。だから、中学生当時の手紙にこの文章はない。そうでないと「明里のことが、ずっと好きでした。」と過去形で語っている貴樹が明里と出会い「彼女を守れる力が欲しい」などと強く願うに至る・・・・という訳の分らない話になってしまう。

貴樹も明里とのキスで「別れの決意が揺らいでしまっていた」・・・・。
仮にキスが無く、明里の手紙が貴樹の手に渡っていれば互いの気持ちが秘められる事もなく、貴樹は「安心して鹿児島へと旅立てたはず」である。
そして・・・その後も多分「付かず離れずの距離を保ちながら」関係は続いていったはずだ。

貴樹が傍にいなくても自分で何とかしていかなければいけないと覚悟している明里に対して、貴樹の方は全然明里に対して未練タラタラで、頑張れば奇跡的に(関係を)続けられるんじゃないだろうか・・・・?とすら考えていたようです。
(ただ、それも後述の理由を考えれば無理のない話で、貴樹を責めることは出来ないでしょう。)

この両者の再会時の覚悟の違いが何年か後の「予想していた(手紙すらの)途絶のとき」が現実のものとなった後の2人の生き方に現れたのではないでしょうか。
そのときを覚悟していた明里は前向きに、覚悟が出来ていなかった貴樹は逆に内面に籠るようになってしまう。
そう考えると、明里の方はともかくとして、貴樹の方は明里からの手紙を受け取れなかったことが後々まで貴樹の人生に大きな影を落とすことになった。

貴樹の名誉のために言うならば、貴樹には明里から
・「転校を電話で告げられたときに、彼女を労わってあげることが出来なかった。彼女を傷付けてしまったことに対して負い目がある」
という点と、前述の手紙から想像する明里のイメージが
・「彼女を独りぼっちにさせてしまっている」
という二重の負い目を感じてしまっている点を忘れてはいけません。
だからこそ再会の後に「彼女を守れる力が欲しい」と強く願うに至ったのです。

これを考えれば、明里が貴樹を好きになったことが間違いであろうはずはありません。
明里にとっての貴樹は、初恋の相手として「これ以上はないくらいの、最上の相手」でありました。
そして、男の子ならば好きな女の子を泣かせたくない・守りたいと思うのは自然です。
確かに2人は「引き離されなければ、結ばれた可能性も限りなく高い」ことを否定できません。

小学校の卒業で心は離れていないけれど身体は離されてしまった2人は、互いに未練があって文通を始めました。
が、それも実質は「子供でもまだ何とか出会える(距離的な)範囲に貴樹がいた僅か数ヶ月の間だけ」の束の間の幸せ。

結局は2人とも「引き離されていくことを仕方のないこと」と受け入れなければならなくなった。
(一応は、その流れに抵抗しようとはしていたのだが、最終的には呑み込まれた。)
もしも・・・
・2人の両親同士が仲がよく、交流が深かったとしたら
・2人に別に(2人の仲を取り持ってくれるような)共通の友人がいたなら
遠距離でもまた違った結末になっていたかもしれない・・・。
そういう意味ではやはり「貴樹も明里も、2人ともお互いの世界だけに引き籠り過ぎ」であった。
他者との関係を拒絶し、「2人だけの世界」に陶酔していたから、その世界がいざ存続の危機を迎えた時に、「支援してくれる第三者」が誰もいない・・・・・という状況に陥ってしまうのである。

ちょっと話が逸れますが、第1章「桜花抄」限定で非常に合うなと思うイメージソングを2つほど見つけましたので、よかったら聴いてみてください。

・TRUNKのアルバム「HY」の最後の曲「Song for・・・」です。
明里の心情そのものを歌詞にしたとしか思えないです。驚きました!必聴です!
さらに・・・おそらくは貴樹を振り切り、自身の道を行く覚悟が決まったときの彼女のイメージソングは
・the brilliant greenのシングル「Hello!Another way-それぞれの場所-」
でしょう。こちらも聴けば成程と思うはずです。

「手紙すらの途絶の理由」は、おそらくは自然消滅ではない。
ほぼ間違いなく「明里からの(一方的な)申し入れ」だろう。
貴樹に依存し、貴樹しか自身の構成する世界に人がいない状況からの脱却を彼女が望んだ故の新たな一歩が「貴樹との別れ」であったはずだ。
以後の彼女は第3章で見るように「いい意味で小学校時代とは別人のよう」だ。
決して明里が貴樹を嫌いになったわけではないことは「渡せなかった手紙をずっと保管していること」や、「結婚が決まった後にも貴樹を思い出していること」からもうかがえる。
イヤ・・・むしろ「婚約者以上に明里には貴樹は最愛の人」であるはずだ。(それが貴樹に取って「唯一の救い」か。)
そして、最後に奇跡のように踏切ですれ違う。明里は・・・直前の表情から「当然に貴樹であることを直感している。」
しかし、電車が通り過ぎた後に明里の姿はなかった・・・・。
明里が本当に貴樹のことを振り切っているなら、笑顔で貴樹と出会えたはずだ。
振り返りながらも、その場を逃げ出してしまったのは・・・・・まだ貴樹の事が好きだからだ・・・・。
(あの電車が通り過ぎるまでの短時間で現場から消え去るには「歩いて立ち去る」のでは間に合わない。
明里の影も形も無かったということは・・・・つまり、明里はあの決して走りやすいとはどう考えても思えない靴を履いて「ダッシュした」のですよ!
でないと、歩いて立ち去った場合は踏切が上がった後に立ち去る後姿が見えて、貴樹が追い駆けてくることも考えられる。)
十数年ぶりの邂逅に大きく動揺したのは貴樹の方ではなく、過去を振り切ったはずの明里のほうだった。

これは「今度は明里のほうが貴樹に代わり、悩み苦しんでいくことを示唆」している。
おそらくは明里がそれを乗り越えた際にこそ貴樹と明里は笑顔で
「真の意味での再会を果たす」のですよ。
「貴樹が安心できるような明里」と、
「明里があこがれ続けた貴樹」
になって再会するのです。
でも・・・それにはまだまだ時間が掛かる。まだその時期ではないのです。
作中では貴樹だけが膨大な時間を囚われ続けたように感じますが、明里は「ラストシーンの後に苦しむのです。」
明里だけが楽をするわけではありません。
人妻の身でありながら、「自身の最愛の人は夫ではない」と意識してしまった明里が陥る苦悩の日々は、やがて夫婦間の仲にも当然のように影響を及ぼす。
(↑下手したら「離婚危機」くらい普通にいくかも。)
それを乗り越えることが「明里の試練」です。

男女の仲は・・・・・、
「お互いが好きと言うだけでは結ばれられないもの」なんだろう。
しかも
「最愛の人と結ばれた後は必ず幸せか」と言うと、それもまた違う。
明里は「最愛の人と結婚したというわけではない」事を付け加えておこう。貴樹のために。

現世では結ばれることは出来なかったけれど、2人がお互いを愛し信じた事実は紛れもない「真実」だった。
ただ・・・貴樹と明里の場合、小学生の中ごろの段階ですでにそういう「恋や愛すらも超越する存在」と出会えてしまったところに悲劇があった。
そういう感情を知るには「適齢期」というものがあるはずで、小学生のうちにすでにそういう心情に至った貴樹と明里は・・・・やはり早過ぎたのです。
ほぼ確実に「貴樹と明里の同級生たち」は誰も知らない感情であろうものを知ってしまった2人は・・・他者との交流を拒絶したままに「2人だけの世界に引き籠る」しかなかったことが残念でなりません。

苦難を乗り越えて結ばれ、「生まれた子供にかつての自身を重ねて目を細める2人」、「特別な想いとは何なのかを教えてあげる2人」が・・・見たかった・・・・・。

物語のラストから十数年後、貴樹の娘(女の子が生まれれば貴樹は「明里」と名付けるはず。奥さんは・・・これから見つけます。
なので、普通に考えたら明里の方が先に出産してしまうはずですが・・・
前述の理由から明里はしばらくは子供を産むことが出来ません。
よって、2人の子供は同い年の「同級生」になります。)と、
明里の息子(男の子を生めば、明里は「貴樹」と名付けたがるはず。
明里が子供を産むのは当然に夫婦間のゴタゴタを乗り越えた後です。
よって物語のラストの踏切のシーンからかなり間が空くことになります。)
が出会い結ばれていく・・・っていう展開はあり得なくないと思う。
(ラストのこれからも2人の絆が続きそうな引きから)
実に貴樹と明里の出会いから半世紀を経て「2人の血がひとつになるような」お話。
叶わなかった2人の想いを2人の子供たちが叶えるような、
一旦はドン底に落ちてからの起死回生ともいうべき「ハッピーエンド」。

皆さん。バッドエンドに非ず。新たなるスタートラインを指し示したラストシーンです。
貴樹と明里はまだ「お互いに対して心に誓った、果たさなければならない約束」があるのです。その約束を果たすまでは物語は終わりません。
そして、その時こそ「2人のそれぞれの子供が架け橋となって満開の桜の木の下で(入学式?)もう一度貴樹と明里を結び付けてくれるはず」です。

シュチュエーションとしては、自分の子供の友達を紹介され、
「お父さん(お母さん)と同じ名前なんだって!」と言われて
「えっ・・・・・」と驚いて、続いてその親を紹介され・・・という流れが思い浮かぶ。
その際に、自身の子供にお互いの名を付けていたことが知れれば、「伝えたくて伝えられなかったお互いに対する気持ち」も自然と伝わるはず。
そうすれば、「たとえ結ばれることは出来ずとも、お互いに大切なかけがえのない人だった」と認識できて、彷徨い続けた2人の想いも「成就」され、「昇華」されるはず。
そして、その子供同士が架け橋となった再会こそが、
「2人の血がひとつになるための新たなる布石」。
昔・・・願っていた形とは違ってしまったが、今度こそ「二度と離れない」。
晩年の貴樹と明里は「お互いの血を引く孫(娘?)の成長を見守りながら、2人が出会えたことへの感謝と深い満足感に包まれた」穏やかな日々を送ることになると思います。

いつか「もう一度、お互いと向き合えるようになるその日まで。苦難は続くだろう。でも・・その先にこそ・・・・・・。」
「2人の絆はまだ途切れてはいないかもしれませんよ。」
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レポート
2008年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最初は映画館で映像を見ました。
それから、一年程もたってから、この小説を読みました。
そして、DVDでもう一度映像を見ました。

映画館で映像を見たとき、
期待通りの映像美に感動し、
胸を締め付けられるような気持ちを抱いた
今思えば、何か心に引っかかるような、そんな感情を抱いたことが思い出されます。
それは、作品に共感してしまった部分と
なにか映像作品から読み取りきれなかった部分があったような思いがあったんだと思います。

時間を置いて、小説を手に取りました。
文章だからこそ、描けるものが丁寧に描かれていると思います。
映像で描かれていない部分も描かれています。
特に短編としての『秒速5センチメートル』は、
映像では極短い時間で描かれていますが、
就職から映像で描かれるまでの貴樹の歩みや感じていたことがたくさん描かれています。
最後のメールの内容があります。
花苗との最後の別れが描かれています。
明里と貴樹が渡そうとしていた手紙の内容(おそらくはその一部)があります。

小説を読んだ後、
なぜか発売日に購入をしながら、置いておいてしまっていたDVDを見ました。
自分の周囲の状況の変化もあると思いますが、
映画館で見たときとは、大分違った印象を持ちました。
きっと、読み取れなかったと思った部分を補完できたのだと思います。
なにか、貴樹の心にずっとあったものとか、
そういったものが、すっきりとした形で感じられたのだと思います。
やっぱり切ない気持ちは抱いてしまいましたが・・。

自分の感じたものをつらつらと書いてしまいましたが、
本作品は、映像の小説版ですが、
お互いを補完する位置づけに成っていると思います。
また、少し違った視点で描かれた物になっていると思います。
私のように、映像を初めに見た方が多いと思います。
そういったかたに、是非呼んでいただきたい。
映像をみて、どのような感想をもったとしても・・。
そして映像をもう一度見ていただきたい。
きっと違った見方ができると思います。
きっと違った印象をもてると思います。
それは、きっとより良いもの、糧のようなものになると思います。
133人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2020年10月25日に日本でレビュー済み
良かった。
こちらを先に読んでいなくて。

良かった。
先に映像を観ていて。

良かった。
映像を観たあと、この文字列に出逢うことが出来て。

きっと。
きっと小説だけ先に読んでしまったら、それほどでもなかったかも知れない。
ちょっと良い話だね、で終わってしまったかもしれない。

映像作品を見た後だからこそ、この文字列は必要なものであると。
そう、気づいた。

アリガトウ。
読み終わったあと、その単語しか浮かばなかった。

この文字列のお陰で、貴樹も自分も、救われた気がした。

映像を観ていてこれを読んでいない人。
救われるから読むことを。
2015年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画を見てから2~3週間してから読みました。
映画では桜花抄>秒速5センチメートル>コスモナウトの順に好きでしたが、見事に評価が逆転しました。
(コスモナウト>秒速5センチメートル>桜花抄)

まず、買ってよかったと感じたことを。
・明里が駅で待っている最中に書いていた手紙の内容が明らかにされる
・風で飛ばされた貴樹の手紙の内容が明らかにされる
・花苗との最後の別れが書かれている

DVDの映像特典で、新海監督が「この映画のテーマの一つは『時間』である」というようなことを言っていました。
桜花抄ではそれが一番感じられる話ですが、『時間』に関して言えば、映画の方がわかりやすいです。
小説版は、映画版ではっきりわからなかった主人公の考えていたことなどがわかります。
それが、映像での主人公のイメージとどうしても重ならず、気持ち悪いと思ってしまいました。
「好き」なのはわかるけど、君そんなキャラだったの??という感じでした。

逆にコスモナウトは花苗がどう考えていたのかが分かり、それが映画の花苗と非常にマッチしており面白いです。
花苗が「優しくしないで」と話しますが、映画ではその気持ちに至るまでが分かりにくく感じます。
本書を読むことで花苗の気持ちがよく分かり切ない気持ちになりました。

秒速5センチメートルに関しては、映画で語られていないことが多く語られていますが、あまり印象に残っていません。
個人的には映画版で十分の気がします。(あれこれ自分で想像していた方がよかったように感じます)
ただ、「買ってよかったこと」にも記載しましたが、中学生時代のときの手紙の内容が分かるのがよかったです。

何にしろ、映画で語られなかった部分がわかるため、映画を気に入った人は見る価値がある本だと思います。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年3月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
購入したのは、BSで放送していたアニメを見て興味が涌いたのがきっかけでした。
小説単体としては、アニメ版を補足するための小説としての評価しか出来ないと思います。
一方、アニメの方は小説に例えると、少し難解な文化小説のようで、受け手に語彙力や、想像力が要求されます。
当方の大衆化された脳には、一度見ただけでは作者の真意が理解できなかったのですが、
小説を読みながら、何度も見直すことで、作者の伝えたいことが見えてくるような、奥深い作品になっています。
ぜひ、アニメ版と小説版を併せて見ることをおすすめいたします。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私はアニメの方を見てからこちらの書籍の方を読もうと思いました。

アニメ版での景色を巧みに使った心情表現などが、
こちらの小説版でも巧拙な情景描写によって描かれており、すぐさま本の向こうの世界へと誘ってくれました。

小説版ではアカリがタカキへと渡した手紙の内容がすべて書かれており、
アニメ版にはなかった楽しみ方をすることも可能です。

何にせよ、秒速ファンならば迷うことなく買いですね。
2014年11月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画では出てこなかった東京での話や、心の揺れがよくわかる。
とても満足した。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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