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新ドラキュラ(上) (文庫ダ・ヴィンチ) 文庫 – 2013/1/24

4.0 5つ星のうち4.0 4個の評価

1912年、ロンドン。役者を目指す青年クインシーの周囲で、連続して不審な殺人事件が起こる。すべては三十年前の吸血鬼事件に端を発すると気づいたクインシーは、自らの出生の秘密に迫っていく。「切り裂きジャック」事件、そして三百年前のエリザベート・バートリ事件。すべてがつながったとき、恐ろしい事実が浮かび上がる──。『ドラキュラ』の子孫によるゴシック・ミステリー大作。ラスト3行に驚愕!
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商品の説明

著者について

デイカー・ストーカー:ブラム・ストーカー(ドラキュラの生みの親)の甥の孫。アメリカ在住。
イアン・ホルト:ドキュメンタリー作家。ドラキュラに関するスペシャリスト。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ メディアファクトリー (2013/1/24)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/1/24
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 351ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4840149542
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4840149549
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 4個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
4グローバルレーティング

この商品をレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2013年1月28日に日本でレビュー済み
原書が海外amazonなどで賛否両論、むしろ否定的な意見が多いのも納得出来る。

これがパロディなら、充分に面白い。
新解釈ものというなら、同じく面白いと云っていい。
問題は、これがストーカーの子孫公認の続編ということだ。

原典の再解釈というか、ネガとポジを入れ替えるように、ドラキュラ像が反転する。これは、ホームズ・パスティーシュにおいて、ニコラス・メイヤー『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』のモリアーティ像の反転という例があり、読者に受け入れられる手法と云って良い。
また、本作では、実在の人物や事件が物語に取り込まれて、虚実入り交じった構成となっている。これは、ホームズのパスティーシュでよく使われる手法だ。上記メイヤーの作品はその嚆矢と云って良い。取り立てて独創的ではないが、読者としては面白く感じる。

そう、これがパロディなら、あるいは新解釈ものであるなら、それなりに評価するべき作品なのだ。しかし、この作品はブラム・ストーカーの子孫が公認した、『ドラキュラ』の続編という位置づけである。そうなると話は変わってくる。
以下、作品の重要な要素を割って論じる部分があるので、その点は注意して頂きたい。

先に書いたが、ドラキュラ像がこの作品では反転されている。ドラキュラは悪ではなく、むしろ正義の執行者として描かれることになる。では、原作で描かれたドラキュラ像は、ということになるが、それは、語り手たちがドラキュラについて、解釈を誤っていた、とされる。ルーシーの死にドラキュラは関与せず(別の人物がその責めを負わされる)、吸血鬼化したルーシーについても、そこにドラキュラの善意の関与が示唆される。そもそもイギリスへ上陸した理由も、原作の語り手達が知らない事情、ドラキュラの正義の行いがあるとされる。
本作におけるドラキュラは、徹底して英雄的だ。
では、それを討伐した語り手達は、ということになる。それは、上記のように、解釈を誤ったが故にドラキュラを討伐し、なおかつ、その後その事件に囚われて人生を狂わされた人びとということになってしまう。
果たしてそれが、原作に対し正統性を与えられた続編として許されることであろうか?

原作ではドラキュラは絶対悪の「人ではない生物」であった。登場人物は、それぞれ限界を持ちながら、ヴァン・ヘルシングの知識をもとに、その時点で最善と思われる手段を講じつつ、ドラキュラ追討とミナの救出を行う。そして、それは最後の瞬間にようやく成功する。ドラキュラが絶対悪であればこそ、登場人物たちもそれぞれに重みのある人物として描かれる。
しかし、これがすべて誤解の産物であったならどうなるか? 英雄的ではあるが、誤解の結果人間の攻撃の対象となるドラキュラ、誤解を根拠に追討へとトランシルヴァニアまで行く登場人物たち。人物の大きさが一回りどころか、何回りも卑小になってしまう。
また、その誤解は、当然ながら登場人物達の信念となっているということで、新作では、登場人物たちは、「誤った信念によって判断を狂わされた結果、すべての行動が間違った方向へと進んでしまう」ことになる。そこでは誰も冷静になって、得られた状況から妥当な行動を起こそうとはしない。その結果、命を失う人物達は、悲劇的状況に陥ったから死ぬのではなく、単に自分の思い違いから死への道を進むという風に見える。これは、新たな登場人物であるクィンシー・ハーカーも同様で、まるで話を悲劇的な方向へ進めるためだけに、冷静に考えれば起こし得ない行動を起こし続ける。
先に書いた登場人物のスケールが小さくなったことに加えて、登場人物が揃いも揃ってまともな判断力を失っているのだ。『ドラキュラ』を読み、その話を愛した人間は、これをどう感じるであろうか。

また、先に新解釈と書いた。原作が三人称を採っていないことから、語り手が語らないことについては記載されていない、それを利用して、原作には出て来ない出来事を多く設定している。中でも中心的なものに、コッポラの映画よろしくミナとドラキュラの間の愛情の問題が出てくる。しかし、それだけではなく、実際にはその解釈が原作の本文から導き出せないものもある。その時の著者の処理も問題なしとしない。
本作には、原作の登場人物だけではなく、ブラム・ストーカーと、その著書『ドラキュラ』も登場する。作者はここで、

・ジョナサン・ハーカーたちの体験
・ストーカーの小説

二つのレベルでのドラキュラ物語を設定している。ストーカーの小説は、パブである人物が話した内容をストーカーが聞き書きの上で自分なりに小説にまとめたということになっている。だから、今回の解釈が本文から導き出せない時は、ストーカー(あるいは、元の話の語り手)が出鱈目を書いたのだとされる。これなら、なんでもやりたい放題だ(原作と違い、今回の作品では、吸血鬼は日光で灰になるという、ハマー・プロの設定が使われているが、これもストーカーの原作を追う必要がないということなのだろう)。
また、作中で出鱈目と言及されずに、そのまま無視されたようなものもある。ドラキュラの死に関わる部分でいえば、ミナが十字架で受けた火傷がそうだ。これに言及すると話そのものが成立しなくなるおそれがある。だから本作では全く触れられない。ルーシーの死に際して、彼女の母がショック死しているが、それについても言及しないことで話を誤魔化している。
そして、本作の中でも大きな「秘密」の部分であるが、原作の最終章を正しいと仮定するなら、あり得ない設定となる。このことに関し、それに関係する登場人物はストーカーの小説を読んだことになっており、仮にストーカーの小説の、その記述が出鱈目であるなら、それを知りうる人物となっている。しかしその人物は記述に疑問を呈していない。そこから、原作の最終章は正しくなければいけないのだが、そうすると本作の「秘密」は成立しなくなる。これも、効果を狙って、原作を壊した一例となるのではないか。

本作にとって、大きな問題点の一つに、文体もある。原作は手記や手紙、新聞記事など、様々な記録が集まって、「ドラキュラ事件」ともいうべきものを描く構成になっている。しかるに本作は三人称のごくごく普通の小説の文体だ。原作では、その記録を書いた人間の思考しか描かれないが、新作は「神の目」で、ドラキュラ以外の、すべての登場人物の思考・感情を描く。結果として、普通の怪奇小説を読むのと同じとなる。例えばホームズのパスティーシュで、文体が三人称の小説風の文体なら、読者は納得するだろうか? 原作にも三人称のものもあればホームズの一人称のものもあるが、読者がホームズのパスティーシュとして期待する文体は、「ワトソンによる一人称の手記」であろう。『ドラキュラ』も、やはり期待するなら、原作の特異な文体であろう。
また、そういう形でストレートな小説になってしまったこと、原作を反転させようとした試みのため、作品の解釈が非常に狭められているのも問題である。原作は、今回のような読みも許すが、それ以外にも様々な解釈を許す、多義的な物語でもある。それが、この続編によって、そういう解釈に足かせが出来たともいえる。
本作では、一般的な小説の文体であり、なおかつ映像的であること、非常に直線的な構造を持っていること、解釈が一通りといって良いくらいに狭いことなどから、非常に速く読めてしまう。まるで映画のノヴェライズを読んでいるような錯覚に陥った部分もある。人によってはこれを美点と感じるかもしれないが、原作に比べて、非常に軽くなった、そういう感が強い。そして、この新作には恐怖を感じる要素が殆どない。

再度云うが、この作品が再解釈もの、あるいはパロディである、そう考えるなら、面白いエンターテインメントだ。しかし、これは子孫公認ということになっている「続編」だ。それが原作のパロディや批評でしかないというのは、大いに問題であろう。
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年12月10日に日本でレビュー済み
あのブラム・ストーカーに血がつながる
者の公認の書ということで読んでみまし
た。
映画的なスピード感と読みやすさは、エン
ターテイメント作品としてはいいと思いま
すが、あまりにみんなが吸血鬼になってし
まうので後半からはグッタリしました。
切り裂きジャックやジョナサンハーカーは
人物像として、もう少し丁寧な役回りにさせ
て欲しいなと。。。
映画になったらそっちのほうが面白そうな
感じがしますので、映画の脚本を読むような
感じで読めば面白いかもしれません。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年3月27日に日本でレビュー済み
「ドラキュラ」の主要メンバーのその後については・・・リアルと云うか今風と云うか芸が無いと云うか・・・
でもドラキュラの様に戦慄の物語でもないし、大体、ドラキュラの恐怖よりも様々な人物達の秘密やそこから生じる人間ドラマをぐちぐちと綴っていて、今一つ・・・
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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