読むと、座禅をしてるような気分になります。
奏でる人が沈黙について霊感を受けている様子がうかがえて、興味深いです。
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乾いた沈黙: ヴァレリ-・アファナシエフ詩集 単行本 – 2009/6/1
- 本の長さ190ページ
- 言語日本語
- 出版社論創社
- 発売日2009/6/1
- 寸法13.5 x 2.3 x 21.7 cm
- ISBN-104846009211
- ISBN-13978-4846009212
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登録情報
- 出版社 : 論創社 (2009/6/1)
- 発売日 : 2009/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 190ページ
- ISBN-10 : 4846009211
- ISBN-13 : 978-4846009212
- 寸法 : 13.5 x 2.3 x 21.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 768,081位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年8月28日に日本でレビュー済み
世界で初めて上梓されたアファナシェフ詩集。
英語の原詩と日本語の翻訳詩、2カ国語両文収載。この詩集の卓抜している点のひとつです。
磨きぬかれた日本語による芸術性の高い翻訳詩も素晴らしいが、
やはり原文の英語は、アファナシェフ氏の響きが伝わってきて、趣が豊かで、香気を聞くことができます。
この詩集で、日本語の漢字かな混じり文を眼で読むと、愉悦を覚え、浸透していきました。
「私は日本人なのだ。」と豊沢な漢字文化を享受できる幸福を体感した出色の詩集です。
そして、装幀や本文デザインも素敵です。使用されている紙からも詩的なものを感じる、
文学と思索と音楽と、豊穣な文化の時間を約束する詩集です。
「旅のあとに」「メロディーとハーモニー」「あとがき」「遠くの幸福」・・・
「訳者あとがきにかえて」、裏表紙を閉じ終えると、
ショパン「ワルツ嬰ハ短調作品64 No.2」が脳裏に流れてきました。
アファナシエフ氏のパリでのコンサートの様子を動画で視聴した際、
瀟洒に花が活けられたステージでピアノ演奏をする姿が、
とても調和した詩的な空間で、さすがだと感じたことを憶えています。
その後、ドキュメンタリー番組で、彼の詩が紹介されているのを視聴、
少年時代を過ごしたスターリン様式の芸術家アパートをモチーフにした詩の中にある
「私の文学は この迷宮の 遠い残響なのだ」
というフレーズにsympathyを覚えて詩集も読むことにしました。
また、その番組で、「石は沈黙の音楽だ」というフレーズに出会い、
なぜ息子が、学校の授業で配布されたデッサン用紙やプリントを白紙で持ち帰ったのか、
その感知をアファナシェフ氏は与えてくれたのです。
アファナシェフ氏の詩は、表現したい内容が直観で伝わるので、
共鳴できる作家との邂逅は、演奏と共に嬉しい限りです。
英語の原詩と日本語の翻訳詩、2カ国語両文収載。この詩集の卓抜している点のひとつです。
磨きぬかれた日本語による芸術性の高い翻訳詩も素晴らしいが、
やはり原文の英語は、アファナシェフ氏の響きが伝わってきて、趣が豊かで、香気を聞くことができます。
この詩集で、日本語の漢字かな混じり文を眼で読むと、愉悦を覚え、浸透していきました。
「私は日本人なのだ。」と豊沢な漢字文化を享受できる幸福を体感した出色の詩集です。
そして、装幀や本文デザインも素敵です。使用されている紙からも詩的なものを感じる、
文学と思索と音楽と、豊穣な文化の時間を約束する詩集です。
「旅のあとに」「メロディーとハーモニー」「あとがき」「遠くの幸福」・・・
「訳者あとがきにかえて」、裏表紙を閉じ終えると、
ショパン「ワルツ嬰ハ短調作品64 No.2」が脳裏に流れてきました。
アファナシエフ氏のパリでのコンサートの様子を動画で視聴した際、
瀟洒に花が活けられたステージでピアノ演奏をする姿が、
とても調和した詩的な空間で、さすがだと感じたことを憶えています。
その後、ドキュメンタリー番組で、彼の詩が紹介されているのを視聴、
少年時代を過ごしたスターリン様式の芸術家アパートをモチーフにした詩の中にある
「私の文学は この迷宮の 遠い残響なのだ」
というフレーズにsympathyを覚えて詩集も読むことにしました。
また、その番組で、「石は沈黙の音楽だ」というフレーズに出会い、
なぜ息子が、学校の授業で配布されたデッサン用紙やプリントを白紙で持ち帰ったのか、
その感知をアファナシェフ氏は与えてくれたのです。
アファナシェフ氏の詩は、表現したい内容が直観で伝わるので、
共鳴できる作家との邂逅は、演奏と共に嬉しい限りです。
2014年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アファナシエフの演奏を聴くと、そのゆっくりしたテンポ以上に驚くのが、楽譜を一度解体して、再組み立てを行うかのような手法。絵画でいえば、ブラックやピカソなどの「立体派」を思い起こさせる。それを音楽に当てはめるとこうなる、という好例である。
ところが、その再組み立てされた新鮮な構造美と響きがあまりにも説得力に富んでいるので、作曲家が元々意図していたのはこんな音楽だったのでは、と思わずにはいられなくさせてくれる。その演奏から感じられるのは、作品に向かう真摯な姿勢。研ぎ澄まされた感性はもちろんだが、その背景にあるのは、突き詰めるところまで到達した精神の格闘の跡――こういうことをやるのは、従来の認識からは、哲学者の領分のはず。それも、相当に芸術的なセンスに富む哲学者ということになる。
見方を変えれば、詩人だ。といっても、ショパンのような「ピアノの詩人」ではない。作品に取り組んでいる内に様々な思いが現れ、それを形にしたら詩になってしまった、という趣である。もちろんこの詩人は、散文も得意とする。その著書には、何人かの作曲家へのアプローチが語られているが、行間を読むのが難しい場合も少なくない。
この詩集はある意味で、そうした行間の読み方への示唆・暗示を与えてくれる、著者なりの告白なのかも知れない。しかも原詩は、著書や詩誌に発表されたもの以外に、コンサートのリーフレットに書かれたもの、この詩集のためにメールで送られてきたものもある。10年前から5年前の間に書かれたものがほとんどだ。ということは、アファナシエフの、かなり最近の考えや問題意識を表現したものということになる。
3部構成で、それぞれ12篇、10篇、14篇の詩が並ぶ。右側から訳詩が、左側から英語の原詩が配置されているので、日本語を読んで分かりにくい場合を含め、原詩にじっくり取り組む楽しみもある。「あとがき」に、訳詩は逐語訳ではないと書いてあるが、原詩と比較すれば、おおむね逐語訳であることが分かる。第2部と第3部は既出の訳を元に手を入れたようだが、第1部は訳者の初訳。この第1部の訳詩に問題が多い。工夫した箇所も散見されるが、訳語の選定に首を傾げたくなる場合が少なくない。数はやや減るが、第2部と第3部にも、訳語の選定と表現に所々問題を感じる。編集側はしっかり目を通したのだろうか。あるいは、訳者が意見を差し挟ませなかったのか。日本語訳を読んで意味不明な場合は、間髪入れず、裏表紙側から原詩に当たって欲しい。
とはいえ、アファナシエフという人物の物の見方、感じ方を知る、またとない材料であることは、間違いない。音楽ファンにも詩のファンにも、文句なくお勧めできる一冊である。
ところが、その再組み立てされた新鮮な構造美と響きがあまりにも説得力に富んでいるので、作曲家が元々意図していたのはこんな音楽だったのでは、と思わずにはいられなくさせてくれる。その演奏から感じられるのは、作品に向かう真摯な姿勢。研ぎ澄まされた感性はもちろんだが、その背景にあるのは、突き詰めるところまで到達した精神の格闘の跡――こういうことをやるのは、従来の認識からは、哲学者の領分のはず。それも、相当に芸術的なセンスに富む哲学者ということになる。
見方を変えれば、詩人だ。といっても、ショパンのような「ピアノの詩人」ではない。作品に取り組んでいる内に様々な思いが現れ、それを形にしたら詩になってしまった、という趣である。もちろんこの詩人は、散文も得意とする。その著書には、何人かの作曲家へのアプローチが語られているが、行間を読むのが難しい場合も少なくない。
この詩集はある意味で、そうした行間の読み方への示唆・暗示を与えてくれる、著者なりの告白なのかも知れない。しかも原詩は、著書や詩誌に発表されたもの以外に、コンサートのリーフレットに書かれたもの、この詩集のためにメールで送られてきたものもある。10年前から5年前の間に書かれたものがほとんどだ。ということは、アファナシエフの、かなり最近の考えや問題意識を表現したものということになる。
3部構成で、それぞれ12篇、10篇、14篇の詩が並ぶ。右側から訳詩が、左側から英語の原詩が配置されているので、日本語を読んで分かりにくい場合を含め、原詩にじっくり取り組む楽しみもある。「あとがき」に、訳詩は逐語訳ではないと書いてあるが、原詩と比較すれば、おおむね逐語訳であることが分かる。第2部と第3部は既出の訳を元に手を入れたようだが、第1部は訳者の初訳。この第1部の訳詩に問題が多い。工夫した箇所も散見されるが、訳語の選定に首を傾げたくなる場合が少なくない。数はやや減るが、第2部と第3部にも、訳語の選定と表現に所々問題を感じる。編集側はしっかり目を通したのだろうか。あるいは、訳者が意見を差し挟ませなかったのか。日本語訳を読んで意味不明な場合は、間髪入れず、裏表紙側から原詩に当たって欲しい。
とはいえ、アファナシエフという人物の物の見方、感じ方を知る、またとない材料であることは、間違いない。音楽ファンにも詩のファンにも、文句なくお勧めできる一冊である。
2010年12月27日に日本でレビュー済み
しばらく演奏のことを忘れてみたいと思います。
訳出された各々の詩は、智慧のコトバです。
そして、実感の結晶であり、備忘録でもあるでしょう。
「メロディとハーモニー」は本の標題である乾いた沈黙、の出所でもあります。
沈黙のハーモニーを聞いてみたい。
このことは、大きな門を開く鍵であると思います。
いま、マラルメを読んでいるのですけれども、おんなじこと言っていますよ。
訳出された各々の詩は、智慧のコトバです。
そして、実感の結晶であり、備忘録でもあるでしょう。
「メロディとハーモニー」は本の標題である乾いた沈黙、の出所でもあります。
沈黙のハーモニーを聞いてみたい。
このことは、大きな門を開く鍵であると思います。
いま、マラルメを読んでいるのですけれども、おんなじこと言っていますよ。