非常に面白かったです。
現在の日本の空気(右傾化)に違和感を感じてる人は読んだ方がいい!
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歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う 単行本(ソフトカバー) – 2019/2/6
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なにがリアルで、なにがフェイクなのか?
通説をねじ曲げ、他者を差別・排除し、それが正しいと信じる。そんな人たちが、なぜ生まれるのか?
『ネットと愛国』のジャーナリスト・安田浩一と『歴史修正主義とサブカルチャー』の社会学者・倉橋耕平が、90年代から現在に至る右派の動向について徹底討論!
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『ネットと愛国』のジャーナリスト・安田浩一と『歴史修正主義とサブカルチャー』の社会学者・倉橋耕平が、90年代から現在に至る右派の動向について徹底討論!
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社論創社
- 発売日2019/2/6
- 寸法12.8 x 1.6 x 18.8 cm
- ISBN-104846017915
- ISBN-13978-4846017910
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商品の説明
著者について
安田浩一(やすだ・こういち)
1964年、静岡県生まれ。「週刊宝石」「サンデー毎日」記者を経て2001年よりフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続ける。2012年『ネットと愛国』(講談社)で第34回講談社ノンフィクション賞受賞。2015年には「ルポ外国人『隷属』労働者」(「G2」掲載)で第46回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した。
倉橋耕平(くらはし・こうへい)
1982年生まれ。関西大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。立命館大学ほか非常勤講師。専攻は社会学・メディア文化論・ジェンダー論。2018年2月刊行の『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社)が4月末までに4刷と話題に。
1964年、静岡県生まれ。「週刊宝石」「サンデー毎日」記者を経て2001年よりフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続ける。2012年『ネットと愛国』(講談社)で第34回講談社ノンフィクション賞受賞。2015年には「ルポ外国人『隷属』労働者」(「G2」掲載)で第46回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した。
倉橋耕平(くらはし・こうへい)
1982年生まれ。関西大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。立命館大学ほか非常勤講師。専攻は社会学・メディア文化論・ジェンダー論。2018年2月刊行の『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社)が4月末までに4刷と話題に。
登録情報
- 出版社 : 論創社 (2019/2/6)
- 発売日 : 2019/2/6
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 256ページ
- ISBN-10 : 4846017915
- ISBN-13 : 978-4846017910
- 寸法 : 12.8 x 1.6 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 486,268位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 431位日本論
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人類の寿命は100年未満。
しかも、ボケればアウト。
この人類の現実を前提として人類世界を見渡すと、絶望しても当然かもしれません。
しかし、本書はめげません。
視野を拡大し、地球規模で人類の歴史を再考することを提案しています。
国家至上主義が、真の国家至上なのか、現政権盲従なのか、権威盲従なのか、
そうした社会常識(知性)を再考してみるにはいい本でしょう。
単純にいえば、社会常識が問われる本ともいえます。
しかも、ボケればアウト。
この人類の現実を前提として人類世界を見渡すと、絶望しても当然かもしれません。
しかし、本書はめげません。
視野を拡大し、地球規模で人類の歴史を再考することを提案しています。
国家至上主義が、真の国家至上なのか、現政権盲従なのか、権威盲従なのか、
そうした社会常識(知性)を再考してみるにはいい本でしょう。
単純にいえば、社会常識が問われる本ともいえます。
2022年2月21日に日本でレビュー済み
図書館本 良書 お勧め
歴史修正主義とサブカルチャー (倉橋耕平 青弓社 2018)と同時進行で読了
2018年7月から3回にわたる対談
3年前の本書であるが、現時点で感じるのは、ヘイトや差別に対する国民の正しい見方が当時よりはかなりマトモになっている感じはします。差別やいじめで自死する人々が居た事もその潮流の一部かもしれません。
学術的に確定している事柄を、メディア(雑誌、漫画、一般書等)でのビジネスとして歪曲する現実、そして嫌中、反韓などの言説を「売れるから」というだけで商売する出版社。
いかに、騙されないかという文脈で考えると、非常にニセ科学に似ていると感じます。
科学を装い、知識や情報を持たない人々を騙して商売するニセ科学。
備忘録メモ
右派の特徴 言葉が軽い 保守=メインテナンス(笑)
歴史の否定、差別、自己正当化、分断、
内輪論の保守言説を表舞台へ 小林よしのり 1998年新ゴー宣 戦争論
日本会議の後ろ盾としての財界 ニュース女子問題
ヘイトスピーチ側:他者の表現の自由を奪い、表現の自由を主張
小林よしのりを評価して、僕らに(安田氏ら)放任された人たちが、いまの大出版社幹部
朝日の記者だから叩かれる。植村氏は吉田証言を元に記事を書いた事は無い。
コミンテル陰謀論 杉田議員
言説のテンプレート 慰安婦強制連行 一兵士の逸脱行動 すでに罰せられている。
都合の良い歴史、正当化したいものが先に存在
学術的に存在しない歴史修正主義本(大学図書館等に存在しない、学術的に無意味)
歴史と国家の繋がりは留意(国家に都合の良い歴史が記述されていく)
教育学者の藤岡氏が歴史に参入(つくる会)、TOSS 向山氏、ニセ科学、親学、
ニセ科学、トンデモをスルーする学者の問題あり
情報戦、歴史戦というコンテキスト
運用型広告:ネットに表示される広告(使用者の好みに応じる、クリック履歴に対応)
学術本と一般書の価格差。販売部数 ケント本 50万部 筆者印税4500万円 ビジネス
組成濫造によるビジネスを確保した歴史修正主義
ネット使用者に最適化した情報のみの提供
真か偽かの検証無しで流される情報やフェイク
戦争体験した保守議員の引退、消失 古賀、野中
ネットにそう書いてある!の思考停止
歴史修正主義とサブカルチャー (倉橋耕平 青弓社 2018)と同時進行で読了
2018年7月から3回にわたる対談
3年前の本書であるが、現時点で感じるのは、ヘイトや差別に対する国民の正しい見方が当時よりはかなりマトモになっている感じはします。差別やいじめで自死する人々が居た事もその潮流の一部かもしれません。
学術的に確定している事柄を、メディア(雑誌、漫画、一般書等)でのビジネスとして歪曲する現実、そして嫌中、反韓などの言説を「売れるから」というだけで商売する出版社。
いかに、騙されないかという文脈で考えると、非常にニセ科学に似ていると感じます。
科学を装い、知識や情報を持たない人々を騙して商売するニセ科学。
備忘録メモ
右派の特徴 言葉が軽い 保守=メインテナンス(笑)
歴史の否定、差別、自己正当化、分断、
内輪論の保守言説を表舞台へ 小林よしのり 1998年新ゴー宣 戦争論
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ヘイトスピーチ側:他者の表現の自由を奪い、表現の自由を主張
小林よしのりを評価して、僕らに(安田氏ら)放任された人たちが、いまの大出版社幹部
朝日の記者だから叩かれる。植村氏は吉田証言を元に記事を書いた事は無い。
コミンテル陰謀論 杉田議員
言説のテンプレート 慰安婦強制連行 一兵士の逸脱行動 すでに罰せられている。
都合の良い歴史、正当化したいものが先に存在
学術的に存在しない歴史修正主義本(大学図書館等に存在しない、学術的に無意味)
歴史と国家の繋がりは留意(国家に都合の良い歴史が記述されていく)
教育学者の藤岡氏が歴史に参入(つくる会)、TOSS 向山氏、ニセ科学、親学、
ニセ科学、トンデモをスルーする学者の問題あり
情報戦、歴史戦というコンテキスト
運用型広告:ネットに表示される広告(使用者の好みに応じる、クリック履歴に対応)
学術本と一般書の価格差。販売部数 ケント本 50万部 筆者印税4500万円 ビジネス
組成濫造によるビジネスを確保した歴史修正主義
ネット使用者に最適化した情報のみの提供
真か偽かの検証無しで流される情報やフェイク
戦争体験した保守議員の引退、消失 古賀、野中
ネットにそう書いてある!の思考停止
2019年10月1日に日本でレビュー済み
著者のうち安田浩一氏は1964年生まれのジャーナリストで、『ネットと愛国-在特会の「闇」を追いかけて』(講談社、2012年)などの著作がある。一方、倉橋耕平氏は社会学者で、『歴史修正主義とサブカルチャー-90年代保守言説のメディア文化』(青弓社、2018年)などの著作がある。お二人はともに、排外主義やヘイトとその源流にある歴史修正主義に対して強い危機感を持ち、知的な活動を行っている。
本書では、お二人の豊富な経験に基づいて、日本の歴史修正主義とそれに付随するヘイト、排外主義、メディアの萎縮(どころかヘイトや排外主義への囃したて)、リベラルの無力さなどについて縦横に語り合った対談記録である。ネットが果たした大きな影響についても様々な論文やデータを駆使して、論証が行われている。
ごく簡単に議論を要約すれば、戦後も脈々として続いてきた右派の潮流は、1990年代の後半に一層大きく「右旋回」する。歴史修正主義を前面に押し出した排外主義やヘイト主体の極右派が台頭してきたのである。メディアとして後押しをしたのがネットの普及や小林よしのり氏の漫画であった。また、元慰安婦が実名で名乗り出ることで慰安婦問題が顕在化し、この問題を記述した既存の教科書を嫌う極右派の新しい教科書作りが始まる。当時としてはぎりぎりの政治的判断を行って出された「河野談話」は、極右派からの憎悪を集め、右傾化に拍車をかけることになった。そして、安倍政権という極右政権が誕生し、長期に日本を支配することで、極右化が完成して現在に至っている。
いまや韓国その他の人種差別・排外主義、ヘイトデモ、弱者への嘲笑や差別などおぞましい状況が雑誌や新聞、テレビに日常的に溢れている。2020年東京オリンピックはこのような情けない日本の状況を世界に知らしめることになろう。教育や学術への財政支援は先進国中で最下位に近く、論文の発表数ランキングも低下し続けている。経済の惨憺たる状況や、実質賃金の低下が続くにもかかわらず、2019年10月消費税増税が強行された。これからの消費の低迷と、社会の一層の萎縮が懸念される。本書のテーマである「歪む社会」とは、衰退しつつある日本を象徴する表現と言えよう。このような絶望的な状況でも地道に活動を続ける著者のお二人にエールを送りたい。
本書では、お二人の豊富な経験に基づいて、日本の歴史修正主義とそれに付随するヘイト、排外主義、メディアの萎縮(どころかヘイトや排外主義への囃したて)、リベラルの無力さなどについて縦横に語り合った対談記録である。ネットが果たした大きな影響についても様々な論文やデータを駆使して、論証が行われている。
ごく簡単に議論を要約すれば、戦後も脈々として続いてきた右派の潮流は、1990年代の後半に一層大きく「右旋回」する。歴史修正主義を前面に押し出した排外主義やヘイト主体の極右派が台頭してきたのである。メディアとして後押しをしたのがネットの普及や小林よしのり氏の漫画であった。また、元慰安婦が実名で名乗り出ることで慰安婦問題が顕在化し、この問題を記述した既存の教科書を嫌う極右派の新しい教科書作りが始まる。当時としてはぎりぎりの政治的判断を行って出された「河野談話」は、極右派からの憎悪を集め、右傾化に拍車をかけることになった。そして、安倍政権という極右政権が誕生し、長期に日本を支配することで、極右化が完成して現在に至っている。
いまや韓国その他の人種差別・排外主義、ヘイトデモ、弱者への嘲笑や差別などおぞましい状況が雑誌や新聞、テレビに日常的に溢れている。2020年東京オリンピックはこのような情けない日本の状況を世界に知らしめることになろう。教育や学術への財政支援は先進国中で最下位に近く、論文の発表数ランキングも低下し続けている。経済の惨憺たる状況や、実質賃金の低下が続くにもかかわらず、2019年10月消費税増税が強行された。これからの消費の低迷と、社会の一層の萎縮が懸念される。本書のテーマである「歪む社会」とは、衰退しつつある日本を象徴する表現と言えよう。このような絶望的な状況でも地道に活動を続ける著者のお二人にエールを送りたい。
2021年1月10日に日本でレビュー済み
図書館で借りて読み始めたのですが、
気持ち悪くなって三分の二ぐらいで読むのを止めました。
自分達が気に入らない人達には「ネトウヨ」
「歴史歪曲主義者」
とかいう
レッテルを貼ってハイ、お終いですか?
こういう人達が権力を握ると収容所群島とかつくるんでしょうね。
二言目には福祉だ人権だと絶叫しておいて、
自分と違う考えの人びとの人権や福祉は一切認めない
人達なのでしょう。
田中芳樹さんの銀河英雄伝説
で「救国軍事会議」のクーデターを
起こして最後まで自分らの正義を
信じて疑わなかった
エベンス大佐とクリスチアン大佐
(悪名高い「スタジアムの虐殺」
事件を起こした人物)が
仲良く対談しているような本、という印象を
受けました。
気持ち悪くなって三分の二ぐらいで読むのを止めました。
自分達が気に入らない人達には「ネトウヨ」
「歴史歪曲主義者」
とかいう
レッテルを貼ってハイ、お終いですか?
こういう人達が権力を握ると収容所群島とかつくるんでしょうね。
二言目には福祉だ人権だと絶叫しておいて、
自分と違う考えの人びとの人権や福祉は一切認めない
人達なのでしょう。
田中芳樹さんの銀河英雄伝説
で「救国軍事会議」のクーデターを
起こして最後まで自分らの正義を
信じて疑わなかった
エベンス大佐とクリスチアン大佐
(悪名高い「スタジアムの虐殺」
事件を起こした人物)が
仲良く対談しているような本、という印象を
受けました。
2019年2月11日に日本でレビュー済み
90年代頃から力を強めてきたネット右翼や歴史修正主義・排外主義を掲げる勢力が、どのような道をたどって現在のような形を取ることになったのか、2人の論者の対談形式によって解説されている。
歴史学、社会学、現代思想系の専門書を年間に2~300冊ほど読み、さらにTwiiter等のネット事情を常にチェックするぐらいのリテラシーを持つ人であれば、目新しい情報はほとんど無いだろう。既知の情報をまとめただけ、とも言えるが、その程度の勉強すら怠っている人にとっては、現在の日本の惨状をもたらした存在の概要を知るにあたって便利な本ではないだろうか。
この本で新鮮な功績として取り上げるに値する箇所は2つある。
どちらも本の後半部分にあたる箇所だが、1つ目は安田氏が野中広務に取材した際に、野中が沖縄について語ったとされるエピソード(P224)。野中をはじめとしたかつての自民党保守系大物議員たちが、右派的な傾向を持ち合わせていたとしても、一方で最低限のレベルで忘れようとはしていなかった戦争への抵抗の意思、人間の尊厳への眼差しがここからは読み取れる。かつての世代と現在のかの党があまりにかけ離れてしまっている現在を、あらためて知ることができる。この‟落差”を読み飛ばしてしまうと、戦後日本の政治における「保守」という存在が本当はどのようなものであったか、見誤ってしまうだろう。
2つ目は、「そこまで言って委員会」などの地方TV番組(いわゆる「在阪メディア」)が持つ「アンチ東京=アンチ中央」の感覚が、中央集権主義への批判となる肯定的側面(反権力性)を持ちつつも、逆にその「本音トーク」「ぶっちゃけ」自体が前に出すぎることで差別主義へ加担してしまう両義性がある点を指摘したこと(P236)。そうした表層的な「反権力性」を口実とした差別・排外行為が蔓延しているのが現在なのであるが、やはりここのところはちゃんと意識しておかないと右派勢力のモチベーションを理解できないはずだ。つまり、排外的な言説に動員される側のネット右翼たちは、おそらく半分は本気で、自分たちを「反権力」の立場に置いて行動しているだろうからだ。もちろん彼らこそが権力側について差別を行っているので、それは倒錯した事態と言えるのだが。だがこの連中の「本気度」の高さをどれだけリアルに想定できるかで、左派やリベラルの対策は変わってくるだろう。残念ながら奴らはマジでやっているのだ。
(ちなみに本書ではそうした連中と違い、信念ゼロの金目当ての右派言論人の存在も指摘されている)
これらの指摘以外にも先に述べたように、現在の目を覆わんばかりの日本の惨状を知るにあたって、本書は良いまとめだと言える。悪しきポピュリズムで一方的な主張を偽装するサブカルチャーの手法による言論破壊、従来の学問的な精査をすり抜けて一般市民が自由に発言できるツールとしての役割を果たしたインターネット、議論に値しない右派の歴史修正主義的言説をさも一つの学説のように見せかけるディベートの流行など、特に90年代頃の日本社会で流行した様々な現象が、現在のネット右翼をはびこらせる要因としてそれぞれ繋ぎ合わせられる部分は、なるほどと思わせられるだろう。
ただし繰り返しになるが、まともに勉強している人であればこういうことは、たとえ正確な言語化は無理であったとしても、感覚的なところで薄々気付いていたはずだ。もしもこの本を読んで「なるほど」と初めて思ってしまうのであれば、それはいかにこれまで何も勉強してこなかったかを証明することでもある。そういう意味では自分の勉強量が一定の基準に達しているかどうかを測定できるという効果も、この本にはあるだろう。(著者たちにとってはまったく迷惑な話だと思うが)
残念だと思われる点も挙げておきたい。
2019年1月2日に某氏によってツイートされた内容が触れられているにもかかわらず、発行は2019年2月6日。つまりそれだけ速報性の高い本であると呼べるが、それだけ急いで作られたせいなのか、誤字が目立つ。
P39 15行目 「自由」いう論壇誌 → 「自由」という論壇誌
P51 注25の7~8行目 顕在化することなった → 顕在化することとなった
P130 15行目 大きなおおきなフリップボード → 大きなフリップボード(※この箇所で「大きな」という語を2回繰り返す必然性が分からない)
そして、もっとも良くないと思われる誤字が、P109にある。ここでは『帝国の慰安婦』を擁護する知識人に対する著者の批判が書かれているのだが、上野千鶴子「『帝国の慰安婦』のポストコロニアリズム」の文章が、著者の発言の中に取り込まれる形でカギカッコ引用されている。次の文章だ。(最初と最後を※で括っておく)
※※※
僕にとって疑問なのは、上野千鶴子がこうした学問の「前提」がなっていない本を「『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だが僕の目からみれば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある」と評してしまう点です。
※※※
そして上野の文章の原文は、以下のものだ。
※※※
『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だがわたしの目から見れば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある。
(上野千鶴子「『帝国の慰安婦』のポストコロニアリズム」、『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく』クレイン P245-246)
※※※
つまり、原文では「わたしの目から見れば」と書かれていた箇所が、なぜか本書では「僕の目からみれば」と、一人称の表記が変わってしまっているのだ。おそらく校正の時のミスだろう。
これは単純な誤字の問題であり、ささいなミスであるかもしれない。重箱の隅をつついている自覚はあるが、しかしそれでもカギカッコ付きの引用は原文に沿って正確に写さなければならないという原則がある以上、見逃してはいけない部分だろう。
ましてやこの箇所では、『帝国の慰安婦』の事実誤認を批判の対象として扱っているため、余計に目立つミスとなってしまっている。ここはもっと丁寧にチェックしてほしかった。
(なお内容レベルでの疑問点を挙げるならば、上野の『帝国の慰安婦』擁護がどのように批判されるべきであるのか、この箇所からは意味を掴み取ることは難しかった。著者は「「語り」と「記憶の水準」を評価するには、あまりにも事実をないがしろにしている。あるいは、「学問的なインパクト」欲しさに当時者の証言を利用してよいわけではない」とだけ書いているが、そこまで言うのであればせめて具体的な例示が欲しい。対談であり、この話題のみに限定した章でないことは承知しているが、逆に言うとおそらくこの箇所は著者がどうしても一言残しておきたい、という部分としてこの対談の話題のレベルからは浮いてしまった箇所なのではないだろうか。また、上野の言う「学問的なインパクト」というのは、そのインパクト狙いで『帝国の慰安婦』の著者が自己の主張を述べているという意味ではなく、本の受け手側が論点とすべき箇所、という意味で言っているのではないだろうか。「論点を見誤っている」というのが上野の言いたいことだろう。何か両者の間で大きなすれ違いを感じてしまう)
それから誤字レベルではない、もう一つの大きな問題点と思われる箇所。
P216から続く「スピリチュアル系」と右派的言説の関係を述べた部分で、「そもそも宗教自体が何かの証拠があって言説が組みたてられているわけではありません」という一文は、大きな誤解を招くのではないか。「カルト宗教」や「近年の新興宗教」といった限定付きの表現ではない。「宗教」と書く以上、これはいくらなんでも対象としているものが大きすぎるだろう。ここは宗教学研究、スピリチュアル研究の人々が文句を言ってよい箇所だろう。
最後の問題点として、全体的な対談の構成である。2人の著者の対談形式ではあるが、実質的には1人の著者が大量に語って結論を出し、そして次にもう1人の著者がまた大量に語って結論を出し、そして再びもう1人の著者が・・・というパターンの繰り返しなのである。1人の著者が1ページ以上の膨大な発言をするところも多く、対談というより演説文を読んでいる気分になる。
これでは対談の意味が無いのではないか。お互いの対話によって変化・創造される文脈というものがこの対談には、ほとんど無いように見える。
対談形式というのは読みやすさを狙ったものなのだろうが、本当にその「読みやすさ」以上の効果が無いのは残念である。
本レビューの後半では色々と批判的なことも書いたが、著者2人の危機感と、歴史修正主義・排外主義への怒りにはもちろん賛同する。
著者たちが挙げるネット右翼的言説への対抗は、果たして有効であるのかという疑問も残るのだが、しかしこの現状に違和感を感じている人、そしてその違和感の要因がうまく結び付かないという人はぜひ読んでみてほしい。現在のこの国を覆う異常性がどのような原理で作られているのか、ヒントを教えてくれる本だろう。
歴史学、社会学、現代思想系の専門書を年間に2~300冊ほど読み、さらにTwiiter等のネット事情を常にチェックするぐらいのリテラシーを持つ人であれば、目新しい情報はほとんど無いだろう。既知の情報をまとめただけ、とも言えるが、その程度の勉強すら怠っている人にとっては、現在の日本の惨状をもたらした存在の概要を知るにあたって便利な本ではないだろうか。
この本で新鮮な功績として取り上げるに値する箇所は2つある。
どちらも本の後半部分にあたる箇所だが、1つ目は安田氏が野中広務に取材した際に、野中が沖縄について語ったとされるエピソード(P224)。野中をはじめとしたかつての自民党保守系大物議員たちが、右派的な傾向を持ち合わせていたとしても、一方で最低限のレベルで忘れようとはしていなかった戦争への抵抗の意思、人間の尊厳への眼差しがここからは読み取れる。かつての世代と現在のかの党があまりにかけ離れてしまっている現在を、あらためて知ることができる。この‟落差”を読み飛ばしてしまうと、戦後日本の政治における「保守」という存在が本当はどのようなものであったか、見誤ってしまうだろう。
2つ目は、「そこまで言って委員会」などの地方TV番組(いわゆる「在阪メディア」)が持つ「アンチ東京=アンチ中央」の感覚が、中央集権主義への批判となる肯定的側面(反権力性)を持ちつつも、逆にその「本音トーク」「ぶっちゃけ」自体が前に出すぎることで差別主義へ加担してしまう両義性がある点を指摘したこと(P236)。そうした表層的な「反権力性」を口実とした差別・排外行為が蔓延しているのが現在なのであるが、やはりここのところはちゃんと意識しておかないと右派勢力のモチベーションを理解できないはずだ。つまり、排外的な言説に動員される側のネット右翼たちは、おそらく半分は本気で、自分たちを「反権力」の立場に置いて行動しているだろうからだ。もちろん彼らこそが権力側について差別を行っているので、それは倒錯した事態と言えるのだが。だがこの連中の「本気度」の高さをどれだけリアルに想定できるかで、左派やリベラルの対策は変わってくるだろう。残念ながら奴らはマジでやっているのだ。
(ちなみに本書ではそうした連中と違い、信念ゼロの金目当ての右派言論人の存在も指摘されている)
これらの指摘以外にも先に述べたように、現在の目を覆わんばかりの日本の惨状を知るにあたって、本書は良いまとめだと言える。悪しきポピュリズムで一方的な主張を偽装するサブカルチャーの手法による言論破壊、従来の学問的な精査をすり抜けて一般市民が自由に発言できるツールとしての役割を果たしたインターネット、議論に値しない右派の歴史修正主義的言説をさも一つの学説のように見せかけるディベートの流行など、特に90年代頃の日本社会で流行した様々な現象が、現在のネット右翼をはびこらせる要因としてそれぞれ繋ぎ合わせられる部分は、なるほどと思わせられるだろう。
ただし繰り返しになるが、まともに勉強している人であればこういうことは、たとえ正確な言語化は無理であったとしても、感覚的なところで薄々気付いていたはずだ。もしもこの本を読んで「なるほど」と初めて思ってしまうのであれば、それはいかにこれまで何も勉強してこなかったかを証明することでもある。そういう意味では自分の勉強量が一定の基準に達しているかどうかを測定できるという効果も、この本にはあるだろう。(著者たちにとってはまったく迷惑な話だと思うが)
残念だと思われる点も挙げておきたい。
2019年1月2日に某氏によってツイートされた内容が触れられているにもかかわらず、発行は2019年2月6日。つまりそれだけ速報性の高い本であると呼べるが、それだけ急いで作られたせいなのか、誤字が目立つ。
P39 15行目 「自由」いう論壇誌 → 「自由」という論壇誌
P51 注25の7~8行目 顕在化することなった → 顕在化することとなった
P130 15行目 大きなおおきなフリップボード → 大きなフリップボード(※この箇所で「大きな」という語を2回繰り返す必然性が分からない)
そして、もっとも良くないと思われる誤字が、P109にある。ここでは『帝国の慰安婦』を擁護する知識人に対する著者の批判が書かれているのだが、上野千鶴子「『帝国の慰安婦』のポストコロニアリズム」の文章が、著者の発言の中に取り込まれる形でカギカッコ引用されている。次の文章だ。(最初と最後を※で括っておく)
※※※
僕にとって疑問なのは、上野千鶴子がこうした学問の「前提」がなっていない本を「『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だが僕の目からみれば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある」と評してしまう点です。
※※※
そして上野の文章の原文は、以下のものだ。
※※※
『帝国の慰安婦』が歴史書として読むに値しない、という批判は、主として「実証史学」の水準(事実の認否)で行われている。だがわたしの目から見れば、『帝国の慰安婦』がもたらした学問的なインパクトは、「実証」の水準にではなく、「語り」と「記憶の水準」にある。
(上野千鶴子「『帝国の慰安婦』のポストコロニアリズム」、『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく』クレイン P245-246)
※※※
つまり、原文では「わたしの目から見れば」と書かれていた箇所が、なぜか本書では「僕の目からみれば」と、一人称の表記が変わってしまっているのだ。おそらく校正の時のミスだろう。
これは単純な誤字の問題であり、ささいなミスであるかもしれない。重箱の隅をつついている自覚はあるが、しかしそれでもカギカッコ付きの引用は原文に沿って正確に写さなければならないという原則がある以上、見逃してはいけない部分だろう。
ましてやこの箇所では、『帝国の慰安婦』の事実誤認を批判の対象として扱っているため、余計に目立つミスとなってしまっている。ここはもっと丁寧にチェックしてほしかった。
(なお内容レベルでの疑問点を挙げるならば、上野の『帝国の慰安婦』擁護がどのように批判されるべきであるのか、この箇所からは意味を掴み取ることは難しかった。著者は「「語り」と「記憶の水準」を評価するには、あまりにも事実をないがしろにしている。あるいは、「学問的なインパクト」欲しさに当時者の証言を利用してよいわけではない」とだけ書いているが、そこまで言うのであればせめて具体的な例示が欲しい。対談であり、この話題のみに限定した章でないことは承知しているが、逆に言うとおそらくこの箇所は著者がどうしても一言残しておきたい、という部分としてこの対談の話題のレベルからは浮いてしまった箇所なのではないだろうか。また、上野の言う「学問的なインパクト」というのは、そのインパクト狙いで『帝国の慰安婦』の著者が自己の主張を述べているという意味ではなく、本の受け手側が論点とすべき箇所、という意味で言っているのではないだろうか。「論点を見誤っている」というのが上野の言いたいことだろう。何か両者の間で大きなすれ違いを感じてしまう)
それから誤字レベルではない、もう一つの大きな問題点と思われる箇所。
P216から続く「スピリチュアル系」と右派的言説の関係を述べた部分で、「そもそも宗教自体が何かの証拠があって言説が組みたてられているわけではありません」という一文は、大きな誤解を招くのではないか。「カルト宗教」や「近年の新興宗教」といった限定付きの表現ではない。「宗教」と書く以上、これはいくらなんでも対象としているものが大きすぎるだろう。ここは宗教学研究、スピリチュアル研究の人々が文句を言ってよい箇所だろう。
最後の問題点として、全体的な対談の構成である。2人の著者の対談形式ではあるが、実質的には1人の著者が大量に語って結論を出し、そして次にもう1人の著者がまた大量に語って結論を出し、そして再びもう1人の著者が・・・というパターンの繰り返しなのである。1人の著者が1ページ以上の膨大な発言をするところも多く、対談というより演説文を読んでいる気分になる。
これでは対談の意味が無いのではないか。お互いの対話によって変化・創造される文脈というものがこの対談には、ほとんど無いように見える。
対談形式というのは読みやすさを狙ったものなのだろうが、本当にその「読みやすさ」以上の効果が無いのは残念である。
本レビューの後半では色々と批判的なことも書いたが、著者2人の危機感と、歴史修正主義・排外主義への怒りにはもちろん賛同する。
著者たちが挙げるネット右翼的言説への対抗は、果たして有効であるのかという疑問も残るのだが、しかしこの現状に違和感を感じている人、そしてその違和感の要因がうまく結び付かないという人はぜひ読んでみてほしい。現在のこの国を覆う異常性がどのような原理で作られているのか、ヒントを教えてくれる本だろう。