コンクリート事件を、中立的な立場から現しているとあり読んでみました。藤井氏は、この著書で加害者は悪くないみたいな描写をしているところが垣間見られます。この悲惨な事件の真実を知りたければ、他の沢山の作品も読むべきです。もし悪くないとか描写したいのであれば元少年達4名が精神鑑定で精神疾患があった裁判の詳細も記すべきでしょう。
ほか、長崎バスハイジャック事件ほか体の弱い子を狙ったリンチ事件や兄弟揃って集団リンチにより未成年者から殺害される事件も書かれています。
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17歳の殺人者 単行本 – 2000/8/1
藤井 誠二
(著)
- 本の長さ317ページ
- 言語日本語
- 出版社ワニブックス
- 発売日2000/8/1
- ISBN-104847013557
- ISBN-13978-4847013553
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
1989年3月、女子高校生コンクリート詰め殺人事件から、2000年5月3日、佐賀バスジャック事件まで、約10年間の少年犯罪を扱ったルポをまとめ、その軌跡を描く。
登録情報
- 出版社 : ワニブックス (2000/8/1)
- 発売日 : 2000/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 317ページ
- ISBN-10 : 4847013557
- ISBN-13 : 978-4847013553
- Amazon 売れ筋ランキング: - 863,969位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年7月24日に日本でレビュー済み
どうせ取材するなら被害者の遺族に話を聞いたほうがいいと思います。
犯罪者の言い訳を聞くのは最後で。
犯罪者の言い訳を聞くのは最後で。
2012年3月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
藤井誠二といえば、今では犯罪被害者の積極的な代弁者で、死刑存置はやむをえないとする立場で、森達也の好敵手というのが通念だろうが、昔は管理教育の告発者で、少年犯罪については「犯人たちをそのように追い詰めた社会的原因は何か?」という視点から取材する人だったという。
この本の初版を出した2000年は、彼にとっては、大きな転換点だったようだ。現に、藤井が本書で取り上げている四件の少年犯罪事例のうち、最初の「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」に関しては、取材はもっぱら加害者のほうに向けられており、被害者の視点はほとんどない。しかし、他の三件については取材姿勢は大いに転換しており、被害者遺族がどんなに理不尽な目に遭っているかを、彼は必死に探ろうとし始めている。
むかし(戦前のことだが)『何が彼女をさうさせたか』という映画があって、「犯罪者は資本主義社会が生み出す犠牲者」という唯物史観的イデオロギーで作られていたというが、戦後も長らく、日本のジャーナリストや知識人の多くはその流儀を踏襲して、「何が彼らをそうさせたか」という視点に立つことが進歩性の証しであるかのように思っていたわけだ。レビュアーの中には、本書のうちのまだそれを脱していない部分にだけ着目して「いかにも左翼的な朝日新聞社の出しそうな本だ」といった否定的評価を下している人もあるが、それは必死に誠実に転換しようとしていた藤井に対して失礼であろう。
現にその二年後に藤井が同じ朝日新聞社から出した『少年に奪われた人生』では、視点は大きく転換しており、「朝日新聞社でさえ、被害者問題にまともに向き合わずには済まなくなったのだ」という時代の変化を感じさせる。森達也をおおむね支持する私からすると、「それは言い過ぎだよ」と、藤井にひと文句つけたくなるぐらいだ。本書はその一段階前の藤井の本として、歴史的意義があると思う。
この本の初版を出した2000年は、彼にとっては、大きな転換点だったようだ。現に、藤井が本書で取り上げている四件の少年犯罪事例のうち、最初の「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」に関しては、取材はもっぱら加害者のほうに向けられており、被害者の視点はほとんどない。しかし、他の三件については取材姿勢は大いに転換しており、被害者遺族がどんなに理不尽な目に遭っているかを、彼は必死に探ろうとし始めている。
むかし(戦前のことだが)『何が彼女をさうさせたか』という映画があって、「犯罪者は資本主義社会が生み出す犠牲者」という唯物史観的イデオロギーで作られていたというが、戦後も長らく、日本のジャーナリストや知識人の多くはその流儀を踏襲して、「何が彼らをそうさせたか」という視点に立つことが進歩性の証しであるかのように思っていたわけだ。レビュアーの中には、本書のうちのまだそれを脱していない部分にだけ着目して「いかにも左翼的な朝日新聞社の出しそうな本だ」といった否定的評価を下している人もあるが、それは必死に誠実に転換しようとしていた藤井に対して失礼であろう。
現にその二年後に藤井が同じ朝日新聞社から出した『少年に奪われた人生』では、視点は大きく転換しており、「朝日新聞社でさえ、被害者問題にまともに向き合わずには済まなくなったのだ」という時代の変化を感じさせる。森達也をおおむね支持する私からすると、「それは言い過ぎだよ」と、藤井にひと文句つけたくなるぐらいだ。本書はその一段階前の藤井の本として、歴史的意義があると思う。
2004年9月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ここでも少年法の問題が取り上げられているが、著者の言うように、マスコミ的にメジャーな事件であれ、マイナーな事件であれ、そこに被害者が存在している点においては同等であり、遺族の絶望や悲憤も同等であるはずだ。それなのに、著名事件では審判内容や情報を公開するケースがあるにも関わらず、非著名事件では一切の情報を公開しない。遺族でさえ知らされていないのは理不尽極まりない。何より、被疑者自身、人の命を抹殺したという罪を犯したら、一生その罪に向き合って生きてほしい。
2005年5月12日に日本でレビュー済み
著者はジャーナリストというより思想家と呼ばれる分類に入る人だろう。つまりあらかじめある思想なり、方向性がありそのために材料(知識、情報)を集める人たちである。実際そういう人たちにもすばらしい著作があり学ばされることもある。
ゆえに著者には以後そういう道をすすんでもらいたい。以上
ゆえに著者には以後そういう道をすすんでもらいたい。以上
2004年5月21日に日本でレビュー済み
まず、著者の経歴と思想傾向を把握しなければならない。
著者は高校時代に管理主義教育を告発するルポを書き、それがもとで
フリーライターになった。文筆業版の尾崎豊とでもいうべきか。
だからであろうか、本書を通して垣間見える彼のスタンスは、
「野獣のような少年を育てた管理主義教育の出身中学校が悪い。
冷たい愛のない家庭に育った若者は不幸である」といったところか。
いかにも「反権力は絶対善」を標榜する朝日文庫(朝日新聞)の
好みそうなルポライターであり、そんな彼の論調である。
たしかに、両親が家にいる家庭に育ち、周囲の愛情に恵まれ、
他者との交流の機会も十分にあり、経済的にも強烈な不自由はせずに
育つことができた私(そしておそらくこれが大多数の普通の日本人)
には、彼らの生い立ちは想像しがたい悪い生育環境であり、
その点では同情の余地はある。
しかし、それは論点のすり替えにすぎない。「社会」は強姦や拉致や殺人や
死体遺棄などしない。日本中を震撼させた戦慄の凶悪犯罪をしでかしたのは、
ほかの誰でもない彼らなのである。
その証拠に、片親の家庭に育っても、スパルタ教育の学校に通っても、
誰にも迷惑をかけずに真面目に働き、社会に貢献している人はたくさんいる。
犯人の視点から事件を描いたという点で、本書は斬新なのかもしれないが、
著者の論調には被害者の心情への想像力が欠けているように感じられる。
前途有望で夢もあった女子高生が、ある日突然、半人半獣の少年に襲われ、
人間としての尊厳をまったく無視され、最後にはまるで産廃のように遺棄された。
その無念さを思うと、犯人どもへの共感など露ほども湧いてこない。
著者は高校時代に管理主義教育を告発するルポを書き、それがもとで
フリーライターになった。文筆業版の尾崎豊とでもいうべきか。
だからであろうか、本書を通して垣間見える彼のスタンスは、
「野獣のような少年を育てた管理主義教育の出身中学校が悪い。
冷たい愛のない家庭に育った若者は不幸である」といったところか。
いかにも「反権力は絶対善」を標榜する朝日文庫(朝日新聞)の
好みそうなルポライターであり、そんな彼の論調である。
たしかに、両親が家にいる家庭に育ち、周囲の愛情に恵まれ、
他者との交流の機会も十分にあり、経済的にも強烈な不自由はせずに
育つことができた私(そしておそらくこれが大多数の普通の日本人)
には、彼らの生い立ちは想像しがたい悪い生育環境であり、
その点では同情の余地はある。
しかし、それは論点のすり替えにすぎない。「社会」は強姦や拉致や殺人や
死体遺棄などしない。日本中を震撼させた戦慄の凶悪犯罪をしでかしたのは、
ほかの誰でもない彼らなのである。
その証拠に、片親の家庭に育っても、スパルタ教育の学校に通っても、
誰にも迷惑をかけずに真面目に働き、社会に貢献している人はたくさんいる。
犯人の視点から事件を描いたという点で、本書は斬新なのかもしれないが、
著者の論調には被害者の心情への想像力が欠けているように感じられる。
前途有望で夢もあった女子高生が、ある日突然、半人半獣の少年に襲われ、
人間としての尊厳をまったく無視され、最後にはまるで産廃のように遺棄された。
その無念さを思うと、犯人どもへの共感など露ほども湧いてこない。
2004年2月4日に日本でレビュー済み
他人への思いやりや最低限の常識を持ち合わせていないタイプの少年たちが、どういう考えを持ち(そもそも考えを持っているのか疑問ですが)、人生観を持ち、普段どういう生活をしているのか、理解できない事が多々あり、そういった少年たちが実際に起こした最も狂った事件である、コンクリ殺人に関心を持ち、これに関する本を数冊読みました。彼らの生き方は、たった一言「行き当たりばったり」の言葉で足りると思いました。何の必然も無い、偶然のみに頼って日々を送る、しかし、必然的に非行に走り、身震いするほどの信じられない事件を起こした少年たち。人の気持ちを真剣に考えた事が無く、ただ虚勢を張る事にのみ必死の、無能な若者たち。でも、若いとはいえ、普通は小学生でも身につけていて当然の常識さえ持ち合わせていない、すなわち、常識などというものにはことごとく目をつむり、心を閉ざしてきた、言ってみれば究極の「バカの壁」だと思いました。そんなはた迷惑な毎日を積み重ねても、まわりの人たちは正してくれなかったのでしょう。それが彼らの不幸の種でもあると思うけれど、自分達が起こした今回の事件や、それまでの窃盗、恐喝、強姦などの数々の事件を、自分以外のせいにすることは許されない事だと思います。読み進めている間、何度も「どうしてこんなバカなヤツらの気持ちをわかろうとしなければならないのか」とどうしようもない憤りを感じました。世の中には実際こういった、究極のジコチュー人間たちが少なからず存在するのだという事実を知っておくのも必要な事ではないかと思います。
2009年10月3日に日本でレビュー済み
最初の女子高生コンクリート詰め殺人事件の全容をもっと詳しく書いてほしかった…
他の事件の事は被害者側に立った書き方だったので読みやすかったです。
いくら少年とはいえ、大人より少年犯罪の方が自己中で理不尽きわまりない!
少年でも凶悪犯罪者は実名公開、死刑を望む!
他の事件の事は被害者側に立った書き方だったので読みやすかったです。
いくら少年とはいえ、大人より少年犯罪の方が自己中で理不尽きわまりない!
少年でも凶悪犯罪者は実名公開、死刑を望む!