著者の津野海太郎さんは、晶文社の編集責任者、大学教授、図書館長、そして評論家と本と深くかかわる仕事に携わってこられました。
その津野さんによると(現在77歳です)、60代はいま思うと、ホンの短い過渡期だったそうです。
また、読書好きの人間の多くは、歳をとったら、自分の性にあった本だけ読んでのんびり暮らしたいと思っているようです・・・・・・。
しかし、こんなことを思っていると大間違い!!
本書は、70代を迎えた津野さんが、「幻想抜きの老人読書の現実」を先人たちの例を引き、
ユーモア(ブラック?)を交え、ざっくばらんに語ったエッセイです。
私、直いい親父も現在60台半ばで、ホンの短い過渡期にいる人間です。そして、本が少し好きな人間にしかすぎませんが、
本書を読んでいると、この年齢的にならなければわからないことが、少なからず出てきます。
確かに体力が衰え、記憶力、集中力が落ち、当然、目はかすむし、耳は遠くなるし、すぐつまずくし、
「路上読書」なんて危なくてできません!!
それと、収入の減少!・・・トホホです!!・・・・。
次は、本の処分、草森紳一さんは、6万冊、久保覚さんは4万冊、津野さんんは7千冊、
本が崩れてトイレから出られなくなった話、床が抜けた話、いろいろ逸話がありますけど、津野さんは、徐々に減らすことにしたそうですけど、
これも途中でとん挫、最近は図書館も個人の蔵書はめったに引き取らなくなったそうです。
さらには老人にしかできない読書「渡り歩き」・・・・・・・。
そして、「70歳を越えれば、自分の死がすぐそこに迫っている。もうどこへも逃げ道はない。
そうときまったことで、ふわりと頼りなかった自分の人生の底に、思わず固い岩盤が出現した。」・・・・・・・
この感じもぼやっとですけど、何となく理解できます。
本書は、若い人が読めば、ふーん、そうなのかな、と面白く読み飛ばせる本だと思いますが、
それなりの年齢に達した人には、日ごろの体験から、ズーン心の奥に響く本でもあります。もちろん私は後者の方ですが!!
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百歳までの読書術 単行本(ソフトカバー) – 2015/7/22
津野 海太郎
(著)
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老後はじっくり本が読めると思ったら、大間違いだった。
歩きながら本を読む「路上読書」の実践者が、70代を迎えてからの「幻想抜きの老人読書の現実」を、ざっくばらんにユーモアを交えて綴るエッセイ集。
【目次】
老人読書もけっこう過激なのだ
<壱>
本を捨てない人たち
減らすのだって楽じゃない
路上読書の終わり
新しいクセ
遅読がよくて速読はダメなのか
月光読書という夢
「正しい読書」なんてあるの?
本を増やさない法
近所の図書館を使いこなす
退職老人、図書館に行く
渡部型と中野型
<弐>
背丈がちぢまった
ニベもない話
私の時代が遠ざかる
もの忘れ日記
漢字が書けない
老人演技がへたになった
八方にでてパッと凍る
〈死者の国〉から
本から本へ渡り歩く
老人にしかできない読書
ロマンチック・トライアングル
<参>
映画はカプセルの中で
いまは興味がない
病院にも「本の道」があった
幻覚に見放されて
友達は大切にしなければ
書くより読むほうがいい
むかしの本を読みかえす
怖くもなんともない
古いタイプライター
もうろくのレッスン
あとがき
歩きながら本を読む「路上読書」の実践者が、70代を迎えてからの「幻想抜きの老人読書の現実」を、ざっくばらんにユーモアを交えて綴るエッセイ集。
【目次】
老人読書もけっこう過激なのだ
<壱>
本を捨てない人たち
減らすのだって楽じゃない
路上読書の終わり
新しいクセ
遅読がよくて速読はダメなのか
月光読書という夢
「正しい読書」なんてあるの?
本を増やさない法
近所の図書館を使いこなす
退職老人、図書館に行く
渡部型と中野型
<弐>
背丈がちぢまった
ニベもない話
私の時代が遠ざかる
もの忘れ日記
漢字が書けない
老人演技がへたになった
八方にでてパッと凍る
〈死者の国〉から
本から本へ渡り歩く
老人にしかできない読書
ロマンチック・トライアングル
<参>
映画はカプセルの中で
いまは興味がない
病院にも「本の道」があった
幻覚に見放されて
友達は大切にしなければ
書くより読むほうがいい
むかしの本を読みかえす
怖くもなんともない
古いタイプライター
もうろくのレッスン
あとがき
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社本の雑誌社
- 発売日2015/7/22
- 寸法18.8 x 12.8 x 2 cm
- ISBN-104860112741
- ISBN-13978-4860112745
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商品の説明
著者について
1938年福岡県生まれ。早稲田大学卒業後、劇団「黒テント」で演出家として活動する一方、晶文社の編集責任者として、植草甚一やリチャード・ブローティガンなど60年代、70年代の若者文化の一翼を担う書物を次々世に送り出す。のち「季刊・本とコンピュータ」編集長、和光大学教授・図書館長をつとめる。現在は評論家。
登録情報
- 出版社 : 本の雑誌社 (2015/7/22)
- 発売日 : 2015/7/22
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 272ページ
- ISBN-10 : 4860112741
- ISBN-13 : 978-4860112745
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 135,222位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,469位エッセー・随筆 (本)
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2015年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「えっ、自分と同じだ。」という箇所が、いくつかあり楽しく読み終えることができた。
2017年12月24日に日本でレビュー済み
老年を迎えた同世代として、何か参考になるかと思い読み始めましたが、どうものめり込めない。どうのこうの言いながら、著者は演出家・編集長・大学教授・図書館長と、知識・書物に関してはある意味で恵まれた環境に育ち、それだけにかなり独りよがりな思い込みの基に話題を展開しているからでしょう。本の処分・路上読書などに関しても、速読・遅読に関しても、それほどに声を大にして言うほどのことかしら?と思わざるを得ません。
それでもP61の石川淳、P110~114の森於莵に関しての記述はそれなりの読ませましたし、幸田文の文章を引いての露伴の「読むこと」に関しての言及はなるほど、面白い所に気付いたと思わされます。このように、著者が他の人物に関して記述している個所は結構なのですが、「自分自身」に関してその経歴・考えを吐露した個所は、どうにも退屈になってしまいます。著者が自分自身を語るのに少々入れ込み過ぎている印象が強く、知らず知らずに高尚趣味な雰囲気が醸し出されていて嫌味です。期待した割には読ませる箇所が少ない一冊でした。
それでもP61の石川淳、P110~114の森於莵に関しての記述はそれなりの読ませましたし、幸田文の文章を引いての露伴の「読むこと」に関しての言及はなるほど、面白い所に気付いたと思わされます。このように、著者が他の人物に関して記述している個所は結構なのですが、「自分自身」に関してその経歴・考えを吐露した個所は、どうにも退屈になってしまいます。著者が自分自身を語るのに少々入れ込み過ぎている印象が強く、知らず知らずに高尚趣味な雰囲気が醸し出されていて嫌味です。期待した割には読ませる箇所が少ない一冊でした。
2023年1月13日に日本でレビュー済み
70歳を過ぎた津野さんが、老人の読書について書いた本。有名作家が老年にどのように本と向き合ったか、死ぬまでに本をどのように処分するか。
「本の雑誌」に3年連載された原稿をまとめたもの。一部は「本の雑誌」で読んだことがある。
貝原益軒の『和俗童子訓』(1710年刊行)は実践的児童教育のベストセラーだそうで、なかに読書法について論じた1章があり、その一部を引用していて興味深い(ここには引用しないけど)。
津野さんはこう書いている。
〈「本を読む者」としての私の人生は、むしろ戦後、B29の無差別爆撃によるリブリサイド(本の大量虐殺。ジェノサイドの書物版)があとにのこした焼け野原と、それをイヤというほど味合わされた本への飢えの記憶から始まる。〉
速読ができ大量の本を読んできた津野さんにはとてもかなわないが、それでも同じ本好きとして楽しく読めた本だった。
「本の雑誌」に3年連載された原稿をまとめたもの。一部は「本の雑誌」で読んだことがある。
貝原益軒の『和俗童子訓』(1710年刊行)は実践的児童教育のベストセラーだそうで、なかに読書法について論じた1章があり、その一部を引用していて興味深い(ここには引用しないけど)。
津野さんはこう書いている。
〈「本を読む者」としての私の人生は、むしろ戦後、B29の無差別爆撃によるリブリサイド(本の大量虐殺。ジェノサイドの書物版)があとにのこした焼け野原と、それをイヤというほど味合わされた本への飢えの記憶から始まる。〉
速読ができ大量の本を読んできた津野さんにはとてもかなわないが、それでも同じ本好きとして楽しく読めた本だった。
2015年11月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
う~~ん。 私にとっては、面白くない本でした。
そもそも題名がいけません。「百歳までの読書術」とあります。 素直に解すれば、これからの(百歳までの)心構え、また技法、思い、等々の内容であろうとの期待を持って楽しみに購入しましたが、書かれている内容は、これまでの(過去の)著者の読書遍歴と、現在の老いた自分を自虐的に(それもごくありふれた内容、どこかで聞いたような)述べ、、またそれを如何に乗り越えているかを、実は自慢げに述べてあるだけです。 知る人ぞ知る、というような内幕的なことも書かれていますが、当該著者を知らない人にとっては、何の興味も湧きません。
蛇足ながら、著者は道を歩きながら本を読んで一度も人にぶつかったことがない、と誇らしげに書いていますが、それは実は相手がよけてくれていたのでしょう、ということに思いが至っていない。 歩きケータイは危険だが、歩き読書はそうでもない、などと勝手な屁理屈を述べている。(さすがに最近はできなくなったと書いているが)。 大変傲岸不遜な迷惑な人間だと思います。
そもそも題名がいけません。「百歳までの読書術」とあります。 素直に解すれば、これからの(百歳までの)心構え、また技法、思い、等々の内容であろうとの期待を持って楽しみに購入しましたが、書かれている内容は、これまでの(過去の)著者の読書遍歴と、現在の老いた自分を自虐的に(それもごくありふれた内容、どこかで聞いたような)述べ、、またそれを如何に乗り越えているかを、実は自慢げに述べてあるだけです。 知る人ぞ知る、というような内幕的なことも書かれていますが、当該著者を知らない人にとっては、何の興味も湧きません。
蛇足ながら、著者は道を歩きながら本を読んで一度も人にぶつかったことがない、と誇らしげに書いていますが、それは実は相手がよけてくれていたのでしょう、ということに思いが至っていない。 歩きケータイは危険だが、歩き読書はそうでもない、などと勝手な屁理屈を述べている。(さすがに最近はできなくなったと書いているが)。 大変傲岸不遜な迷惑な人間だと思います。
2015年11月13日に日本でレビュー済み
『百歳までの読書術』(津野海太郎著、本の雑誌社)で語られているのは、老人の、老人による、老人のための読書術である。著者は、70歳からの読書を念頭に置いているようだ。
正直に白状すると、前半は淡々と読んできたのだが、後半に入るや俄然、目を瞠らされることになった。
「そうこうしているうちに、ある瞬間、ああ、こういうことだったのか、と全体の感じがふっとつかめたような気がする」と書き出された一文で、『増補 幸田文 対話』(幸田文著、岩波現代文庫、上・下巻)の話が出てくる。「小堀杏奴、志賀直哉、江戸川乱歩、安藤鶴夫といった人たちとの対談集。なかの一編、山本健吉との対談で、文さんが、父は日ごろ『一つのことに時間をとって、まごまごしていては損だ』とよく口にしていました、と語っている。それが『父』こと幸田露伴の読書法、もしくは勉強法だったというのである。<・・・一つのところばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。軍勢が進んでいくようにとか言ってましたね。(略)氷がはるときは先に手を出して、それが互いに引き合ってつながる。そうすると中へずっと膜をはって凍る。知識というのはそういうもので、一本一本いってもうまくいかない。こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという>。本を読んでいて、これこれ、まさしく私はこういう文章が読みたかったのだ、と感じることがよくある。このときがそうだった。そうか、露伴先生の読書は八方にひろがってパッと凍るのか。すごいね。もちろん露伴もだが、むかし父親が語ったことを、かくもキリリとひきしまったコトバで思いだせてしまう娘もすごいやーー。そう考え、あわせて、おや、この『八方にひろがってパッと凍る』というのは、どことなく、私のお祭り(式読書法)のやり方に似ているんじゃないかな。そう思った。・・・死んだ露伴先生が巫女としての娘の口を借りて勝った『知識』についての論が、老いた私を元気づけてくれた。そう感じさせてもらっただけでじゅうぶん」。これこれ、まさしく私もこういう文章を読みたかったのだ。
「全く、本など手元になくても何ら不都合が生まれないことは、私たちの常識だ。同胞の過半数あるいは圧倒的多数が本なんか読みゃしないという事実を、もし忘れかけていたのなら、もういちど頭に叩きこんでおこう。叩きこんだ上で、なおかつ私は本を読む。本から本へと渡り歩く」という岩田宏の文章が引用されているが、私も本から本へと渡り歩いてきたので、共感を覚えるなあ。著者の、「『古い本』を読むことは単にそれだけでは終わらない。しばしばそれが読む者を予期していなかった方向へと押しやってしまうからである」という指摘にも、思わず頷いてしまった。
この岩田の、革命ロシアの詩人・劇作家、ウラジミール・マヤコフスキーに対する思い入れが、実に興味深いのである。「岩田さんは19歳のとき、この前衛詩人のとてつもない世界にいかれて以来、一貫してかれへの切実な関心を捨てずにきた。その点で他の作家たちの場合とはちがう。『マヤコフスキー詩集』の刊行が1952年で、71年には『マヤコフスキーの愛』という論集もだしている。にもかかわらず『衝撃的』というのは、詩人の生誕100周年にあたる1993年前後に、途轍もない新事実がたてつづけに明らかにされたからだ。そのひとつは、これまで拳銃による自殺とされてきた詩人の死が、どうやら秘密警察ゲーペーウー(のちのKGB)による謀殺だったらしい、という疑いが生じたこと。そしてもうひとつが、『昔の私たちには詩人のミューズとも、ベアトリーチェとも見えていたこの女性が、実は秘密警察に籍を置く薄汚い<タレコミ屋>だった』という事実の暴露。『この女性』とはリーリャ・ブリーク。私もそのひとりだったが、その昔、マヤコフスキーとリーリャとその夫オシップとの友情と恋愛がいっしょになったような三角関係が、若い連中のあいだで、けっこう伝説化されて語られていた時期があるのですよ。これらの残酷な事実を岩田さんは何冊かの新刊本や新聞記事で知った。しばらくはひとりでその情報をかかえこんでいたようだが、とうとう居ても立ってもいられなくなって、北村太郎、堀川正美、三木卓といった親しい詩人仲間にあつまってもらい、じぶんが知り得た『写真週刊誌的情報』を洗いざらい報告する。それが1988年のことであった。ところがその後、ワレンチン・スコリャーチンという『在野の研究者』が、その事実を精密な調査によって実証してみさた本が1998年に出版される。それを読んで『私の茫然自失がいよいよ募ったことを、恥ずかしながら白状しなければならない』と岩田さんはしるしている」。
「岩田さんにとっての革命ロシアの詩人マヤコフスキーがそうだったように、まだ少年や青年だったじぶんが大切にしていたなんらかのイメージが、何十年かの時間が経過したのち、思いがけず発見された新資料や大胆な仮説によってガラリと一変させられてしまう。そのおどろきから、とつぜん新旧を問わない本から本への集中的な『渡り歩き』がはじまる。『老人読書』とは、このような高齢者特有の発作的な読書パターンをさす。なぜ高齢者特有というのか。少年や青年、若い壮年の背後には、ざんねんながら、それから『何十年かの時間が経過した』といえるだけの時間の蓄積がないからだ。だったら当然、かれらにその種の読書があるわけがない」。そうだ、そうだ、そのとおりだ。
その後、『マヤコフスキー事件』(小笠原豊樹著、河出書房新社)なる本が著者のもとに送られてくる。小笠原豊樹は岩田の本名で、岩田は80歳を超えてもマヤコフスキー事件の真相究明を諦めていなかったのである。老いの執念というべきか。「詩人にとっての『宿命の女』ともいうべきリーリャ・ブリークへの著者(岩田)の愛想づかしのはげしさが、とくに印象にのこった」と書かれては、『マヤコフスキー事件』を読まずにはおられない。こういう気持ちに駆り立てられたのは、私だけではないだろう。
「もうしばらくすると私は消えてなくなる。そんなギリギリのところで、たいていは偶然のきっかけから過去の経験を新しい目で見なおさざるをえなくなる。ちょっとしんどい。でもその一方で、じぶんの経験をもうひとつ複雑なしかたで深めることができた。よし、なんとか間に合ったぞ、という苦いよろこびもある。齢をとると、そんなたぐいの読書も、けっこうしばしばあるのですよ」。「――ざまァ見ろ、こんな読書、若い諸君にはゼッタイにできないだろう。齢をとったおかげで、たまにそんなふうに感じることがある。ふと思い立って、むかし愛読した本を読みなおしたときとかね」。「おおくの老人たちが日々、大小の『記憶の裏切り』とつきあいながら生きている。私だっておなじ。裏切りと遊びたわむれ、それをたのしむのも、老人読書にゆるされた数すくない特権のひとつなのである」。これらの言葉に、老人読書の醍醐味が上手く表現されている。
正直に白状すると、前半は淡々と読んできたのだが、後半に入るや俄然、目を瞠らされることになった。
「そうこうしているうちに、ある瞬間、ああ、こういうことだったのか、と全体の感じがふっとつかめたような気がする」と書き出された一文で、『増補 幸田文 対話』(幸田文著、岩波現代文庫、上・下巻)の話が出てくる。「小堀杏奴、志賀直哉、江戸川乱歩、安藤鶴夫といった人たちとの対談集。なかの一編、山本健吉との対談で、文さんが、父は日ごろ『一つのことに時間をとって、まごまごしていては損だ』とよく口にしていました、と語っている。それが『父』こと幸田露伴の読書法、もしくは勉強法だったというのである。<・・・一つのところばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。軍勢が進んでいくようにとか言ってましたね。(略)氷がはるときは先に手を出して、それが互いに引き合ってつながる。そうすると中へずっと膜をはって凍る。知識というのはそういうもので、一本一本いってもうまくいかない。こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという>。本を読んでいて、これこれ、まさしく私はこういう文章が読みたかったのだ、と感じることがよくある。このときがそうだった。そうか、露伴先生の読書は八方にひろがってパッと凍るのか。すごいね。もちろん露伴もだが、むかし父親が語ったことを、かくもキリリとひきしまったコトバで思いだせてしまう娘もすごいやーー。そう考え、あわせて、おや、この『八方にひろがってパッと凍る』というのは、どことなく、私のお祭り(式読書法)のやり方に似ているんじゃないかな。そう思った。・・・死んだ露伴先生が巫女としての娘の口を借りて勝った『知識』についての論が、老いた私を元気づけてくれた。そう感じさせてもらっただけでじゅうぶん」。これこれ、まさしく私もこういう文章を読みたかったのだ。
「全く、本など手元になくても何ら不都合が生まれないことは、私たちの常識だ。同胞の過半数あるいは圧倒的多数が本なんか読みゃしないという事実を、もし忘れかけていたのなら、もういちど頭に叩きこんでおこう。叩きこんだ上で、なおかつ私は本を読む。本から本へと渡り歩く」という岩田宏の文章が引用されているが、私も本から本へと渡り歩いてきたので、共感を覚えるなあ。著者の、「『古い本』を読むことは単にそれだけでは終わらない。しばしばそれが読む者を予期していなかった方向へと押しやってしまうからである」という指摘にも、思わず頷いてしまった。
この岩田の、革命ロシアの詩人・劇作家、ウラジミール・マヤコフスキーに対する思い入れが、実に興味深いのである。「岩田さんは19歳のとき、この前衛詩人のとてつもない世界にいかれて以来、一貫してかれへの切実な関心を捨てずにきた。その点で他の作家たちの場合とはちがう。『マヤコフスキー詩集』の刊行が1952年で、71年には『マヤコフスキーの愛』という論集もだしている。にもかかわらず『衝撃的』というのは、詩人の生誕100周年にあたる1993年前後に、途轍もない新事実がたてつづけに明らかにされたからだ。そのひとつは、これまで拳銃による自殺とされてきた詩人の死が、どうやら秘密警察ゲーペーウー(のちのKGB)による謀殺だったらしい、という疑いが生じたこと。そしてもうひとつが、『昔の私たちには詩人のミューズとも、ベアトリーチェとも見えていたこの女性が、実は秘密警察に籍を置く薄汚い<タレコミ屋>だった』という事実の暴露。『この女性』とはリーリャ・ブリーク。私もそのひとりだったが、その昔、マヤコフスキーとリーリャとその夫オシップとの友情と恋愛がいっしょになったような三角関係が、若い連中のあいだで、けっこう伝説化されて語られていた時期があるのですよ。これらの残酷な事実を岩田さんは何冊かの新刊本や新聞記事で知った。しばらくはひとりでその情報をかかえこんでいたようだが、とうとう居ても立ってもいられなくなって、北村太郎、堀川正美、三木卓といった親しい詩人仲間にあつまってもらい、じぶんが知り得た『写真週刊誌的情報』を洗いざらい報告する。それが1988年のことであった。ところがその後、ワレンチン・スコリャーチンという『在野の研究者』が、その事実を精密な調査によって実証してみさた本が1998年に出版される。それを読んで『私の茫然自失がいよいよ募ったことを、恥ずかしながら白状しなければならない』と岩田さんはしるしている」。
「岩田さんにとっての革命ロシアの詩人マヤコフスキーがそうだったように、まだ少年や青年だったじぶんが大切にしていたなんらかのイメージが、何十年かの時間が経過したのち、思いがけず発見された新資料や大胆な仮説によってガラリと一変させられてしまう。そのおどろきから、とつぜん新旧を問わない本から本への集中的な『渡り歩き』がはじまる。『老人読書』とは、このような高齢者特有の発作的な読書パターンをさす。なぜ高齢者特有というのか。少年や青年、若い壮年の背後には、ざんねんながら、それから『何十年かの時間が経過した』といえるだけの時間の蓄積がないからだ。だったら当然、かれらにその種の読書があるわけがない」。そうだ、そうだ、そのとおりだ。
その後、『マヤコフスキー事件』(小笠原豊樹著、河出書房新社)なる本が著者のもとに送られてくる。小笠原豊樹は岩田の本名で、岩田は80歳を超えてもマヤコフスキー事件の真相究明を諦めていなかったのである。老いの執念というべきか。「詩人にとっての『宿命の女』ともいうべきリーリャ・ブリークへの著者(岩田)の愛想づかしのはげしさが、とくに印象にのこった」と書かれては、『マヤコフスキー事件』を読まずにはおられない。こういう気持ちに駆り立てられたのは、私だけではないだろう。
「もうしばらくすると私は消えてなくなる。そんなギリギリのところで、たいていは偶然のきっかけから過去の経験を新しい目で見なおさざるをえなくなる。ちょっとしんどい。でもその一方で、じぶんの経験をもうひとつ複雑なしかたで深めることができた。よし、なんとか間に合ったぞ、という苦いよろこびもある。齢をとると、そんなたぐいの読書も、けっこうしばしばあるのですよ」。「――ざまァ見ろ、こんな読書、若い諸君にはゼッタイにできないだろう。齢をとったおかげで、たまにそんなふうに感じることがある。ふと思い立って、むかし愛読した本を読みなおしたときとかね」。「おおくの老人たちが日々、大小の『記憶の裏切り』とつきあいながら生きている。私だっておなじ。裏切りと遊びたわむれ、それをたのしむのも、老人読書にゆるされた数すくない特権のひとつなのである」。これらの言葉に、老人読書の醍醐味が上手く表現されている。
2022年1月12日に日本でレビュー済み
老いと向き合う読書方法?かな?
人生第二部をどうするか色々もがいてるわいには色々響いた。
また単純に読み物としても面白い。歳を重ねた人の文章はこころに響く。
人生第二部をどうするか色々もがいてるわいには色々響いた。
また単純に読み物としても面白い。歳を重ねた人の文章はこころに響く。
2016年6月11日に日本でレビュー済み
高齢の父のためにと思って購入したのだが、けっきょく自分で読んでしまった。
言わずと知れた名編集者の「老人読書」を綴ったもの。かつて読んだ津野さんの別の本(たぶん『新・本とつきあう法』)で紹介されていた「路上読書」を当時さっそく真似してみたクチだが、この人のように早く歩きながらではとてもムリだった。本書によれば、その「路上読書」もとうとうやめてしまったとのこと。でも、それはまたそれで、現在の、それができなくなったあり方を、自分にとっての「読書史の最前線」として、好奇心の対象として書いてしまうところがすごい。ひそかに抱いていた、いつか本を読めなくなる日への不安を軽く吹き飛ばしてくれた。そのときできるやり方を探究するのもまた楽し。
全体としては様々な読書が、津野さんの心身の加齢にともなう読みぶりの変化とともに紹介されていくのだが、森於菟のエッセイと幸田文の対話集からの引用が特に印象的だった(読者の楽しみのために、再引用したいところを我慢します)。もちろん、津野節は健在で、絶妙な息の抜き方はますます磨きがかかったのではないかしらん。
言わずと知れた名編集者の「老人読書」を綴ったもの。かつて読んだ津野さんの別の本(たぶん『新・本とつきあう法』)で紹介されていた「路上読書」を当時さっそく真似してみたクチだが、この人のように早く歩きながらではとてもムリだった。本書によれば、その「路上読書」もとうとうやめてしまったとのこと。でも、それはまたそれで、現在の、それができなくなったあり方を、自分にとっての「読書史の最前線」として、好奇心の対象として書いてしまうところがすごい。ひそかに抱いていた、いつか本を読めなくなる日への不安を軽く吹き飛ばしてくれた。そのときできるやり方を探究するのもまた楽し。
全体としては様々な読書が、津野さんの心身の加齢にともなう読みぶりの変化とともに紹介されていくのだが、森於菟のエッセイと幸田文の対話集からの引用が特に印象的だった(読者の楽しみのために、再引用したいところを我慢します)。もちろん、津野節は健在で、絶妙な息の抜き方はますます磨きがかかったのではないかしらん。