今はそれほどでもないが、ドラマチックな物語が好きだった。人生山あり谷ありの、波瀾の生涯は、傍で見る分には面白い。やがて年を重ね、よそ様でも波瀾は、ちと疲れると思うようになった。だから、最近はほとんど読まない。
今回、採り上げる本は、まさに波瀾万丈のノンフィクション小説といってよいだろう。
長谷邦夫の「漫画に愛を叫んだ男たち」である。この作品は赤塚不二夫へのオマージュであり、酷薄な視線によって、一人の天才の悲惨を描いた作品でもある。
マンガ・ジャーナリズムは比較的容易にデビューできるものの、持続が困難な世界だ。
僕自身も少しの間だが、垣間見た。マンガ媒体は知的労働集約的な風土が色濃い。それは活字媒体にも言えることだが、相対的には、比較にならないくらい劣悪な環境である。
そのことは、優れた編集者が少ないことに起因しているようにも思う。幸いなことに、赤塚不二夫も石森章太郎も優れた編集者に恵まれ、そして支えられた。
この物語は、映画「アマデウス」同様に、サリエリ的な視点で描かれている。映画では、アマデウス・モーツァルトを追い詰めるサリエリだが、レクイエムの作曲協力をしているうちに、天才音楽家ゆえに、アマデウス・モーツァルトに熱中してのめり込む話だ。
アマデウス・モーツァルトが赤塚不二夫であり、サリエリが長谷邦夫だ。見方を変えると、モーツァルトが石森章太郎であり、サリエリが赤塚不二夫でもある。手塚治虫をマンガ作家の頂点とするなら、石森章太郎でもサリエリとなるかもしれない。マンガ文化は、こうした才能の再帰的入れ子構造を包摂している。
本品は浮き沈みするマンガ家たちの狂騒の日々を容赦なく描き切っている。
著者の赤塚への友情はたとえようもないくらい優しく、美しい。かりに赤塚を「地」に描かれた「図」とするなら、その背景の「地」はマンガである。マンガへの無限の愛が鮮烈なまでにたぎっている。
マンガへの愛と友情が縦糸なら、横糸に栄光と挫折、夢と破滅があった。限りなく陽性を装おう内面の翳り。。。というより、赤塚のアルコール依存は「鬱」の隠蔽にあったと、長谷は指摘する。
たぶん、それはあまりに鋭敏な神経ゆえのことだろう。
繊細でなければ天才たりえないが、他方で、マンガ・ジャーナリズムのバーバリズムの中で、繊細な神経はズタズタに切り裂かれ、良心を貫いて筆を折った作家(寺田ヒロオ)もいた。だが筆を折った後も、マンガへの愛惜ゆえに、アルコール依存症となる。寺田の衰弱死は一片の感傷もなく綴られた。
こうした夢と破滅の物語は、昔、体力が有り余っていたころによく読んだ。たとえば、バット・シュールバーグの「何がサミイを走らせたのか」(小泉喜美子訳)や、生島治郎の「雄の時代」に描かれた力道山を思い出した。残酷な描き方だが、確かな描写であった。
太陽があれば、月がある。赤塚不二夫が太陽なら、長谷邦夫は月である。藤子・F・不二雄が太陽なら、藤子不二雄Aは月だ。別な世界だと、中原誠が太陽なら、芹沢博文は月であり、黒澤明が太陽なら、谷口千吉は月だった。
しばしば、月の方が知的であり、筆が立ったりするから、サリエリ的視線の物語がたくさん、生まれる。
この物語には僕たちがよく知っている作家が実名で、数多く出現する。酷いエピソードも少なくない。
暴露本に堕さなかったのは、著者の憂愁や哀惜が本物だったからだろう。
それにつけても、赤塚との訣別の著者の判断は遅い。それは、緩慢な作家的自殺のようにも映る。
赤塚への友情ゆえのことだろうが、余りに遅く、痛ましい。(2008年 05月 02日.)
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漫画に愛を叫んだ男たち トキワ荘物語 単行本 – 2004/5/9
長谷 邦夫
(著)
手塚治虫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄、寺田ヒロオ……。
伝説の「トキワ荘」に集った漫画少年たちの中に天才赤塚不二夫もいた。
その赤塚不二夫との出会いから別れ、タモリ誕生秘話まで……。
伝説の「トキワ荘」に集った漫画少年たちの中に天才赤塚不二夫もいた。
その赤塚不二夫との出会いから別れ、タモリ誕生秘話まで……。
- 本の長さ318ページ
- 言語日本語
- 出版社清流出版
- 発売日2004/5/9
- ISBN-104860290755
- ISBN-13978-4860290757
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
漫画史にその名を轟かせた「トキワ荘」アパートの住人達。長谷邦夫と赤塚不二夫もこの中にいた。長谷は赤塚のブレーンとして、又、ある時はゴーストライターとして支え続け…。天才漫画家赤塚不二夫の「光と影」を描いた小説。
登録情報
- 出版社 : 清流出版 (2004/5/9)
- 発売日 : 2004/5/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 318ページ
- ISBN-10 : 4860290755
- ISBN-13 : 978-4860290757
- Amazon 売れ筋ランキング: - 564,901位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 716位コミック・アニメ研究
- - 10,353位社会学概論
- - 273,747位コミック
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2023年12月11日に日本でレビュー済み
長谷邦夫氏の存在は知りませんでしたが、トキワ荘のことを調べていくうちに出会いました。
しかし、トキワ荘のことはそんなには書かれていません。ただ、前半部分に
漫画家として赤塚不二夫は、駆け出しのときにトキワ荘に引っ越します。
長谷氏自身は住むことはなく実家からの通いで来ていたようです。
赤塚氏が初のギャグマンガ『ナマちゃん』で売れるまではトキワ荘で苦心し悩み漫画に打ち込んでいたという感じですね。
全体的に長谷氏の日記帳のような感じで、
毎日の出来事がひたすら書かれているといった印象です。
戦後昭和の漫画・アニメの歴史の一端にふれたい人には
良いのかもしれません。けれど、編集者・アシスタント・仕事の関係者など
人物がいっぱい出てきて、雑誌名、漫画名の頻出に情報にあふれております。
そんななかでも、印象に残ったのは赤塚不二夫がだんだんと酒におぼれて
いって身体を壊していき、仕事上でまわりのひとたちに迷惑をかけていくように
なるところです。長谷氏の気持ちも赤塚氏から離れていきます。
また、そんなには多くありませんが、「山下洋輔トリオ」に長谷氏は心酔していたようで、そこでの
「タモリ」が芸能界デビューする経過をそばでみていた様子が出てきます。
タモリを東京に呼ぼう!と、福岡から招くための資金を集めた発起人の一人だったようです。
漫画家になることを夢見た青年期から長谷氏が赤塚不二夫と共に歩み
彼自身も漫画家として作品をいくつか発表しつつ、そばにはいつも赤塚不二夫がいたようです。
若いころから一緒にいたので、時おり出てくる、長谷氏の赤塚氏への
分析的な見方は、なるほどなぁと思うところもありました。
しかし、トキワ荘のことはそんなには書かれていません。ただ、前半部分に
漫画家として赤塚不二夫は、駆け出しのときにトキワ荘に引っ越します。
長谷氏自身は住むことはなく実家からの通いで来ていたようです。
赤塚氏が初のギャグマンガ『ナマちゃん』で売れるまではトキワ荘で苦心し悩み漫画に打ち込んでいたという感じですね。
全体的に長谷氏の日記帳のような感じで、
毎日の出来事がひたすら書かれているといった印象です。
戦後昭和の漫画・アニメの歴史の一端にふれたい人には
良いのかもしれません。けれど、編集者・アシスタント・仕事の関係者など
人物がいっぱい出てきて、雑誌名、漫画名の頻出に情報にあふれております。
そんななかでも、印象に残ったのは赤塚不二夫がだんだんと酒におぼれて
いって身体を壊していき、仕事上でまわりのひとたちに迷惑をかけていくように
なるところです。長谷氏の気持ちも赤塚氏から離れていきます。
また、そんなには多くありませんが、「山下洋輔トリオ」に長谷氏は心酔していたようで、そこでの
「タモリ」が芸能界デビューする経過をそばでみていた様子が出てきます。
タモリを東京に呼ぼう!と、福岡から招くための資金を集めた発起人の一人だったようです。
漫画家になることを夢見た青年期から長谷氏が赤塚不二夫と共に歩み
彼自身も漫画家として作品をいくつか発表しつつ、そばにはいつも赤塚不二夫がいたようです。
若いころから一緒にいたので、時おり出てくる、長谷氏の赤塚氏への
分析的な見方は、なるほどなぁと思うところもありました。
2018年7月27日に日本でレビュー済み
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赤塚不二夫とともにトキワ荘以前の頃から漫画家を目指し、赤塚が成功した後はフジオ・プロでアイデアスタッフやマネージャーとして支えた長谷氏の、赤塚との出会いから別れまで、40年間の実録小説である。文章に味わいがあり読ませる。赤塚自伝やその関連本(長谷がゴーストライト?)で読んでいた中身とも重なるが、より詳しく赤塚不二夫と長谷の漫画家人生が描かれている。
今更ながらに気づくのは、赤塚とほぼ同期の漫画家でも、石森や藤子、つのだらとは違って、長谷、横田、横山など、完全には自立できない、雑誌掲載を勝ち取れない漫画家が多数いて、フジオ・プロはそういう人たちの受け皿にもなっていたこと。長谷氏は、SFやパロディ、ジャズや詩など、多方面の趣味がある才人で、各分野で多くの交流や実績があり、フジオ・プロでもその方面の活動にやりがいを感じていたようだ。数々の文化人、作家、ミュージシャンが出てくる。いろんな小ネタが出ていて興味深い(星新一が小林信彦を嫌っていたとか)。
しかし、長谷氏、赤塚も何かに書いていたように「ギャク漫画家」としての才能は乏しいようで(論理に走る、はっちゃけたギャクが書けない)、アイデア会議でも書記やまとめ役的立場だったようだ(最近の各種インタビュー本による)。はじけたアイデアをどんどん出していた古谷氏や編集者諸氏(五十嵐、武居ら)、北見氏らがいなくなった後、長谷氏単独では赤塚のギャグ漫画をサポートできず、結局、80年代以降、フジオ・プロは崩壊への道をたどる。もちろん、その責任は赤塚にあるのだが、長谷氏も忸怩たるものがあったのではなかろうか。存分に人生・仕事を楽しみ、長谷氏独自の力を発揮したと言えるけれども、最後はちょっと哀しいものもある。マジ、創作の世界はきびしいな。
追記:古谷氏のインタビューによると雑誌「まんがNo.1」からの赤塚はおかしいとのこと。本書にもあるように、この雑誌は長谷氏のサブカルチャー趣味が主導したもののように見える。これ以降、文化人や芸能人との付き合いが赤塚の活動の大きな部分となり、長谷氏もそれに立ち会っていた。この点で、長谷氏はフジオプロ関係者からは必ずしも快く思われていないようだ。
今更ながらに気づくのは、赤塚とほぼ同期の漫画家でも、石森や藤子、つのだらとは違って、長谷、横田、横山など、完全には自立できない、雑誌掲載を勝ち取れない漫画家が多数いて、フジオ・プロはそういう人たちの受け皿にもなっていたこと。長谷氏は、SFやパロディ、ジャズや詩など、多方面の趣味がある才人で、各分野で多くの交流や実績があり、フジオ・プロでもその方面の活動にやりがいを感じていたようだ。数々の文化人、作家、ミュージシャンが出てくる。いろんな小ネタが出ていて興味深い(星新一が小林信彦を嫌っていたとか)。
しかし、長谷氏、赤塚も何かに書いていたように「ギャク漫画家」としての才能は乏しいようで(論理に走る、はっちゃけたギャクが書けない)、アイデア会議でも書記やまとめ役的立場だったようだ(最近の各種インタビュー本による)。はじけたアイデアをどんどん出していた古谷氏や編集者諸氏(五十嵐、武居ら)、北見氏らがいなくなった後、長谷氏単独では赤塚のギャグ漫画をサポートできず、結局、80年代以降、フジオ・プロは崩壊への道をたどる。もちろん、その責任は赤塚にあるのだが、長谷氏も忸怩たるものがあったのではなかろうか。存分に人生・仕事を楽しみ、長谷氏独自の力を発揮したと言えるけれども、最後はちょっと哀しいものもある。マジ、創作の世界はきびしいな。
追記:古谷氏のインタビューによると雑誌「まんがNo.1」からの赤塚はおかしいとのこと。本書にもあるように、この雑誌は長谷氏のサブカルチャー趣味が主導したもののように見える。これ以降、文化人や芸能人との付き合いが赤塚の活動の大きな部分となり、長谷氏もそれに立ち会っていた。この点で、長谷氏はフジオプロ関係者からは必ずしも快く思われていないようだ。
2010年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一気に読んでしまいました。漫画という世界の奥行きが一段と深くなるような思いがしています。
著者の長谷邦夫氏のお名前は以前から知っていましたし、独特の風貌でよく作品に登場されるので印象も強く持っていました。
この作品は、その長谷邦夫さんの「まんが道」であり、盟友、赤塚不二夫との出会いから別れまでが時間経過と共に記された自叙伝です。
まず、トキワ荘の体験記が抜群に面白いです。
著者は、石森章太郎氏が呼びかけた東日本漫画研究会で赤塚氏と知り合います。石森、赤塚の二人のいるトキワ荘には入り浸っていたそうです。
藤子不二雄A氏の「まんが道」にはあまり登場しない部分です。トキワ荘のエピソードは執筆者によって視界が異なっていて、相違を知るとトキワ荘の物語に奥行きが加えられてゆく感じです。
トキワ荘のメンバーが起こしたアニメスタジオ・ゼロにも参加します。次いで赤塚氏のフジオ・プロに入り、ブレーンとして、アシスタントとして、代筆作家として、もう一人の赤塚不二夫として昭和を生きぬきます。
赤塚名作品と長谷邦夫名作品を使い分けていたのだそうです。
長谷氏は、SF同人誌で有名な「宇宙塵」にも参加していて、星新一、小松左京、筒井康隆等と交流を持ち、SF、パロディ作品を自分の分野として確立します。
ジャズにも造詣が深く、山下洋輔トリオの演奏には毎週通っていて、後にタモリとの出会いをお膳立てしたのも長谷氏でした。
井上陽水の「氷の世界」の一曲に歌詞も提供しています。
長谷氏自身、マルチな才能の持ち主です。そして、これほどの人が惚れ込んだのが、赤塚不二夫でした。
赤塚氏の晩年、作品が殆どかけなくなってスタッフが一人、また一人と去ってゆきます。その間、フジオ・プロを支え続けます。
長谷氏の気持ちに変化を与えたのは、手塚治虫氏の死でした。憧れの人が作品を発表し続けている間は、自分の青春が続いていると思っていた、とお書きになられています。
その頃、赤塚氏のアルコール依存症は、うつ病克服の手段ではなかったかと思い至ります。恥ずかしがり屋で照れ屋の甘えん坊の赤塚不二夫が、変貌して行く姿を追いつつ、そのことに気がついたのは、赤塚氏が作品を描けなくなったときでした。
日本の漫画がこれほど読者を魅了しているのは、長谷氏を含めて「漫画に愛を叫んだ」人たちがたくさんおられたからこそだと思います。
その多くの漫画家たちを群像として捉えた作品だと思います。
著者の長谷邦夫氏のお名前は以前から知っていましたし、独特の風貌でよく作品に登場されるので印象も強く持っていました。
この作品は、その長谷邦夫さんの「まんが道」であり、盟友、赤塚不二夫との出会いから別れまでが時間経過と共に記された自叙伝です。
まず、トキワ荘の体験記が抜群に面白いです。
著者は、石森章太郎氏が呼びかけた東日本漫画研究会で赤塚氏と知り合います。石森、赤塚の二人のいるトキワ荘には入り浸っていたそうです。
藤子不二雄A氏の「まんが道」にはあまり登場しない部分です。トキワ荘のエピソードは執筆者によって視界が異なっていて、相違を知るとトキワ荘の物語に奥行きが加えられてゆく感じです。
トキワ荘のメンバーが起こしたアニメスタジオ・ゼロにも参加します。次いで赤塚氏のフジオ・プロに入り、ブレーンとして、アシスタントとして、代筆作家として、もう一人の赤塚不二夫として昭和を生きぬきます。
赤塚名作品と長谷邦夫名作品を使い分けていたのだそうです。
長谷氏は、SF同人誌で有名な「宇宙塵」にも参加していて、星新一、小松左京、筒井康隆等と交流を持ち、SF、パロディ作品を自分の分野として確立します。
ジャズにも造詣が深く、山下洋輔トリオの演奏には毎週通っていて、後にタモリとの出会いをお膳立てしたのも長谷氏でした。
井上陽水の「氷の世界」の一曲に歌詞も提供しています。
長谷氏自身、マルチな才能の持ち主です。そして、これほどの人が惚れ込んだのが、赤塚不二夫でした。
赤塚氏の晩年、作品が殆どかけなくなってスタッフが一人、また一人と去ってゆきます。その間、フジオ・プロを支え続けます。
長谷氏の気持ちに変化を与えたのは、手塚治虫氏の死でした。憧れの人が作品を発表し続けている間は、自分の青春が続いていると思っていた、とお書きになられています。
その頃、赤塚氏のアルコール依存症は、うつ病克服の手段ではなかったかと思い至ります。恥ずかしがり屋で照れ屋の甘えん坊の赤塚不二夫が、変貌して行く姿を追いつつ、そのことに気がついたのは、赤塚氏が作品を描けなくなったときでした。
日本の漫画がこれほど読者を魅了しているのは、長谷氏を含めて「漫画に愛を叫んだ」人たちがたくさんおられたからこそだと思います。
その多くの漫画家たちを群像として捉えた作品だと思います。
2013年5月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
改元直後、怒濤の如く続いた現役大物漫画家の死。本書は、そんな渦中書かれた赤塚不二夫を支え続けた男長谷邦夫の回想録である。著者がSF及びJAZZに造詣の深い事と広い交友関係を持った人物であることから、漫画以外の大物が次々に登場するので飽きずに一気に読了した。6時間程で読み終えたが、その間脳内で「桜三月散歩道」を歌う陽水の歌声がずーつと流れていた。
漫画少年だった自分の「トキワ荘」は青春編で十分完結しているで、テラさんや赤塚の晩年を悲劇だとは思わない。
漫画少年だった自分の「トキワ荘」は青春編で十分完結しているで、テラさんや赤塚の晩年を悲劇だとは思わない。
2004年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冒頭から一気に読んでしまいました。自分自身が、まさしくこの本に登場する漫画家たちの作品とリアルタイムに育ってきた年代であり、自分の少年時代がよみがえってくるようでした。
「まんが道」も連載中から読んでおり、当時トキワ荘時代の漫画家たちがテレビでとりあげられ、よく特番が放映されていたことも思い出しました。
つのだじろうさんも似たようなマンガを少し連載してましたね。
神様とよばれ、天才の名をほしいままにした数々の漫画家たち。しかし彼らは死の直前まで締め切りに追われペンを取り続けた、その過酷な末路にマンガというもののすごさを感じてしまいました。
「まんが道」も連載中から読んでおり、当時トキワ荘時代の漫画家たちがテレビでとりあげられ、よく特番が放映されていたことも思い出しました。
つのだじろうさんも似たようなマンガを少し連載してましたね。
神様とよばれ、天才の名をほしいままにした数々の漫画家たち。しかし彼らは死の直前まで締め切りに追われペンを取り続けた、その過酷な末路にマンガというもののすごさを感じてしまいました。