TVで売れっ子になりバラエティでも良くお見掛けしたが、当時の裏事情などが良く分かり面白い。
破天荒なところもあり下町での生活が楽しそう。

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「下り坂」繁盛記 単行本 – 2009/9/1
嵐山 光三郎
(著)
- 本の長さ234ページ
- 言語日本語
- 出版社新講社
- 発売日2009/9/1
- ISBN-104860812921
- ISBN-13978-4860812928
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登録情報
- 出版社 : 新講社 (2009/9/1)
- 発売日 : 2009/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 234ページ
- ISBN-10 : 4860812921
- ISBN-13 : 978-4860812928
- Amazon 売れ筋ランキング: - 961,798位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2014年8月25日に日本でレビュー済み
嵐山光三郎の書く物が好きだ。嵐山の腹の据わった生き方が好きなのである。『「下り坂」繁盛記』(嵐山光三郎著、ちくま文庫)も、期待を裏切らないエッセイ集だ。
「僭越ながら白状しますと、私は下り龍である。下り龍とは、天から地へ下ろうとする龍であって、上り龍ではない。絶頂期はとうの昔にすぎた。やりたいと思ったことはやりつくした。だからいつ死んでもいい、というわけではなく、ほうっておいても死ぬときは死ぬのである。下り龍というのは厄介な化物で、と自分でいうのもおこがましいが、下りながら好きほうだいに暴れるのである。金はない。少しはあるけど、あんまりない。体力も落ちて、そこらじゅうにガタがきている。中古品を通りこして骨董品である。それも値のつく古道具ではなく二束三文のガラクタである。ろくなもんではない。けれど生きている。平気で生きている。下り坂を降りることはなんと気持ちのいいことなのか、と思いつつ生きている。『下らない』というのは、つまらない、とるに足らないという意味である。ということは『下る』ことじたいに価値がある。生きていく喜びや楽しみは下り坂にあるのだ」。この書き出しに本書の精神が凝縮している。著者より少し年下の私には、この気持ちがよく理解できる。
「(中国の詩人・陶淵明は)それからは田舎へひっこんで、酒を飲んで暮らした。隠遁生活本家の人で、西行や芭蕉も、陶淵明に学んだ。(『帰去来の辞』の)『帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れんとす』の一句が有名だ。『さあ帰ろう、世間との交わりをたって』という心境は、会社勤めの戦士たちが共通に抱く感慨である。会社という組織のなかで、人間関係にいらだちながら働くことに疲れ、余生は田園で暮らしたいと願う。これぞ下り坂志向である」。そのとおりだ。
「だれもが自分が死につつあるということを自覚しているわけではない。死は意識の彼方に蜃気楼のようにぼんやりとあるもので、生きているときは、死なんて忘れている。大切なことは死に至る過程で、これが下り坂を生きる極意といっていいだろう」。
「人は、年をとると『まだまだこれからだ』とか『第二の人生』とか『若い者には負けない』という気になりがちだ。そういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。下り坂を否定するのではなく、下り坂をそのまま受け入れて享受していけばいいのだ」。これと同じことを若い連中から言われたらカチンとくるだろうが、同世代の嵐山から諭されると妙に納得してしまう自分がいる。
その他のエッセイでも、著者はいいことを言っている。「(幸田)露伴は、ちょっとしたところで、娘(の文)に『勝負の勘どころ』を教えていた。きびしくしつけて、急所で忍術を使う。父と娘の格闘は、娘が一定の齢をとってから気がつくのである」。
「67歳の同窓会は、成功した者の話も楽しいが、財産を食いつぶした道楽者の懺悔譚が色っぽい」。
「どうして、こんなに離婚が多いんだろうか。知人の半分以上が離婚経験者で、離婚していない夫婦のほうが珍しい。優秀な企業戦士に限って妻とうまくいっていない」。
「男と女が、短い一生のあいだに幸福でいられる時間は限られている。どれほど仲のよい夫婦でも、賞味期限があり、期限切れを我慢しているうちに家庭内離婚となる」。
「北海道大雪山系の一角に人知れず一つの湖があってそこに幻の魚が棲んでいるという。背ビレ、腹ビレ、尾ビレを持ち、銀色の筋が走り、そこに赤い斑点が散っている。・・・幻の魚を追って、地図上の空白地帯であるトイマルクシベツ支川をさかのぼったのは、ドイツ文学者の池内紀氏である。はたして幻の魚がなんであったのかは、池内紀著『ひとつとなりの山』を読めば、わかる」。こう書かれて、この本を読まないで済ませられる者がいるだろうか。
「風化する時間の実物を体感するのは、西行、芭蕉よりつづく日本人の伝統である。盛り場には興味がない。すたれゆくすたれ場にこの世の風雅がある」。この感覚、分かるなあ。
読み終えて、下り坂も捨てたものではないなあ、という気持ちが一段と強まった。
「僭越ながら白状しますと、私は下り龍である。下り龍とは、天から地へ下ろうとする龍であって、上り龍ではない。絶頂期はとうの昔にすぎた。やりたいと思ったことはやりつくした。だからいつ死んでもいい、というわけではなく、ほうっておいても死ぬときは死ぬのである。下り龍というのは厄介な化物で、と自分でいうのもおこがましいが、下りながら好きほうだいに暴れるのである。金はない。少しはあるけど、あんまりない。体力も落ちて、そこらじゅうにガタがきている。中古品を通りこして骨董品である。それも値のつく古道具ではなく二束三文のガラクタである。ろくなもんではない。けれど生きている。平気で生きている。下り坂を降りることはなんと気持ちのいいことなのか、と思いつつ生きている。『下らない』というのは、つまらない、とるに足らないという意味である。ということは『下る』ことじたいに価値がある。生きていく喜びや楽しみは下り坂にあるのだ」。この書き出しに本書の精神が凝縮している。著者より少し年下の私には、この気持ちがよく理解できる。
「(中国の詩人・陶淵明は)それからは田舎へひっこんで、酒を飲んで暮らした。隠遁生活本家の人で、西行や芭蕉も、陶淵明に学んだ。(『帰去来の辞』の)『帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れんとす』の一句が有名だ。『さあ帰ろう、世間との交わりをたって』という心境は、会社勤めの戦士たちが共通に抱く感慨である。会社という組織のなかで、人間関係にいらだちながら働くことに疲れ、余生は田園で暮らしたいと願う。これぞ下り坂志向である」。そのとおりだ。
「だれもが自分が死につつあるということを自覚しているわけではない。死は意識の彼方に蜃気楼のようにぼんやりとあるもので、生きているときは、死なんて忘れている。大切なことは死に至る過程で、これが下り坂を生きる極意といっていいだろう」。
「人は、年をとると『まだまだこれからだ』とか『第二の人生』とか『若い者には負けない』という気になりがちだ。そういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。下り坂を否定するのではなく、下り坂をそのまま受け入れて享受していけばいいのだ」。これと同じことを若い連中から言われたらカチンとくるだろうが、同世代の嵐山から諭されると妙に納得してしまう自分がいる。
その他のエッセイでも、著者はいいことを言っている。「(幸田)露伴は、ちょっとしたところで、娘(の文)に『勝負の勘どころ』を教えていた。きびしくしつけて、急所で忍術を使う。父と娘の格闘は、娘が一定の齢をとってから気がつくのである」。
「67歳の同窓会は、成功した者の話も楽しいが、財産を食いつぶした道楽者の懺悔譚が色っぽい」。
「どうして、こんなに離婚が多いんだろうか。知人の半分以上が離婚経験者で、離婚していない夫婦のほうが珍しい。優秀な企業戦士に限って妻とうまくいっていない」。
「男と女が、短い一生のあいだに幸福でいられる時間は限られている。どれほど仲のよい夫婦でも、賞味期限があり、期限切れを我慢しているうちに家庭内離婚となる」。
「北海道大雪山系の一角に人知れず一つの湖があってそこに幻の魚が棲んでいるという。背ビレ、腹ビレ、尾ビレを持ち、銀色の筋が走り、そこに赤い斑点が散っている。・・・幻の魚を追って、地図上の空白地帯であるトイマルクシベツ支川をさかのぼったのは、ドイツ文学者の池内紀氏である。はたして幻の魚がなんであったのかは、池内紀著『ひとつとなりの山』を読めば、わかる」。こう書かれて、この本を読まないで済ませられる者がいるだろうか。
「風化する時間の実物を体感するのは、西行、芭蕉よりつづく日本人の伝統である。盛り場には興味がない。すたれゆくすたれ場にこの世の風雅がある」。この感覚、分かるなあ。
読み終えて、下り坂も捨てたものではないなあ、という気持ちが一段と強まった。
2016年4月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
序章「下り坂」の極意、パート1楽しきから耀ける「下り坂」の日々、パート2下降する快感、開き直る癖、パート3滅びゆくもの、つまづくもの皆色っぽい、パート4「下り坂」繁盛のコツ「平気で生きて居る事」、あとがき、文庫版あとがき、からなる。
著者は私より四歳兄貴である。曰く、私が「下り坂の極意」を体感したのは、五十五歳のときの自転車旅行からだった、とある。
私は、五十歳の時に「時速四キロの旅」と称して、奥州街道を北に歩き出した時に「下り坂」ならぬ「歩く旅」の面白さを体感した。
当時は登坂に比べれば、平坦な道は極楽だった。寧ろ、下り坂は足にきつい。
老人と暮らすコツはつかず離れず妥協せず、見て見ぬふりをして協調すると(p.89)
著者は母とは別棟で生活し、弟も居る。私は父と同居した。前述のコツは良く理解できるが、実行は大変難しかった。
私の弟は三十代で亡くなり、私たち夫婦だけで父と暮らした。物理的にも近すぎると見て見ぬふりもなかなか大変であった。
等々、兄貴格の嵐山氏の言い分は良く解るが、異論もある。
一週間位歩く旅をつづけると「平坦な道」は宝の山である。下り坂は足の「筋力」が必要である。
「下り坂」を繁盛させるには、「気概」で生活にブレーキを掛ける必要があると思っている。
著者は私より四歳兄貴である。曰く、私が「下り坂の極意」を体感したのは、五十五歳のときの自転車旅行からだった、とある。
私は、五十歳の時に「時速四キロの旅」と称して、奥州街道を北に歩き出した時に「下り坂」ならぬ「歩く旅」の面白さを体感した。
当時は登坂に比べれば、平坦な道は極楽だった。寧ろ、下り坂は足にきつい。
老人と暮らすコツはつかず離れず妥協せず、見て見ぬふりをして協調すると(p.89)
著者は母とは別棟で生活し、弟も居る。私は父と同居した。前述のコツは良く理解できるが、実行は大変難しかった。
私の弟は三十代で亡くなり、私たち夫婦だけで父と暮らした。物理的にも近すぎると見て見ぬふりもなかなか大変であった。
等々、兄貴格の嵐山氏の言い分は良く解るが、異論もある。
一週間位歩く旅をつづけると「平坦な道」は宝の山である。下り坂は足の「筋力」が必要である。
「下り坂」を繁盛させるには、「気概」で生活にブレーキを掛ける必要があると思っている。
2014年11月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
火野正平による自転車による全国めぐりの番組での彼のセリフ「下り坂最高」のヒントはここにあったのですね。初めて知りました。著者も自転車で全国を駆け巡っていたのです。読後感としては、一言、うらやましいの限りです。嵐山さんのような人生を送ることができるのは、やはり嵐山さんほどの才能に恵まれた人だけなのです。
芭蕉の足跡の追跡、廃線めぐり等、自分の趣味と世間の移ろいやすい関心を自分の年の重ねと見事にシンクロさせ、70になってまで公私ともにバランスのとれた生活を、神楽坂に「侘び住まい」の宿までもうけて、おくることができる嵐山さんは、池内紀と並んで、僕にとってのまさに憧れの人物です。好奇心と積極性、そしてその結果を文章という形態に落としていく絶え間ない努力と真剣さがその稀有な才能に加わったからこそ、今こういう形で発表できる「繁盛記」なのです。凡人はマネしちゃダメだろうな。嵐山さんも猫好きらしく、本書でも初代ノラや二代目ノラとのかかわりが面白くつづられています。
芭蕉の足跡の追跡、廃線めぐり等、自分の趣味と世間の移ろいやすい関心を自分の年の重ねと見事にシンクロさせ、70になってまで公私ともにバランスのとれた生活を、神楽坂に「侘び住まい」の宿までもうけて、おくることができる嵐山さんは、池内紀と並んで、僕にとってのまさに憧れの人物です。好奇心と積極性、そしてその結果を文章という形態に落としていく絶え間ない努力と真剣さがその稀有な才能に加わったからこそ、今こういう形で発表できる「繁盛記」なのです。凡人はマネしちゃダメだろうな。嵐山さんも猫好きらしく、本書でも初代ノラや二代目ノラとのかかわりが面白くつづられています。
2015年4月14日に日本でレビュー済み
嵐山光三郎のエッセイを読んでいてまいったなあと感じるのは、いきなり次のような文章がでてくるところ。
「学生のころ、愚連隊が凄みをきかす渋谷の安酒場で飲んでいると、『大ちゃん』の愛称で知られる流しのギター弾きがいた。渋谷のネオン街を、ギターひとつで流していた『大ちゃん』(大野穣)は、のちの北島三郎である。」
しびれるなあ。「愚連隊が凄みをきかす渋谷の安酒場」というワンフレーズで、戦後の焼跡・闇市のにおいがまだ色濃く残っている渋谷の飲み屋街の情景がありありと浮かんでくる。
これまで不良中年、不良定年を説いてきた嵐山が、一足先に入った隠居の世界でも不良をつらぬいている姿を提示して「どうだ!」とえばっている。その、稚気あふれる姿。
戦時中に生まれ、戦後の飢えを骨身にしみて体感しているから思考は徹底的に現実主義。
現実主義で、快楽主義で、破滅は回避しているのだが、不良。
嵐山光三郎をさして「いくつになっても、体育館の裏で喧嘩している高校生みたい」と評した文庫本の解説者(女性)がいたが、あれは誰だったか。
いつまでたっても不良の匂いがする嵐山を、みごとにいいあらわしているなあ。
不良隠居に、乾杯。
「学生のころ、愚連隊が凄みをきかす渋谷の安酒場で飲んでいると、『大ちゃん』の愛称で知られる流しのギター弾きがいた。渋谷のネオン街を、ギターひとつで流していた『大ちゃん』(大野穣)は、のちの北島三郎である。」
しびれるなあ。「愚連隊が凄みをきかす渋谷の安酒場」というワンフレーズで、戦後の焼跡・闇市のにおいがまだ色濃く残っている渋谷の飲み屋街の情景がありありと浮かんでくる。
これまで不良中年、不良定年を説いてきた嵐山が、一足先に入った隠居の世界でも不良をつらぬいている姿を提示して「どうだ!」とえばっている。その、稚気あふれる姿。
戦時中に生まれ、戦後の飢えを骨身にしみて体感しているから思考は徹底的に現実主義。
現実主義で、快楽主義で、破滅は回避しているのだが、不良。
嵐山光三郎をさして「いくつになっても、体育館の裏で喧嘩している高校生みたい」と評した文庫本の解説者(女性)がいたが、あれは誰だったか。
いつまでたっても不良の匂いがする嵐山を、みごとにいいあらわしているなあ。
不良隠居に、乾杯。
2015年7月19日に日本でレビュー済み
ニンゲン60歳も過ぎれば体力も気力も衰えてくる。
それを嘆き、過去を振り返るのではなく、逆に人生の「下り坂」を大いに楽しもうというエッセイ。
この人のエッセイはどれも滋味があってすばらしいが、今回も腕は冴えている。
笑いあり人情うり憧憬あり、読み応え十分。
それを嘆き、過去を振り返るのではなく、逆に人生の「下り坂」を大いに楽しもうというエッセイ。
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