日経の書評で絶賛されていたので読んでみました。読んでる途中に朝日新聞でも書評が掲載されていました。
主人公の女性が12歳年下の恋人と出会い、別れ、そして別れた後も彼を追いまわすというストーカー的な話しが展開されるが、著者の立場と主人公の立場が錯綜する不思議な小説。こんな小説読んだことがないという世界です。
訳者の岸本佐和子さんの訳が素晴らしい。リディア・デイヴィスの世界を見事に日本語で表現しています。
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話の終わり 単行本 – 2010/11/30
リディア・デイヴィス
(著),
岸本 佐知子
(翻訳)
ダブルポイント 詳細
年下の男との失われた愛の記憶を呼びさまし、それを小説に綴ろうとする女の情念を精緻きわまりない文章で描く。「アメリカ文学の静かな巨人」による傑作。 『ほとんど記憶のない女』で日本の読者に衝撃をあたえたリディア・デイヴィス、待望の長編! リディア・デイヴィスの書く文章は、そっけないほどに無駄がなく、淡々として、無機質ですらある。思考がそのまま結晶したような硬質で純度の高い言葉が、どこまでも均一に並んでいる。それでいて彼女の文章はとても音楽的で、強く五感に訴えてくる。じっさい読み終わって振り返ってみると、ユーカリの強い香気や、紅茶の苦い味や、夜中に聞こえてくる波の音や、風に吹かれて転がっていく花の赤などが、思いがけない生々しさでよみがえってくる。(「訳者あとがき」より)
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社作品社
- 発売日2010/11/30
- 寸法13.8 x 2.4 x 19.6 cm
- ISBN-104861823056
- ISBN-13978-4861823053
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商品の説明
著者について
リディア・デイヴィス(Lydia Davis)1947年マサチューセッツ州生まれ。著書にBreak It Down(1986)、『ほとんど記憶のない女』(1997)、Samuel Johnson Is Indignant(2002)他。マッカーサー賞、ラナン文学賞などを受賞したほか、短編集Varieties of Disturbance(2007)で全米図書賞にノミネートされる。フランス文学の翻訳家としても知られ、ミシェル・ビュトール、モーリス・ブランショ、ミシェル・レリスなどの翻訳に加え、マルセル・プルースト『スワン家の方へ』の新訳を手がけた功績により、2003年にフランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを受けた。ニューヨーク州在住。 岸本佐知子(きしもと・さちこ)1960年生まれ。上智大学文学部英文科卒業。訳書にN・ベイカー『中二階』、S・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』、『灯台守の話』(以上白水社)、『拳闘士の休息』(河出文庫)、J・バドニッツ『空中スキップ』(マガジンハウス)、M・ジュライ『いちばんここに似合う人』(新潮社)他多数。著書に『気になる部分』(白水Uブックス)、『ねにもつタイプ』(ちくま文庫)がある。
登録情報
- 出版社 : 作品社 (2010/11/30)
- 発売日 : 2010/11/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 280ページ
- ISBN-10 : 4861823056
- ISBN-13 : 978-4861823053
- 寸法 : 13.8 x 2.4 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 261,371位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,964位英米文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年5月23日に日本でレビュー済み
物語は、語り手の「私」が、すでに終わりを迎えた年下の男との恋を振り返るかたちですすめられる。
現在はほかの男性と結婚し、その父親の介護をしている「私」の日常と、過去の恋愛の断片が入り混じる複雑な構造なのだけれども、ふしぎに読みにくくはない。
それどころか、読んでいるわたし自身が、「私」の意識の流れに同調していくのを感じ、奇妙な心地よさをおぼえる。
これといった事件が起こるわけでもないのに、目が言葉を追いかけるのを止められない。
現在はほかの男性と結婚し、その父親の介護をしている「私」の日常と、過去の恋愛の断片が入り混じる複雑な構造なのだけれども、ふしぎに読みにくくはない。
それどころか、読んでいるわたし自身が、「私」の意識の流れに同調していくのを感じ、奇妙な心地よさをおぼえる。
これといった事件が起こるわけでもないのに、目が言葉を追いかけるのを止められない。
2023年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
翻訳者の方のTwitterのアカウントを偶然みて、こちらの評判がとても良いので買ってみた。
海外小説に慣れてないので、これが海外小説の普通なのか、それともこの作家の独特な作風なのかわからないが、結構ノリがわからない。主人公の友人などの説明があまりなくいきなり出てくるのに対し風景の描写はそんなに書く?というくらい長い。実はまだ半分も読んでいないが正直8割くらいはてな?と思いながら読んでいる。でも少しずつ笑えたり面白い部分が出てきた。文脈を正確に捉えられているかわからないけど、ハルクのくだりは私でも笑えた。
寝る前に少しだけ読んですぐ寝るのが結構好きになってきました。
白い紙に黒いインクで印刷された紙の本を読むという行為は現代において贅沢な時間、行為だと思います。
寝る前にスマホやゲーム機を見ずデジタルデトックスにもなって好きです。
海外小説に慣れてないので、これが海外小説の普通なのか、それともこの作家の独特な作風なのかわからないが、結構ノリがわからない。主人公の友人などの説明があまりなくいきなり出てくるのに対し風景の描写はそんなに書く?というくらい長い。実はまだ半分も読んでいないが正直8割くらいはてな?と思いながら読んでいる。でも少しずつ笑えたり面白い部分が出てきた。文脈を正確に捉えられているかわからないけど、ハルクのくだりは私でも笑えた。
寝る前に少しだけ読んですぐ寝るのが結構好きになってきました。
白い紙に黒いインクで印刷された紙の本を読むという行為は現代において贅沢な時間、行為だと思います。
寝る前にスマホやゲーム機を見ずデジタルデトックスにもなって好きです。
2011年8月6日に日本でレビュー済み
小池昌代氏が日経新聞の書評で「恐ろしいほどの面白さ」と絶賛だったので
期待して手にしたけれど、私には特別面白くはなかった。つまらなくもなかったけれど。
三十代半ばの大学教師(文学専攻)が、直接の教え子ではないけれど文学志望の大学生の青年と
関係を持つ。女は年甲斐もなく純な気持ちで青年に心を傾けていくが、青年の方はジゴロ的な人物である。ただし作家志望で詩なんか書いてるもんだから、完璧なジゴロにはなりきれない。好意的に解釈すれば、あくまでも貧しさゆえの性向なのである。つまり女の恋情を受け止める素地はあるから厄介なのだ。
それでもというか、当然というか、2人の蜜月は短く、男は自分の年齢に相応しいガールフレンドが出来て女の許を去っていく。女はなかなか諦めきれない。男が生活に逼迫すると、捨てた女に未練のありそうなそふりを見せたりするものだから、いつまでもうじうじ男に纏いつき、会えなくなっても昔の住まいを探し訪ねたりする。
歳月が経ち、女は再婚し夫の親を介護し、そして過去の恋愛を小説に仕立てようとしている。
私たちは創作の現場にリアルタイムに立ち会うようにして、上記の恋物語を読み進んでいく。
たしかにこの小説には、
恋する私、
恋しつつそれを時を経て検証する私、(以上は小説内小説の中の私)
そして小説内小説の書き手である私、
もし私小説なら、この作品を書いてるリディア、
と、複数の私が折り重なっている。だからって読んでいて、ああ、複数の私が交錯してるぅ! とはならない。
素直にすいすい読み進んでいける。あえてそんな事を念頭に置かなくても楽しめるのだ。
小説の構造というのは、こうでなくちゃ、と思う。
器だけ凝って中身が陳腐だったり、豊穣な中身を器に凝らずに盛り付けたり、
とはなっていないところがとても好感が持てる。
作家の企みと情感とが融和しているということは、とても上等なことなのだと、改めて思う。
期待して手にしたけれど、私には特別面白くはなかった。つまらなくもなかったけれど。
三十代半ばの大学教師(文学専攻)が、直接の教え子ではないけれど文学志望の大学生の青年と
関係を持つ。女は年甲斐もなく純な気持ちで青年に心を傾けていくが、青年の方はジゴロ的な人物である。ただし作家志望で詩なんか書いてるもんだから、完璧なジゴロにはなりきれない。好意的に解釈すれば、あくまでも貧しさゆえの性向なのである。つまり女の恋情を受け止める素地はあるから厄介なのだ。
それでもというか、当然というか、2人の蜜月は短く、男は自分の年齢に相応しいガールフレンドが出来て女の許を去っていく。女はなかなか諦めきれない。男が生活に逼迫すると、捨てた女に未練のありそうなそふりを見せたりするものだから、いつまでもうじうじ男に纏いつき、会えなくなっても昔の住まいを探し訪ねたりする。
歳月が経ち、女は再婚し夫の親を介護し、そして過去の恋愛を小説に仕立てようとしている。
私たちは創作の現場にリアルタイムに立ち会うようにして、上記の恋物語を読み進んでいく。
たしかにこの小説には、
恋する私、
恋しつつそれを時を経て検証する私、(以上は小説内小説の中の私)
そして小説内小説の書き手である私、
もし私小説なら、この作品を書いてるリディア、
と、複数の私が折り重なっている。だからって読んでいて、ああ、複数の私が交錯してるぅ! とはならない。
素直にすいすい読み進んでいける。あえてそんな事を念頭に置かなくても楽しめるのだ。
小説の構造というのは、こうでなくちゃ、と思う。
器だけ凝って中身が陳腐だったり、豊穣な中身を器に凝らずに盛り付けたり、
とはなっていないところがとても好感が持てる。
作家の企みと情感とが融和しているということは、とても上等なことなのだと、改めて思う。