原文がかなり難しいというか、ホントに意味わからないところあるんですが、すごく親切に訳されていると感じました。
結構価格が高いので、最初は図書館で借りたんですが、これは買う価値あるなと思い、購入しました。
村上春樹氏も「本当の翻訳の話を〜」って本でいい訳だと言及していました。
内容は言わずもがな。
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夜はやさし 単行本 – 2014/7/23
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購入オプションとあわせ買い
「スコット――すごい小説よ。……個人の主体性を信じようとしながらも、変わりゆく世界の力に屈していく個人の姿に涙を誘われ得る。これこそすぐれた小説の目指すところだし、あなたはそれを書いた」――ゼルダ・フィッツジェラルド
失意と苦悩の中で書き継がれたフィッツジェラルドの最後の長篇!
解説:村上春樹「器量のある小説」
附:森慎一郎編訳「小説『夜はやさし』の舞台裏――作者とその周辺の人々の書簡より」。小説の執筆が始まった1925年から作者が没する40年までの『夜はやさし』に関わる書簡を抜粋・選録。
失意と苦悩の中で書き継がれたフィッツジェラルドの最後の長篇!
解説:村上春樹「器量のある小説」
附:森慎一郎編訳「小説『夜はやさし』の舞台裏――作者とその周辺の人々の書簡より」。小説の執筆が始まった1925年から作者が没する40年までの『夜はやさし』に関わる書簡を抜粋・選録。
- 本の長さ600ページ
- 言語日本語
- 出版社作品社
- 発売日2014/7/23
- 寸法14.2 x 3.8 x 19.6 cm
- ISBN-10486182480X
- ISBN-13978-4861824807
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登録情報
- 出版社 : 作品社 (2014/7/23)
- 発売日 : 2014/7/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 600ページ
- ISBN-10 : 486182480X
- ISBN-13 : 978-4861824807
- 寸法 : 14.2 x 3.8 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 71,117位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 745位英米文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
カスタマーレビュー
星5つ中4.9つ
5つのうち4.9つ
9グローバルレーティング
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2,3年に一度くらい、ふと読みたくなる本です。単行本が出るとフィッツジェラルド好きの友人から聞き、友人へのギフトにするつもりが、互いに注文をし合って、プレゼント交換になりました。生きることの哀しみと困難さに胸打たれ、また登場人物の揺るぎない魅力と風景描写の美しさがやわらかい色調の絵のようです。どれも現代の小説には得難いものです。
2016年4月28日に日本でレビュー済み
谷口訳と比べ、フィッツジェラルド特有のオシャレ感や感傷がよく出ていると思う。
装丁も物語の雰囲気に合っている。
魅力的だが危険な女をあえて捕まえ(捕まり)、翻弄される様はいかにもフィッツジェラルドな感じ。
視点人物が途中で変わり、展開の予想はつくようなつかないようなで、
一体どうなっていくのか、大方わかっていてもハラハラさせられた。
ディック・ダイヴァーの凋落は急激で、作品の評価が分かれた一因になっているようだ。
個人的には、ドス・パソス「どういうわけか、主要人物たちについては完全に信じることができなかった」に同意。
人間に対する熱が消尽していったのは単にアルコールのせいなのだろうか?
そこに至るまでに夫婦のすれ違いや苦労は確かにあるものの、やや唐突というか、
これほどまでの堕落の原因としてはやや説得力を欠いている気がした。
とはいえ、若いローズマリーを通して見たダイヴァー夫妻と五年後の彼らとの落差は、見事なまでに鮮やかである。
ディックの「愛されたかった」という思いについての語りは切実で痛々しかった。
エンディングは様々な解釈が可能だと思う。
個人的には、本当に仄かだが灯は消えていないのではないかと思った(思いたい)。
村上春樹氏の解説つき。
氏は常々フィッツジェラルドからの影響に言及されているが、
訳者の訳の良さもあってか、なるほどと思わされた。
訳者の思い入れの強さも感じる。
附された書簡集は、同時代作家たちの作品への評価や、執筆の状況などがわかる、
フィッツジェラルド好きにはうれしいものになっている。
彼は自分の体験を作品に多く反映させる作家だから、作品の理解に大いに役立つと思う。
自分の好みからは少し外れているので☆4だが、客観的に見れば☆5だろう。
村上春樹氏やフィッツジェラルドのファンなら満足度はかなり高いと思う。
そうでなくても、当時の文壇を作品を通して検証してみたい方ならきっと面白い。
値段は高いが、その値はあると思う。
装丁も物語の雰囲気に合っている。
魅力的だが危険な女をあえて捕まえ(捕まり)、翻弄される様はいかにもフィッツジェラルドな感じ。
視点人物が途中で変わり、展開の予想はつくようなつかないようなで、
一体どうなっていくのか、大方わかっていてもハラハラさせられた。
ディック・ダイヴァーの凋落は急激で、作品の評価が分かれた一因になっているようだ。
個人的には、ドス・パソス「どういうわけか、主要人物たちについては完全に信じることができなかった」に同意。
人間に対する熱が消尽していったのは単にアルコールのせいなのだろうか?
そこに至るまでに夫婦のすれ違いや苦労は確かにあるものの、やや唐突というか、
これほどまでの堕落の原因としてはやや説得力を欠いている気がした。
とはいえ、若いローズマリーを通して見たダイヴァー夫妻と五年後の彼らとの落差は、見事なまでに鮮やかである。
ディックの「愛されたかった」という思いについての語りは切実で痛々しかった。
エンディングは様々な解釈が可能だと思う。
個人的には、本当に仄かだが灯は消えていないのではないかと思った(思いたい)。
村上春樹氏の解説つき。
氏は常々フィッツジェラルドからの影響に言及されているが、
訳者の訳の良さもあってか、なるほどと思わされた。
訳者の思い入れの強さも感じる。
附された書簡集は、同時代作家たちの作品への評価や、執筆の状況などがわかる、
フィッツジェラルド好きにはうれしいものになっている。
彼は自分の体験を作品に多く反映させる作家だから、作品の理解に大いに役立つと思う。
自分の好みからは少し外れているので☆4だが、客観的に見れば☆5だろう。
村上春樹氏やフィッツジェラルドのファンなら満足度はかなり高いと思う。
そうでなくても、当時の文壇を作品を通して検証してみたい方ならきっと面白い。
値段は高いが、その値はあると思う。
2020年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
村上春樹さんの「解説」(461頁)が読みたくて、購入しました。
あの村上さんが解説の中で、本書『夜はやさし』(オリジナル版の訳)は
『グレート・ギャツビー』に並ぶ作品と評価していました。
原書発表(1934年)後、八十年以上経た今日でもなお、
小説『夜はやさし』は「しっかりと生き残っている」(465頁)という意味で
村上さんは「器量のある小説」といっています。
巻末には「ずいぶんとかさばる」(594頁)付録が付いていて、驚きましたが、
読み始めるとこれまた「ぐんぐん引きこまれてしま」いました。
この付録は、『夜はやさし』に関わるフィッツジェラルドの書簡を
訳者の森慎一郎さんが適宜選んで抜粋、編訳したもの。森さんの労作です。
どの書簡からも、フィッツジェラルド自身の直接的な声だけでなく、
彼の知人、友人たちの生の声、そして妻ゼルダの声までが聞こえるようです。
1934年に、オリジナル版の『夜はやさし』が出版されました。
そのわずか二年後の<1936年8月13日>の手紙には、驚きました。
「一文そっくり削除したいと思っている箇所が一つだけある。この一文は多くの人に不快感を与えてしまったうえ、ぼく自身もディックの人物像に合わないと認めざるをえないからだ。『濡れない女と寝たいと思ったことはない』という台詞だ[三巻十一章]。力のある台詞だが、確かに不快だと思う」(584頁)
1930年代の欧米の読者は、そんな台詞に不快感を感じてしまうほどだったとは!
ことに驚きました。
フィッツジェラルド自身が、
「力のある台詞だが、確かに不快だと思う」と書いていたのには、もっと驚きました。
そういう時代だったのかもしれません。
それにしても、一体、1930年代の当時の小説では、
男女の<濡れ場>のプロットはどんな風に記述されていたのでしょう?
今日の感覚では、この[三巻十一章]の台詞はどうということのない台詞。
なので、削除は不要だと思います。
ディックの人物像への適否について言うなら、
今日の「ディック」の俗語の意味から考えて、
別の上品な婉曲的名前の人物へ変えて訳したほうがいいのでは?
それに、寝てもいないのに、どうして女が濡れないと分かったのでしょうか?
不快と言うより、不可解です。論理的に変です。
下品な読者といたしましては、そんな屁理屈ばかり思い浮かびます。
この一文が「力のある台詞」という点では、フィッツジェラルドと同感です。
2020年の今日、もっともっと力のある台詞が世の中にあふれています。
そんな「力のある台詞」が、フィッツジェラルドの死後出版された
カウリーによる改訂版『夜はやさし』では「カットされている」(472頁)のです。
フィッツジェラルドの希望通りに。
オリジナル版の翻訳である本書では、読者はこの「力のある台詞」を、
三巻十一章と「書簡」(584頁)で二回も(削除されずに)読めるのです。何たる幸せ。
オリジナル版の本書の原書(1934年)では、第一巻、第二巻、第三巻という構成で、
見出しはありません。読者といたしましては、長篇なので、見出しがほしいです。
フィッツジェラルドの死後出版されたカウリーの改訂版(1951年)では、
時系列(年代順)の五巻構成になっている上、各巻に見出しがついています。
本書の三つの巻に、この改訂版の「見出し」(471頁)を当てはめてみます。
第一巻
ロ-ズマリーの視角
戦傷者たち
第二巻
病歴
ロ-ズマリーの視角
戦傷者たち
逃走
第三巻
帰り道
「見出し」を眺めていると、オリジナル版の『夜はやさし』のあらすじが
浮かび上がるような気がします。
でもフィッツジェラルドはオリジナル版の長篇小説『夜はやさし』には、
なぜ「見出し」を付けなかったのか? 何か理由がありそうに思いますが、いまだに謎です。
何度読んだときに謎の答えが分かるのでしょうか、読み返すのが楽しみです。
何度も何度も読み返して楽しみたいと思っています。
あの村上さんが解説の中で、本書『夜はやさし』(オリジナル版の訳)は
『グレート・ギャツビー』に並ぶ作品と評価していました。
原書発表(1934年)後、八十年以上経た今日でもなお、
小説『夜はやさし』は「しっかりと生き残っている」(465頁)という意味で
村上さんは「器量のある小説」といっています。
巻末には「ずいぶんとかさばる」(594頁)付録が付いていて、驚きましたが、
読み始めるとこれまた「ぐんぐん引きこまれてしま」いました。
この付録は、『夜はやさし』に関わるフィッツジェラルドの書簡を
訳者の森慎一郎さんが適宜選んで抜粋、編訳したもの。森さんの労作です。
どの書簡からも、フィッツジェラルド自身の直接的な声だけでなく、
彼の知人、友人たちの生の声、そして妻ゼルダの声までが聞こえるようです。
1934年に、オリジナル版の『夜はやさし』が出版されました。
そのわずか二年後の<1936年8月13日>の手紙には、驚きました。
「一文そっくり削除したいと思っている箇所が一つだけある。この一文は多くの人に不快感を与えてしまったうえ、ぼく自身もディックの人物像に合わないと認めざるをえないからだ。『濡れない女と寝たいと思ったことはない』という台詞だ[三巻十一章]。力のある台詞だが、確かに不快だと思う」(584頁)
1930年代の欧米の読者は、そんな台詞に不快感を感じてしまうほどだったとは!
ことに驚きました。
フィッツジェラルド自身が、
「力のある台詞だが、確かに不快だと思う」と書いていたのには、もっと驚きました。
そういう時代だったのかもしれません。
それにしても、一体、1930年代の当時の小説では、
男女の<濡れ場>のプロットはどんな風に記述されていたのでしょう?
今日の感覚では、この[三巻十一章]の台詞はどうということのない台詞。
なので、削除は不要だと思います。
ディックの人物像への適否について言うなら、
今日の「ディック」の俗語の意味から考えて、
別の上品な婉曲的名前の人物へ変えて訳したほうがいいのでは?
それに、寝てもいないのに、どうして女が濡れないと分かったのでしょうか?
不快と言うより、不可解です。論理的に変です。
下品な読者といたしましては、そんな屁理屈ばかり思い浮かびます。
この一文が「力のある台詞」という点では、フィッツジェラルドと同感です。
2020年の今日、もっともっと力のある台詞が世の中にあふれています。
そんな「力のある台詞」が、フィッツジェラルドの死後出版された
カウリーによる改訂版『夜はやさし』では「カットされている」(472頁)のです。
フィッツジェラルドの希望通りに。
オリジナル版の翻訳である本書では、読者はこの「力のある台詞」を、
三巻十一章と「書簡」(584頁)で二回も(削除されずに)読めるのです。何たる幸せ。
オリジナル版の本書の原書(1934年)では、第一巻、第二巻、第三巻という構成で、
見出しはありません。読者といたしましては、長篇なので、見出しがほしいです。
フィッツジェラルドの死後出版されたカウリーの改訂版(1951年)では、
時系列(年代順)の五巻構成になっている上、各巻に見出しがついています。
本書の三つの巻に、この改訂版の「見出し」(471頁)を当てはめてみます。
第一巻
ロ-ズマリーの視角
戦傷者たち
第二巻
病歴
ロ-ズマリーの視角
戦傷者たち
逃走
第三巻
帰り道
「見出し」を眺めていると、オリジナル版の『夜はやさし』のあらすじが
浮かび上がるような気がします。
でもフィッツジェラルドはオリジナル版の長篇小説『夜はやさし』には、
なぜ「見出し」を付けなかったのか? 何か理由がありそうに思いますが、いまだに謎です。
何度読んだときに謎の答えが分かるのでしょうか、読み返すのが楽しみです。
何度も何度も読み返して楽しみたいと思っています。