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ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々 単行本 – 2014/12/19
アンドリュー・ナゴルスキ
(著),
北村京子
(翻訳)
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新証言・資料――当時、ドイツ人とは立場の違う「傍観者」在独アメリカ人たちのインタビューによる証言、個人の手紙、未公開資料など――が語る、知られざる“歴史の真実"。キッシンジャー元国務長官、ワシントン・ポスト、エコノミスト、ニューズウィーク各紙誌書評が激賞! 世界7カ国刊行のベストセラー。
- 本の長さ526ページ
- 言語日本語
- 出版社作品社
- 発売日2014/12/19
- 寸法14.1 x 3.2 x 20 cm
- ISBN-104861825105
- ISBN-13978-4861825101
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対象商品: ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々
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登録情報
- 出版社 : 作品社 (2014/12/19)
- 発売日 : 2014/12/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 526ページ
- ISBN-10 : 4861825105
- ISBN-13 : 978-4861825101
- 寸法 : 14.1 x 3.2 x 20 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 540,687位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,986位ヨーロッパ史
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ナチ=維新、ミュンヘン=大阪と考えれば、いまの日本の状況と瓜二つ、読みながらアメリカジャーナリズムの骨太さ、迫力に感心させられました。
2020年11月6日に日本でレビュー済み
当時、ドイツに駐在していたアメリカ人記者がみたナチス時代のドイツの見聞。
また、外交官関係なら、「第三帝国の愛人 ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家」がある。
当時のアメリカの立場は、当初中立、途中から敵国となるので、ジャーナリスト、外交官などアメリカ人は、独ソ戦を含めたドイツの優勢時にドイツにはいれたことになる。
もちろん、どちらも貴重な資料だ。
細かいエピソードで気になることがあった。
ヒトラーランドで、アメリカと開戦したことを他国の報道陣の前で告げられたアメリカ報道陣は退出するシーンがあり、残った他国の報道陣たちと握手して別れる。
その時、日本の報道陣とも握手したようだけど、時間的に日米は開戦していて、日本人とアメリカ人が公の場でコミュニケーションを取ったことは、貴重なエピソードだなと思った。
また、外交官関係なら、「第三帝国の愛人 ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家」がある。
当時のアメリカの立場は、当初中立、途中から敵国となるので、ジャーナリスト、外交官などアメリカ人は、独ソ戦を含めたドイツの優勢時にドイツにはいれたことになる。
もちろん、どちらも貴重な資料だ。
細かいエピソードで気になることがあった。
ヒトラーランドで、アメリカと開戦したことを他国の報道陣の前で告げられたアメリカ報道陣は退出するシーンがあり、残った他国の報道陣たちと握手して別れる。
その時、日本の報道陣とも握手したようだけど、時間的に日米は開戦していて、日本人とアメリカ人が公の場でコミュニケーションを取ったことは、貴重なエピソードだなと思った。
2015年2月7日に日本でレビュー済み
第一次世界大戦直後から第二次世界大戦突入時までのドイツを、現地に身を置いて見つめ続けたアメリカの外交官やジャーナリストたちがいました。彼らが残した膨大な一次資料を渉猟してまとめあげた書です。
著者は長年『ニューズウィーク』誌に在籍してモスクワやベルリンの支局長を務めた人物とのこと。500頁になんなんとする大部の著ですが、ジャーナリストの平易な構成と明快な文章――それは有能な翻訳者によって見事な日本語に移し替えられています――でまとめあげられていて、臆することなく読むことができます。
そもそも第一次大戦後のドイツは「政治においても性文化においても、古い世界の厳格さと戦後の新しい世界の過激さが混在して」いて、アメリカ人たちは「その魅力に夢中になったり、衝撃を受けたりを繰り返して」いました。多くのアメリカ人が清潔で活気あふれるベルリンや、統制された団結力や意志の力を漲らせたドイツの印象を、興奮とともに書き残しています。
一方、アメリカのジャーナリズムや外交筋はヒトラーやナチズムについてその台頭期には、現代の視点から言えば、かなり無邪気な評価をしていたことが綴られています。そしてナチスがドイツ国内外にとって脅威にはなりえないとするこの過小評価をヒトラー自身がありがたがっていたという事実を知ると、暗澹たる思いにかられます。
またナチスを共産主義排除の手立てとして見る向きもありました。そして仮にナチスが政権をとったとしても、ドイツは世界の現実を前にすればより穏健な政策をとらざるを得ないはずだというアメリカ人の楽観的観測があったようです。
もちろん、事の重大さにやがて気付いて、真剣にナチスの脅威をドイツから発信しようとしたアメリカ人も現れます。ですが、アメリカ本国では彼らの情報が必ずしも十分には活かされないのです。現場で繰り広げられる脅威の事実を目の当たりにする人びとと、その情報を遥かかなたで受け取る人びととの感じ方の格差を読むと、歯痒さばかりが募ります。
とはいえ、著者自身、あとがきでこう綴ります。
「われわれは簡単に、あと付けの知識で彼らを批判し、自分ならもっとうまくやれたと言うことができる。本当にそうできたかどうかについては、大いに議論の余地がある。われわれに対する評価の基準となるのは唯一、現地におけるみずからの行動であって、別の時代においてこんな行動を取ったはずだという思いではない。それでもなお、あの時代からわれわれが学べるものはたくさんあるだろう。」(486頁)
そして思うのは、私たちが今生きるこの世界と時代が、後の人々から見れば<あまりに楽観的すぎた>という評価をくだされることがないかどうかを、立ち止まって考えるべきだということ。そう考えることができれば、この著作のような書によって読者が真に<学ぶこと>を実践したといえるでしょう。
*「社会情勢を鑑みて」(243頁)とありますが、正しくは「社会情勢に鑑みて」。助詞の使い方が誤っています。
著者は長年『ニューズウィーク』誌に在籍してモスクワやベルリンの支局長を務めた人物とのこと。500頁になんなんとする大部の著ですが、ジャーナリストの平易な構成と明快な文章――それは有能な翻訳者によって見事な日本語に移し替えられています――でまとめあげられていて、臆することなく読むことができます。
そもそも第一次大戦後のドイツは「政治においても性文化においても、古い世界の厳格さと戦後の新しい世界の過激さが混在して」いて、アメリカ人たちは「その魅力に夢中になったり、衝撃を受けたりを繰り返して」いました。多くのアメリカ人が清潔で活気あふれるベルリンや、統制された団結力や意志の力を漲らせたドイツの印象を、興奮とともに書き残しています。
一方、アメリカのジャーナリズムや外交筋はヒトラーやナチズムについてその台頭期には、現代の視点から言えば、かなり無邪気な評価をしていたことが綴られています。そしてナチスがドイツ国内外にとって脅威にはなりえないとするこの過小評価をヒトラー自身がありがたがっていたという事実を知ると、暗澹たる思いにかられます。
またナチスを共産主義排除の手立てとして見る向きもありました。そして仮にナチスが政権をとったとしても、ドイツは世界の現実を前にすればより穏健な政策をとらざるを得ないはずだというアメリカ人の楽観的観測があったようです。
もちろん、事の重大さにやがて気付いて、真剣にナチスの脅威をドイツから発信しようとしたアメリカ人も現れます。ですが、アメリカ本国では彼らの情報が必ずしも十分には活かされないのです。現場で繰り広げられる脅威の事実を目の当たりにする人びとと、その情報を遥かかなたで受け取る人びととの感じ方の格差を読むと、歯痒さばかりが募ります。
とはいえ、著者自身、あとがきでこう綴ります。
「われわれは簡単に、あと付けの知識で彼らを批判し、自分ならもっとうまくやれたと言うことができる。本当にそうできたかどうかについては、大いに議論の余地がある。われわれに対する評価の基準となるのは唯一、現地におけるみずからの行動であって、別の時代においてこんな行動を取ったはずだという思いではない。それでもなお、あの時代からわれわれが学べるものはたくさんあるだろう。」(486頁)
そして思うのは、私たちが今生きるこの世界と時代が、後の人々から見れば<あまりに楽観的すぎた>という評価をくだされることがないかどうかを、立ち止まって考えるべきだということ。そう考えることができれば、この著作のような書によって読者が真に<学ぶこと>を実践したといえるでしょう。
*「社会情勢を鑑みて」(243頁)とありますが、正しくは「社会情勢に鑑みて」。助詞の使い方が誤っています。
2015年8月20日に日本でレビュー済み
著者は、ポーランド人の両親を持つスコットランド生まれ、外国特派員経験の豊富なアメリカ在住のジャーナリストである。本書は、1920年頃から1941年までのナチの台頭期にドイツの首都ベルリンに在住したアメリカ人記者たちが、どのような事実を目撃し、どのような判断をし、どのような記事を書いたかを逐一追ったものである。カバーした記者やその資料、証言の数は膨大で、読者自身が同時代の目撃者になったかのような感覚すら覚える。時代の変化に鋭敏な記者たちにさえ、世の中の変化の方向を見極めることがいかに難しく、しばしば決定的に間違えるということがよく分かる。本書は、「文明国ドイツ」で、なぜヒトラーが生まれたのかを解き明かす、同時代の観察記である。著者がこのような本を書いた背景には、著者自身の両親がナチに迫害されたポーランド人であることが影響しているのかも知れない。
本書の冒頭は、1920年代初めに、新しくアメリカからベルリンに赴任した記者たちの印象記から始まる。戦間期のベルリンは、放恣な性風俗が瀰漫した、爛熟した大都会だった。人々は几帳面で、街は清潔そのものだった。それが、第一次大戦の莫大な賠償金支払いにより、ハイパーインフレなど徐々に人々の生活が脅かされるようになり、もともとドイツ人に根強い反ユダヤ主義を旗印にしたナチの勢力が徐々に台頭していく。そしてついに1933年1月にはナチス政権が誕生し、そこからは一気に好戦的・暴力的な社会政治風潮が強まり、同時にユダヤ人弾圧が本格的になっていく。
ナチスに触れたアメリカ人たちはどのように変容していったのか、ある記者(ハワード・K・スミス)が次のように4段階にまとめている(本書p.334)。
(1)ドイツの秩序正しさ、清潔さ、繁栄に強く印象付けられ、それをもたらしたナチスにすら好感を持ってしまう。
(2)ナチスの好戦的・軍国主義的本質に気付く。
(3)軍事訓練に励む膨大な若者たちが、いずれ敵を殺すために一斉に行動し始めることを想像して怖れを抱くようになる。
(4)ナチスが達成しようとしている野望とその脅威の大きさ、そのことを世界の多くの人々が認識していない事実、ドイツのような全体主義国家に比較して、戦争した場合の民主主義国家の弱さなどに気付き、ついには恐怖を覚える。
ゆきずりの旅行者は第一段階かせいぜい第二段階に留まり、記者でも第四段階まで見通せた人はごく少数だという。ドイツについて、「文明国」という予備知識に固執する人は「認知的不協和」に陥り、目の前の現象が意味することが読み取れなかったのだろう。
また著者は、ドイツ人の国民性という視点から、別の記者(『ベルリン日記』の著者、ウィリアム・シャイラー)が導き出した「ドイツ人のふたつの性格」という考え方を紹介している(p.457)。それによれば、ドイツ人は個人としては優しい心を持っているが、「ゲルマン民族」という括りの中では恐るべき集団心理を発揮して、ユダヤ人迫害や他国の侵略・暴虐行為に至る、というものである。この観察こそ、「ナショナリズム」の重要な一側面であり、今日に至るまで、多くの国際紛争や悲劇をもたらしてきた。ヒトラーはドイツ人の心に潜む反ユダヤ主義をナショナリズムに結び付け、未曾有の災厄をもたらしたのである。
本書が現代に与える教訓は何か。一国の政治指導者が、国民の感情に訴え始めたら危険信号だと考えるべきである。ヒトラーの下で、ドイツ軍の空軍総司令官や国家元帥等を務めたヘルマン・ゲーリングは、ナショナリズムを盛り上げて国民を動かす「秘訣」を次のように述べている(鈴木さとる氏のブログによる)。
「外国からの危機を訴え、それに対して平和主義を主張する連中には愛国心がないと公然と非難すれば、どんな国民でも指導者の意のままに動かせる。この方法はどの国でも同じように通用する。」
翻って、集団的安全保障を柱とした安全保障法案(別名、戦争法案)が審議されている現在の日本を考えると、上記の「外国の脅威」をしきりに説く政権政党の政治家達の言動から判断して、日本は全体主義国家への入口に立っていると考えるべきではないだろうか。全体主義国家が、最後には国を滅ぼすことは、かつてのドイツはもちろん、戦争で310万人の同胞を喪い、2000万人のアジア人の命を奪った軍国日本も同様である。過去から学ばなければ、どのような国にも、恐るべき災厄がもたらされることを本書は教えてくれる。
本書の冒頭は、1920年代初めに、新しくアメリカからベルリンに赴任した記者たちの印象記から始まる。戦間期のベルリンは、放恣な性風俗が瀰漫した、爛熟した大都会だった。人々は几帳面で、街は清潔そのものだった。それが、第一次大戦の莫大な賠償金支払いにより、ハイパーインフレなど徐々に人々の生活が脅かされるようになり、もともとドイツ人に根強い反ユダヤ主義を旗印にしたナチの勢力が徐々に台頭していく。そしてついに1933年1月にはナチス政権が誕生し、そこからは一気に好戦的・暴力的な社会政治風潮が強まり、同時にユダヤ人弾圧が本格的になっていく。
ナチスに触れたアメリカ人たちはどのように変容していったのか、ある記者(ハワード・K・スミス)が次のように4段階にまとめている(本書p.334)。
(1)ドイツの秩序正しさ、清潔さ、繁栄に強く印象付けられ、それをもたらしたナチスにすら好感を持ってしまう。
(2)ナチスの好戦的・軍国主義的本質に気付く。
(3)軍事訓練に励む膨大な若者たちが、いずれ敵を殺すために一斉に行動し始めることを想像して怖れを抱くようになる。
(4)ナチスが達成しようとしている野望とその脅威の大きさ、そのことを世界の多くの人々が認識していない事実、ドイツのような全体主義国家に比較して、戦争した場合の民主主義国家の弱さなどに気付き、ついには恐怖を覚える。
ゆきずりの旅行者は第一段階かせいぜい第二段階に留まり、記者でも第四段階まで見通せた人はごく少数だという。ドイツについて、「文明国」という予備知識に固執する人は「認知的不協和」に陥り、目の前の現象が意味することが読み取れなかったのだろう。
また著者は、ドイツ人の国民性という視点から、別の記者(『ベルリン日記』の著者、ウィリアム・シャイラー)が導き出した「ドイツ人のふたつの性格」という考え方を紹介している(p.457)。それによれば、ドイツ人は個人としては優しい心を持っているが、「ゲルマン民族」という括りの中では恐るべき集団心理を発揮して、ユダヤ人迫害や他国の侵略・暴虐行為に至る、というものである。この観察こそ、「ナショナリズム」の重要な一側面であり、今日に至るまで、多くの国際紛争や悲劇をもたらしてきた。ヒトラーはドイツ人の心に潜む反ユダヤ主義をナショナリズムに結び付け、未曾有の災厄をもたらしたのである。
本書が現代に与える教訓は何か。一国の政治指導者が、国民の感情に訴え始めたら危険信号だと考えるべきである。ヒトラーの下で、ドイツ軍の空軍総司令官や国家元帥等を務めたヘルマン・ゲーリングは、ナショナリズムを盛り上げて国民を動かす「秘訣」を次のように述べている(鈴木さとる氏のブログによる)。
「外国からの危機を訴え、それに対して平和主義を主張する連中には愛国心がないと公然と非難すれば、どんな国民でも指導者の意のままに動かせる。この方法はどの国でも同じように通用する。」
翻って、集団的安全保障を柱とした安全保障法案(別名、戦争法案)が審議されている現在の日本を考えると、上記の「外国の脅威」をしきりに説く政権政党の政治家達の言動から判断して、日本は全体主義国家への入口に立っていると考えるべきではないだろうか。全体主義国家が、最後には国を滅ぼすことは、かつてのドイツはもちろん、戦争で310万人の同胞を喪い、2000万人のアジア人の命を奪った軍国日本も同様である。過去から学ばなければ、どのような国にも、恐るべき災厄がもたらされることを本書は教えてくれる。