「現代政治における民主主義の弱体化の根本的な要因によって、企業グループとそれ以外のほぼすべてのグループの役割のあいだに大きな不均衡が生まれていることを示そうとしてきた。民主主義の不可避的な衰退と並び。、それが原因で政治は今一度、前デモクラシー期のように閉鎖的なエリートたちの営みとなっている。」
王様が支配する時代から市民が支配する時代に移り変わり、今は企業グループが支配する時代への移行期となっている。それを阻止するためには、
「企業グループが政府内に築いた圧倒的支配を軽減することだ。」
そのためには、
「運動やグループによる、活気ある、混とんとした、にぎやかな状況を必要とする。それが未来の民主市議の活力を育む母胎である。」
人々は、企業グループが支配する時代であることに気付いていない。だから、それを阻止する運動をしない。企業グループのための政党を応援する。・・・と私は思う。
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ポスト・デモクラシー: 格差拡大の政策を生む政治構造 単行本 – 2007/3/1
- ISBN-104862280145
- ISBN-13978-4862280145
- 出版社青灯社
- 発売日2007/3/1
- 言語日本語
- 本の長さ205ページ
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登録情報
- 出版社 : 青灯社 (2007/3/1)
- 発売日 : 2007/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 205ページ
- ISBN-10 : 4862280145
- ISBN-13 : 978-4862280145
- Amazon 売れ筋ランキング: - 449,183位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2007年5月9日に日本でレビュー済み
現代の価値コトバの一つに「規制緩和」がある。
これは「規制」は悪だという前提で成立している。
逆に「自由度」は「文明度/文化度」あるいは「成熟度」のバロメーターとしてしばしば語られる。
一面の真実には違いない。
が、それは自明ではないし、それが当然だと思われるようになったことも比較的最近のことである。
「規制緩和」はまたグローバリズムの趨勢でもある(と語られてきた)。
が、そもそもグローバリズムとは何だったのか?
そのいかがわしさについて、最近は巷間喧しい。
(書店の店頭に並ぶ本は10冊を超えている)
「グローバリズム」が社会の格差を助長しているらしいことは認識されつつあるが、
それは何故か?と問われて正確に答えられない人は読むべし。
著者(コリン・クラウチ)の指摘によれば、
先進国の全てでデモクラシーの機能不全が進行している。
それはある意味で制度というものの不可避な限界である。
その衰退のモデルを放物線で説明する。
現在、世界中で起こりつつある個々の現象を、その構造図に当てはめると全容が露になってくる。
なぜ、「公的サービスは残余化され劣化しつつある」のか?
無論わが国における「郵政民営化」もその歴史的な流れの中で理解すべきだ。
なぜ、「政府はいわば制度化した愚か者となり、無知は彼らの一挙手一投足は事前に予測され、市場の賢者たちに見透かされる(P66)」のか?
なぜ、「市場の自由を保証する以外、国家は何もしないのが最善である(P66)」と思われるようになったのか?それはいつからなのか?
アダムスミスらによって形成された自由市場経済の原理は、そもそも「政界と民間の企業家を切り離し、とくに権力者の寵臣に独占と契約が供与される慣行と戦うことを主眼としていた(P79)」という歴史的な背景を忘れて(あるいは隠して)「自由市場」至上主義を標榜することの愚。
ターニングポイントは米国のレーガン政権と英国のサッチャー政権。
思えば、現在進行中のPrivatization(民営化)は、サッチャー政権から始まったのも象徴的だ。
(地方自治法の改正によって始まった「指定管理者制度」は日本のPrivatizationである。)
語呂が似ているのですぐ「ポストモダン」と「ポストIndustry(脱産業化)」が連想されよう。
実は3つとも全てがシンクロしていると考える。
現象の起こる領域が「思潮」なのか「経済」なのか「政治」なのかの差でしかない。
つまり社会全体を包含した大きな歴史的トレンドに我々は直面していることが認識されよう。
これは「規制」は悪だという前提で成立している。
逆に「自由度」は「文明度/文化度」あるいは「成熟度」のバロメーターとしてしばしば語られる。
一面の真実には違いない。
が、それは自明ではないし、それが当然だと思われるようになったことも比較的最近のことである。
「規制緩和」はまたグローバリズムの趨勢でもある(と語られてきた)。
が、そもそもグローバリズムとは何だったのか?
そのいかがわしさについて、最近は巷間喧しい。
(書店の店頭に並ぶ本は10冊を超えている)
「グローバリズム」が社会の格差を助長しているらしいことは認識されつつあるが、
それは何故か?と問われて正確に答えられない人は読むべし。
著者(コリン・クラウチ)の指摘によれば、
先進国の全てでデモクラシーの機能不全が進行している。
それはある意味で制度というものの不可避な限界である。
その衰退のモデルを放物線で説明する。
現在、世界中で起こりつつある個々の現象を、その構造図に当てはめると全容が露になってくる。
なぜ、「公的サービスは残余化され劣化しつつある」のか?
無論わが国における「郵政民営化」もその歴史的な流れの中で理解すべきだ。
なぜ、「政府はいわば制度化した愚か者となり、無知は彼らの一挙手一投足は事前に予測され、市場の賢者たちに見透かされる(P66)」のか?
なぜ、「市場の自由を保証する以外、国家は何もしないのが最善である(P66)」と思われるようになったのか?それはいつからなのか?
アダムスミスらによって形成された自由市場経済の原理は、そもそも「政界と民間の企業家を切り離し、とくに権力者の寵臣に独占と契約が供与される慣行と戦うことを主眼としていた(P79)」という歴史的な背景を忘れて(あるいは隠して)「自由市場」至上主義を標榜することの愚。
ターニングポイントは米国のレーガン政権と英国のサッチャー政権。
思えば、現在進行中のPrivatization(民営化)は、サッチャー政権から始まったのも象徴的だ。
(地方自治法の改正によって始まった「指定管理者制度」は日本のPrivatizationである。)
語呂が似ているのですぐ「ポストモダン」と「ポストIndustry(脱産業化)」が連想されよう。
実は3つとも全てがシンクロしていると考える。
現象の起こる領域が「思潮」なのか「経済」なのか「政治」なのかの差でしかない。
つまり社会全体を包含した大きな歴史的トレンドに我々は直面していることが認識されよう。
2016年1月18日に日本でレビュー済み
政治について考えようとしている人、考えている人のための必読書ではないかと思います。
いまだにバカの一つ覚えのように「規制緩和」を唱え続けている政治家の面々に是非とも読んでほしい本でもあります。
民主主義の現状について、著者は放物線モデルを示します。福祉国家の実現に至るまで上昇してきた民主主義の達成が、(日本ばかりでなくイギリスでもイタリアでも、世界的に)その後は下降カーブをたどっていると主張しているのです。この認識は現状を考える際のベースにする必要があるでしょう。ごく最近までしっかり機能してきた「民主主義」が、安倍政権の成立後に急に危うくなってきたわけではないのですね。
いまだにバカの一つ覚えのように「規制緩和」を唱え続けている政治家の面々に是非とも読んでほしい本でもあります。
民主主義の現状について、著者は放物線モデルを示します。福祉国家の実現に至るまで上昇してきた民主主義の達成が、(日本ばかりでなくイギリスでもイタリアでも、世界的に)その後は下降カーブをたどっていると主張しているのです。この認識は現状を考える際のベースにする必要があるでしょう。ごく最近までしっかり機能してきた「民主主義」が、安倍政権の成立後に急に危うくなってきたわけではないのですね。