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理性の暴力~日本社会の病理学 (魂の脱植民地化 5) 単行本(ソフトカバー) – 2014/1/28
古賀 徹
(著)
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社会の合理性が行きつくところ、意図せざる暴力が湧き出る必然性を原理的に問う画期的な論考。
● フクシマの原発事故は、想定外のリスクを排除した全体主義的 な科学のイデオロギー化による。事故防止のための思想とは?
● 〈いじめ〉はなぜなくならないのか。本来、自由と自律を訓育 する近代の学校の本質と今日的状況から考える。
● 沖縄戦「集団自決」の悲劇を、軍の直接命令の有無にかかわら ず、どこにでも起こりうるものとして全体主義の視野から考察する。
● ハンセン病の強制収容のように、公共性の空間は内部から他者の 権利剥奪と殺戮の強制収容所を生み出す。公共性空間について再考する。
● 水俣病の原因には科学的根拠がないとし水俣病の発見を遅らせ た専門家の過度に科学的・論理的思考法を問う。
● 死刑判決は裁判官の推論という誤謬と被害者擁護の応報から成 り立つ、その理性のありようを明らかにする。
● 理性の限界と可能性を考える、秀抜な哲学者の登場。日本哲学界が無視する日本社会を徹底思考する稀有な書。
● フクシマの原発事故は、想定外のリスクを排除した全体主義的 な科学のイデオロギー化による。事故防止のための思想とは?
● 〈いじめ〉はなぜなくならないのか。本来、自由と自律を訓育 する近代の学校の本質と今日的状況から考える。
● 沖縄戦「集団自決」の悲劇を、軍の直接命令の有無にかかわら ず、どこにでも起こりうるものとして全体主義の視野から考察する。
● ハンセン病の強制収容のように、公共性の空間は内部から他者の 権利剥奪と殺戮の強制収容所を生み出す。公共性空間について再考する。
● 水俣病の原因には科学的根拠がないとし水俣病の発見を遅らせ た専門家の過度に科学的・論理的思考法を問う。
● 死刑判決は裁判官の推論という誤謬と被害者擁護の応報から成 り立つ、その理性のありようを明らかにする。
● 理性の限界と可能性を考える、秀抜な哲学者の登場。日本哲学界が無視する日本社会を徹底思考する稀有な書。
- 本の長さ404ページ
- 言語日本語
- 出版社青灯社
- 発売日2014/1/28
- 寸法13.2 x 2.1 x 19 cm
- ISBN-104862280692
- ISBN-13978-4862280695
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商品の説明
著者について
九州大学准教授。1967年熊本県生まれ。北海道大学文学研究科博士課程単位取得 博士(文学)。専攻は哲学。
2000年から2001年、ドイツ・フランクフルト大学にて在外研究。主著『超越論的虚構-社会理論と現象学』(情況出版)
2000年から2001年、ドイツ・フランクフルト大学にて在外研究。主著『超越論的虚構-社会理論と現象学』(情況出版)
登録情報
- 出版社 : 青灯社 (2014/1/28)
- 発売日 : 2014/1/28
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 404ページ
- ISBN-10 : 4862280692
- ISBN-13 : 978-4862280695
- 寸法 : 13.2 x 2.1 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 685,299位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2014年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
暴力の対概念が理性と語られる場合が多いが、私はこれまで違和感を持ってきた。さらに暴力に対する非暴力は暴力に対する一つの戦術に過ぎないにもかかわらず、暴力を止揚しうるスタンスとしてもてはやされてきた。古賀さんがハンセン病水俣病集団自決等を素材として、私たちが通常「社会」として位置づけてきた人間の相互関係を、タブーに囚われず分析されたことには大いなる敬意を表したい。とくに「魚を食べること、子を産むこと」を切り口に、私たちが常識としてきた近代化=資本主義への身体の馴致を暴いてくれたと思っている。、
2019年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は理性によって正当化された暴力的な社会問題を考察する本です。近代の西洋哲学では「理性」と「暴力」は正反対のものとみなされる傾向にあったといわれますが、筆者の古賀氏は理性と暴力の「共犯関係」を指摘します。
理性が生んだ暴力の具体例として、いじめ・集団自決・ハンセン病患者の収容などの社会問題が章ごとに分けられて論じられています。日本の哲学者がアウシュビッツ収容所のことを論じても日本で発生したハンセン病患者の強制収容について全く論じない現状に対して、古賀氏は警笛を鳴らしています。臆病な人間には論じることを憚られるようなデリケートな日本の社会問題を、哲学者の立場から論じた貴重な一冊でした。
第一章で論じられるのは、いじめです。いじめを全体主義のように説明する「全体主義モデル」の欠点を指摘した古賀氏は、新たに「訓育モデル」を提示します。ただ、古賀氏が仰る通りいじめは非合理な問題だと思いますし、いじめにはいろんなケースがあると思うので、学者がいじめを理論的に説明しきれるかどうか…それ自体が怪しいと思いました。
第二章で論じられるのは、沖縄戦の集団自決です。「アメリカ軍は鬼畜」だと思い込んだ沖縄の人たちが、「アメリカ軍に虐殺されるよりはマシだから」という理由で愛する家族や自分自身を殺した…という痛ましい事件が語られます。感情ではなく、理性と意志によって生じた惨劇として、集団自決が分析されています。
第三章で論じられるのは、ハンセン病患者の強制収容です。ハンセン病患者が社会的に抹殺され、生物的にも抹殺されたことが説明されていました。ハンセン病患者を、国や県、市町村などの行政機構も差別していたそうです。
第四章で論じられるのは、水俣病です。この章はなぜかとてもページ数が少なく、正直物足りなかったです。
第五章で論じられるのは、引き続き水俣病です。石牟礼道子の『苦海浄土』に登場する釜鶴松という老人について考察しながら、チッソ水俣工場が抑圧した汚点が明るみに出されます。
第六章で論じられるのは、死刑制度です。裁判で構成される犯罪はあくまでも虚構であり、客観的な真実ではないことを古賀氏は指摘します。ただ、古賀氏は裁判所の判決の公正さを過小評価しているように私には思えました。
第七章で論じられるのは、福島の原発事故です。ヒュームやカント、ポパーなどの学説が引用されつつ、想定外の事態や安全について検討されています。学会は「主観の能力の集合体」だという表現がとても良いと思いました。科学だけでなく、文学や教育学など、他の学問の学会も所詮「主観の能力の集合体」にすぎないと私は思いました。
それぞれの章末には「P.S.」と銘打たれたあとがきが付いています。この本の構成上、これらのあとがきが必要なのはわかっているのですが…。これらのあとがきの内容は古賀氏の感情や実体験が多めに含まれた内容で、正直なところ読者によって好みが分かれそうだと思いました。特に第七章のあとがきには古賀氏が左○運動で暴力に遭遇したときのことが書かれており、読んでいて恐怖を感じました。
理性が生んだ暴力の具体例として、いじめ・集団自決・ハンセン病患者の収容などの社会問題が章ごとに分けられて論じられています。日本の哲学者がアウシュビッツ収容所のことを論じても日本で発生したハンセン病患者の強制収容について全く論じない現状に対して、古賀氏は警笛を鳴らしています。臆病な人間には論じることを憚られるようなデリケートな日本の社会問題を、哲学者の立場から論じた貴重な一冊でした。
第一章で論じられるのは、いじめです。いじめを全体主義のように説明する「全体主義モデル」の欠点を指摘した古賀氏は、新たに「訓育モデル」を提示します。ただ、古賀氏が仰る通りいじめは非合理な問題だと思いますし、いじめにはいろんなケースがあると思うので、学者がいじめを理論的に説明しきれるかどうか…それ自体が怪しいと思いました。
第二章で論じられるのは、沖縄戦の集団自決です。「アメリカ軍は鬼畜」だと思い込んだ沖縄の人たちが、「アメリカ軍に虐殺されるよりはマシだから」という理由で愛する家族や自分自身を殺した…という痛ましい事件が語られます。感情ではなく、理性と意志によって生じた惨劇として、集団自決が分析されています。
第三章で論じられるのは、ハンセン病患者の強制収容です。ハンセン病患者が社会的に抹殺され、生物的にも抹殺されたことが説明されていました。ハンセン病患者を、国や県、市町村などの行政機構も差別していたそうです。
第四章で論じられるのは、水俣病です。この章はなぜかとてもページ数が少なく、正直物足りなかったです。
第五章で論じられるのは、引き続き水俣病です。石牟礼道子の『苦海浄土』に登場する釜鶴松という老人について考察しながら、チッソ水俣工場が抑圧した汚点が明るみに出されます。
第六章で論じられるのは、死刑制度です。裁判で構成される犯罪はあくまでも虚構であり、客観的な真実ではないことを古賀氏は指摘します。ただ、古賀氏は裁判所の判決の公正さを過小評価しているように私には思えました。
第七章で論じられるのは、福島の原発事故です。ヒュームやカント、ポパーなどの学説が引用されつつ、想定外の事態や安全について検討されています。学会は「主観の能力の集合体」だという表現がとても良いと思いました。科学だけでなく、文学や教育学など、他の学問の学会も所詮「主観の能力の集合体」にすぎないと私は思いました。
それぞれの章末には「P.S.」と銘打たれたあとがきが付いています。この本の構成上、これらのあとがきが必要なのはわかっているのですが…。これらのあとがきの内容は古賀氏の感情や実体験が多めに含まれた内容で、正直なところ読者によって好みが分かれそうだと思いました。特に第七章のあとがきには古賀氏が左○運動で暴力に遭遇したときのことが書かれており、読んでいて恐怖を感じました。
2017年1月25日に日本でレビュー済み
いじめや戦争、ハンセン病強制収容、水俣、原発・・・こうした悲惨な被害は、なぜ、どのようにして起こったのか。本書はその答えを、人間の負の性質に求めるのではなく、むしろ理性という人間や社会の高度な側面によるものだということを、事象に沿ってていねいに検討しながら綴っていく。取り上げられている事件、歴史は、どれも辛く悲惨なものばかりであり、哲学理論については自分には難解なところも少なくなかったのだが、本書は私個人にとってとても大切な本となった。著者とほぼ同年齢の自分が、いかに自らの社会に無知で過ごしてきたかがわかり、恥ずかしいと思う一方で、向き合えない社会の存在と、そうなる理由についての著者の深い洞察により、自分の子供時代、青年期を理解する大きな手掛かりをも得ることができた。