20世紀フランスに生き、第二次世界大戦へと向かって傾いていくヨーロッパの状況下で思索し独自の実践を終世続けたシモーヌヴェイユの魂の遍歴を、自らがまず詩人だった吉本隆明が辿った著書。著者が持っている弱点は他のレビューに示されていて、それは事実だが、それでもこの著書を読み進めるとそんな瑕疵を別にした咸興が湧いてくる。
端的に生き方の上で誠実さを、痛みや苦しみを自らの心と体で受け切った上で良いものを希求するという姿を示した人、そのために自分を捧げた人。具体的な彼女の足跡を辿り、著者の言葉も交えながら、その人はどんな風に生きたかが明瞭に示される。著者のヴェイユに対する表現は全肯定ではないが、共感と愛情をもって軌跡を描いていく。最後は悲しい結末ということもできるが、苦しみ抜いた魂が解放されたという風にも見える。それほどまでに激越で手加減なしの生涯である印象が残る。
重力と恩寵をもう一度読みたくなる著書。
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甦るヴェイユ (Modern Classics新書 6) 新書 – 2006/9/1
吉本 隆明
(著)
- 本の長さ213ページ
- 言語日本語
- 出版社洋泉社
- 発売日2006/9/1
- ISBN-104862480691
- ISBN-13978-4862480699
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登録情報
- 出版社 : 洋泉社 (2006/9/1)
- 発売日 : 2006/9/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 213ページ
- ISBN-10 : 4862480691
- ISBN-13 : 978-4862480699
- Amazon 売れ筋ランキング: - 945,851位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 723位フランス・オランダの思想
- - 1,765位西洋哲学入門
- - 62,542位新書
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年1月28日に日本でレビュー済み
本書は、1 初期ヴェイユ、2 革命と戦争について、3 工場体験論、4 痛みの神学・心理・病理、5 労働・死・神、6 最後のヴェイユ、という章立てです。
1・2の範囲で纏めると、
ソ連邦共産党の国家支配は現在、歴史を劃する解体にさらされている。この事態にヴェイユの生涯にわたる思想がすべて生きて甦るかどうかはわからない。だが初期ヴェイユがレーニンやトロツキーよりは、はるかに甦っていることは疑いえない。
と指摘しています。30年代のフランスでソ連社会主義を批判し得たのはヴェイユとジッドほぼ二人のみであった事は記憶されていいでしょう。ジッドはそのせいで長く文壇から村八分に近い扱いを受け続けますが、生前の著作を持たず、終戦を待たずに死んだヴェイユには、そのようなことは起こらずにすみました。
3以降の章では、「ヴェイユの言葉は嗜虐的な思考としては独創的で極限のもの(3)」「屍体の病巣のなかに神を住まわせている(4)」「ヴェイユの呼吸している空気は、生の側にはない清浄さをもっていなくてはならないとおもわれる(5)」などと最悪に近い記述が続き、「甦るヴェイユ」とは「甦ってもらいたくないヴェイユ」ではないのかとすら受け取れます。6(最後のヴェイユ)では、
「労働」と「死」というヴェイユ思想がキイ・ワードとしてつかまえたものは、文字どおり「労働」と「死」に肉体を消耗させながら、ヴェイユならではの実践的な響きをつたえてくる。だがここにはヴェイユの価値転倒の思想がある。指揮、管理、企画、芸術、科学、哲学のような精神の仕事は肉体労働より下位におかれるという思想だ。キイをうまく使うのはこれ以外に方法はない。これはヴェイユの最後の思想、あるいは最後のヴェイユだった。
とします。これは著者特有の語彙たる「大衆の原像」に呼応した肯定的評価であると思います。この点につき、「肉体労働の優位性」こそがヴェイユのソ連邦社会主義批判の眼目であったのですが、それは第三次産業が労働者の過半数となった今の先進資本主義社会では成り立たなくなった、と著者は数年後の著作『ほんとうの考え・うその考え』で述べていますので、この地点から解釈すると、実は「乗り越えられてしまったヴェイユ」だという事になりそうです。
蛇足として。「このソルボンヌ出の大秀才(87頁)」という記述が気になりました。ヴェイユの年譜を少し辿れば大学ではなくグラン・ゼコール(の中の高等師範)に進んだ事、また超学歴社会フランスの学制では、大秀才は大学ではなくグラン・ゼコールに進むのが常識である事も明白だからです。何を出鱈目こいてるんでしょうかと思っていたら、ボーヴォワールの自伝にもソルボンヌで共に勉学に励んだという記述があるようで、ここのところがちょっと謎。
1・2の範囲で纏めると、
ソ連邦共産党の国家支配は現在、歴史を劃する解体にさらされている。この事態にヴェイユの生涯にわたる思想がすべて生きて甦るかどうかはわからない。だが初期ヴェイユがレーニンやトロツキーよりは、はるかに甦っていることは疑いえない。
と指摘しています。30年代のフランスでソ連社会主義を批判し得たのはヴェイユとジッドほぼ二人のみであった事は記憶されていいでしょう。ジッドはそのせいで長く文壇から村八分に近い扱いを受け続けますが、生前の著作を持たず、終戦を待たずに死んだヴェイユには、そのようなことは起こらずにすみました。
3以降の章では、「ヴェイユの言葉は嗜虐的な思考としては独創的で極限のもの(3)」「屍体の病巣のなかに神を住まわせている(4)」「ヴェイユの呼吸している空気は、生の側にはない清浄さをもっていなくてはならないとおもわれる(5)」などと最悪に近い記述が続き、「甦るヴェイユ」とは「甦ってもらいたくないヴェイユ」ではないのかとすら受け取れます。6(最後のヴェイユ)では、
「労働」と「死」というヴェイユ思想がキイ・ワードとしてつかまえたものは、文字どおり「労働」と「死」に肉体を消耗させながら、ヴェイユならではの実践的な響きをつたえてくる。だがここにはヴェイユの価値転倒の思想がある。指揮、管理、企画、芸術、科学、哲学のような精神の仕事は肉体労働より下位におかれるという思想だ。キイをうまく使うのはこれ以外に方法はない。これはヴェイユの最後の思想、あるいは最後のヴェイユだった。
とします。これは著者特有の語彙たる「大衆の原像」に呼応した肯定的評価であると思います。この点につき、「肉体労働の優位性」こそがヴェイユのソ連邦社会主義批判の眼目であったのですが、それは第三次産業が労働者の過半数となった今の先進資本主義社会では成り立たなくなった、と著者は数年後の著作『ほんとうの考え・うその考え』で述べていますので、この地点から解釈すると、実は「乗り越えられてしまったヴェイユ」だという事になりそうです。
蛇足として。「このソルボンヌ出の大秀才(87頁)」という記述が気になりました。ヴェイユの年譜を少し辿れば大学ではなくグラン・ゼコール(の中の高等師範)に進んだ事、また超学歴社会フランスの学制では、大秀才は大学ではなくグラン・ゼコールに進むのが常識である事も明白だからです。何を出鱈目こいてるんでしょうかと思っていたら、ボーヴォワールの自伝にもソルボンヌで共に勉学に励んだという記述があるようで、ここのところがちょっと謎。