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エコ・テロリズム―過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ (新書y) 新書 – 2009/3/6
過激な反捕鯨運動でも知られるグリーンピースやシー・シェパードなど、
ラディカル環境・動物解放運動の歴史と思想的背景を解き明かし、
その内在論理を丹念に読み解くことで、“自由”と“民主主義”の国「アメリカ」の
問題を鮮やかに照らし出す!
◆「エコ・テロリズム」とは、放火や爆弾、器物損壊といった暴力行為を伴う過激な
環境保護・動物愛護(解放)運動を指す概念である。
第一章 エコ・テロリズムとは何か
第二章 ラディカル環境運動と動物解放運動
第三章 思想史的背景
第四章 アメリカにおける反エコ・テロリズム
- ISBN-104862483038
- ISBN-13978-4862483034
- 出版社洋泉社
- 発売日2009/3/6
- 言語日本語
- 本の長さ223ページ
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商品の説明
抜粋
「エコ・テロリズム」とは、放火や爆弾、器物損壊といった暴力行為を伴う過激な環境保護・動物愛護(解放)運動を指す概念である。こうした暴力事件は欧米において近年続発しており、大きな社会問題となっている。大学の研究所やリゾート施設に対する放火、動物実験関連企業のスタッフに対する襲撃事件などはもはや何ら珍しいものではない。
日本で「エコ・テロリズム」への関心が高まったきっかけは、一連の捕鯨をめぐる国際的トラブルである。二〇〇七年以降、日本の調査捕鯨船に対する「シー・シェパード(Sea. Shepherd Conservation Society: SSCS)」の襲撃事件が相次いで発生し、負傷者まで出る事態になったのである。同団体の代表は元グリーンピースメンバーのポール・ワトソンである。
二〇〇七年二月の日新丸(日本鯨類研究所の調査母船)のケースでは、酪酸入りビン攻撃、発煙筒投げ入れ、船の進行方向へ網を流すといった妨害行為が繰り返され、日本側に二人の負傷者が出た。翌〇八年にもシー・シェパードの日本調査捕鯨船団に対する同様の攻撃は続き、シー・シェパードメンバーの拘束、海上保安庁職員を含む日本側数名の負傷という事態に陥った。この事件に関連し、警視庁公安部は、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて同団体メンバーのジョナサン・ラモント・バチェラーらの逮捕状を請求した。
この一連の事件は、日本国内において、反捕鯨活動家のみならずオーストラリアを代表とする反捕鯨欧米諸国に対するナショナリスティックな感情を引き起こすことになった。捕鯨で有名な太地町を抱える和歌山県では、同年三月、県議会において、シー・シェパードらの捕鯨妨害行為に対する、国の毅然とした対応を求める決議がなされた(同町では〇三年にもポール・ワトソンの妻、アリソン・ワトソンらがハナゴンドウクジラを「解放」するために網を切断し、逮捕されるといった事件が起きていた)。また〇八年三月、国際捕鯨委員会(IWC)においても、シー・シェパード非難決議が採択された。
しかしシー・シェパードへの風当たりが増しているようにも見える一方で、彼らの反日本調査捕鯨キャンペーンである「オペレーション・ムサシ」が、二〇〇八年末から、またも大規模に行われている(二〇〇九年二月六日には日本の調査捕鯨船にシー・シェパードが自船を衝突させるという事件が起きた)。これはシー・シェパードの行為が、少なくとも欧米の一部において潜在的な支持を受けているということである。この背景にはいったい何があるのか。
そもそも「エコ・テロリズム」という名前はどこから来たのか。FBI国内テロリズム対策セクションの最高責任者(当時)、ジェームス・F・ジャルボーは、二〇〇二年二月一二日、森林および森林保健小委員会の公聴会において次のように述べている。
環境保護グループであるグリーンピースに不満を抱いたメンバーが、シー・シェパードを結成し、流し網を切り裂いて商業的漁業活動を妨害した時、その時まさに、エコ・テロリズム、と呼ばれる活動が地上に現れたのです。
これがFBIの証言だということ、それゆえこのようなレッテルには政治的意図があることを割り引いたとしても、シー・シェパード結成が「エコ・テロリズム」と呼ばれる現象の源流の一つであることは間違いない。しかし、事はそう単純ではない。
環境保護・動物解放運動のラディカル化の歴史を追っていくと、そこには「アメリカ」という問題が浮かび上がってくる。イギリスの植民地から出発したアメリカは、本国との戦争を経て独立を果たし、南北戦争という国家分裂の危機を乗り越え、第二次世界大戦に勝利し、今日に至るまでの繁栄の礎を築いた。その中で、奴隷解放運動、公民権運動、女性解放運動によって自由と権利の領域を拡大していった。
しかしこの自由と権利の拡大は必ずしも平和裏に行われたわけではなく、しばしば法の踏みこえ、場合によっては暴力さえ伴った。例えば一丁の銃すら用いず、交渉だけで勝ち取られるアメリカ独立。あるいは白人専用の食堂に居座るといった抗議活動(「市民的不服従」)すらなしに、善意の白人から降ってわいたように与えられる黒人の公民権。そうした想定の非現実性を考えてみればよい。法の遵守ではなく、法の踏みこえこそが、アメリカ史を画するいくつかの重要局面において、決定的な役割を果たしてきたのである。
権利というものはいったん確立され、一定の時間を経ると自明のものとなる。しかし新規に確立された権利というものは、その五〇年前、一〇〇年前の人間の目からは、突拍子もないものと映ることがままある。例えば会社というものが法律上「人」であるということ、すなわち「法人」であるということを疑う者は今日いない。しかしこの「法人」概念もその草創期には非常に奇異なものとして拒絶されたのである。そして黒人の権利、女性の権利も、その確立に至るまで、まさにそうした過程を歩んできたのであった。
こうした歴史を背景に、ラディカル環境保護・動物解放運動のメンバーは次のように考える。「自然の権利」や「動物の権利」といった概念が、現在という時点においていかに訝しく思われようとも、それは問題とならない。なぜならかつて「黒人の権利」、「女性の権利」もそうした疑念に晒されていたのだから。また「自然の権利」や「動物の権利」を確立しようとする運動が、非合法的な要素を含もうとも、これもまた問題とならない。なぜなら一九世紀のアメリカにおいて逃亡した南部の奴隷を匿って北部へ逃すことも、奴隷所有者の財産権侵害という非合法行為だったのだから。
こうした純アメリカ的な要素は、当然それ以外の要素とも結合し得る。例えば人間の利害を中心に置かない「ディープ・エコロジー」や、環境的カタストロフィに対する危機感と一体である「黙示録的傾向」といった要素である。地球を救うことと、人間を救うことが同義ではないかもしれない、といったディープ・エコロジー的・終末論的モチーフは、スコット・デリクソンによって二〇〇八年にリメイクされた『地球が静止する日』でも繰り返されている。キアヌ・リーブス扮する「クラートゥ」が、地球を救うべく降り立ったのは、他でもないアメリカの首都、ワシントンDCだったのである。
一九〇九年、このワシントンDCにおいて、カナダやメキシコの代表も招き「北アメリカ保全会議」が開催された。主催したのは合衆国第二六代大統領セオドア・ルーズベルトである。彼は「革新主義的保全運動」と呼ばれる環境運動を熱烈に展開してきたのだが、彼の任期最終年に開かれたこの会議は、狭義のアメリカを超え、北中米規模で「保全」を推進するものであり、保全運動の広がりを象徴していた。
セオドア・ルーズベルトの「北アメリカ保全会議」から数えて一〇〇年後である二〇〇九年、バラク・オバマは第四四代大統領に就任した。オバマは環境や代替エネルギーに関わる雇用創出政策、「グリーン・ニューディール」を打ち出した。
彼は二〇〇五年に開催された上院環境・公共事業委員会のエコ・テロリズム関連公聴会に次のようなメッセージを寄せている。この公聴会は主に「地球解放戦線(ELF)」と「動物解放戦線(ALF)」という二つの「エコ・テロリズム」組織の現状に関わるものであった。
アメリカでは宗教的なものであれ、あるいは哲学的、道徳的なものであれ、個人的な信念に関し意見を異にする権利というものがあります。われわれは平和的な形でそうした信念を表現する権利を有しているし、集会・デモの権利も備えているわけです。しかしわれわれには他人の財産を破壊する権利や、言論の自由の名のもとに暴力行為に訴える権利はありません。[...]わたしはアメリカ人が、暴力行為を掲げるグループと主流派の環境団体を一緒くたにしないよう望むものであります。
このようにオバマは至極まっとうな権利の線引きを行い、暴力的な環境・動物権利団体と健全なそれとの区別を行おうとするわけである。法律論としては彼はまったくもって正しい。しかし歴史的観点を導入すると、こうした線引きと区分が果たしてどこまで有効か、という問題が浮上してくる。
なるほど、他人の財産を破壊する権利はだれにもない。しかし他人の財産の破壊なしにはアメリカ独立そのものが果たされ得なかったであろう(例えば「ボストン茶会事件」)。なるほど暴力行為を掲げるグループと主流派の環境団体は区別されるべきである。しかしラディカルなグループは、多くの場合、主流派の環境団体が、ある種の歴史的必然性とともに産みおとしてきたものである(例えば「グリーンピース」と「シー・シェパード」)。
「エコ・テロリズム」と呼ばれる現象は、その意味で、アメリカの歴史・思想史の周辺部ではなく、まさにその核心部分に触れているのである。われわれが本書で問題とすべきは、こうした異端でありながらも、しかし連綿として続いてきた思想史上の水脈である。
(「はじめに」より)
著者について
1977年、茨城県生まれ。早稲田大学法学部卒業。現在、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程在籍。専門はドイツ近現代哲学、社会思想史、環境思想史。
About this Title
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登録情報
- 出版社 : 洋泉社 (2009/3/6)
- 発売日 : 2009/3/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 223ページ
- ISBN-10 : 4862483038
- ISBN-13 : 978-4862483034
- Amazon 売れ筋ランキング: - 571,575位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
浜野喬士(はまのたかし)。1977年生。
早稲田大学文化構想学部現代人間論系助教。日本映画大学講師。哲学、環境思想史、社会思想史。
http://twitter.com/hamano_takashi
http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901031029924091
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主な仕事
・『日本人が知らないウィキリークス』(共著:小林恭子、白井聡、塚越健司、津田大介、八田真行、浜野喬士、孫崎享) 洋泉社新書、2011年
・「カニバリズムの楽園:動物と人間の境界をめぐる思想的問題」『自由と自律:叢書アレテイア12巻』(仲正昌樹・橋本努・石黒太・福原明雄・中山尚子・菊地夏野・高原幸子・高橋慎一・堀江有里・ギブソン松井佳子・田代志門・清家竜介・白井聡・浜野喬士)、御茶の水書房、2010年
・『エコ・テロリズム』洋泉社新書、2009年
・『教養主義復権論』(共著:仲正昌樹、大澤聡、白井聡)明月堂書店、2009年
・「<反省概念の多義性>節の位置と意義」『日本カント研究7:ドイツ哲学の意義と展望』理想社、2006年
他
・『〈建築〉としてのブックガイド』(項目執筆:藤原ちから&辻本力編)明月堂書店、2011年
・「Rekonstruktion der Antinomie des Geschmacks」『philosophia』98号、2010年
・「<カニバリズムの楽園>へようこそ!? 結局のところ『ザ・コーヴ』はいったい何に怒っているのか?」『映画秘宝』(16/8、26)、2010年
・マティアス・ルッツ=バッハマン「暴力と新軍事力の脅威:国際公法を挑発するもの」(翻訳)『メタフュシカ 』39号、2009年
・「グリーン・ニューディールとエコ・テロリズム :リベラリズムはハイポリティクス化する環境問題に対していかなる役割を果たすか」『表現者』25号、2009年
他
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トップレビュー
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そして、目立つことが儲かるゆえに活動を激化させる仕組みを丁寧に開設してくれます。
「エコ・テロリズム」と呼ばれるこれらの環境運動の成立史を紐解きつつ、彼らの行動原理を“市民的不服従”等のキーワードを軸にして解き明かしたのが、本著『エコ・テロリズム』である。現時点では、このテーマについて日本語で書かれた唯一の本だろう。
環境運動史の入門書であると同時に、「〜アメリカの内なるテロ」という副題に示されている通り、アメリカ論としても読める点がユニーク。新書ながら、参考文献表も充実している。
検討した書物です。元々グリーン・ピースのメンバーだった者が、
武力による闘争を主張し、組織が分化していく様が詳細に調べられて
います。
そもそも海洋哺乳類の保護というトピックを作り出したのは、
スポングという米の大学で教えていたニュージーランド人だそうで、
水族館でシャチの研究に携わっていたものの、ある日
「クジラが彼に解放を求めた」ため水槽から逃がしたのだそうです。
更にシーシェパードのスポンサーとしては作家のクリーブランド・
アモリーが資金提供をしたことでシーシェパード号が誕生したことに
ついても述べられています。過激な環境保護運動の思想的背景もきちんと
説明してあり勉強になります。おすすめの1冊です。
ぜひ続編を期待します!!!!
古来例えば自然に対する畏怖というものは人類にとって全く変わらなかったはずなのに、あるときから食べられるもの
食べてはならぬものを人類は上手に分けてきたはずであるのに、それが21世紀の今になってこうも思想宗教上の違いから
例えば鯨やイルカ、マグロなどに対して神経を使うようになってしまった。シーシェパードはあのグリーンピースから分派した団体であるという。現在最もラジカルなエコロジー団体である彼らの主張はあまりにも我々普通の日本人にとって
は理解しがたい。アカデミー賞を獲った日本のイルカ漁のドキュメント映画をとって見ても根は同じあり、ひょっとして永遠に理解解決不能な事柄なのかと不安に感じた。我々は豊かになりすぎたのであろうか?
「シー・シェパード」による直接的暴力行動は、明かに常軌を逸したものであり、かれらの観念の中で肥大化した「敵」を殲滅することを目的とした、テロリズム以外の何者でもないと考えるのは、けっして私だけではあるまい。
「シー・シェパード」がいかなる理由のもとに行動しているのか、私も含めておそらく多くの日本人にとっては理解不能なものだろう。しかし狂信的にみえる彼らの言動も、彼ら自身のアタマのなかでは、自らの行動を正当化する、彼らなりの理由や動機があるはずに違いない。また、なぜセレブも含めた少なからぬ賛同者が存在するのか。
本書は、そういった疑問に答えてくれる本である。
自分たちが信じる大義のためには法律も無視、そして暴力も辞さないという極端な過激思想。宗教的熱情に支えられた狂信的思想は、西洋の哲学、法学、宗教が生み出した思想であり、またアメリカ建国以来のリベラリズムにその起源をもつ思想だけに、きわめて根が深い。
これらの思想は、「自然との共生」という東洋的なものの考え方の対極にある。
「市民的不服従」というキーワードで「過激環境運動」を鮮やかに分析して見せた本書は、アメリカ社会の底流に存在する思想を知る上でもきわめて有益である。
実に読み応えのある本であるといえよう。ぜひ熟読をすすめたい。
そしてその論理はアメリカという不思議な存在の成り立ち(建国神話)と密接に関わりを持っているのです。それは強固な論理的一貫性に支えられた「狂気」の論理です。直接民主主義をこえた直接行動主義です。エコテロリズムの側の脅威と危機への民主主義的なプロセスの限界の認識は、必然的に財産破壊と市民的不服従につながってしまうのです。
でもそこでは論理は止まりません。「「良心は法を破る」というのがエコテロリストのリベラルな基本的な信条だとすれば、それに対抗する権力の側も、財産の不可侵と経済活動の自由を保持するためには、リベラリズムの価値と相反する措置を取らざるを得ない。」という奇妙な相互依存の交錯によりアメリカの原型は生き残っていくのです。
皮肉なことに「そこでは左翼エコテロリズムも右翼反エコテロリズム、ともにリベラリズムの伝統に回帰し、それを再活性化する機能を担うというわけです。これこそがアメリカという土壌が歴史的に形成してきた特殊なコンテクストの一端」であるという結論は、この問題の日本人にとっての本質的な不可知さを際立たせてくれます。