『偽書『武功夜話』の研究』を読んで以来、すっかり藤本正行氏のファンになった。もやもやと疑問視していたことが、きれいに解消された覚えがある。
歴史的に事実を確定する材料のないミッシンク・リンクを仮説で補うところまでは許されるとして、どうも日本の歴史家さん達は、邪馬台国論争以来、自説に引き寄せられない材料に出会うと、材料のほうに間違いがあると安易に主張する悪い癖がある。邪馬台国論争の負の遺産というべきか。
他方、いわゆる「通説」ないし正確には「小説」というべき歴史物語や実録物の記述を、資料批判抜きに「定説」扱いする困った傾向も、とくに歴史好事家やメディアにはある。
『信長公記』を素直に読むかぎり、桶狭間の合戦は、「奇襲ではなかった」、「正面攻撃だった」との本書の主張は、「小説・織田信長」類のファンには残念だろうし、近頃流行の何でも裏に計算づくの謀略がある式が好きな読者なら、お気に召さないと思うが、歴史上の事実というのは案外と平凡なケースが多いと戒めるべきだろうね。
とくに歴史家さん達は、「春秋の筆法」ないし「必然論」というのが大好きで、原因と結果を結びつけないと、まるで「科学じゃない」と思い込むようなところまであるけれど、『信長公記』の記述するところは匹敵する一次資料の新発見でもない限り、このまま素直に認めるしかないんではないかと僕も思う。
いちじ司馬遼太郎さんの歴史小説を読みまくったけど、結局、どれもこれも話が面白すぎて(エンターテイメントとして出来が良すぎ)、だんだん疑わしく思えるようになり、仕舞いには、いささか鼻に付くようにさえなった。いわゆる「英雄譚」、まさに現代版「講談」であって、生身の人間が、いまいち不在ないんだよねぇ。
そんなとき、たまたま藤本氏の著作に出合い非常に爽やかなものを感じた。
近ごろ、「売らんかな」のために「面白く」書きすぎて、フィクションか何かと穿違えたような甘ったるい表現手法をとる「歴史書」を少なからず見掛けるけれど、本書の苦味は、その点では一服の清涼剤だと言えるだろう。
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【信長の戦い1】桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった (新書y) 新書 – 2008/12/6
藤本 正行
(著)
信長=天才、義元=愚将は本当か?
一級史料が教える桶狭間の真相
著者が日本で初めて「正面攻撃説」を提唱してから26年。信長の戦術が迂回奇襲でなかったということは、現在ではほぼ定説になっている。しかしこの間、「乱取状態急襲説」をはじめとする数々の新説が登場し、話題になっている。
本書では一級史料の『信長公記』を読み解き、信長が勝利を得るにいたる経緯を改めて論証する。『信長公記』を素直に読めば、正面攻撃で義元を破ったのは明らかなのだ。
一級史料が教える桶狭間の真相
著者が日本で初めて「正面攻撃説」を提唱してから26年。信長の戦術が迂回奇襲でなかったということは、現在ではほぼ定説になっている。しかしこの間、「乱取状態急襲説」をはじめとする数々の新説が登場し、話題になっている。
本書では一級史料の『信長公記』を読み解き、信長が勝利を得るにいたる経緯を改めて論証する。『信長公記』を素直に読めば、正面攻撃で義元を破ったのは明らかなのだ。
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社洋泉社
- 発売日2008/12/6
- ISBN-104862483437
- ISBN-13978-4862483430
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商品の説明
著者について
1948年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部史学科卒業。現在、國學院大學兼任講師。日本軍事史・風俗史専攻。
文献・絵画・城郭・甲冑武具研究を集合した独自の歴史研究を展開している。主な著書に『戦国合戦・本当はこうだった』(洋泉社)、『鎧をまとう人びと』『武田信玄像の謎』(いずれも吉川弘文館)、『信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学』(講談社学術文庫)などがある。共著に『偽書『武功夜話』の研究』信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う』(いずれも新書y)、『倭城I』(倭城址研究会)などがある。
文献・絵画・城郭・甲冑武具研究を集合した独自の歴史研究を展開している。主な著書に『戦国合戦・本当はこうだった』(洋泉社)、『鎧をまとう人びと』『武田信玄像の謎』(いずれも吉川弘文館)、『信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学』(講談社学術文庫)などがある。共著に『偽書『武功夜話』の研究』信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う』(いずれも新書y)、『倭城I』(倭城址研究会)などがある。
登録情報
- 出版社 : 洋泉社 (2008/12/6)
- 発売日 : 2008/12/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 4862483437
- ISBN-13 : 978-4862483430
- Amazon 売れ筋ランキング: - 922,565位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年11月3日に日本でレビュー済み
本書の内容は、「信長公記」を全面的に信頼し、その記述から「正面攻撃説」を改めて主張しているもので、
「正面攻撃説」を批判する諸説を徹底的に否定しています。
「はじめに」で本書の執筆目的を語り、第一章で「信長公記」を読み解いた藤本氏の解釈を述べます。
第二章で合戦場所を特定し、義元の本陣を探します。また両軍の兵数に触れ、
信長の勝因と義元の敗因に言及します。
第三章で戦国大名の戦い方を紹介し、義元の侵攻目的に触れます。
第四章は、「今川義元上洛説」を諸氏の否定論を紹介しながら否定し、小和田哲男氏を非難します。
以下の章で諸氏を非難しますが、とても攻撃的です。
第五章は、桶狭間の最高功労者とされる簗田政綱を検証し、政綱の通説を想像の産物と断言します。
第六章は、「甲陽軍鑑」を典拠とした黒田日出男氏の「乱取状態急襲説」を
「甲陽軍鑑」を史料批判して全否定します。
第七章でも歴史研究家・橋場日月氏の「別働隊による迂回奇襲説」を全否定し、
第八章は太田満明氏の「桶狭間の真実」(ベスト新書、2007年刊)を非難します。
第九章は、長い間通説となっていた「迂回奇襲説」の誕生と展開、
さらにそれが後世に残した教訓を語って終わります。
興味深い反論ですが、攻撃的な印象を受けるため、不快に感じる読者がいるかも知れません。
「正面攻撃説」を批判する諸説を徹底的に否定しています。
「はじめに」で本書の執筆目的を語り、第一章で「信長公記」を読み解いた藤本氏の解釈を述べます。
第二章で合戦場所を特定し、義元の本陣を探します。また両軍の兵数に触れ、
信長の勝因と義元の敗因に言及します。
第三章で戦国大名の戦い方を紹介し、義元の侵攻目的に触れます。
第四章は、「今川義元上洛説」を諸氏の否定論を紹介しながら否定し、小和田哲男氏を非難します。
以下の章で諸氏を非難しますが、とても攻撃的です。
第五章は、桶狭間の最高功労者とされる簗田政綱を検証し、政綱の通説を想像の産物と断言します。
第六章は、「甲陽軍鑑」を典拠とした黒田日出男氏の「乱取状態急襲説」を
「甲陽軍鑑」を史料批判して全否定します。
第七章でも歴史研究家・橋場日月氏の「別働隊による迂回奇襲説」を全否定し、
第八章は太田満明氏の「桶狭間の真実」(ベスト新書、2007年刊)を非難します。
第九章は、長い間通説となっていた「迂回奇襲説」の誕生と展開、
さらにそれが後世に残した教訓を語って終わります。
興味深い反論ですが、攻撃的な印象を受けるため、不快に感じる読者がいるかも知れません。
2011年4月3日に日本でレビュー済み
2010/10/6以降の今となっては、「桶狭間の戦い (歴史新書y) [新書] 」という形で同一内容+付論「太田牛一と『信長公記』」10頁の形で出し直されています。
なのでこの本よりそちらを買った方が良いです。
なのでこの本よりそちらを買った方が良いです。
2010年2月9日に日本でレビュー済み
藤本氏は民間の研究家です.大学の先生でもなんでもありません.しかし,桶狭間正面攻撃説の言いだしっぺで,歴史の研究は文献に対する評価から始めるべきであるということを熱く語る方です.歴史研究に合理的科学的アプローチが不可欠だということを初めて語った方だと思います.歴史家が小説家みたいに想像で物を書くことは厳に慎むべきです.ほんとに大学の研究室で研究している先生は何をやってるんでしょうね.
定説を覆すような人は,ある程度過激な人でしょう.それは文章にも表れています.しかし,言ってみればプロの研究家のふがいなさに呆れてるような気もしますが.あと武田信玄の肖像画の本も面白いですよ.こちらもお勧めです.
定説を覆すような人は,ある程度過激な人でしょう.それは文章にも表れています.しかし,言ってみればプロの研究家のふがいなさに呆れてるような気もしますが.あと武田信玄の肖像画の本も面白いですよ.こちらもお勧めです.
2008年12月13日に日本でレビュー済み
本書は新書1冊をフルに使って桶狭間の戦いを記載する最古の文献資料・信長公記首巻を読み解き、信長軍の正面攻撃であったことが地理・信長対義元の領土争いの状況等に照らして信頼できることを説き、返す刀で信長が義元本陣の位置を把握して迂回・急襲したとする説、でっち上げ度が増した簗田特務機関説、近年の義元軍が乱取(掠奪)していたのが義元軍の敗因とする説等を容赦なく斬る。何れも話に尾鰭がつく後年の文献、その強引な解釈、又はでっち上げに基づいており、理不尽な点が徹底的に糾弾される。そしてそれらの説が生まれた背景として、兵数で劣る信長が勝ったのは策があったからだと信じたい人間の心理、情報を重視して多勢を倒す実例として旧日本軍が急襲説を戦史で採用し権威付けたことを挙げる。その軍が太平洋戦争初期を除き奇襲作戦で負け続けたのは歴史の皮肉だ。
現時点では首巻記載の如く戦闘は開始したとするのが最も合理的だ。しかし開始後の推移については首巻も詳しくない。太田牛一が戦場にいたとしても実際の死闘の記述は無理なこと、信長のラッキー・パンチがヒットしたとしか言いようがないことは理解できる。が、今後少しでもこの点の研究が進むことを望む。また、何故義元軍は近道の鎌倉往還を使わなかったのか、大高城にまず入ることを考えていたのかもしれないが、義元軍の行動の狙いの解明も望む。
なお、本書では信長が少勢で大軍と戦ったのは桶狭間以降ないと言う人を特定せずに論難している。司馬遼太郎氏のことだろうが、国民的作家の名を出すことに躊躇したのか?
また、加藤廣氏の信長の棺では牛一が簗田による情報収集・それに基づく急襲を信じていたところ、謀略で義元はおびき寄せられたという話を聞いて動揺する場面がある。しかし、現実の首巻で牛一は正面攻撃以外のことを書いていない。やはり信長の棺は要注意の本だ。
現時点では首巻記載の如く戦闘は開始したとするのが最も合理的だ。しかし開始後の推移については首巻も詳しくない。太田牛一が戦場にいたとしても実際の死闘の記述は無理なこと、信長のラッキー・パンチがヒットしたとしか言いようがないことは理解できる。が、今後少しでもこの点の研究が進むことを望む。また、何故義元軍は近道の鎌倉往還を使わなかったのか、大高城にまず入ることを考えていたのかもしれないが、義元軍の行動の狙いの解明も望む。
なお、本書では信長が少勢で大軍と戦ったのは桶狭間以降ないと言う人を特定せずに論難している。司馬遼太郎氏のことだろうが、国民的作家の名を出すことに躊躇したのか?
また、加藤廣氏の信長の棺では牛一が簗田による情報収集・それに基づく急襲を信じていたところ、謀略で義元はおびき寄せられたという話を聞いて動揺する場面がある。しかし、現実の首巻で牛一は正面攻撃以外のことを書いていない。やはり信長の棺は要注意の本だ。
2008年12月26日に日本でレビュー済み
信長公記の巻首(桶狭間合戦に関しても)は当てになるとは言い難く
斉藤道三の敗死以前に桶狭間を記述していたり、記述がヤケに簡素だったり
巻1以降に比べ信憑性が劣る。(桶狭間合戦の件は小説的情景描写が多い)
桶狭間合戦の真相解明は信長公記の記述だけでは到底不可能で
新発見でもない限り真相は霧の中にあり、正面攻撃説も数ある中の1説に過ぎず
特段合理性や信憑性が高いわけでもない。
斉藤道三の敗死以前に桶狭間を記述していたり、記述がヤケに簡素だったり
巻1以降に比べ信憑性が劣る。(桶狭間合戦の件は小説的情景描写が多い)
桶狭間合戦の真相解明は信長公記の記述だけでは到底不可能で
新発見でもない限り真相は霧の中にあり、正面攻撃説も数ある中の1説に過ぎず
特段合理性や信憑性が高いわけでもない。
2010年9月29日に日本でレビュー済み
戦国時代に関する通説の批判で著名な1948年生まれの日本軍事史研究者が、2008年に刊行した本。1560年の桶狭間の戦いは長らく迂回奇襲による勝利とされてきたが、著者は一級史料『信長公記』の記述と現地調査(実際の地理、27頁に地図あり)を根拠に、1982年以来日本で初めて正面攻撃説を唱えている。それによれば、調略による今川の鳴海・大高・沓掛三城奪取に対して、信長が付城を築いて対抗したこと(境界争い)が、今川の尾張侵攻(上洛ではなく)をもたらした。信長はそのときどきに得た情報により柔軟に次の行動を選択し、午後の雨上がりに陣頭指揮した精鋭で、桶狭間一帯の丘陵に布陣した今川軍を正面から攻撃したが、この前軍の潰走によって今川軍は混乱し、たまたま付近にいた義元は組織的な退却戦もむなしく討ち取られた。この説に対して、小和田哲男は武岡淳彦説に乗りながら「簗田特務機関」による情報戦の勝利を強調するが、これは史料的根拠が欠けている上、不合理である。他方、黒田日出男は『甲陽軍鑑』を典拠として乱取状態急襲説を唱えているが、著者は史料の記述の不正確さと当日の状況を考慮して、この説も退けている。その他、橋場日月の別働隊迂回奇襲説、太田満明の正面奇襲説における信長像なども批判的に検討され、結局著者の説が再確認される。その上で、小瀬甫庵『信長記』が創作した迂回奇襲神話を参謀本部『日本戦史』が確立したことが指摘され、それが近代日本に与えた深刻な悪影響への言及で本書は終わる。巻末に原文要旨が付されている。私見では、本書にはやや断定が多い気もするが、確かに筋は通っていると思う。
2008年12月31日に日本でレビュー済み
伝統的な「迂回攻撃説」は後代の作である小瀬甫庵『信長記』を元に、旧軍の参謀本部がまとめた『日本戦史・桶狭間役』によって広められものであり、より真実に近いのは太田牛一が『信長公記』で描いているように、信長が偶然仕掛けた正面攻撃が、たまたま今川義元のいる本隊にクリーンヒットし、総崩れになった、ということらしいんですな。こうした「正面攻撃説」をずっと書いている藤本正行さんが、細々と『信長公記』を引用しながら解き明かす、というのが本書。
信長が戦争における情報の重要性を知っていたからこそ勝利できたというのは参謀本部が軍人の卵たちにそう教えたかったからにすぎない、というんですな。なにせ、一次資料は『信長公記』しかなさそうなので、それを丹念に読み込んでいけば、こうしたことを含む様々なバリエーションは推論にしかすぎないということはいえそうです。
また、今川義元が信長と戦ったというのも上洛が目的ではなく、三河、尾張での支配を強固にするための通常の戦いであったみたいですね。考えてみれば、天下人を狙っていた貴族的な義元を、野生的な信長が乾坤一擲、ゲリラ戦法で打ち破り、やがて「天下布武」の印判を使用するまでになったというのは絢爛豪華すぎるというか、出来すぎた話ですよね。
信長が戦争における情報の重要性を知っていたからこそ勝利できたというのは参謀本部が軍人の卵たちにそう教えたかったからにすぎない、というんですな。なにせ、一次資料は『信長公記』しかなさそうなので、それを丹念に読み込んでいけば、こうしたことを含む様々なバリエーションは推論にしかすぎないということはいえそうです。
また、今川義元が信長と戦ったというのも上洛が目的ではなく、三河、尾張での支配を強固にするための通常の戦いであったみたいですね。考えてみれば、天下人を狙っていた貴族的な義元を、野生的な信長が乾坤一擲、ゲリラ戦法で打ち破り、やがて「天下布武」の印判を使用するまでになったというのは絢爛豪華すぎるというか、出来すぎた話ですよね。