中学生からのシンプルで、しかし人生の折々にぶつかる深刻な問題。こういった悩みや疑問は、誰しもが生きる中でぶつかったことだろう。昔も、そして今も、このようなことで悩む中学生は、身の回りにたくさんいる。そして、親たちも、そんな子どもたちの悩みにきっぱりと自分の言葉で答えることができない状況にある。今日も知り合いからそんな相談を受けたところだった。
そんなときに出合ったこの本は、まさにその問いに、シンプルに、しかし人生の洞察に支えられた思いやりを持って、きっぱりと答えてくれている。悩める友人にも送りたい一冊。
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中学生が感動したブッダの言葉【人間の品性とは? 生きる上での悩みや疑問に答える心の授業】 (晋遊舎新書 S05) 新書 – 2012/5/17
人はなぜ生きなければならないのでしょう?
罪もない人たちが、なぜ災害や事故や病気で命を落とすのでしょう?
一生懸命生きていても、なぜ不幸になるのでしょう?
人はたくさんの疑問を抱えて生きています。
年齢や経験を重ねても、なお答えの出ない問題は多いのです。
根源的な問いを抱えたまま、生きるのが人生なのかもしれません。
この本の各項目はみな質問で始まっていますが、
これらは実際に生徒たちから寄せられたり、生徒たちが訪れる相談室で質問されたものです。
その多くはかつて私たち自身が自分に問い、僧籍をもったいまでも問いつづけているものばかりです。
人生の問いはそれほど簡単に答えが出るものではありません。
日々、生きて、悩み、感じ、考える中で、ある日、突然、わかるときが来る。
そういうものだと思います。
人生における問いの答えは簡単に出るものではありません。
人によって出る答えも違うでしょう。
でも、何かをきっかけにして答えが見つかる瞬間があるかもしれない。
私たちはそれを信じています。
この本がきっかけになれば幸いです。
(<はじめに>より抜粋)
罪もない人たちが、なぜ災害や事故や病気で命を落とすのでしょう?
一生懸命生きていても、なぜ不幸になるのでしょう?
人はたくさんの疑問を抱えて生きています。
年齢や経験を重ねても、なお答えの出ない問題は多いのです。
根源的な問いを抱えたまま、生きるのが人生なのかもしれません。
この本の各項目はみな質問で始まっていますが、
これらは実際に生徒たちから寄せられたり、生徒たちが訪れる相談室で質問されたものです。
その多くはかつて私たち自身が自分に問い、僧籍をもったいまでも問いつづけているものばかりです。
人生の問いはそれほど簡単に答えが出るものではありません。
日々、生きて、悩み、感じ、考える中で、ある日、突然、わかるときが来る。
そういうものだと思います。
人生における問いの答えは簡単に出るものではありません。
人によって出る答えも違うでしょう。
でも、何かをきっかけにして答えが見つかる瞬間があるかもしれない。
私たちはそれを信じています。
この本がきっかけになれば幸いです。
(<はじめに>より抜粋)
- 本の長さ191ページ
- 言語日本語
- 出版社晋遊舎
- 発売日2012/5/17
- 寸法11.5 x 1.3 x 17.2 cm
- ISBN-104863915470
- ISBN-13978-4863915473
登録情報
- 出版社 : 晋遊舎 (2012/5/17)
- 発売日 : 2012/5/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 191ページ
- ISBN-10 : 4863915470
- ISBN-13 : 978-4863915473
- 寸法 : 11.5 x 1.3 x 17.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 818,546位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 10位晋遊舎新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月11日に日本でレビュー済み
私立中学の宗教の先生が、「仏教の物の見方・考え方」を中学生でも分かるようにまとめた本です。
別コメントにあるように、仏教に関する知識がある人にとっては物足りない部分があるのでしょう。しかし、本書は仏教知識云々ではなく、中学生に別の視点で物を考えるきっかけを提供しているに過ぎません。「納得できればそれでよし。納得できなければ、自分で考えて、自分なりの意見をまとめてみよう」これぐらいのスタンスで書かれた本なのだろうと推察します。
いまや仏教校と言えども、宗教とは関係ない一般家庭出身者が多い時代。仏教を宗教知識の獲得のために学ぶのではなく、今までの人生で触れたことがなかった考えに触れてそこから自分の意見を形成するきっかけにする。本書のスタンスは、まさに今を生きる子供達と接している先生なりの宗教との関わり方なのだと思います。
本書は宗教関係者や宗教マニアには向きません。あくまでも、子供が自分の知らない視点で物を考えてみるきっかけを作るための1冊だと思います。
別コメントにあるように、仏教に関する知識がある人にとっては物足りない部分があるのでしょう。しかし、本書は仏教知識云々ではなく、中学生に別の視点で物を考えるきっかけを提供しているに過ぎません。「納得できればそれでよし。納得できなければ、自分で考えて、自分なりの意見をまとめてみよう」これぐらいのスタンスで書かれた本なのだろうと推察します。
いまや仏教校と言えども、宗教とは関係ない一般家庭出身者が多い時代。仏教を宗教知識の獲得のために学ぶのではなく、今までの人生で触れたことがなかった考えに触れてそこから自分の意見を形成するきっかけにする。本書のスタンスは、まさに今を生きる子供達と接している先生なりの宗教との関わり方なのだと思います。
本書は宗教関係者や宗教マニアには向きません。あくまでも、子供が自分の知らない視点で物を考えてみるきっかけを作るための1冊だと思います。
2012年9月19日に日本でレビュー済み
現役の宗教教師による「中学生の質問への回答集」という体裁の本。質問は仮定されたもの。仏教の言葉がたくさん紹介されるが、タイトルにある「ブッダの言葉」は少なく、ほとんどが日本の僧侶の言葉である。また、この本に紹介されている言葉に中学生が感動したということではなく、ある中学生がブッダの言葉に感動したという逸話が「まえがき」で紹介されているということである。
歴史の教科書などでは親鸞のものと伝わっている「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」については、『歎異抄』を出典としつつも、
法然の口伝えとして法然一門に知られていた言葉で、親鸞自身のものではない。(p.20)
というただし書きをする。これは一般にはあまり知られていないようだが研究者の中ではよく知られた事実である。しかし、ではなぜ、この言葉が今までほとんど真宗内でしか伝承されていなかったのかということや、現在の浄土宗はなぜ法然のこの言葉から完全に乖離した教えを説いているのかということについては説明が一切ない。それではただし書きの意味がないと思う。
「平生業成」[へいぜいごうじょう]というすぐれて真宗的な用語についても、
親鸞の教える浄土真宗の教えをあらわしたもので、蓮如の『正信偈大意』に出てくる言葉。人は生きている間に目的がかなうという意味で、努力すればやるべきことは必ずこの人生において完成できると言っている。(p.166)
と説明している。残念ながらこれはでたらめである。真宗の用語を真宗を学ばずに説明できると考えてしまったのはなぜなのか、理解に苦しむ。
ほかにも「自業自得」を「悪因悪果」で説明するなど、僧侶として根本にあるべき仏教思想の理解もはなはだ浅薄であると言わざるを得ない。
また、こんなことも書いている。
私はまだ修行中のとき、偉い先生に聞いたことがあります。
「先生、本当に極楽ってあるんですか?」
「君ね、それはあるに決まってるじゃないか」
そう言わないと仏教の教えが成り立たなくなってしまう。先生の立場からすれば、「ある!」と言わざるを得かったんでしょう。(p.26)
浄土があるかないかを問わない立場にある人が浄土のあるなしを云々すべきではないし、それを知らない人がこういう教育書的な本を書くべきでもない。
「なぜ人を殺してはいけないのでしょう?」という質問にも「あなたは自分の命が取られてしまってもいいですか。それと同じです。」と答えている。これでは何の回答にもなっていないのだが、それさえわかっていない。また「むやみに殺生せずに生きる道を教えたのは仏教だけなんです。とても平和的な宗教なんですね。」というまとめについては、この人は「僧兵」や「一向一揆」を知らないのだろうかと不安になる。
著者が二人いて、どの部分をどちらが書いているのかはわからないが、二つの立場から書かれているのは何となくわかる。
中学生の質問や悩みに答えたいという気持ちはわかる。わかるが、それならもっと誠実に答えるべきである。悩みの内実をきちんと知り、必要なことをきちんと調べ、きちんと考え、きちんと答えるべきである。間違ったことを答えるべきではない。
期待して読んだが、人間理解や仏教理解が浅薄である箇所が多すぎる。平易な言葉で書かれていて読みやすくても事実と著しく違うなら、それはかえってブッダの邪魔をしていることになる。良いところもまれにあるにはあるのだが、この内容では到底おすすめできない。
歴史の教科書などでは親鸞のものと伝わっている「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」については、『歎異抄』を出典としつつも、
法然の口伝えとして法然一門に知られていた言葉で、親鸞自身のものではない。(p.20)
というただし書きをする。これは一般にはあまり知られていないようだが研究者の中ではよく知られた事実である。しかし、ではなぜ、この言葉が今までほとんど真宗内でしか伝承されていなかったのかということや、現在の浄土宗はなぜ法然のこの言葉から完全に乖離した教えを説いているのかということについては説明が一切ない。それではただし書きの意味がないと思う。
「平生業成」[へいぜいごうじょう]というすぐれて真宗的な用語についても、
親鸞の教える浄土真宗の教えをあらわしたもので、蓮如の『正信偈大意』に出てくる言葉。人は生きている間に目的がかなうという意味で、努力すればやるべきことは必ずこの人生において完成できると言っている。(p.166)
と説明している。残念ながらこれはでたらめである。真宗の用語を真宗を学ばずに説明できると考えてしまったのはなぜなのか、理解に苦しむ。
ほかにも「自業自得」を「悪因悪果」で説明するなど、僧侶として根本にあるべき仏教思想の理解もはなはだ浅薄であると言わざるを得ない。
また、こんなことも書いている。
私はまだ修行中のとき、偉い先生に聞いたことがあります。
「先生、本当に極楽ってあるんですか?」
「君ね、それはあるに決まってるじゃないか」
そう言わないと仏教の教えが成り立たなくなってしまう。先生の立場からすれば、「ある!」と言わざるを得かったんでしょう。(p.26)
浄土があるかないかを問わない立場にある人が浄土のあるなしを云々すべきではないし、それを知らない人がこういう教育書的な本を書くべきでもない。
「なぜ人を殺してはいけないのでしょう?」という質問にも「あなたは自分の命が取られてしまってもいいですか。それと同じです。」と答えている。これでは何の回答にもなっていないのだが、それさえわかっていない。また「むやみに殺生せずに生きる道を教えたのは仏教だけなんです。とても平和的な宗教なんですね。」というまとめについては、この人は「僧兵」や「一向一揆」を知らないのだろうかと不安になる。
著者が二人いて、どの部分をどちらが書いているのかはわからないが、二つの立場から書かれているのは何となくわかる。
中学生の質問や悩みに答えたいという気持ちはわかる。わかるが、それならもっと誠実に答えるべきである。悩みの内実をきちんと知り、必要なことをきちんと調べ、きちんと考え、きちんと答えるべきである。間違ったことを答えるべきではない。
期待して読んだが、人間理解や仏教理解が浅薄である箇所が多すぎる。平易な言葉で書かれていて読みやすくても事実と著しく違うなら、それはかえってブッダの邪魔をしていることになる。良いところもまれにあるにはあるのだが、この内容では到底おすすめできない。