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唯幻論大全 単行本 – 2013/1/25

4.2 5つ星のうち4.2 20個の評価

"私"、国家、歴史、神、セックス……全ては幻想である

「人間は本能が壊れた生命体である」たった一つの原理から、人間のすべての文化と愚行を説明し尽くした。戦後最大の思想が、いま再び、閉塞した世界を切り開く。
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商品の説明

出版社からのコメント

カバーはホロ泊です。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 飛鳥新社 (2013/1/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/1/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 592ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4864102090
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4864102094
  • 寸法 ‏ : ‎ 14 x 4.3 x 19.5 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 20個の評価

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2013年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
集大成として過去の著述の再編纂ですが
7,80年代のものは重要なもののみで少なく、大半が90年代2000年代のもの。
もっとも新しいもので2012年の書きおろしまで含み最近の著述を追えていない読者には買いやすい内容ですが
主旨は一貫しておりぶれないので嘗ての衝撃にまた触れたいという欲求も満たしてくれます。

個人的な必要に応じて生まれたものなので、非常な切実さがあって理論云々というより感覚的に分かりやすく
それゆえあげ足取りをしたがる人が絶えないのもわかりますが
内容も普遍的で同時に敷居が低くおすすめできる本だと思います。
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年6月1日に日本でレビュー済み
岸田秀氏の本は雑文集の形のものが多いが、本書は3つのテーマに絞って体系的にまとめている。
過去の書籍からの寄せ集めではあるが、論調は初期から一貫しているので違和感はない。
文章も修正されており読みやすくなっているように思う。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年4月4日に日本でレビュー済み
岸田秀という人は実に変わった学者だ。
多くの人が「岸田秀は学者と言えるのか?」という問いを発することと思うが、これは岸田秀自身も「学者」という拘りは無く、実際に和光大学の教授をしていながら(現在は和光大学名誉教授)論文といえる形式のものは何も書いてはいない。

現在までに非常にたくさんの著作を残している岸田氏であるが、そのいずれもが「エッセイ」という形式によって書かれている。
そして本書も過去に書いた著作からテーマごとに集めて、大幅に加筆されてはいるがやはりエッセイなのである。

岸田秀というとフロイトが創始者である精神分析の専門家として知られてはいるが、岸田氏がいうには「私は精神分析学者ではなく、ただ自分の心の病をなんとかしたいがために精神分析にすがり、あくまでも自分のためにだけフロイトの精神分析を参照しながら書きたいこと書いてきただけだ」というようなことを至るところで述べている(もちろん本書の後書きでもそれが述べられている)。

そう考えると、実に特殊な学者(大学教授であったのだから学者なのだ)であり、彼のような人が大学の教授であった例はまず無いだろうと思う。

岸田氏の口癖は「私は『ものぐさ精神分析』で書いたことが実はすべてであり、それ以降の著作はただの焼き直しにすぎない」ということもよく述べていた。
そんな岸田氏の目立って徹底的書かれてきたことは、彼の「育ての母」についてのことであった。
しかも一貫してその「母」を批判し、自分がこのような精神的病の症状を抱え込んでしまったのはすべて「無神経な母」によるものだ、ということを述べる。
驚いたことに、岸田氏は「母」の位牌が出てきてそれを見つけた時に、ポイっと捨ててしまったというのだから凄まじい。

岸田氏の「母」についた書いた文章を色々と読むたびに(読まされるたびに)、彼が「母」を憎んでいることはわかるのだが、そこまで「酷い母」であったのかということについては、今でも私によく理解できていない。

そうした岸田秀の、もう何回目かすらわからなくなってしまったが、彼が『ものぐさ精神分析』を書いてから何度も何度も繰り返し書いてきたことが基本にあって、他のことは多少話題を膨らませて書いたといっても岸田氏はたぶん怒らないだろうと思うので、そうのようにして"また"まとめられて出された「総集編の本」だと考えて本書を読めばいいだろうと私も思う。

岸田秀の考え方は「唯物論」に対応して「唯幻論」といわれ、1975年〜1981年の「現代思想」という専門雑誌の黄金時代を、有名な日本の学者たちとともに築き上げたといっても過言ではないほどに、各方面の有名学者から支持されてもいた。

となみにその「現代思想誌の黄金期」に看板となっていた執筆陣は、中村雄二郎、市川浩、栗本慎一郎、浅田彰、廣松渉、蓮實重彦、中村元、村上陽一郎、中沢新一、日高敏隆、山口昌男、今村仁司、柄谷行人、岸田秀といった人物が常連であったのだから、何とも凄すぎるメンバーだといっても誰も異論はないだろう・・・。

ちなみにその当時の現代思想の編集長は三浦雅士であった。

今の大学生ならば、岸田秀の著作はあまり読んでいる人は少ないと思われるので、彼の「唯幻論という極論」から見えてくる何かを、それぞれの読者の思考でどんどん脇道に外れて欲しいと私は思う。

ウィトゲンシュタインの言葉にも残されているように、「哲学(思想)などというものは、せいぜいのところ文学なのだ」ということを真に受ければ、岸田秀が「40年」にわたって書いてきた「エッセイ」はウィトゲンシュタインの言葉を逆に捉えて、岸田秀のエッセイはやはり「哲学(思想)」だといってもなんら構わないのではないだろうか。

分厚い本書は、もちろん当時から岸田秀を読んでいる先輩方にも、当然ながらおすすめしたい本である・・・。
59人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年2月26日に日本でレビュー済み
著者自身のあとがきに「わたしが唯幻論をつくったのは、真理の探究のためでもなく、学者とか思想家とかになりたいからでもなく、ひとえに、自分の人格障害を何とかしたいという切羽詰まった揚句の極私的な動機からであった」とある。そうなら『精神分析』などという言葉は無視して(忘れて)読んで見てもいいと思いました。著者によれば、人間は、本能が壊れて幻想の世界に迷い込んだ動物であり、人のセックスも”自我の行為となり、人間は何等かの幻想に基づいて、何らかの目的のための手段として性交することしかできない“ということになる・・・こうした「セックス論」(第3部)、母親との関係をもとにした「自我論」(第1部)、なぜ日本はアメリカに負ける戦争を仕掛けたのか等、アメリカとの関係を中心とした「歴史論」(第2部)という3部構成で、これまでに書き記した「唯幻論」に関連したノートを600ページ近い一冊にまとめた大書である。21世紀以降においては、アメリカでは、薬物療法や認知行動療法の進歩と普及により、精神分析は科学的根拠が不十分な療法として支持を失いました。しかし、日本では、未だに精神科医や臨床心理士などが患者理解のために精神分析の概念を援用していますし、交流分析(口語版精神分析)が心療内科や看護、介護の領域で活用されてもいます。
また一般の人々が、抑圧やコンプレックスといった精神分析由来の概念で、自分や他人の行動や心の動きを説明することも、日常生活のなかでよく見聞する現実です。
私は理論の物理屋として、フロイトはともかく、著者・岸田秀には何等の興味も持っていませんでした。でも、一度は読んでもいいというわけで、速読いたしました。
以上の状況を十分に理解した上でも、私は、著者のアイデアに満ちたユニークな記述を愉しんで読みました。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書『唯幻論大全』を読み終わった後も、「人間とは何か」という問いを考え続けています。

人間には、男と女がおり、
男らしい男がいるかと思ったら、女々(めめ)しい男も結構います。
人間の愛とは何か?
母親の、息子に対する愛の目的は? 母親の立場から、息子の立場から考えています。
戦争で戦う兵士は、男が圧倒的に多い。
しかし、男たちの先頭に立って旗を振る女も歴史上、結構いました。
人間の性の文化についても、宗教や資本主義の面から考えてみています。

本書は、男の目からみた幻想、男の幻想を考察した本です。
男の読者としては、なるほどと得心できる、いや、申し分ない幻想論になっています。
男の世界も広く、いろいろな男がいますが、
男の性(さが)というか、男の文化が深く広く哲学的に考察されています。

しかし、本書の、女についての考察は推測が混じっていて断定がなく、弱く感じました。
女には女の文化があり、しかも女の生理は男の生理とは別物のような気もします。
特に、女の文化は、今日、全世界で大きく変わろうとしているようにも思えます。

「人類文化の全てを説明し尽くす」(本書の帯の言葉)
大げさなキャッチコピーだと思いました。

人類の文化は、多面的に構成されていて、見方によって色とりどりに見えます。
表紙カバーの、千変万化のイメージは、人間の幻想のように変わります。

命を懸けた人生も戦争も愛もすべて、終わってみれば、
夢、まぼろしだったような気がします。

「第一部 自我論」では、著者の生い立ちから、母親との葛藤を経て
著者の岸田さんの自我が形成されるまでの歩みが記されています。
「第一部 第四章 母の立場」は、本書唯一の「書き下ろし」です。

それ以外は全て、既出です。初出は、巻末の「初出一覧」参照。
既出のものも、「適宜に加筆、削除、訂正」が加えられたそうです。

そして、「第二部 歴史論」は、第十七章まであります。
本書で最もページ数の多い、中核となる、歴史的唯幻論です。

「第三部 セックス論」には、性の文化についての説明が詳しくあります。
特に、最終章の「第十二章 趣味としての性交」に至っては、
趣味の問題に帰結しています。
趣味ということになれば、それ以上、何おかいわんや。

本書のように考えてみれば、確かに気が楽になり、
人生の重荷が降りるような気がしました。

著者の岸田 秀さんは、
様々な雑誌等にエッセイを「書き散らかし」(582頁)ている文筆家です。
フロイトなどの学術文献を日本語へ翻訳してきたフロイト研究家でもあります。
その他、数々の論文を日本語へ翻訳してきた翻訳家でもあります。
思想家でもあり、歴史家でもあるとも言えます。
性文化などを研究する文化論者でもあります。
宗教研究家とも言えます。
本書にも、旧約聖書の『出エジプト記』(139頁、152頁、203頁、227頁)
などからの引用が多いことから。

「人間は本能が壊れて幻想の世界に迷い込んだ動物」(144頁)
こんな哲学的な文章も書いています。哲学者みたいです。

でも、言葉使いや比喩が庶民的で、心情的に理解しやすいので、
人生哲学の研究者とも言えそうです。

唯物論という学問なら、これまでに何度か聞いたことありますが、
唯幻論という言葉は、今回、本書で初めて見ました。

唯幻論や「唯幻史観」(142頁)という言葉は、
本書『唯幻論大全』の著者である岸田 秀さんの造語だそうです。

唯幻論、唯幻史観というのは、岸田さん個人から発した唯幻論、唯幻史観。
本書も、個人の視点から始まった論なのでしょうが、
論旨に客観性があり、世界に通用する一般論にもなりそうな気がします。

論理的なエッセイ。
つれづれなるがままに綴った文章。
思想家の論文のように、途中で読むのをギヴアップするようなこともありませんでした。

「第三部 セックス論」に至っては、なぜか恥ずかしくなり、こっそり読みたくなりました。
性文化の幻想を、文学作品を引用して論じています。文芸評論家のエッセイのよう。
初出は『文學界』という文芸誌。

第三部の第一章は、「性的唯幻論」。
唯幻論を、人間の性的側面から論じています。

「人間という動物は本能が壊れており、胎児から大人への発達過程に障害があり、発達が遅滞した動物であるというのがわたしの理論の出発点である」(340頁)
この論法では、性本能が壊れていない人間は、正常な人間ということになります。
現実には、性本能のままに行動する人間は性的異常者として逮捕されます。
このように、唯幻論は、著者の岸田さんの言う通り、
あくまでも「変てこな」(580頁)理論なのです。

理論どおりに世の中が回らないことは、大人になれば自然にわかります。
多数の文学作品を読めば、理論の正当性がわかることもあります。
しかし、文学作品は、理論を実証するデータのひとつに過ぎません。

科学では証明できない理論は、哲学で考えるしかありません。
本書『唯幻論大全』は、哲学の本です。

哲学にもいろいろあります。
ギリシャ哲学、インド哲学、国により、時代によってさまざまです。
すべて、物という立場で説明しようとする哲学者もいます。

本書の著者の岸田さんは、「全ては幻想である」という立場から、この本を書きました。
なるほどな、幻想からも文化が説明できるんだな、と感心しました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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