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購入動機は、歴史や通信に関する学術論文で引用されていたからです。
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想像の共同体 増補: ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ) 単行本 – 1997/5/1
- 本の長さ358ページ
- 言語日本語
- 出版社エヌティティ出版
- 発売日1997/5/1
- ISBN-10487188516X
- ISBN-13978-4871885164
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
国民国家分析に新地平を拓き、ナショナリズム研究の新古典となった第一版に、さらに2章を加えた増補版。
登録情報
- 出版社 : エヌティティ出版 (1997/5/1)
- 発売日 : 1997/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 358ページ
- ISBN-10 : 487188516X
- ISBN-13 : 978-4871885164
- Amazon 売れ筋ランキング: - 177,553位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年3月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
<ナショナリズムを発明したのは出版語である。決してある特定の言語が本質としてナショナリズムを生み出すわけではない。> (p. 211)
と看破した一冊。古典なんだが、『日本語が亡びるとき』を読んで、改めて読んでみた。今読んでも古びた感じはしない。われわれは、一個人であると同時に一国民である。そのあいだに「家族の一員」とか「〜〜クラブの一員」とかいろいろあるんだが、「国民」というのが最もわかりにくい、新しい概念であることは間違いない。ぼくが自分のことを日本人だと思うのは、日本という国が存在していて、そこに所属していて、ほかのみんなもそこに所属している、と思い込んでいるからだ。ではなぜ、「ほかのみんな」、見たことも話したこともない人たちについてそんなに自信を持てるのか、というとアンダソンによれば、それは出版語があるからだ、ということになる。
われわれは、出版語を読むことを通じて、その出版語を読むことができる大きな共同体の存在を背後に感じている。読者は想像する。この出版物を出版に至らしめた、一定の読者からなる経済圏が存在している。この出版者は、過去を「わたしが読んでいる」という現在につないでいる。この新聞は、きのうのことを伝えているが、きのうの一年前、百年前も「われわれの」共同体ではこのような事件が起こっていたのだろう、と読者は想像する。したがって、新聞、小説などの商業出版物は、地理的、時間的な縛りを超えた共同体の存在を想起させる。話し言葉は、即時的であり、場所に縛られるため、このような効果を持ち得ない(とは言わないまでも効果は薄い)。
水村美苗の言う<日本語>は、明治時代の出版資本主義の浸透とともに確立してきた。個人的には、出版業界やナショナリズムの内容が変質してきた以上、彼女の好きな(谷崎とか永井とか漱石とかの)日本語が亡びていくのは当たり前のように思えるが、それはまた別の話。
と看破した一冊。古典なんだが、『日本語が亡びるとき』を読んで、改めて読んでみた。今読んでも古びた感じはしない。われわれは、一個人であると同時に一国民である。そのあいだに「家族の一員」とか「〜〜クラブの一員」とかいろいろあるんだが、「国民」というのが最もわかりにくい、新しい概念であることは間違いない。ぼくが自分のことを日本人だと思うのは、日本という国が存在していて、そこに所属していて、ほかのみんなもそこに所属している、と思い込んでいるからだ。ではなぜ、「ほかのみんな」、見たことも話したこともない人たちについてそんなに自信を持てるのか、というとアンダソンによれば、それは出版語があるからだ、ということになる。
われわれは、出版語を読むことを通じて、その出版語を読むことができる大きな共同体の存在を背後に感じている。読者は想像する。この出版物を出版に至らしめた、一定の読者からなる経済圏が存在している。この出版者は、過去を「わたしが読んでいる」という現在につないでいる。この新聞は、きのうのことを伝えているが、きのうの一年前、百年前も「われわれの」共同体ではこのような事件が起こっていたのだろう、と読者は想像する。したがって、新聞、小説などの商業出版物は、地理的、時間的な縛りを超えた共同体の存在を想起させる。話し言葉は、即時的であり、場所に縛られるため、このような効果を持ち得ない(とは言わないまでも効果は薄い)。
水村美苗の言う<日本語>は、明治時代の出版資本主義の浸透とともに確立してきた。個人的には、出版業界やナショナリズムの内容が変質してきた以上、彼女の好きな(谷崎とか永井とか漱石とかの)日本語が亡びていくのは当たり前のように思えるが、それはまた別の話。
2014年5月11日に日本でレビュー済み
昨今の、日本や世界各国のナショナリズムの「流行」とそれに伴う国際紛争の多発の根本原因を知りたくて、本書にたどり着いた。原著は1983年(増補版は1991年)の刊行であるが、現代にまで十分射程距離を有する、ナショナリズム論の古典であると確信した。
著者の基本コンセプトは、タイトルに示されているように、「国民」(ネーション)なるものの起源が極めて新しく、近代国家の誕生と歩調を合わせて生み出された「想像の共同体」(Imagined Communities)である、ということに尽きる。このような「想像の共同体」の根源には、ある一定地域で共通する言語が重要な役割を果たし、その普及には印刷術の発展による聖書や小説が幅広く読まれたことにある、と著者は指摘している。
ナショナリズムの起源が新しいことの実証として、著者は、ヨーロッパの大国の植民地であった南北アメリカから、「国家」が誕生する際の言語の役割を詳しく説明している。ナショナリズムは、常に「官製」であることが、多くの事例から示される。ナショナリズムの「高揚」のためには、常に「敵」が生み出され、激しい排外主義とナショナリズムはいつでもセットとしてプロパガンダで多用される。
ナショナリズムは、近代において、神の存在を信じられなくなった人間の心の隙間を巧みに埋めるものであるという考え方がある(佐藤優氏)。本書を読み、確かにナショナリズムは「疑似宗教」と考えることが出来るのではないかと思った。どんな国にも見られる「国(あるいは民族)の創造神話」、「敵を生みだすための虚構」、ナショナリズムを煽る「宣教師」、その激しい「檄文」、ナショナリストの団体などは、まさに、神-教会-信徒の宗教のメカニズムそのものである。戦前の「神国日本」はもちろん、昨今の日本の排外主義団体や極右政治家、極右評論家たちの言説や行動も、「疑似宗教としてのナショナリズム」として読み解くことが可能と考えられる。
本書の深い考察を参考にして、日本のナショナリズムのゆくえを注視していきたい。
著者の基本コンセプトは、タイトルに示されているように、「国民」(ネーション)なるものの起源が極めて新しく、近代国家の誕生と歩調を合わせて生み出された「想像の共同体」(Imagined Communities)である、ということに尽きる。このような「想像の共同体」の根源には、ある一定地域で共通する言語が重要な役割を果たし、その普及には印刷術の発展による聖書や小説が幅広く読まれたことにある、と著者は指摘している。
ナショナリズムの起源が新しいことの実証として、著者は、ヨーロッパの大国の植民地であった南北アメリカから、「国家」が誕生する際の言語の役割を詳しく説明している。ナショナリズムは、常に「官製」であることが、多くの事例から示される。ナショナリズムの「高揚」のためには、常に「敵」が生み出され、激しい排外主義とナショナリズムはいつでもセットとしてプロパガンダで多用される。
ナショナリズムは、近代において、神の存在を信じられなくなった人間の心の隙間を巧みに埋めるものであるという考え方がある(佐藤優氏)。本書を読み、確かにナショナリズムは「疑似宗教」と考えることが出来るのではないかと思った。どんな国にも見られる「国(あるいは民族)の創造神話」、「敵を生みだすための虚構」、ナショナリズムを煽る「宣教師」、その激しい「檄文」、ナショナリストの団体などは、まさに、神-教会-信徒の宗教のメカニズムそのものである。戦前の「神国日本」はもちろん、昨今の日本の排外主義団体や極右政治家、極右評論家たちの言説や行動も、「疑似宗教としてのナショナリズム」として読み解くことが可能と考えられる。
本書の深い考察を参考にして、日本のナショナリズムのゆくえを注視していきたい。
2012年2月16日に日本でレビュー済み
碩学とは、こういう人を言うを指すのだと思う。日本を含む、世界中の国家形成にまつわる様々な逸話や統計や物語がちりばめてあり、文章も実に端正でスタイリッシュだ。一つの言いたいことを言うために、実に沢山の具体例を提供し、ときとして脱線し、読者をはぐらかし。。。。古いヨーロッパ的な学者のスタイルなのだろうか、実に重厚な文章で、何度も読み返したくなる。翻訳もいい。多分、あと数十年しても古びない本だろう。
内容的には、水村美苗の 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で との連関を感じた。一緒に読むと面白いかもしれない。
世界史好きの人、言葉に関わる仕事をしている人、出版やジャーナリズムに携わる人は、とにかく読んで損しない本だ。
内容的には、水村美苗の 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で との連関を感じた。一緒に読むと面白いかもしれない。
世界史好きの人、言葉に関わる仕事をしている人、出版やジャーナリズムに携わる人は、とにかく読んで損しない本だ。
2011年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人がある国に生まれるのは偶然に過ぎないが、その国の支配を受け、そしてナショナリストになっていく。偶然を必然と意識させる力が存在する。
2005年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在、我々が住む国民国家の概念としての古典の地位をしめる本書。
大学時代に読むべき本の、一冊だと思います。
具体的事例も多く、読みこなすのに苦労があるかもしれないが、それをこす内容が書かれている。
印刷という革命による、メディア史の視点から読んでも秀逸。
大学時代に読むべき本の、一冊だと思います。
具体的事例も多く、読みこなすのに苦労があるかもしれないが、それをこす内容が書かれている。
印刷という革命による、メディア史の視点から読んでも秀逸。
2009年10月8日に日本でレビュー済み
社会科学上の名著にして、国民国家論の先駆的研究でもある。
ゲルナー、スミスと合わせて読むと良いとのことで、国民国家論研究御用達の著作のように扱われている。
しかしながら、メディアと言語、あるいは国民国家社会(ないしはコミュニティ)との関係についての興味深い洞察は、現代社会の問題に切り込むための視角を提供してくれているように思う。
増補版では、著者は間違いだらけの古い著作と謙遜しているが、一見の価値はあるだろう。
示唆に富む著作である。
面白く、読みやすくもあるので、間違いなく星5つである。
是非一読してほしい。
ゲルナー、スミスと合わせて読むと良いとのことで、国民国家論研究御用達の著作のように扱われている。
しかしながら、メディアと言語、あるいは国民国家社会(ないしはコミュニティ)との関係についての興味深い洞察は、現代社会の問題に切り込むための視角を提供してくれているように思う。
増補版では、著者は間違いだらけの古い著作と謙遜しているが、一見の価値はあるだろう。
示唆に富む著作である。
面白く、読みやすくもあるので、間違いなく星5つである。
是非一読してほしい。
2005年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本はコーネル大学教授でアジア研究者であるベネディクト・アンダーソンのナショナリズムに関して記した「想像の共同体」に新たに二章を加えた増補版です。ナショナリズム論を研究、もしくはナショナリズムに興味を抱いている人は必ず読むだろうと言われている名著です。名著と言われているだけあって、ナショナリズムの発展における歴史的経緯やナショナリズムの定義など、綿密に研究された成果が惜しみなく疲労されています。
ただ、初版に掲載されていた部分と増補で新たに加えられた部分で、書き方に違いがあるのがただ一つ気になる点です。読み進めていくと突然文章の構成が変わってしまい、ちょっと戸惑ってしまうかもしれません。ですが、そこを除けば素晴らしい本です。ぜひ一読をお勧めします。
ただ、初版に掲載されていた部分と増補で新たに加えられた部分で、書き方に違いがあるのがただ一つ気になる点です。読み進めていくと突然文章の構成が変わってしまい、ちょっと戸惑ってしまうかもしれません。ですが、そこを除けば素晴らしい本です。ぜひ一読をお勧めします。