序章 問題の構図
現代日本における死の困難
家と無縁仏
現代社会における死=わたしの死
第一章 共同体における死
比較についての予備的考察
花の別れ-共同体における死
第二章 系譜の連続性の中の死
東南中国の死の儀礼
祖先祭祀と風水思想
第三章 かけがえない個人の死
現代アメリカの死の儀礼
かけがえない個人の死
第四章 我々の一員の死
現代日本の先祖祭祀
現代日本の新しい死の儀礼
第五章 四つの死の姿の比較
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死の文化の比較社会学: 「わたしの死」の成立 単行本 – 2006/7/1
- 本の長さ270ページ
- 言語日本語
- 出版社梓出版社
- 発売日2006/7/1
- ISBN-104872622200
- ISBN-13978-4872622201
登録情報
- 出版社 : 梓出版社 (2006/7/1)
- 発売日 : 2006/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 270ページ
- ISBN-10 : 4872622200
- ISBN-13 : 978-4872622201
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,523,097位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年5月7日に日本でレビュー済み
現代日本人の死をめぐる意識、そして「わたしの死」をめぐる困難な状況について、社会学的に考察した本です。見田宗介先生のお弟子さんということで、例の「比較社会学」の技法が駆使されています。
文化人類学の知見や近年のアメリカにおける葬儀事情を参照しながら、著者は、共同体的なくり返される死の受容の仕方や、立派に生き死ねば先祖のタテの流れにつながるという東アジア的な死生観、個人が自己の死を設計し演出するという米国流の現代的なスタイルなどを紹介し分析し、これとの対比で現代日本における「わたしの死」の特質をきわだたせていきます。私達がとらわれている社会意識を、時代・地域的な比較を通して相対化しつつ、その実態の本質に迫る、というわけです。
現代日本人は、自由意志と選択が権利としえありまた規範でもある都市生活の中で、自分の死のかたちを自己決定することを許されつつ、しかし単に「自分らしく」ひとりで死んでいくことを恐れます。これはかつての「家」的な、「無縁」に対する恐怖感の残存であるようです。そこで、この自由な「わたしの死」を、なおも受け入れ肯定してくれる〈我々〉を求め、新しいかたちの葬祭互助会(「もやいの会」など)という文化を協働で創出しています。そうした、現代人の行動をめぐる今日的な微妙な感情についての微細な解釈を、著者は提出していきます。
まあ、先端的な事例を拾い上げて社会学的な理論で武装した思考を展開した、拡大解釈にすぎる議論ではないのか、著者が強調しすぎるほどに抜本的な社会意識(感覚)の変化が本当に起きているのか?という疑念も少なからずありますが、しかし、死をめぐる意識について理論的に考えた作品として、一読してみる価値は間違いなくあると思います。
文化人類学の知見や近年のアメリカにおける葬儀事情を参照しながら、著者は、共同体的なくり返される死の受容の仕方や、立派に生き死ねば先祖のタテの流れにつながるという東アジア的な死生観、個人が自己の死を設計し演出するという米国流の現代的なスタイルなどを紹介し分析し、これとの対比で現代日本における「わたしの死」の特質をきわだたせていきます。私達がとらわれている社会意識を、時代・地域的な比較を通して相対化しつつ、その実態の本質に迫る、というわけです。
現代日本人は、自由意志と選択が権利としえありまた規範でもある都市生活の中で、自分の死のかたちを自己決定することを許されつつ、しかし単に「自分らしく」ひとりで死んでいくことを恐れます。これはかつての「家」的な、「無縁」に対する恐怖感の残存であるようです。そこで、この自由な「わたしの死」を、なおも受け入れ肯定してくれる〈我々〉を求め、新しいかたちの葬祭互助会(「もやいの会」など)という文化を協働で創出しています。そうした、現代人の行動をめぐる今日的な微妙な感情についての微細な解釈を、著者は提出していきます。
まあ、先端的な事例を拾い上げて社会学的な理論で武装した思考を展開した、拡大解釈にすぎる議論ではないのか、著者が強調しすぎるほどに抜本的な社会意識(感覚)の変化が本当に起きているのか?という疑念も少なからずありますが、しかし、死をめぐる意識について理論的に考えた作品として、一読してみる価値は間違いなくあると思います。