龍樹の『中論』を読みたいのであれば、この本は全くの役に立たないだろう。
邦訳としてかなりの数の間違いが含まれているので、学生が参考文献として使うには適さないと思う。
しかし、真面目にサンスクリットの原典と邦訳、品詞分解を見比べるなどという行為は一般読者にとってほぼ無意味な事なのでこの本の価値自体があまり無いとも言える。
訳者の独自の解釈というよりも、思想だろうか、それを知りたいならば読んでもいいかもしれない。
客観的な訳があるかどうか?確かにそれは問題としてあるだろうが、それがすぐさま、好きに読んでいいということを意味しないと思う。
確かに、多くある『中論』関係の本も訳も難しい部分が多い。しかし、単純に読みこなしやすく、単純に分かりやすくするだけでは伝わらないものが『中論』にはあると思う。分けないのだから、分からないもの仕方ない、そういう微妙なバランスの上で成り立つものだと思う。
邦訳の『中論』を読みたいならば、手に入りやすいものならば、中村先生の『龍樹』や三枝先生の訳もあります。そのあたりを読んだ方がいい。しっかりとした研究を土台にしておられるし、中村先生はそのうえで一般の方にもできるだけ読みやすいものを心掛けておられます。
そもそも個々の単語の品詞分解に明らかな間違いが多い。プラス何所から持ってきたのかわからない訳語も多い。
しかし、一般的ではないサンスクリット語の本文に対して、すべての偈に品詞分解をつけているのは、例えそれが正確と言えなくても試みとして評価できるので+1です。
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中論 改訂版 単行本 – 2006/6/1
- 本の長さ547ページ
- 言語日本語
- 出版社金沢文庫
- 発売日2006/6/1
- ISBN-104873391172
- ISBN-13978-4873391175
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登録情報
- 出版社 : 金沢文庫 (2006/6/1)
- 発売日 : 2006/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 547ページ
- ISBN-10 : 4873391172
- ISBN-13 : 978-4873391175
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,125,120位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2014年4月17日に日本でレビュー済み
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おそらく、中論は、マインドを停止させるための方便とは思うのだが、この中嶋先生の訳はさーって読める。
分厚いけど、他の本と違うので価値はある。とになく、ただただ事実をみていくという姿勢、それは禅の姿勢でも
あるが、それと中論が通じることを、この訳で感じる。
分厚いけど、他の本と違うので価値はある。とになく、ただただ事実をみていくという姿勢、それは禅の姿勢でも
あるが、それと中論が通じることを、この訳で感じる。
2009年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
西嶋老師によるサンスクリット原典からの翻訳。インド仏教哲学の権威中村元先生の有名な翻訳と全く異なる翻訳であるが、どちらが正しい訳なのか私にはわからない。ただ、竜樹尊師は”言語によって表現されたものはすべて偽りだ”という言語不信のラジカルな思想の持ち主であったことは確かで、その意味から禅体験をもとに翻訳された西嶋老師の訳の方が、私には自然な訳に思われます。正統的な否定の論理(空の論理)の展開と捉えるのは余りに”論理的”すぎるのではないだろうか。この本は改訳であるが、老師の元の訳より格段に理解しやすくなったように思われます。
2018年7月27日に日本でレビュー済み
非仏教者のインテリが頭だけで中論を訳するとこうなるのかという、非常に興味深い文章が読めます。
ダライ・ラマが解説する中論入門の本と読み比べるととても面白いです。
ダライ・ラマが解説する中論入門の本と読み比べるととても面白いです。
2011年10月3日に日本でレビュー済み
この本の構成は、原文→サンスクリット単語の解説→和訳(翻訳)→解説、となっている。 サンスクリット単語の解説があるので、和訳がどのように意訳されているのかわかる。
訳としてわかりにくい、というより、中論の思想自体がわかりにくい。なぜ分かりにくいか。それは、龍樹がこれでもかと悟りを促すからである。わかりにくい文を続けて、読み手がどういう意味かと考えはじめれば、悟らぬか悟らぬかと龍樹が促すのである。
分かりやすくしてくれ、という要求は、あまりに現代資本主義的にすぎる。仏教は消費ではないぞ。悟りは何億円積んでも惜しくないぞ。無論、金に功徳はないが。消費者根性を絶たないと、龍樹は振り向いてもくれまい。
しかしながら、訳者も老婆心にすぎる。訳文とほぼ同じ解説をつけるなら、つけぬほうがよい。「自律神経」という訳語はお節介だ。少しは読者に労をとらしたらどうだろうか。
訳としてわかりにくい、というより、中論の思想自体がわかりにくい。なぜ分かりにくいか。それは、龍樹がこれでもかと悟りを促すからである。わかりにくい文を続けて、読み手がどういう意味かと考えはじめれば、悟らぬか悟らぬかと龍樹が促すのである。
分かりやすくしてくれ、という要求は、あまりに現代資本主義的にすぎる。仏教は消費ではないぞ。悟りは何億円積んでも惜しくないぞ。無論、金に功徳はないが。消費者根性を絶たないと、龍樹は振り向いてもくれまい。
しかしながら、訳者も老婆心にすぎる。訳文とほぼ同じ解説をつけるなら、つけぬほうがよい。「自律神経」という訳語はお節介だ。少しは読者に労をとらしたらどうだろうか。