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学校が自由になる日 単行本 – 2002/10/1
宮台 真司
(著)
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社雲母書房
- 発売日2002/10/1
- ISBN-104876721041
- ISBN-13978-4876721047
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「理不尽さ」に覆われた学校システムと、学校共同体主義者による見えざる内面支配を解除し、自由な学校・自由な社会を実現するためのプログラムを大胆に提案する。「リベラリズム教育論」の決定版。
登録情報
- 出版社 : 雲母書房 (2002/10/1)
- 発売日 : 2002/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 333ページ
- ISBN-10 : 4876721041
- ISBN-13 : 978-4876721047
- Amazon 売れ筋ランキング: - 483,839位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1959年、宮城県生まれ。
社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『中学生からの愛の授業』(コアマガジン)『<世界>はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)、『制服少女たちの選択』(朝日文庫)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)など多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
藤井氏、内藤氏の本は他にも知っていたが、宮台氏は初めて。なかなかの人だと思う。ただ暴漢に襲われたり、女性との問題もあるので少し注意人物かなと思っている。でも現在の教育を考えるときの十分な資料になる本である。
2014年6月22日に日本でレビュー済み
本書を一言で表現するのは難しいが、あえて言えば、「リベラリストの
立場」(p. 3)から、現在の日本の学校が抱える問題点を縦横無尽に
語った本と言えるだろう。
本書の構成は、宮台真司氏の単著による章もあれば、内藤朝雄氏に
よる単著もあれば、宮台氏と藤井氏の対談や宮台氏と内藤氏の対談
もあれば、宮台氏、内藤氏、藤井氏による鼎談もある。そして、一部は
どうも講演会で話した内容をまとめたらしく、会場の聴衆と思われる方
からの質問も書かれている。
このような本書の体裁が(まえがきなどで書かれていることが多いだろ
うが)特に断りもなくとられていることが示すような、内容自体も宮台氏
の本らしく縦横無尽に歯に衣着せぬ筆致である。
確かに、内藤氏が冷静に分析しているように、いじめの多くが「理不尽」
な学校教育システムがもたらしている要因は大きく、現状の学校教育を
考える上での考慮すべきポイントを与えてくれている。また、3人でトーン
の違いはあるものの、全体としては「リベラリズム教育論」の方向性を示
し、教育関係者には関心のある内容であることは間違いない。
ただ、やはり有識者として健全な議論を進めるためにも、宮台氏の「口」
の悪さは読んでいて気持ちがいいものではなかった(そこが宮台氏の特長
であり支持している人が多い一因なのかもしれないが)。特に、最終章の
佐藤学氏に対する批判は、「佐藤学ごときは、これで学問をやっている
つもりなのかと驚きを禁じ得ないほどの無教養さ」(p. 298)等の文言は、
一社会人としての良識を疑うほどのものである。
その意味でも、読了後に宮台氏の強烈な印象が残る本でもある。
立場」(p. 3)から、現在の日本の学校が抱える問題点を縦横無尽に
語った本と言えるだろう。
本書の構成は、宮台真司氏の単著による章もあれば、内藤朝雄氏に
よる単著もあれば、宮台氏と藤井氏の対談や宮台氏と内藤氏の対談
もあれば、宮台氏、内藤氏、藤井氏による鼎談もある。そして、一部は
どうも講演会で話した内容をまとめたらしく、会場の聴衆と思われる方
からの質問も書かれている。
このような本書の体裁が(まえがきなどで書かれていることが多いだろ
うが)特に断りもなくとられていることが示すような、内容自体も宮台氏
の本らしく縦横無尽に歯に衣着せぬ筆致である。
確かに、内藤氏が冷静に分析しているように、いじめの多くが「理不尽」
な学校教育システムがもたらしている要因は大きく、現状の学校教育を
考える上での考慮すべきポイントを与えてくれている。また、3人でトーン
の違いはあるものの、全体としては「リベラリズム教育論」の方向性を示
し、教育関係者には関心のある内容であることは間違いない。
ただ、やはり有識者として健全な議論を進めるためにも、宮台氏の「口」
の悪さは読んでいて気持ちがいいものではなかった(そこが宮台氏の特長
であり支持している人が多い一因なのかもしれないが)。特に、最終章の
佐藤学氏に対する批判は、「佐藤学ごときは、これで学問をやっている
つもりなのかと驚きを禁じ得ないほどの無教養さ」(p. 298)等の文言は、
一社会人としての良識を疑うほどのものである。
その意味でも、読了後に宮台氏の強烈な印象が残る本でもある。
2014年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学校は実に不条理だ。
そこには、「共同体主義」なるものがあり、ローカルルールは法律を凌駕するくらい強烈で、しかも致命的なのだと痛感する。
こういう不条理が平気でまかり通るのはやっぱりおかしいと思うし、
その解決にはもっと学校という場を開いて、普通に司法が通用する場にしなければならないのだとの感想を抱く。
この本の主張は実に良くまとまっているなぁと思うのだが、一方で「当たり前」の主張が多いようにも思った。
逆に言えば、そのような主張がなかなか出来ないことが怖い。
本書の主旨からは離れてしまうが、「学校」という自明のものを疑う著者の姿勢は、他にも応用が効きそうな考え方で参考になった。
また、主張が全体的に断定的で積極的だからこそ、今度は「共同体主義」者の人の書いた教育論にも目を通したいと思ってしまう。
まとまりと拡がりのある良書であると思います。
そこには、「共同体主義」なるものがあり、ローカルルールは法律を凌駕するくらい強烈で、しかも致命的なのだと痛感する。
こういう不条理が平気でまかり通るのはやっぱりおかしいと思うし、
その解決にはもっと学校という場を開いて、普通に司法が通用する場にしなければならないのだとの感想を抱く。
この本の主張は実に良くまとまっているなぁと思うのだが、一方で「当たり前」の主張が多いようにも思った。
逆に言えば、そのような主張がなかなか出来ないことが怖い。
本書の主旨からは離れてしまうが、「学校」という自明のものを疑う著者の姿勢は、他にも応用が効きそうな考え方で参考になった。
また、主張が全体的に断定的で積極的だからこそ、今度は「共同体主義」者の人の書いた教育論にも目を通したいと思ってしまう。
まとまりと拡がりのある良書であると思います。
2013年8月9日に日本でレビュー済み
宮台真司らが教育の問題点、未来の教育はどうあるべきかを議論する。
いじめなどの様々な教育の問題は教育や日本社会が持つ閉鎖性みたいなものに根本的な原因があると言う。学校はどんな子どもも同じカリキュラムや同じルールを強いてそこに選択権はない。そういう場だからこそいじめや学校の隠蔽体質など、その共同体に縛られる故の問題が起きる。
”子どもがいい人生を送れるようにする”のが教育の最終目標だとすると、何が”いい人生”かは個人によって違うはずで、必要な教育も変わってくるはずだ。そう思えるかどうか教育の未来を左右すると感じた。
未来の選択的な教育の形を想像した「学校リベラリスト宣言」は心に残った。
多くの現場の先生に読んでもらいたい一冊。
いじめなどの様々な教育の問題は教育や日本社会が持つ閉鎖性みたいなものに根本的な原因があると言う。学校はどんな子どもも同じカリキュラムや同じルールを強いてそこに選択権はない。そういう場だからこそいじめや学校の隠蔽体質など、その共同体に縛られる故の問題が起きる。
”子どもがいい人生を送れるようにする”のが教育の最終目標だとすると、何が”いい人生”かは個人によって違うはずで、必要な教育も変わってくるはずだ。そう思えるかどうか教育の未来を左右すると感じた。
未来の選択的な教育の形を想像した「学校リベラリスト宣言」は心に残った。
多くの現場の先生に読んでもらいたい一冊。
2015年5月28日に日本でレビュー済み
学校、義務教育、教育行政が問題としない問題について、ジャーナリストの藤井氏が切り込む。
2004年1月25日に日本でレビュー済み
学校に適合できない人が一番きつく感じる言葉は「学校に適合できないようでは、社会に出てから到底やっていけない」ではなかろうかと思う。この言葉によって、いじめられようが、暴力を振るわれようが、恐喝されようが、教員から猥褻行為をされようが、「学校には行かなければならないもの」と自分を縛り、苦しい思いをしている人が、世の中にはどれほどいることだろう。その中で、「学校に適合できない自分は社会に出てからもやっていけない」と思い込み、自ら命を絶つ者も珍しくはないのではないか。
実際はむしろ逆で、学校ほど社会から乖離している場所はない。学校が自ら社会から閉じ、その中で犯罪行為が、人権侵害が見過ごされることが多いのだ。「学校の自治で自立的に解決」などという問題ではない。社会規範から明確に逸脱していることを「学内問題」として扱うことは許されないはずだ。
こういう学校に適合する必要は全くない。異常な空間に適合しすぎることこそ病的なのだ。社会的な規範が通じない空間において不利益を被った場合、その空間の秩序に迎合するのではなく、その空間から逃れることこそ最善の策であろう。
しかし、社会的な風潮の中で、異常な空間から逃げることさえ、禁じられている子どもたちにできることは、「死ぬ」ことしか残されていない。あまりにも不幸なことである。不登校になったら、世間体が悪い、社会に適合できない人間というレッテルを貼られる、進路も不安、などと思い込み、学校から逃げるという選択肢を奪われた子どもは、自ら命を絶つという最悪の選択をする。こういったいたたまれない状態が、今なお放置されている。
本書を読んで、ここに一つの希望があると感じた。私がこれまで述べてきたことを、内藤がより理論的に語っている。藤井の取材が、異常な学校空間を社会的な視線にさらす。宮台の分析によって、学校の変化が必至であることを認識させられる。
実際はむしろ逆で、学校ほど社会から乖離している場所はない。学校が自ら社会から閉じ、その中で犯罪行為が、人権侵害が見過ごされることが多いのだ。「学校の自治で自立的に解決」などという問題ではない。社会規範から明確に逸脱していることを「学内問題」として扱うことは許されないはずだ。
こういう学校に適合する必要は全くない。異常な空間に適合しすぎることこそ病的なのだ。社会的な規範が通じない空間において不利益を被った場合、その空間の秩序に迎合するのではなく、その空間から逃れることこそ最善の策であろう。
しかし、社会的な風潮の中で、異常な空間から逃げることさえ、禁じられている子どもたちにできることは、「死ぬ」ことしか残されていない。あまりにも不幸なことである。不登校になったら、世間体が悪い、社会に適合できない人間というレッテルを貼られる、進路も不安、などと思い込み、学校から逃げるという選択肢を奪われた子どもは、自ら命を絶つという最悪の選択をする。こういったいたたまれない状態が、今なお放置されている。
本書を読んで、ここに一つの希望があると感じた。私がこれまで述べてきたことを、内藤がより理論的に語っている。藤井の取材が、異常な学校空間を社会的な視線にさらす。宮台の分析によって、学校の変化が必至であることを認識させられる。
2002年11月16日に日本でレビュー済み
評価に非常に迷う本です。
教育を語る言説がちまたに溢れていますが、それはみな、各人勝手に
自分の理想を言っているだけのように思えます。
現実にいまの教育現場、教育システムがどのようになっていて、文科省の
改革がこれをどの方向に持って行こうとしているのか、まったく分からない
のが実際です。
これも、そんな「理想論」のひとつである危険性があります。
でも、僕にとっては甘いにおいのする、是非とも信じたくなるような
そんな「理想論」なんですよねー。どーしましょ(笑)。
教育を語る言説がちまたに溢れていますが、それはみな、各人勝手に
自分の理想を言っているだけのように思えます。
現実にいまの教育現場、教育システムがどのようになっていて、文科省の
改革がこれをどの方向に持って行こうとしているのか、まったく分からない
のが実際です。
これも、そんな「理想論」のひとつである危険性があります。
でも、僕にとっては甘いにおいのする、是非とも信じたくなるような
そんな「理想論」なんですよねー。どーしましょ(笑)。