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モノやお金がなくても、豊かに暮らせる。―もたない贅沢がいちばん 単行本(ソフトカバー) – 2015/12/24
「楽しみに金のかからない人間が一番裕福なんだ」
モノを持たず、お金を使わなくても、豊かに暮らせる110の方法
・必要最小限のモノと暮らす。
・服は直しながら着る
・古着を美しく見せる
・服は厚手のモノを選ぶ
・荷物を軽くする
・自分にシャツを一枚買ってやる
・ゆっくり作ると長持ちする
・やせた土地で暮らす
・仕事を細かくしない
・たくさんの人とは会わない
・美しい絵は買わない
・自分自身を旅する
2年間、丸太小屋をつくって自給自足の生活をしたソローの『森の生活』に学ぶ「シンプルライフの極意」。
「ここにあるのは、今日から実践できるメッセージばかり。
「ミニマムに生きる効果」が書かれている。
ソローの言葉が教えてくれるのは、とてもシンプルで大切なこと。
年月を重ねるごとに、どんどん新しくなってきている。」
モノを持たず、お金を使わなくても、豊かに暮らせる110の方法
・必要最小限のモノと暮らす。
・服は直しながら着る
・古着を美しく見せる
・服は厚手のモノを選ぶ
・荷物を軽くする
・自分にシャツを一枚買ってやる
・ゆっくり作ると長持ちする
・やせた土地で暮らす
・仕事を細かくしない
・たくさんの人とは会わない
・美しい絵は買わない
・自分自身を旅する
2年間、丸太小屋をつくって自給自足の生活をしたソローの『森の生活』に学ぶ「シンプルライフの極意」。
「ここにあるのは、今日から実践できるメッセージばかり。
「ミニマムに生きる効果」が書かれている。
ソローの言葉が教えてくれるのは、とてもシンプルで大切なこと。
年月を重ねるごとに、どんどん新しくなってきている。」
- 本の長さ290ページ
- 言語日本語
- 出版社興陽館
- 発売日2015/12/24
- ISBN-10487723196X
- ISBN-13978-4877231965
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商品の説明
著者について
神戸女学院大学文学部英文学科卒業。奈良県在住。
訳書に、絵本『3にんの おひめさま』(フレーベル館)、シンプルライフをテーマとしたエッセイ『スマートサイジング』(駒草出版)などがある。
訳書に、絵本『3にんの おひめさま』(フレーベル館)、シンプルライフをテーマとしたエッセイ『スマートサイジング』(駒草出版)などがある。
登録情報
- 出版社 : 興陽館 (2015/12/24)
- 発売日 : 2015/12/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 290ページ
- ISBN-10 : 487723196X
- ISBN-13 : 978-4877231965
- Amazon 売れ筋ランキング: - 116,979位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 231位シンプルライフ
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
優しくてなんだか勇気が湧いてくる本でした。ソローの著書を読んでみようと思います。ありがとうございました。
2021年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自由を求めて、自給自足の生活をしていたソロー氏の考えがわかる本。
禅に通じる部分もあるのかなと思える内容。
禅に通じる部分もあるのかなと思える内容。
2016年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書いてあるソロー氏の文章自体はとても参考になるのですが…どうにも散文的で、まとめサイトを読んでいるような感覚になり、ちょっと値段は高いかな〜…というのが正直なところです。
でも、自分の消費依存ぶりを振り返れるという長所はあります。ときおり読み返したいです。
でも、自分の消費依存ぶりを振り返れるという長所はあります。ときおり読み返したいです。
2016年5月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読んで物に対する考えと選ぶ物の選択肢が変わりました。よい本です。
2016年8月14日に日本でレビュー済み
作者は能力の高い人だと思う。
同じ生活が出来るほどの能力を持っている人はそんなにいないのではなかろうか。
それにそんなにその生活に満足していたのに、なぜ二年半しかしなかったのだろう。
ライフスタイルというのは一生涯継続してこそやりきったといえるのではないか。
その辺りが少々引っ掛かる。
一年で六週間働けば生活できると書いてあるが、二年半しか続けてない。
が、本質をついた生活理論は読みごたえある。
つまりエコノミストというよりはベストセラー作家なんだろう。
整理整頓や掃除の本は色々出ているが、この本を読めば美しく住まう方法が一発でわかる。
普通にお金を稼ぎながら、マンション住まいで可能な範囲で取り入れていきたいと思う。
追記:文中に綴られる自然の描写が秀逸で涙を流すことも出来る。
同じ生活が出来るほどの能力を持っている人はそんなにいないのではなかろうか。
それにそんなにその生活に満足していたのに、なぜ二年半しかしなかったのだろう。
ライフスタイルというのは一生涯継続してこそやりきったといえるのではないか。
その辺りが少々引っ掛かる。
一年で六週間働けば生活できると書いてあるが、二年半しか続けてない。
が、本質をついた生活理論は読みごたえある。
つまりエコノミストというよりはベストセラー作家なんだろう。
整理整頓や掃除の本は色々出ているが、この本を読めば美しく住まう方法が一発でわかる。
普通にお金を稼ぎながら、マンション住まいで可能な範囲で取り入れていきたいと思う。
追記:文中に綴られる自然の描写が秀逸で涙を流すことも出来る。
2019年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
徒然草を連想させる内容でした。古今東西、人の考え、感じ方には変わらないものがあるんでしょうね。次から次へと出版される本を読むよりかは、現在に残る古典を読んだ方が実りが多いと思います。
2018年6月21日に日本でレビュー済み
美しい本。
子守唄のように森の情景が浮かびました。
何度も読みたいと思います。
子守唄のように森の情景が浮かびました。
何度も読みたいと思います。
2018年4月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず、校正に関して。文章を非常に愛したソローに関する著述としては、非常にお粗末。
(124P)自ら建てた清潔の家→清潔な家
(169P)ネット上で発進する→発信する
(226P)修理を出した靴を→修理に出した
この方は「著述業」をされているのだろうが、出版社の方含め、とてもプロとは言えないレベルではないか。昨今では珍しいレベルの低さ。とても「もの書き」とは名刺に書けないだろう。
次にソローの著述からの抜粋が本書の骨格だが、そのセレクトがうまく言えないが偏っている気がする。ソローの一部だけを切り取った感じで、全体像がつかめない構成なので、これではソローがただの変り者扱いとなってしまう印象で、不快。もうすこしやりようがあったのではないか。
なにか急いで、片手間につくった感がある。ソローのライフスタイルの延長では、こういうことはありえないのではないか。
また、昨今のミニマリストですか、その方とソローの実践には、なにか小生は違和感を覚える。机上の文鎮代わりの石すらシンプルになるために窓から捨てたソローと、大量の蔵書や音楽、映像プログラムを、デジタルデバイスでデスクトップに収録しているそれでは(どちらがいい、悪い、の話でなく)、立ち位置が、その主軸が、最初からずれているのだと思う。スタートラインの違いというか。
例えばだがターシャ・チューダーさんとソロー、それぞれのライフスタイルを同じものと扱うのも、違うと思う。ターシャさんを批判するのではない。ターシャさんの人形作成などは本当に素晴らしいと思うが、ハーバード出のインテリであり、社会実験として「森の生活」を行ったソローと、19世紀的な電気がない生活を楽しんだターシャさんでは、スタートラインが違うことを明記したい。
「もし現代にソローが生きていたら」ターシャさんとは違うライフスタイルだったと思う。重ねて言うが、ターシャさんがインテリでないうんぬんの批判を言いたいのではない。ターシャさんの哲学も素晴らしいし、小生も部分部分だが参考しているところはもちろんあるし、影響も受けている。
ソロー兄貴の「ウォールデンで書かれた生活」を「現代では無理」と書かれている方が多いように見受けられるが、そのまま実践することはそんなに意味がないと思う。現代の日本で、そういった冒険をされている素晴らしい方がおり、著作としてもそちらをお勧めする。
山梨県の金峰山のふもとに住まれている田淵義雄さんは、ソローヴィアンであり、サステーナブルヘドニスト(持続的快楽主義者)でもある。田淵さんが書かれていたが、「ソローはスタイリッシュな男だった」と、後記するニコルさんも泊まられたと思われる復元された森の小屋を実際に見てきた方の見方がある。
ソローは調理用の熱源と、暖炉を双方、使っていた。これはミニマリストとは違うと思う。僕はソロー兄貴の立ち位置をとる。
ここから、小生は「ソロー兄貴も、当時、いろいろ悩んで、試行錯誤し思考実験を行ったひとりの(当時の)現代人だったのだ」と感じるのだ。ものすごい孤高の変りものではない、変りものではあるが温かい友人たりえた実は社交的な隣人だったと思いたい。
そのようなソロー兄貴の全体像とその後継者については、「森の生活 簡素な生活 高き想い」上岡克己著 旺史社に、短めながら非常に感銘を受ける素晴らしい文章でまとめられている。
「なぜソローがたった2年2か月で森の生活を終わらせたか」についても、もっとも納得のいく回答がそこにある。また、「ウォールデン」以外の、ソロー兄貴を構成する素晴らしい要素もそこに紹介されている。「ウォールデン」はあくまでソロー兄貴の一部であったことを知ったのもこの本だった。
ソロー自身も、彼のお兄さんも、現代の視点では短命にその生涯を終えた。当時はそういう時代だったのだろう。
飛躍するが戦争当時の残虐行為を、現代の視点で非難することは実に簡単だが、「(大東亜戦争や中国戦線で)身内のひとりも戦死していないようでは、肩身がせまかった」と瀬戸内寂聴さんが何かで語られていたが、そういった時代時代の空気や状況を知らないと、偏った見方になってしまうと思う。
そういうことを知るためにも、活字がある。デジタル媒体ではない、文字媒体で残すべきだと小生は考える。
田淵さんのソロー兄貴への温かいそして敬愛のまなざしは、その著述からあふれて出ているし、田淵さんの実践も素晴らしい。田淵さんも机上にMACを置いておられるようでそれを非難するつもりもない。田淵さんに関して特筆すべきは、薪ストーブの普及に関して、多大の影響力を持たれたことだ。我が国での薪ストーブ文化の隆盛に非常に尽くされている方だと思う。
ニコル兄貴がNHK(だったか)のドキュメンタリーで、ウォールデン湖近くで復元されているソローの森の小屋で、一晩を過ごす(もちろん番組の構成上の特別な宿泊行為)映像でも、たしかに調理用のコンロと、他に暖炉があった。
ニックさんから直に聞いたが、あの一晩は本当に素晴らしい体験だったそう。
ソロー兄貴は、ただの修行僧のような、ただの偏屈ではなかったと思う。そこに小生は無限の可能性と愛を覚える。重ねて書くが、よくいうミニマリストとは、ソローのライフスタイルはやはり違うと思う。
春の今、ソロー兄貴もそうしたであろう、薪積みを小生もしているところです。そしてソロー兄貴もそうしたように、薪の山をうっとり眺めるだろう。決して、現代ではソロー兄貴の生活は「無理」ではない。変りもののよき隣人として、ソロー兄貴はいつもそばにいる。
(124P)自ら建てた清潔の家→清潔な家
(169P)ネット上で発進する→発信する
(226P)修理を出した靴を→修理に出した
この方は「著述業」をされているのだろうが、出版社の方含め、とてもプロとは言えないレベルではないか。昨今では珍しいレベルの低さ。とても「もの書き」とは名刺に書けないだろう。
次にソローの著述からの抜粋が本書の骨格だが、そのセレクトがうまく言えないが偏っている気がする。ソローの一部だけを切り取った感じで、全体像がつかめない構成なので、これではソローがただの変り者扱いとなってしまう印象で、不快。もうすこしやりようがあったのではないか。
なにか急いで、片手間につくった感がある。ソローのライフスタイルの延長では、こういうことはありえないのではないか。
また、昨今のミニマリストですか、その方とソローの実践には、なにか小生は違和感を覚える。机上の文鎮代わりの石すらシンプルになるために窓から捨てたソローと、大量の蔵書や音楽、映像プログラムを、デジタルデバイスでデスクトップに収録しているそれでは(どちらがいい、悪い、の話でなく)、立ち位置が、その主軸が、最初からずれているのだと思う。スタートラインの違いというか。
例えばだがターシャ・チューダーさんとソロー、それぞれのライフスタイルを同じものと扱うのも、違うと思う。ターシャさんを批判するのではない。ターシャさんの人形作成などは本当に素晴らしいと思うが、ハーバード出のインテリであり、社会実験として「森の生活」を行ったソローと、19世紀的な電気がない生活を楽しんだターシャさんでは、スタートラインが違うことを明記したい。
「もし現代にソローが生きていたら」ターシャさんとは違うライフスタイルだったと思う。重ねて言うが、ターシャさんがインテリでないうんぬんの批判を言いたいのではない。ターシャさんの哲学も素晴らしいし、小生も部分部分だが参考しているところはもちろんあるし、影響も受けている。
ソロー兄貴の「ウォールデンで書かれた生活」を「現代では無理」と書かれている方が多いように見受けられるが、そのまま実践することはそんなに意味がないと思う。現代の日本で、そういった冒険をされている素晴らしい方がおり、著作としてもそちらをお勧めする。
山梨県の金峰山のふもとに住まれている田淵義雄さんは、ソローヴィアンであり、サステーナブルヘドニスト(持続的快楽主義者)でもある。田淵さんが書かれていたが、「ソローはスタイリッシュな男だった」と、後記するニコルさんも泊まられたと思われる復元された森の小屋を実際に見てきた方の見方がある。
ソローは調理用の熱源と、暖炉を双方、使っていた。これはミニマリストとは違うと思う。僕はソロー兄貴の立ち位置をとる。
ここから、小生は「ソロー兄貴も、当時、いろいろ悩んで、試行錯誤し思考実験を行ったひとりの(当時の)現代人だったのだ」と感じるのだ。ものすごい孤高の変りものではない、変りものではあるが温かい友人たりえた実は社交的な隣人だったと思いたい。
そのようなソロー兄貴の全体像とその後継者については、「森の生活 簡素な生活 高き想い」上岡克己著 旺史社に、短めながら非常に感銘を受ける素晴らしい文章でまとめられている。
「なぜソローがたった2年2か月で森の生活を終わらせたか」についても、もっとも納得のいく回答がそこにある。また、「ウォールデン」以外の、ソロー兄貴を構成する素晴らしい要素もそこに紹介されている。「ウォールデン」はあくまでソロー兄貴の一部であったことを知ったのもこの本だった。
ソロー自身も、彼のお兄さんも、現代の視点では短命にその生涯を終えた。当時はそういう時代だったのだろう。
飛躍するが戦争当時の残虐行為を、現代の視点で非難することは実に簡単だが、「(大東亜戦争や中国戦線で)身内のひとりも戦死していないようでは、肩身がせまかった」と瀬戸内寂聴さんが何かで語られていたが、そういった時代時代の空気や状況を知らないと、偏った見方になってしまうと思う。
そういうことを知るためにも、活字がある。デジタル媒体ではない、文字媒体で残すべきだと小生は考える。
田淵さんのソロー兄貴への温かいそして敬愛のまなざしは、その著述からあふれて出ているし、田淵さんの実践も素晴らしい。田淵さんも机上にMACを置いておられるようでそれを非難するつもりもない。田淵さんに関して特筆すべきは、薪ストーブの普及に関して、多大の影響力を持たれたことだ。我が国での薪ストーブ文化の隆盛に非常に尽くされている方だと思う。
ニコル兄貴がNHK(だったか)のドキュメンタリーで、ウォールデン湖近くで復元されているソローの森の小屋で、一晩を過ごす(もちろん番組の構成上の特別な宿泊行為)映像でも、たしかに調理用のコンロと、他に暖炉があった。
ニックさんから直に聞いたが、あの一晩は本当に素晴らしい体験だったそう。
ソロー兄貴は、ただの修行僧のような、ただの偏屈ではなかったと思う。そこに小生は無限の可能性と愛を覚える。重ねて書くが、よくいうミニマリストとは、ソローのライフスタイルはやはり違うと思う。
春の今、ソロー兄貴もそうしたであろう、薪積みを小生もしているところです。そしてソロー兄貴もそうしたように、薪の山をうっとり眺めるだろう。決して、現代ではソロー兄貴の生活は「無理」ではない。変りもののよき隣人として、ソロー兄貴はいつもそばにいる。