読んでないのに レビューっていうのもおかしな話だが 兎に角再版してもらいたい
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トニー谷、ざんす (幻冬舎アウトロー文庫 O 49-1) 文庫 – 1999/12/1
村松 友視
(著)
「戦後」そのものの嘘くささや胡散くささを自ら身にまとい、時代の空気を嘲笑うようにして登場した不世出のボードビリアン、トニー谷。その奇抜な生涯を克明に浮かび上がらせる。
- 本の長さ275ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日1999/12/1
- ISBN-104877288252
- ISBN-13978-4877288259
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登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (1999/12/1)
- 発売日 : 1999/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 275ページ
- ISBN-10 : 4877288252
- ISBN-13 : 978-4877288259
- Amazon 売れ筋ランキング: - 452,186位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 191位幻冬舎アウトロー文庫
- - 489位落語・寄席・演芸 (本)
- - 2,303位演劇 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
トニー谷と言えばキザでイヤミでオゲレツなキャラで一世を風靡したボードビリアンだが、当時の芸人として芸風を楽屋、一般人相手にまで貫徹したため、皆からそういう人間だと思われ嫌われた。のちの愛児誘拐事件の遠因ともなっている。もともとが戦後の日本人の自虐を出発点とする彼の芸風は徹底的に自己を否定、嫌悪の対象とすることで成立すると考えていたようで、そうしなければ人気を保てないという決意だったろう。果たして昭和30年の誘拐事件によって彼の子煩悩な素顔や辛酸に満ちた生い立ちが暴露されると却って人気は急落した。「もはや戦後ではない」という昭和31年の流行語が彼の芸の終焉を告げていたともいえる。
その後の彼の素顔をうかがわせる番組はラジオの「天晴れ風来坊」や「トニーの童話」だ。特に前者は「寅さん」とチャップリンの「キッド」と「母を訪ねて三千里」を合わせてミュージカルにしたような連続放送劇で、子供好きで優しく情に厚い行商人を演じていた彼のラジオドラマ代表作だろう。また後者はこれも子供向けの優しい童話を読み聞かせる番組だった。表看板の顔からすると信じ難いが、これが彼の素顔でなくてはこんな演技ができるはずはない。このような番組は録音や台本すら残っておらず完全に忘れ去られたろうが、トニー谷の人物を語るにはこの辺についてももっと取り上げる必要があったと思う。単に落ち目だったのでこういうものにも手を出したという片付け方は正しくない。また投獄された愛児誘拐犯の家族に密かに仕送りをしていたことも生前は知られなかったエピソードだ。
しかし彼はその後も嫌味と毒気を舞台外まで貫いた。テレビで一時復活するが、彼の芸風はもはや戦後ではなくなった日本ではそれほど長くは受け入れられなかった。
その後の彼の素顔をうかがわせる番組はラジオの「天晴れ風来坊」や「トニーの童話」だ。特に前者は「寅さん」とチャップリンの「キッド」と「母を訪ねて三千里」を合わせてミュージカルにしたような連続放送劇で、子供好きで優しく情に厚い行商人を演じていた彼のラジオドラマ代表作だろう。また後者はこれも子供向けの優しい童話を読み聞かせる番組だった。表看板の顔からすると信じ難いが、これが彼の素顔でなくてはこんな演技ができるはずはない。このような番組は録音や台本すら残っておらず完全に忘れ去られたろうが、トニー谷の人物を語るにはこの辺についてももっと取り上げる必要があったと思う。単に落ち目だったのでこういうものにも手を出したという片付け方は正しくない。また投獄された愛児誘拐犯の家族に密かに仕送りをしていたことも生前は知られなかったエピソードだ。
しかし彼はその後も嫌味と毒気を舞台外まで貫いた。テレビで一時復活するが、彼の芸風はもはや戦後ではなくなった日本ではそれほど長くは受け入れられなかった。
2013年3月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
さすが村松さん、トニー谷大先生の人生の裏側まで十分取材されていると感服いたしました。
現代に蘇る「二代目トニー谷」が出てきてほしいなぁと切望いたします!!!
現代に蘇る「二代目トニー谷」が出てきてほしいなぁと切望いたします!!!
2017年2月15日に日本でレビュー済み
会社員が若い時は安く働き、実績を認められ年齢ともに給料がアップする。芸人が師匠の所に弟子入りすると低収入と師匠の小言理不尽にも耐え我慢し生き残った者が大成する。それが普通の日本人の生きる道だった。トニー谷が、そうならなかったのは、複雑な家族で育ったからだっただろう。再婚などで、実父、実母の組み合わせがほとんど違う兄弟に育ち、十分な愛情を得ることができず、自分のからにこもり、愛想もなくなく生活するのが楽だった。兵隊で中国等あちこちに行き
日本に帰れば金の値打ちも激変しており、米国の駐留軍のボーイをしながら片言会話が巧みになり、英語で冗談言えるほどになった。ジャズ音楽の司会者から、劇場の司会者までだんだん売れて来た。そこに昔の戦友やら、親しくしていない実家が現れ金銭の援助を言ってきた。それはよくある話であるが、きっぱりと絶縁錠を書き、そればかりか自分の過去をぼかしたり改変して書いたりしてまで過去との絶縁をしようとしたらしい。そのため、本当の半生がどうだったか大変分かりにくくなってしまった。芸の道でも自己流で、先輩に対する後輩に対するマナ―は無視で、自分の好みは遠慮なくしゃべったので、やりにくい男と、嫌われたのだ。酒は飲まないが、好色で、それも金は惜しんで安いところばかりにしたらしい。家族だけは宝物のようにした。芸の材料は当時5円の新聞であらゆる新聞からネタを探しノートに書き込んだ。舞台の司会では同じことばかりしゃべったが、空気を察知して絶妙のアドリブを飛ばしたのである。ソロバン芸は発明したのではなく元祖がいて芸を取られたと怒っていた。ラジオや舞台ではよくてもテレビ時代は人気が下降してしまった。謎の多い芸人の最初から終りまでを追った他にはない記録本でたいへん面白い。
日本に帰れば金の値打ちも激変しており、米国の駐留軍のボーイをしながら片言会話が巧みになり、英語で冗談言えるほどになった。ジャズ音楽の司会者から、劇場の司会者までだんだん売れて来た。そこに昔の戦友やら、親しくしていない実家が現れ金銭の援助を言ってきた。それはよくある話であるが、きっぱりと絶縁錠を書き、そればかりか自分の過去をぼかしたり改変して書いたりしてまで過去との絶縁をしようとしたらしい。そのため、本当の半生がどうだったか大変分かりにくくなってしまった。芸の道でも自己流で、先輩に対する後輩に対するマナ―は無視で、自分の好みは遠慮なくしゃべったので、やりにくい男と、嫌われたのだ。酒は飲まないが、好色で、それも金は惜しんで安いところばかりにしたらしい。家族だけは宝物のようにした。芸の材料は当時5円の新聞であらゆる新聞からネタを探しノートに書き込んだ。舞台の司会では同じことばかりしゃべったが、空気を察知して絶妙のアドリブを飛ばしたのである。ソロバン芸は発明したのではなく元祖がいて芸を取られたと怒っていた。ラジオや舞台ではよくてもテレビ時代は人気が下降してしまった。謎の多い芸人の最初から終りまでを追った他にはない記録本でたいへん面白い。
2023年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私が買った時も残り1点でした。常に残り1点なのヤバすぎるだろ。どうなってんだ発送元は。星マイナス10。
また、トニー谷の名言集か写真集かと思ってワクワクして読み始めると、知らん人の文才のない駄文が殆どを占めていてクソでした。星マイナス8。
この時点で星マイナス18ですが、トニー谷の貴重な写真や自筆の文が掲載されているため、星プラス20で最終評価とさせて頂きました。
また、トニー谷の名言集か写真集かと思ってワクワクして読み始めると、知らん人の文才のない駄文が殆どを占めていてクソでした。星マイナス8。
この時点で星マイナス18ですが、トニー谷の貴重な写真や自筆の文が掲載されているため、星プラス20で最終評価とさせて頂きました。
2019年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「レディース・アンド・ジェントルメン・アンド・おとっつぁん・おっかさん・オコンバンワ」、「アイ・ブラ・ユー」などのカタコトの英語と日本語をミックスした「トニー・イングリッシュ」で一世を風靡した、エンターテイナー。
オールバックとフォックス型の黒ぶち眼鏡にちょび髭、そして、そろばんをマラカスのように楽器のようにかき鳴らしビッグバンドをバックに、あたかも現代のラップのようにしゃべるように歌うスタイルは、昭和20年代においては、斬新を通り越し奇抜で破天荒、大衆には理解されない変人の様であっただろう。英語は「敵性語」であるとの認識も残る当時にはアンチも多く、自身の芸風が原因で息子が誘拐される事件まで起きてしまう。(マンガ『おそ松くん』では、彼をモデルにしたキャラに「イヤミ」と名付けられ、その名のとおり、いけすかないキャラとして描かれている。)
しかしながら、ここまで人の記憶に残るのはなぜか。
暗い過去を一切隠し(のちにメディアによって暴露される)、自身のイメージを一貫して守り続ろうとした生涯、また、そんな過去を「家庭の事情」という一言に集約し、波乱万丈な人生をトニー・イングリッシュを駆使した自由奔放なエンターテイメントへ昇華させた気概に、戦後を代表するボードビリアンの魂を感じるのかもしれないザンス。
オールバックとフォックス型の黒ぶち眼鏡にちょび髭、そして、そろばんをマラカスのように楽器のようにかき鳴らしビッグバンドをバックに、あたかも現代のラップのようにしゃべるように歌うスタイルは、昭和20年代においては、斬新を通り越し奇抜で破天荒、大衆には理解されない変人の様であっただろう。英語は「敵性語」であるとの認識も残る当時にはアンチも多く、自身の芸風が原因で息子が誘拐される事件まで起きてしまう。(マンガ『おそ松くん』では、彼をモデルにしたキャラに「イヤミ」と名付けられ、その名のとおり、いけすかないキャラとして描かれている。)
しかしながら、ここまで人の記憶に残るのはなぜか。
暗い過去を一切隠し(のちにメディアによって暴露される)、自身のイメージを一貫して守り続ろうとした生涯、また、そんな過去を「家庭の事情」という一言に集約し、波乱万丈な人生をトニー・イングリッシュを駆使した自由奔放なエンターテイメントへ昇華させた気概に、戦後を代表するボードビリアンの魂を感じるのかもしれないザンス。
2012年8月31日に日本でレビュー済み
10年振りに再読。
検索でわかったことを並べても、絶対にこうはならない。
小説家が文芸誌編集で得たジャーナリスティックなセンスを生かすとこうなる、という好例。
敗戦とそれに伴う占領、愛児誘拐事件でマスコミの「市民的良識」を傘に着た袋叩きの標的にされて図らずも見せてしまった時代の寵児・トニーの素顔、そして著者の祖父(戦前の無頼派流行作家)の「トニー谷は品がある」(一般的な認識はトニーならではのアドリブと独創的なセリフ回しに表われているように、下品や低俗の代名詞だった)の一言、このへんがキーワードか。
この一言については謎は明かされずじまいで、読者の判断や想像に委ねられ、余韻を残している。味のある文章もすんなり入って来て読みやすい。
ビートたけしやタモリ、ダウンタウン、巨泉らを束にしても敵わないほどの日本的伝統から切断された、いや、自らの過去を消そうとしたスーパースターがトニー谷であり、彼の全盛期は昭和20年代後半から30年代前半だった。
彼に不向きなTVというメディアを牛耳るスポンサーに見離された後、彼は不幸せであったか?
否! 私見では、不遇ではあっても、断じて不幸せではなかった。
その彼は、石原裕次郎死去の1日前に、妻と娘にだけ看取られて静かに旅立った。
試行錯誤を繰り返しながら自己規定を明確にし、自分を賭ける道を見出し、志半ばで病に斃れたとはいえ、自分の居場所も最後に見つけた。
トニーの抱えていた暗さ、それはとりもなおさず敗戦後の日本人皆が抱えていた暗さであった。
だからこそ時代の仇花としてその評価が愛憎半ばし、気に掛かる「忘れられない」ボードビリアンとなったのではないだろうか?
本書にはそんなトニー谷のポートレートが多く掲載されているが、昭和40年代後半、「勝ち抜きアベック歌合戦」最終回の穏やかな微笑みが印象的だった。
検索でわかったことを並べても、絶対にこうはならない。
小説家が文芸誌編集で得たジャーナリスティックなセンスを生かすとこうなる、という好例。
敗戦とそれに伴う占領、愛児誘拐事件でマスコミの「市民的良識」を傘に着た袋叩きの標的にされて図らずも見せてしまった時代の寵児・トニーの素顔、そして著者の祖父(戦前の無頼派流行作家)の「トニー谷は品がある」(一般的な認識はトニーならではのアドリブと独創的なセリフ回しに表われているように、下品や低俗の代名詞だった)の一言、このへんがキーワードか。
この一言については謎は明かされずじまいで、読者の判断や想像に委ねられ、余韻を残している。味のある文章もすんなり入って来て読みやすい。
ビートたけしやタモリ、ダウンタウン、巨泉らを束にしても敵わないほどの日本的伝統から切断された、いや、自らの過去を消そうとしたスーパースターがトニー谷であり、彼の全盛期は昭和20年代後半から30年代前半だった。
彼に不向きなTVというメディアを牛耳るスポンサーに見離された後、彼は不幸せであったか?
否! 私見では、不遇ではあっても、断じて不幸せではなかった。
その彼は、石原裕次郎死去の1日前に、妻と娘にだけ看取られて静かに旅立った。
試行錯誤を繰り返しながら自己規定を明確にし、自分を賭ける道を見出し、志半ばで病に斃れたとはいえ、自分の居場所も最後に見つけた。
トニーの抱えていた暗さ、それはとりもなおさず敗戦後の日本人皆が抱えていた暗さであった。
だからこそ時代の仇花としてその評価が愛憎半ばし、気に掛かる「忘れられない」ボードビリアンとなったのではないだろうか?
本書にはそんなトニー谷のポートレートが多く掲載されているが、昭和40年代後半、「勝ち抜きアベック歌合戦」最終回の穏やかな微笑みが印象的だった。
2014年3月22日に日本でレビュー済み
私の世代(昭和33年生)にとって、トニー谷と言えば、「アベック歌合戦」で「アンタのお名前なんてぇの?」と算盤をマラカスよろしく振っていた面白いオジサン。書いたものなら、唯一小林信彦「日本の喜劇人」の中のトニー谷の頁のみ。
一般的には下品極まりない外道芸人と思われている「トニー谷の舞台には品があるよ」という祖父・村松梢風の謎の言葉が本書執筆のきっかけだったそうです。
韜晦の極致のようなトニー谷の実像・本質が本書の最後で明らかになった訳ではない。しかし、トニー谷が大方の人間に嫌われるのは、日本人の戦中から戦後への変節のシンボルにも思われる彼のありようが自分の恥部を顔に押しつけられるように感じられるせいではないか?そんな感想を持った。
一般的には下品極まりない外道芸人と思われている「トニー谷の舞台には品があるよ」という祖父・村松梢風の謎の言葉が本書執筆のきっかけだったそうです。
韜晦の極致のようなトニー谷の実像・本質が本書の最後で明らかになった訳ではない。しかし、トニー谷が大方の人間に嫌われるのは、日本人の戦中から戦後への変節のシンボルにも思われる彼のありようが自分の恥部を顔に押しつけられるように感じられるせいではないか?そんな感想を持った。